第21話 男の悩みは人類滅亡まで続く
闘技場を揺るがす、決勝戦開始のゴング。
観客の誰もが固唾を飲んで見守る中、孤高の剣士ウッドが動く。
石畳を蹴り、一瞬で間合いを詰め、必殺の剣閃を俺の首筋めがけて放つ。誰もが勝負あったと思った刹那。
「スキル発動!【痴女・痴漢絶対スローにするマン】!」
俺の脳裏に、またしても悪ふざけのような名前のスキルが浮かぶ。
効果は『視認した対象が過去24時間以内に、公衆の面前で卑猥な発言、または行動を行った場合、対象の動きをスローモーションにする』というもの。
ウッドの「俺の尻を使え!」発言はこのスキルの発動条件を完璧に満たしていた。
俺の視界の中で、ウッドの剣閃がカタツムリのようにゆっくりと迫ってくる。
(よし、勝った! これでリイナ王女と俺の尻は守られた!)
俺が勝利を確信し、余裕で剣を避けようと身体を動かしたが。
「……なっ⁉」
俺自身の身体も、まるで粘度の高い水の中にいるかのように、動きが鈍くなっていることに気づく。
(なんでだ⁉ 俺もこのスキルの対象に⁉……ああ、そうか! 聖女レイラのパンツを観衆の前で振り回して、クンカクンカするとかいう最低最悪の脅迫をしたからか!)
自業自得。まさに天に唾するとはこのことだ。
観客席から見ると、闘技場の中心で最強の剣士と謎の新人がまるでスロー再生の映像のように、ゆーっくりと、もどかしい動きで攻防を繰り広げている。
「おい、なんだありゃ! やる気あんのか!」
「ふざけてんのか! 金返せー!」
野次が飛び交い、闘技場がブーイングに包まれ始めたが観客席の一角、ミイラのように包帯で巻かれた男、黄金のナイト、リュカがガバッと立ち上がった。
「黙れ、この愚民どもめが! 貴様らには見えんのか! あれは常人の目では捉えきれぬ、音速を超えた領域での攻防なのだ! 一瞬でも目を離せば、首と胴が泣き別れになるほどの超次元の戦い……! なんという剣圧、なんという神速……! 俺ですら、目で追うのがやっとだというのに……!」
リュカの知ったかぶりにも程があるのに妙に説得力のある解説に、周囲の観客は「な、なんだってー⁉」「そうだったのか!」「さすがはリュカ様、俺たちとは見えている世界が違うぜ!」と感嘆の声を漏らし、再び固唾を飲んで「超次元の戦い」を見守り始めるのだった。
(くそっ! このままじゃジリ貧だ! 奴の剣はゆっくりでも、確実に俺の急所を狙ってきやがる! 何か……何か逆転の一手は! 燃え上がれ、俺の魂! 限界を超えろ、俺の身体! ここで奇跡を起こさずして、何が勇者だ!)
俺は必死に脳を回転させ、レイラ戦で役に立たなかったスキルを次々と発動させる。
(スキル【乳首の色鑑定】!……茶色か! だからどうした!)
(スキル【パイパン鑑定】!……お、おう! パイパンか! イケメンは手入れも行き届いてやがるな! ……って、感心してる場合か!)
(スキル【お土産提案】!……温泉饅頭だと⁉ この世界、温泉あんのかよ! 今度行ってみよう……じゃねえ!)
(スキル【タトゥー鑑定】!……なし! 清廉潔白かよ、チクショー!)
どれもこれも決定打に欠ける、クソの役にも立たない情報ばかり。ウッドの剣がじりじりと俺の喉元に迫る。
「これで、終わりだッ!」
ウッドが渾身の力を込め、最後の突きを繰り出す切っ先がスローモーションの世界で俺の死を告げていた。
絶体絶命。万策尽きたかと思われたが俺の脳裏に、先ほどの無駄情報の一つが雷のように閃いた。
(……ん? 待てよ……パイパン? ドワーフの親父みたいな剛毛のイメージがあるこの世界で、男が……? まさか……)
俺は最後の賭けに出た。
もはや俺の武器は剣でもスキルでもない。
男がパイパンにする理由を、昔読んだエロ漫画の知識を思い出していく。
「……わかるぜ」
俺はニヤリと、悪魔のような笑みを浮かべてウッドに囁いた。
「パイパンにしてんだろ? ……全部剃っちまえば、少しは……でっかく見えるもんな」
ピタッ。
俺の喉元寸前で、ウッドの剣が止まった。彼の屈強な身体が小刻みに、わなわなと震え始める。
「ち、違う! 断じて違う! あれは……衛生上の観点からだ! 蒸れ防止なんだ!」
あまりにも見え透いた、必死の動揺の姿を見て、俺は勝利を確信した。
俺はもはやカウンセラーだ。傷ついた1人の男の心を救う、魂のカウンセラーに。
「小さいのを気にして、ずっと童貞だったんだな……」
俺の言葉がウッドの心の鎧を打ち砕く。
