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第15話 冷静な大人はカッコいいが大抵裏がある

 冒険者ギルドの飯屋は混沌とした活気の坩堝だった。

 汗と安いエールと鉄板で焼かれる肉の香ばしい匂いが混じり合い、屈強な冒険者たちの野太い笑い声や、どこかのテーブルで始まった腕相撲大会の怒号が絶え間なく響いている。

 オークの牙を自慢げに掲げる男、リュートを爪弾きながら物憂げな視線を投げるエルフ、薄汚れたカウンターの隅で黙々とナイフを研ぐ獣人。

 噂話で耳にする、北の大陸で魔王軍の侵攻が止まるも人類側は敗北続きだという情報。

 

 そんな喧騒の渦の中心で、一瞬だけ時が止まったかのように静まり返る。

 俺の目の前で、歴戦の傭兵然とした男の顔を、熱いビーフシチューがとろりと滴り落ちていた。

 眉間に刻まれた深い皺を、人参やじゃがいもの欠片が滑っていく。

 

 だが男は眉一つ動かさなかった。

 ただ無言で、全てを見透かすような鋭い瞳で、俺をじっと見つめている。

 周囲の冒険者たちも何事かと視線を向けるが男……グリーンウェルの放つ尋常ならざる威圧感に気圧され、誰もが固唾を飲んで、遠巻きに見ているだけだ。


(ま、魔王軍⁉ 嘘だろ⁉ この純愛おっさんが⁉ ていうか、シチューかけちまった! 終わった! 殺される! ステータスオール1の俺がこの威圧感の塊みたいな男に勝てるわけねえ!)


 俺は自分のしでかしたことに顔面蒼白になりながら、頭の中で警報がけたたましく鳴り響くのを聞いていた。

 目の前の男が「22年間操を立てた純愛の戦士」から「正体不明の魔王軍幹部」へと一瞬でクラスチェンジしたことで、俺の思考回路は完全にショートしていた。


 まずい……! これは、平穏な日常生活に突如として現れる、世界の真実を知る組織との邂逅イベント!

 俺はまだ、自分に眠る隠された力にも覚醒していないただの一般人だっていうのに!

 奴の放つプレッシャーだけで圧死しそうだ!

 俺はモブ! 俺は壁! 俺はただの風景だ!


 グリーンウェルは懐から取り出した布で、ゆっくりと顔のシチューを拭う。

 その仕草はまるで顔についた埃を払うかのように自然だった。


「……驚かせたようだな。まあ、無理もない」


 ポツリと、まるで他人事のように呟く。

 俺は椅子からずり落ちそうになるのを必死でこらえながら、震える声でなんとか言葉を絞り出した。


「な、な……なんの、用だ……? お、俺を、殺しに来たのか……?」


 グリーンウェルはフッと息を吐き、あまりにも意外な言葉を口にした。


「そんなに恐れるな。別に人類を裏切れとか、今すぐここで殺し合うとか、そんな野暮なことを言いに来たわけじゃない」


(なんだこいつ……目的が読めねえ……!)


 おっさんの落ち着き払った態度に、俺は逆に混乱を深める。


「単刀直入に聞く。近々、この国で勇者選定の武闘大会が開かれる。知っているか?」


「……? いや、初耳だが……」


「マジか」


 グリーンウェルは心底呆れたように呟いた。


「まあ、お前さんのような新人が知らんのも無理はないか。だが黄金のナイトを二度も瞬殺した実力者だ。コボルト退治も手際が良かったと聞く。間違いなく招待状が届くだろう」


「はあ……。で、それがどうしたって言うんだ?」


「優勝すれば、この国公認の勇者の称号と、莫大な支度金が与えられる。つまり、魔王討伐という名の、国から給料が出る仕事に就けるってわけだ」


「へえ……」


(勇者? 俺の称号が勇者ぁ? のままなのはこれか。公式で正式な勇者になれってことか。金が貰えるのは魅力的だが……このおっさんの目的はなんだ? 俺に大会で他の有力候補者を潰させるためか? いや、それなら俺を消そうとしない理由がわからん……!)


 俺の猜疑心に満ちた目を見て、グリーンウェルはまるで心の中を読んだかのように、ニヤリと口の端を吊り上げた。


「俺がここに来たのはあんたの実力を見極めるためだ。リュカとかいう、内外にその名を轟かせる1級冒険者を赤子のようにあしらった腕前、噂だけでは信じられんからな。だがこうして直に対面して確信したぜ。あんたは……俺より、わずかながら強い。俺の剣圧を浴びて意識がある奴なんて久々に見たぜ」


(強い、だと? こいつ、さっきから俺に剣圧を浴びせ続けてやがったのか! 全然気づかなかった……! そりゃそうだ、俺のスキルは一度でも行為をした者の能力を完全に上回る! だから平然としていられただけだ! でも、【それ以前】に行為を行った者:対象の能力値をわずかに上回る補正。ていうわずかに上回ってるだけじゃ、こいつの戦闘経験と、なんか執念で普通に負けそうだ! 内心チビりそう……!)


 内心で滝のような冷や汗をかいている俺に、グリーンウェルは構わず話を続ける。


「……俺に優勝してほしいのか? それで、俺が勇者になったところで接触してきて、魔王軍に寝返れとでも言うつもりか?」


「ハハハ、50点だな、坊主。あんたが寝返っても、王国はまた別の勇者を探すだけだ。いたちごっこさ」


「……じゃあ、一体なんだって言うんだ?」


 グリーンウェルはテーブルに身を乗り出し、声を潜めた。

 おっさんの目は冗談など一切通じない真剣そのものだ。


「魔王様は王国との、持ちつ持たれつの関係を求めておられる」


「持ちつ持たれつ……?」


「そうだ。あんたには勇者になってもらう。そして魔王軍と適度に戦ってもらう。時には勝ち、時には負け……戦線が膠着しているように見せかけるんだ。そうすれば、王国はあんたに金を払い続け、魔王軍は無駄な犠牲を出さずに済む。つまり……」


 俺は息を呑んだ。


「……八百長、か」


 グリーンウェルは満足げに頷くと、椅子に深くもたれかかり、腕を組んだ。


「話が早くて助かる。この場で返事を聞こうか。もちろん、断るという選択肢もある。その場合は……戦闘だ。俺は別に、ここにいる他の冒険者たちを盾にして戦うことに何の躊躇もないが……あんたはどうかな?」


 グリーンウェルの冷徹な視線が近くで酒を飲んでいる冒険者や、注文を取りに来たウェイトレスのアンナへと向けられる。

 おっさんの目は本気だ。


(ちくしょう……! 選択肢なんて、最初からねえじゃねえか……!)


 俺は唇を強く噛み締め、覚悟を決めて顔を上げた。


「……わかった。その話、乗った」


「賢明な判断だ」


 グリーンウェルは席を立ち、俺の前に無骨な右手を差し出す。

 俺は一瞬ためらったが、やがてごつごつとした歴戦の戦士の手を固く握り返した。

 がっちりと交わされる握手。

 それは俺と、純愛の魔王軍幹部との間に結ばれた、誰にも知られてはならない秘密の契約の証だった。


「では武闘大会での活躍、期待しているぜ。勇者様」


 そう言い残し、グリーンウェルは何もなかったかのように人混みの中へと消えていく。

 1人残された俺はまだ感触の残る自分の右手を見つめ、深く、長いため息をつくのだった。

 俺の異世界ライフはまたしてもとんでもない方向へと舵を切ってしまった。

 

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