第9話 公爵家の内情
夜の闇を切り裂いて、一台の無蓋馬車が荒れた街道を疾走している。
月明かりはなく、頼りになるのは御者が掲げる松明の揺らめく光だけ。
馬車の荷台に、俺は汚れた荷物のように転がされていた。
吹き付ける夜風は冷たく、昨夜の豪華なもてなしが遠い昔の夢のようだ。
やがて馬車は街道を外れ、気味の悪い枯れ木が立ち並ぶ森の中へと入っていく。
馬車が軋む音を立てて止まる。
荷台の周囲を屈強な男たちが取り囲んだ。
全員がエルグランド公爵家の紋章が入った革鎧を身につけた、公爵家の私兵たちだ。
「おい、起きろゴミ。終点だぜ」
リーダー格の男が俺の腹をブーツのつま先で無遠慮に蹴りつける。
俺は荷台から引きずり出され、地面に叩きつけられた。
「ふが……(ぐっ……)!」
「ふが……ふがふが……(なぜ……こんなことを……)」
声にならない声で、俺は男たちを睨みつける。
リーダーの男はそんな俺の顔をせせら笑った。
「あん? てめえみたいな下賤の者に、お嬢様方の恥を知られたままにしておけるかよ。公爵様直々のご命令だ。お嬢様方の純潔が汚されたという事実は、てめえと一緒にこの森の土に還ってもらう」
男たちは下卑た笑いを浮かべる。
「まあ、感謝してるぜ。おかげで俺たちはたんまりと臨時ボーナスだ。今夜はこの金で娼館に繰り出して、良い女を抱かせてもらうぜ」
「俺は恋人が待ってるんでな。こいつをさっさと片付けて、朝までたっぷり愛し合ってくるさ」
猿轡を噛みしめながら、俺は冷めきった目で私兵たちを見上げていた。
(……金か。結局、大人が動く理由は金だけなんだな。感謝? 恩義? そんなものは、目の前の金貨一枚の価値もないってことか)
人間はどこまでいっても腐りきっているのだ。
怒りが沸点に達した瞬間、俺の全身から凄まじいオーラが噴き出した。
【ユニークスキル:『リア充絶対殺すマン』発動!】
「なめるなよ……クズどもがッ!!」
俺の猿轡を噛みちぎった咆哮と共に、俺の筋肉が尋常ならざる力で膨張する。
ブチッ! ブチブチッ!
荒縄がまるで腐った糸のように、いとも簡単に引きちぎられた。
「なっ……⁉」
「ば、化け物……⁉」
私兵たちは信じられない光景に腰を抜かす。
武器を構えることすら忘れ、一目散に我先にと逃げ出していった。
「ぎゃああ! 助けてくれー!」
「公爵様! 話が違うじゃねえか!」
遠ざかる悲鳴を聞きながら、俺はため息をついた。
「……はぁ。殺すのも面倒くせえ。それより、あのクソ公爵だ。このままずっと狙われ続けるのはウザすぎる……」
俺は方針を決定する。まずは厄介事の根源を断つのだ。
「よし、忍び込んで直接交渉だ。『俺は誰にも喋らんから追うな』って、釘を刺しに行くか」
俺は能力の余韻が残る身体能力を活かし、夜の闇に紛れて難なく公爵邸に舞い戻った。
衛兵の配置の死角を突いて、公爵の寝室のバルコニーに辿り着く。
(ここで穏便に話を……)
そう思いながら、カーテンの隙間から中を覗いた俺は言葉を失った。
豪華な天蓋付きベッドの上、そこにいたのは寝間着をはだけさせたエルグランド公爵。
そんな公爵に左右からしなだれかかり、恍惚とした表情を浮かべているソフィとサファイヤの姿。
「んっ……お父様……もっと……」
「サファイヤばっかりずるい……私にも……お父様の硬いので……」
少女たちの甘く蕩けた声が静かな寝室に響き渡る。
公爵は「おお、我が愛しい娘たちよ。盗賊どもの汚れたのを父ので浄化してやるぞ……」と満悦の表情で2人を愛撫している。
俺は口をパクパクと大きく開けたまま、完全にフリーズした。
(は……? なにこれ……? え……親子で……? 俺が助けた姉妹が……実の父親と……? やめろ……! 俺に考えさせるな! 思考させるな! 理解させるな!)
