第14話 ヒロイン候補その1登場! でも俺はチキンなので会話すらできません
冒険者ギルドに併設された飯屋は混沌とした活気に満ちていた。
汗と安いエールと焼かれた肉の香ばしい匂いが混じり合い、屈強な冒険者たちの野太い笑い声や、どこかのテーブルで始まった腕相撲大会の怒号がBGMとなっている。
俺はそんな喧騒の渦の中心で、少しでも自分の存在感を消すかのように、壁際のテーブル席で熱いシチューをスプーンでちびちびと口に運んでいた。
(ふん、どうせここも、筋肉と性欲でできてる連中の巣窟なんだろうな)
俺は心の中で毒づきながら、もはや日常と化した『リア充チェッカー』を無意識に発動させる。
孤高の道を選んだ俺にとって、周囲の人間観察は唯一の娯楽であり、同時に危険を察知するための重要な索敵行為なのだ。
まずはあのオークを1人で狩ってきたと自慢している、斧使いのグループ。
【最終性交時間: 3時間14分前(相手:娼婦)】
【最終性交時間: 3時間28分前(相手:娼婦)】
(まあ、そうだよな。筋肉自慢の後は女自慢か。わかりやすくて結構)
次は窓際でリュートを爪弾き、物憂げな表情で女性たちの視線を集める、いけ好かないエルフの吟遊詩人。
【最終性交時間: 18時間55分前(相手:街のパン屋の看板娘)】
(歌で口説いたクチか。腹立つな。パン屋の娘も見る目がないぜ)
ここまでのお約束の展開に俺はため息をつく。
この世界も俺がいた世界と大差ない。
誰も彼もが俺の知らないところで愛を育み、子孫を残していくのだ。
そんな諦観に浸っていた俺の目に、ふと、1人で黙々と剣の手入れをしている、鋭い目つきのイケメン剣士が映った。
いかにも女を泣かせていそうな、クールでミステリアスな雰囲気を醸し出している。
(どうせこいつも、昨日の夜あたりにどこぞの貴族の令嬢でも抱いてきたんだろうな)
やさぐれた気持ちで、俺は彼に視線を固定するが、そこに表示されたのは予想を完全に裏切る文字列だった。
【ウッド(人間・剣士)】
【最終性交時間: 無】
「は? 無?」
思わず、小さな声が漏れた。
嘘だろ、あんな絵に描いたようなイケメンが?
何かの間違いかと目をこすり、もう一度見るが表示は変わらない。
そこから俺は、世界の解像度が一段階上がったような感覚に襲われた。
慌てて周囲を見渡してみると、どうだ、今まで気づかなかったが意外と無の表示が多い。
フードを目深に被った小柄な女魔術師や、カウンターの隅でミルクを飲んでいる無口な猫獣人、ウェイトレスにも何人かいる。
(ふーん、どいつもこいつもヤりまくってるふざけた奴らかと思ってたが案外、童貞と処女も多いんだな)
少しだけ世界に対する見方が変わった直後、俺の背筋を氷水のような悪寒が駆け抜けた。
(いや、待てよ……。無ってことは俺のスキルが発動しないってことだ。つまり、こいつらに万が一絡まれたら、ステータスオール1の俺は……瞬殺される……?)
ザッと血の気が引く。
ちょうど例のイケメン剣士がふと顔を上げ、俺と目が合いそうになった。
俺はビクッと肩を震わせ、猛烈な勢いでシチューに顔を突っ込むようにして視線を逸らす。
(やべえ……! リア充より、そいつらの方がよっぽど危険じゃねえか! 今後、表示が無の奴には絶対に近づかないようにしよう……!)
