第10話 黄金のナイト
夜明け前の薄闇の中、俺は王都の裏路地を駆けていた。
公爵家から奪った金品が詰まった革袋が腰で重々しく揺れている。
昨夜の混沌とした出来事が嘘のように、街は絢爛豪華の華やかさで満ちている。
やがて俺がたどり着いたのは、職人たちが集まる鍛冶師通りだ。
朝早いのにもかかわらず、既に活気に満ちていた。
カン、カン、とリズミカルに槌が鉄を打つ音。
もうもうと立ち上る蒸気と、火花が飛び散る光景。
鉄の焼ける匂いと石炭の匂いが混じり合った、カッコいい男臭い空気が立ち込めている。
その一角に、巨大な戦斧の看板を掲げた、ひときわ頑丈そうな石造りの店があった。
ドードリオ鍛冶工房。
王都一と名高いドワーフの武器屋だ。
俺は店の重厚な木製の扉を押し開ける。
店内には壁一面に、息を呑むほど見事な武具がずらりと並んでいた。
鈍い光を放つ鋼の大剣、流麗な装飾が施されたミスリル銀のレイピア、黒曜石のように輝く分厚い全身鎧。
そのどれもが職人の魂が宿った芸術品であり、同時に恐ろしいまでの殺意を秘めていた。
「すげえ……」
少年らしい好奇心がやさぐれた心を一瞬だけ上回る。
俺は目をキラキラさせながら、壁にかかった両手持ちの大剣に手を伸ばした。
「……ふんっ!」
気合を入れて持ち上げようとするが剣はビクともしない。脳内に無慈悲なシステムメッセージが響く。
【SYSTEM ERROR: 筋力不足により、この装備は使用できません。要求筋力: 50 / 現在の筋力: 1】
「ぐっ……! ならばこっちだ!」
今度は手頃な大きさのロングソードを手に取る。
なんとか持ち上がったものの、剣の重さに腕がプルプルと震え、まともに振ることすらできない。
「坊主、冷やかしならよそへ行きな」
カウンターの奥から、低く野太い声がした。
見れば、腕組みをした筋骨隆々のドワーフの親父が呆れたようにこちらを見ている。
「ち、違う! 買うんだよ! この全身鎧、試着させてくれ!」
俺は懐から金貨を数枚取り出し、カウンターに叩きつける。
親父は少し驚いた顔をしたが手伝いの若い衆と共に俺に鎧を着せ始めた。
数分後。鏡の前に立つのは最新式のフルプレートメイルを装備した俺の姿。
まあ、結果は想像通り。
「う、動けん……! 重い! 息が……!」
亀がひっくり返ったかのように、俺はその場で身動きが取れず、バランスを崩し、ゴシャアン! と大きな音を立てて床に倒れた。
「ちくしょう……! なんでだよ! 金はあるのに! なんで俺はこんなに弱いんだよぉぉぉ!」
床に転がったまま、俺は悔し涙を流した。
ステータスオール1という現実が情け容赦なく俺に襲いかかる。
「クソ神様……! 冒険が……したかったです……」
カラン、と軽やかなドアベルの音が鳴る。
俺が涙目で入口を見ると、そこに一組のパーティが入ってきた。
リーダー格らしき青年は太陽の光を編み込んだような輝く金髪に、碧眼を持つ、絵に描いたような美青年。
そいつの隣には、エルフと一目でわかる尖った耳の弓使いの金髪ショートの美少女と、猫獣人の黒髪ロングの格闘家っぽい美少女が楽しそうに彼に寄り添っている。
なにあの猫耳と尻尾! めっちゃ触りてえええええ!