「でもよ、あんた、顔は一級品のイケメンだ。剣の腕も、国一番と言っていい。確かに、モノは小さいかもしれねえ。だがな、大事なのはそこだけじゃねえ! テクニックさえ磨けば! 前戯とか、指とか、舌とか! いろいろあるだろ! それを駆使すれば、きっと女の子たちはあんたが小さいからってバカにしたりしねえ! むしろ、そんな謙虚な姿勢と努力に惚れ直すはずだ!」
ウッドの脳裏に忌まわしき想い出が蘇る。
あれはまだ彼が孤高の剣士ではなく、ただの剣術一筋な村の青年だった頃。
夕暮れが訓練場の土を赤く染め、一日の厳しい稽古を終えたウッドの汗を、心地よい風が撫でていた。
「ウッド、お疲れ様」
いつも稽古の終わりを見計らって、水の入った革袋を手に現れるのは幼馴染のヴィラだった。
亜麻色の髪を風になびかせ、その笑顔はウッドの荒んだ心を癒す唯一の陽だまりだった。
「ああ。いつもすまないな」
ぶっきらぼうに礼を言い、水を受け取る。彼女の前ではいつも素直になれなかった。
その日、ヴィラはいつものようにすぐには帰らず、何か言いたげにウッドの顔をじっと見つめていた。
「……あのね、ウッド」
意を決したように、彼女が口を開く。その頬は夕日よりも赤く染まっていた。
「私、あなたのことが好きです。剣を振るうあなたは誰より強くて、格好いい。でも、それだけじゃない。道端の花を避けたり、迷子の子猫を助けたり……あなたの本当の優しさを、私は知ってる。だから……私と、付き合ってくれませんか?」
世界が輝いた。
ウッドの心臓が生まれて初めて経験する歓喜で大きく跳ねる。彼女がヴィラが俺を。
剣しか知らなかった無味乾燥な人生に、鮮やかな光が差し込んだ瞬間だった。
応えたい。
この細い肩を抱きしめたい。彼女の温もりに触れたい。
そう思った刹那。
ぞわり、と氷のように冷たい絶望が彼の背筋を駆け上がった。
歓喜に燃え上がったはずの心が一瞬で凍てつく。
(ダメだ……俺には資格がない……)
脳裏に浮かぶのは自身の最大のコンプレックス。誰にも知られてはならない、男としての致命的な欠点。
ヴィラの純粋で、一点の曇りもない瞳が今はただ恐ろしかった。
その瞳がいつか自分を映し、失望と憐憫の色を宿す日が来る。
そんな光景を想像しただけで、呼吸が浅くなった。
(彼女は知らないんだ。知ってしまったら……きっと、優しい彼女は気遣ってくれるだろう。『大きさなんて関係ないよ』と、無理に微笑んでくれるだろう。だがその痛々しいまでの気遣いこそが俺の心を殺すんだ!)
「ウッド……?」
黙り込んだウッドを、ヴィラが不安そうに見上げる。
その表情がウッドの心をさらに抉る。彼女を悲しませたくない。傷つけたくない。
ならば、今、この想いを受け入れるべきではない。
傷つくのが怖かった。
彼女を失望させ、その瞳に軽蔑の色が浮かぶのを見るのが死ぬことよりも怖かった。
「……ごめん」
やっとの思いで絞り出した声は自分でも驚くほど冷たく、乾いていた。
ウッドはヴィラの顔を直視できず、踵を返す。
「え……待って、ウッド! どうして⁉」
ヴィラの悲痛な声が背中に突き刺さる。だが足を止めることはできなかった。
逃げ出した。彼女の純粋な好意から。そして、何より情けない自分自身から。
その夜、ウッドは誰にも告げず、村を出た。
荷物は剣と、わずかな金だけ。
(強くなる。誰よりも強く、孤高の存在に。女も、愛も、俺には必要ない。強さこそがこのコンプレックスを覆い隠す唯一の鎧なのだ)
もし、愛を交わすことが避けられないのなら、いっそ失敗のない男を相手にすればいい。
そんな結論に至るほどに、彼の心は深く傷ついていた。
これが後に孤高の剣士と呼ばれる男の、あまりにも切ない旅の始まりだったのだ。
カラン……。
ウッドの手から、魂の相棒であったはずの剣が力なく滑り落ちた。
奴自身もまた、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。
「女の子に対して、自信がなかったんだな……。傷つくのが怖くて、一歩が踏み出せなかった。だから、失敗のない男に走ろうとした……。でも、本当は女の子が好きなんだろ?」
俺は慈愛に満ちた表情でウッドに手を差し伸べた。
「さあ、勇気を出してアタックしてみな。お土産も忘れずにな。きっと、あんたは上手くいく。俺が保証する」
「う……うわあああああああああん……!」
ウッドは子供のように大粒の涙を流し、しゃくりあげながら叫んだ。
「……ま、参りました……! 俺の……負けです……!」
かくして、勇者選定武闘大会は決勝戦が物理的な戦闘ではなく、魂のカウンセリングによって決着するという、前代未聞の幕切れを迎えたのであった。