俺の心に、新たな行動指針が深く刻み込まれた。
そんな俺の警戒心をさらに煽る事件が目の前で起こった。
「ご注文、お決まりですかー?」
緑色のツインテールとおっぱいを愛らしく揺らし、満面の笑みで注文を取っているのは、この飯屋のアイドル的なウェイトレスらしい。
(あの子、可愛いな。胸を見ているだけで興奮する。どうせ冒険者の誰かと……)
俺がいつもの癖で彼女にチェッカーを発動させると、意外な表示が浮かぶ。
【アンナ(人間・ウェイトレス)】
【最終性交時間: 無】
(おっ、処女だ。やべえドキドキしてきたぞ。こんな可愛い子が冒険者たちの毒牙にかかってないなんて、俺の運命の相手に違いねえ)
そう思っていると、酔って赤ら顔になった、ゴリラのように屈強な冒険者がニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらアンナの尻に手を伸ばした。
「ひひっ、姉ちゃん、この後お楽しみはど……ぐふっ⁉」
俺は信じられない光景を目撃した。
アンナは愛想の良い笑顔を一切崩さないまま、伸ばされた冒険者の腕を掴むと、流れるような動きで巨体を背負い、床に叩きつけたのだ。
ドゴォッ! という、岩でも砕けたかのような鈍い音と共に、冒険者は白目を剥いて完全に沈黙した。
「もう……お客様、お店で暴れたり、女の子に乱暴したりするのは、めっ!ですよ?」
周囲の客が「またか」「アンナちゃんに手を出すからだ」とヒソヒソ囁く中、アンナ本人はスカートについた埃をパンパンと軽く払い、何事もなかったかのように別の客に向かって微笑んだ。
「お待たせいたしました! ご注文は以上でよろしかったでしょうか、お客様?」
「……ぶっ」
俺は口に含んでいた水を吹き出しそうになるのを、気管が張り裂ける思いで必死に堪える。
(こ、こえええええええ! なんだあの子! あの淀みない体捌き……間違いない! あれは伝説のメイド長のみに伝わる暗殺格闘術、『メイド式殺法』の構えだ! なんで冒険者じゃなくてウェイトレスやってんだよ!)
俺はガタガタと小刻みに震えながら、脳内にある絶対近寄っちゃならない人物リストの最上位に、にこやかな笑顔のアンナを太字で書き加えた。
あ~、でもあの胸は魅力的だ。
あの胸を両腕でクロスしながら、あなたに処女を捧げます、なんて言われてえ。
よし、毎日視姦しに来よう。無の表示がなくなるその日まで。
その日俺はこう叫ぶだろう。
なんで処女じゃなくなってるんですかああああ!
おふっ……自分で言ってダメージ受けたわ。俺が彼女の無の表示をなくしてえええええ!
他にも可愛いウェイトレスいないかなあとキョロキョロしていると、不意に俺のテーブルに影が差した。
顔を上げると、そこに1人の男が立っていた。
年齢は40代半ばだろうか。無精髭に、眉間に深く刻まれた皺。
歴戦の傭兵を思わせる、全てを見透かすような鋭い眼光。
その威圧感はそこらの冒険者とは明らかにレベルが違った。
男は「よう」と短く声をかけると、俺の許可も得ずに、向かいの席にドカッと腰を下ろした。
(うわ、面倒くさいのが来た……。見るからに強そうだ。こいつも無だったらどうしよう……。なんてあるわきゃないか)
俺は内心でビクつきながらも、もはや反射となった索敵行動を開始する。
おそるおそる、目の前の男に『リア充チェッカー』を発動させ、俺の目に飛び込んできた表示に、我が目を疑った。
【グリーンウェル(人間・???)】
【最終性交時間: 22年と3ヶ月14日前(相手:故・妻・マリア)】
(は……? 22年……前……? しかも相手は……故・妻……?)
俺はシチューをかき混ぜるふりをして、何度も目をこする。だが表示は変わらない。
威圧的な外見で人を寄せ付けないような厳しい雰囲気。
そんな男が20年以上もの間、亡くなった奥さんに操を立て続けている事実に気づいた瞬間、俺の胸に、熱い何かが込み上げてきた。
(マジかよ……このいかついおっさん……本物の、純愛を貫いてるじゃねえか……!)
さっきまでの恐怖心はどこへやら、不覚にも目頭が熱くなる。
この男は俺がずっと探し求めていた、本物の人間なのかもしれない。
俺の態度は180度変わっていた。
「あ、あの……な、なんでしょうか?」
先ほどまでとは打って変わって、ドギマギしながら、わずかな敬意を込めた声で尋ねる。
俺の態度の変化にグリーンウェルは少しも構うことなく、真っ直ぐに俺の目を見据えて言った。
「あんたが例の新人冒険者、オオイシセイヤだな。噂は聞いている」
ゴクリ、と俺は唾を飲み込む。
グリーンウェルは一呼吸置くと、腹の底に響くような声で、こう続けた。
「俺の名はグリーンウェル。……魔王軍に所属する、しがないおっさんさ」
「……は?」
一瞬、思考が停止した。
ま、魔王……軍……?
その単語が脳内で意味を結んだ、その瞬間。
「ブフォッ!」
俺は口に含んでいたシチューの最後の一口を、目の前の純情な魔王軍のおっさんの顔面に、盛大にぶちまけるのだった。