「おや、これはこれは。民間人の坊やが冒険者の真似事かい? 随分と立派な亀さんになっているじゃないか」
金髪の青年は倒れている俺を見て、爽やかな笑顔で嘲笑した。金髪の笑顔から覗く歯がキラリと光る。
「おっと、その革袋……随分と羽振りが良さそうだ。どうだい? その金で僕たちパーティに護衛でも依頼してみたらいいんじゃないかい? 君みたいなひ弱な坊やが1人で武器を買いに来るなんて、僕らが頼りないみたいじゃないか?」
「リュカ様、およしになって。虫けらと話したら格が落ちます」
「でも、可愛い亀さんだにゃ。一生そうしてるのがお似合いにゃ」
取り巻きの少女たちもクスクス笑っている。
俺の脳裏で、紅林や庄司といった、忌まわしい男たちの顔がフラッシュバックした。
(……またこのパターンかよ)
俺は冷めきった目で、彼らの頭上を見た。案の定、そこには煌々と輝くウィンドウが浮かんでいる。
【リュカ(人間・冒険者)】【最終性交時間: 1時間24分33秒前(相手:シルフィ)】
【シルフィ(エルフ・冒険者)】【最終性交時間: 1時間24分38秒前(相手:リュカ)】
【ミャミャ(猫獣人・冒険者)】【最終性交時間: 2時間55分11秒前(相手:リュカ)】
(……なるほどな。こいつ、ついさっきまでやってて、その前にもう1人ともやってんのか。すげえな、この金髪野郎。てか、いつの間にか行為相手まで見れるようになってるじゃねえか!)
公爵邸で暴れてレベルが3に上がっていたことを、俺は今思い出した。
感心と殺意が同時に沸き起こる。
くそったれ、美男美女は全員俺の敵だ。
俺はゆっくりと鎧の中でもがくが、【リア充絶対殺すマン】が発動したおかげで軽やかに歩きだす。
「……おい、金髪」
「ん? なんだい、亀さん。僕に何か用かな?」
リュカが顔を近づけてきた瞬間。
ゴッ!
鎧を着た俺の拳が、リュカの完璧な顔面を寸分の狂いなく捉えた。
重い鎧の重量が乗った一撃はもはや鉄槌そのものだった。
「ぐふっ⁉」
リュカは奇妙な悲鳴を上げ、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
鼻からは赤い血が流れ、ピクピクと無様に痙攣していた。
「「リュカ様ぁぁぁぁぁ!」」
美少女2人が悲鳴を上げ、腰を抜かす。
店内の空気が凍りついた。
ドワーフの親父も、他の客も、口をあんぐりと開けている。
「ひっ……! 覚えてなさい!」
少女たちは捨て台詞を吐くと、一目散に店を飛び出し、「衛兵! 衛兵さーん!」と叫びながら走り去っていった。
「お、おい、あんた……何てことをしやがったんだ……」
ドワーフの親父が震える声で俺に話しかける。
「あいつは『黄金のナイト』の二つ名を持つ、この国でも指折りの1級冒険者、リュカだぞ……! あんた、殺されるぞ!」
「へえ、そうなんだ」
俺は力を失い床に転がったまま他人事のように呟いたが、心の中ではある確信が雷のように閃いていた。
(そうか……1級冒険者だろうがなんだろうが……俺のスキルが発動する条件を満たしてさえいれば……ただのサンドバッグ同然か!)
武具など要らぬ。俺の拳さえあればリア充は屠れる!
「やべえ、衛兵が来る!」
外が騒がしくなってきたのを察知し、俺は慌てて鎧の中でもがく。
「お、親父! 鎧、脱がしてくれ! 金は迷惑料だ! ここに置いていく!」
俺は革袋から金貨を数枚放り投げる。
親父はまだ呆然としながらも、手伝いと共に大急ぎで鎧を外した。
身軽になった俺は気絶しているリュカを乗り越え、店の裏口から脱兎のごとく逃げ出した。
武器は手に入らなかったが、それ以上に価値のあるものを手に入れた。
(ステータスが弱くても関係ねえ。この力があれば、俺はこの世界でやっていける……!)
自分の力の使い方を理解した俺は笑みを浮かべながら、新たな目的地へと足を向けた。
「よし、まずは冒険者ギルドだ。俺も冒険者になって一旗揚げてやる……!」
俺の冒険者としての第一歩が今、始まろうとしていた。