第16話 勇者選定武闘大会開幕!
安宿の硬いベッドで目を覚ました朝は相変わらず陰鬱な気分から始まる。
きしむ床を踏みしめ、階下の食堂へ向かう途中、寝ぼけ眼で部屋から出てきた商人の男とすれ違うと、俺の視界の端に無機質なウィンドウが自動でポップアップした。
【商人風の男】【最終性交時間: 2時間14分前(相手:宿の女中)】
食堂では俺の朝食を運んできたそばかす顔の女中が愛想よく微笑みかけてくる。
彼女の頭上にも、もちろん表示は健在だ。
【宿屋の女中】【最終性交時間: 2時間18分56秒前(相手:さっきの商人)】
「はぁ〜……。そういう宿屋かよ、ここ」
俺は誰にも聞こえない声で毒づき、シチューをかき混ぜる。
(……いかんいかん、飯を食うときは、そういう余計なことを考えちゃいけない。俺はただ、腹が減っているだけなんだ。うん、このシチュー、なかなかどうして、野菜がしっかり煮込まれていて悪くない。……ああ、染みるな。こういう普通の飯が一番だ)
昨日、この宿にチェックインしてから、すれ違う宿泊客の半分以上が24時間以内の表示だった。
複数人の女中も全員がだ。
完全にそういう目的で利用されている宿なのだろう。
だが、俺の心に引っかかるのは別のことだ。
(……なんで俺にはそういう話が一切来ねえんだよ。金なら持ってるぞ? そんなに魅力ねえのかよ、俺は!)
ぶつくさと文句を言いながら朝食を終え、俺は冒険者ギルドへと足を向けた。
ギルドの扉を開けると、いつもとは違う閑散とした空気に首を傾げる。
屈強な冒険者たちの姿はまばらで、喧騒も鳴りを潜めていた。
カウンターへ向かうと、受付嬢のサリアが「お待ちしておりました!」と、完璧な営業スマイルで何かを手渡してきた。
それは豪奢な封蝋が施された一通の招待状だった。
「セイヤ様、王国騎士団より、勇者選定武闘大会への参加招待状でございます!」
昨日、グリーンウェルに言われた通りだったな、と感心しながら、俺はふと、サリアの頭上の表示に目を奪われた。
【サリア(受付嬢)】【現在性交中(相手:知らない貴族のおっさん)】
「……は?」
俺は二度見、三度見する。表示は変わらない。現在性交中だとお⁉
ちくしょう、俺の目には受付の椅子に上下に揺れながら座り、顔を真っ赤にして恍惚の表情で喘ぐのを必死に堪えているサリアはわかるんだが、相手の姿が見えん!
魔法か? 透明魔法なんてあるのか⁉
よく見るとサリアの背中の向こう側に、おっさんの両足みたいなのが見えた。
ブリッジ体勢でヤッてるんかい!
パンッ、パンッ、と肉のぶつかる音と、サリアの吐息がリアルに響く。
(……マジかよ。今まさに、このカウンターの向こうで……⁉ それでこの完璧な営業スマイル……プロ根性が天元突破してやがる……!)
そーっと受付カウンターの奥を覗こうか、いや、見たら見たで精神が削られるだけか。
俺が内心で激しい葛藤を繰り広げていると、サリアが不思議そうな顔で小首を傾げる。
「ん……あっ……どうか……されましたか、ん、くっ……セイヤ様?」
「ち、ちなみにですけど、お、俺に誘われたらどうします?」
「は? あん……セクハラで……んく……ちょん切りますよ……んふ」
「い、いや、なんでもないです……」
俺はサリアさんの、快楽を抑え込んでまで氷のような睨んだ目に引き攣った笑みを浮かべ、招待状に目を落とす。
するとそこに書かれていたのは衝撃の事実だった。
「……本日、これより開催……だと?」
だからギルドに冒険者が少なかったのか。
納得と同時に、あまりの段取りの悪さに呆れながら、俺は指定された王国闘技場へと足を運んだ。
闘技場は鬨の声と熱気で満ち満ちていた。
選手控室に通される途中、観客席のどこかから、見覚えのある鋭い視線を感じた気がした。
変装しているのか、人混みに紛れて姿までは確認できない。
(……まさか、グリーンウェルの奴、見に来てやがるのか?)
