case.5:吟遊詩人エレナ・ロッセリーニ ~魂の歌と権利証書~
五人目のヒロインは、その天使の歌声で王都中の人々を魅了する吟遊詩人の少女、エレナ。ゲームシナリオでは、彼女の歌に心を奪われたカイルが、彼女を悪徳興行主から救い出し、愛を育む……はずだった。
カイルが初めて彼女の歌を聴いたのは、王都の広場だった。透き通るような、それでいて人々の魂を揺さぶる力強い歌声。しかし、カイルが注目したのは彼女の才能だけではなかった。一曲歌い終えるごとに見せる深い疲労の色、そして観衆から投げられる銭を、卑屈な笑みを浮かべた興行主がすべて回収していく光景だった。
公演後、カイルは興行主を呼び止め、礼儀正しく、しかし有無を言わせぬ圧力で言った。
「素晴らしい公演でした。つきましては、アーティストであるエレナ殿の労働環境について、雇用主として適切な配慮がなされているか、確認させていただきたい。まずは、彼女との間で交わされている契約書を拝見できますかな?」
興行主は、カイルが公爵子息だと知ると顔色を変え、渋々ながらも契約書を提示した。カイルはそれに目を通し、眉間の皺を深くした。それは契約書というより、奴隷証書に近かった。
「これは……ひどい。報酬は興行収益の一割にも満たず、それ以外の収入(ファンからの贈り物など)はすべて没収。契約期間は十年間で、その間の移籍や引退は認めない。彼女が創作した楽曲の著作権は、すべて興行主に帰属する……これはもはや、搾取です」
カイルはエレナを伴って、静かなカフェに入った。おどおどと俯く彼女に、カイルは静かに語りかけた。
「エレナ殿。あなたの歌は、それ自体が計り知れない価値を持つ『商品』であり、あなたは素晴らしい『クリエイター』です。あなたの才能は、こんな不当な契約で安売りされるべきものではない」
「でも、私には力がないし、興行主様には逆らえなくて……」
「力は、知識と団結によって生まれます」
カイルは彼女に「契約法」の基本と、「著作権」という概念をゼロから教え込んだ。自分の作品が、自分自身のかけがえのない財産であること。そして、不当な契約には屈する必要などないこと。彼は、この契約がいかに公序良俗に反し、法的に無効を主張できるかを、条文を引用しながら(異世界の法律書を読み解き、現代の法知識と照らし合わせながら)論理的に説明した。
さらにカイルは、同じように悪徳興行主に搾取されている他のアーティストたちを探し出し、エレナに団結を促した。
「一人では弱くても、集まれば大きな力となる。あなた方には、労働組合ならぬ『音楽家組合』を結成する権利があります」
最初は怖がっていたエレナだったが、カイルの真摯なサポートと、自分と同じ苦しみを持つ仲間たちの存在に勇気づけられ、ついに立ち上がることを決意する。
彼女はその歌声で仲間たちの心を一つにし、組合のリーダーとして、悪徳興行主に団体交渉を申し込んだ。
背後には、法律顧問として完璧な理論武装を施したカイルが控えている。結果は言うまでもなく、組合側の圧勝だった。彼らは公正な報酬と労働条件、そして自分たちの作品の権利を勝ち取ったのだ。
この一件で、エレナはただの歌い手から、アーティストの権利と生活を守る活動家へと成長した。彼女の歌は、以前にも増して力強く、多くの人々の心を打つようになった。そして、調査の過程で、あの悪徳興行主が「ジャミル商会」から資金提供を受け、文化事業を隠れ蓑に、才能ある人材を安価で独占しようとしていた事実が判明するのだった。