脳が理解を拒絶する。
盗賊に陵辱された悲劇のヒロインではなかったのか。
あれは一体なんだったのか。
「あの男はお前たちを抱かなかったのだな。チュッ、チュッ」
「嫌ですわお父様……あんな人のなんて。救世主様と持て囃したら、単純に護衛してくれたアホですわ」
「そうですわ……お父様のがあればそれでいいのです」
なおも俺にとってクソムカつく会話してやがる。
幼い美少女姉妹の蕩けた声が、視界を暗くする。
思考がショートした俺は、もはや交渉どころではなくなった。
「とりあえず……殴るッ!」
バルコニーの扉を蹴破り、部屋に突入。
驚く3人を尻目に、俺は一直線に公爵に駆け寄り、顔面に渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ゴッ!
「ぐふっ⁉」
公爵は白目を剥いてベッドに沈んだ。
「お父様あああああ!」
「よくも! よくもお父様を!」
娘2人は気絶した父親の顔に跨ったり、股で腰を振ったりしながら、俺に向かって叫んだ。
「「曲者おおおおおおおお!」」
あれ? もしかして俺のこと、こいつら覚えてすらいない?
救世主として崇めた男の顔ぐらい覚えておいてよ!
姉妹の絶叫に、屋敷中の私兵やメイドたちが駆けつけてくるが時すでに遅し。
連中もまた、俺の敵ではないのだ。
「うおおおおお! リア充が! 姉妹丼リア充がァァァ!」
俺は駆けつけた私兵やメイドたちを、もはやただの障害物として次々となぎ倒していく。
「どけ! どけ! どけえええ!」
俺の目的は一つ。公爵夫人の部屋だ。
(そうだ! 夫人にチクってやる!『旦那さん、娘さんとヤってますよ!』って言えば、このイカれた一家、内部から崩壊するだろ! それで一件落着だ!)
勢いよく夫人の部屋の扉を蹴破る。
「おい、あんたの旦那が……!」
俺が叫びかけた言葉は途中で止まった。
部屋の中では公爵夫人が複数の若い男性使用人たちに囲まれ、乱痴気騒ぎの真っ最中だったのだ。
「あら……新しいおもちゃ?……うーん、パス!」
夫人は頬を上気させ、妖艶な笑みを浮かべ、俺を見て両手で✕を作る。
俺は天を仰いだ。
(……そうか。これがリアルの世界か。誰も彼もが欲望に忠実で、信じられるものなんて何もない。……分かってたさ。最初から、期待なんてしてなかった)
もはや思考は放棄。俺は感情のままに動いた。
「うん、とりあえずボコろう」
俺は無言で使用人たちに突撃し、数秒で全員を床に沈めた。
「きゃっ⁉ な、なんですの、あなた!」
残された夫人は恐怖と屈辱に顔を歪ませた。
「き、貴様なんぞに抱かれるぐらいなら、舌を噛んで死にますわ!」
その言葉が俺の心の最後の琴線をブチ切った。
「はあああああ⁉ 俺だってお断りだわ! つーか、なんで俺にヤられる前提なんだよ! そんでヤりたくねえのかよ俺とは! ああ、そうだよな! 俺はこの世界でもモテねえんだな! ちくしょう!」
俺の絶叫が壮麗な屋敷に響き渡る。
「助けた少女たちもそうだ! 結局、俺に身体を捧げるなんて素振り、欠片も見せなかったもんな! 助けた恩人に抱かれるのが嫌だったんだな! 俺の童貞、そんなに価値がねえのかよ!」
怒りの矛先はもはや公爵家ではなく、自分自身の不遇と世界の理不尽に向けられていた。
「ああ、そうかよ! 逆に好都合だわ! これで能力を失う心配もねえ! 一生童貞で、リア充を殺し続けてやるよ!」
半ば泣きながら、半ばブチギレながら、俺は絶叫する。
「もう誰も信じない! 信じられるのは……自分だけだ! もういい! 面倒くせえ! 公爵家の内情は黙っててやる! その代わり……!」
俺は床に散らばる金目のものをガシガシと掴み、懐に詰め込みながら叫んだ。
「同情するなら金をくれええええええええええ!」
俺は魂からの叫びを叩きつけると、金品を抱えて窓から飛び降り、夜の闇へと消えていった。
後に残されたのは気絶した公爵、怯える娘たち、床に伸びる使用人たち、絶句する夫人だけだった。
こうして、俺の異世界最初の日が幕を閉じた。
なんちゅうスタートじゃ。