貴賓席に目を向けると、げ、と声が出そうになる。
エルグランド公爵一家が澄ました顔で座っているのだ。
ソフィが「お父様、素敵ですわ……」と父親に媚びるように寄り添っている。
【ソフィ・エルグランド】【最終性交時間: 3時間21分前(相手:父)】
【サファイヤ・エルグランド】【最終性交時間: 4時間02分前(相手:父)】
【エンデバン・エルグランド公爵】【最終性交時間: 1時間15分前(相手:メイド)】
(……相変わらず終わってんな、あの一家。いいなあ、貴族)
俺は静かに舌打ちした。
選手紹介もそこそこに、俺の1回戦が始まった。
対戦相手として闘技場の中央に進み出たその姿を見て、俺はため息しか出ない。
審判兼実況を務める、やけに露出度の高いバニーガール姿の女性が魔力を乗せた声を張り上げる。
「さあ始まりました、栄えある勇者選定武闘大会! 1回戦から、早くも優勝候補筆頭の登場です! 『黄金のナイト』の二つ名を持つ、我らが1級冒険者、リュカ様ァァァ!」
ワッと会場が沸く。観客席の子供が「リュカ様ー!」と旗を振っている。
「対するは……ええと、ギルドランク10級! なんか冴えない奴だァーッ!」
クスクスと、会場から嘲笑が漏れる。
リュカは自信に満ち溢れた顔で剣を構え、俺を指さした。
「今度こそ貴様の最期だ、クソガキ! この晴れの舞台で、貴様の実力が所詮はまぐれだったということを、万人の前で知らしめてやる!」
丸腰の俺はそんなリュカの言葉を聞き流し、すっと彼の頭上に視線を送った。
【リュカ(人間・冒険者)】【最終性交時間: 15分02秒前(相手:シャーロット)】
俺は次に、審判のバニーガールへと視線を移す。
【シャーロット(人間・審判)】【最終性交時間: 15分10秒前(相手:リュカ)】
(なるほどな……。試合直前まで控室でヤってたのか。アンアンと、さぞ激しかったんだろうな。そりゃあ実況にも熱が入るわけだ)
「リュカ様が優勝に決まってるんだ! よく知らん奴はさっさと棄権しろー!」
「そうだそうだ! リュカ様の優勝が見たいんだよ!」
会場から野次が飛ぶ。誰もがリュカの圧勝を疑っていない。
ゴォン、と試合開始のゴングが鳴り響いた。
リュカが必殺の剣技を繰り出そうと、大きく踏み込む。
だがそれより早く、俺はただ無造作に一歩前に出て、振りかぶった右の拳を、リュカの顔面に叩き込んだ。
ゴッ!
次の瞬間、リュカの身体は漫画のように綺麗な放物線を描き、闘技場の分厚い壁を突き破り、遥か彼方の空の星となった。
(死んでないと思うが、これで俺には絶対勝てないと諦めて、二度と俺の目の前に現れるなよ)
しーん、と、あれだけ騒がしかった闘技場が水を打ったように静まり返る。
リュカを応援していた子供がポカンと口を開けて空を見上げている。
バニーガール審判のシャーロットはあんぐりと口を開けたまま、完全にフリーズしていた。
「え……? あ……? りゅ、リュカ様が……? うそ……あんなに、あんなにすごかったのに……♥」
頬を上気させ、恍惚とした表情で呟くシャーロット。
俺は何も言わず、ただ静かに闘技場から控室に戻っていく。
(ククク……ざまあみろだ。奴らはまだ理解できていない。常識という名のぬるま湯に浸かりきった奴らには、俺という存在の異質さが……その狂気が……まだまるで分かっていない……!)
俺を馬鹿にしていた観客たちの、恐怖と畏怖が入り混じった視線がやけに心地いいぜ。