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2:6

 執務室の机上に置かれた通信用の水晶が、唐突に鈍い光を発し始めた。待ち構えていたウォーザルは、即座に意識を集中させ、応答する。壁際に控えるドウブも、僅かに身じろぎし、水晶に注意を向けた。


『……猊下、報告いたします』


 水晶から響いたのは、異端審問官長バルドゥスの声だった。しかし、その声は低く、掠れ、そして隠しようのない深い屈辱と疲労に染まっていた。ウォーザルは眉をひそめ、最悪の予感を覚えながら問い返した。


  「バルドゥスか。…状況はどうだ? まさか、手間取っているなどとは言うまいな?」


  『……面目ありません。我々は…目標の浄化に失敗。壊滅的な損害を受け、撤退いたしました』


  「な…にぃ……?」


 ウォーザルの血圧が急上昇するのを感じた。椅子から立ち上がり、水晶を睨みつける。


「敗退だと!? 再びか! 貴様たち異端審問官が、アンデッド風情に! 神聖魔法が通用しなかったとでも言うのか!」


  『……通用しない、というよりも…』


 バルドゥスの声に、悪夢を語るかのような響きが混じる。


『我々が放った“世界洗浄”は、対象に何の変化ももたらしませんでした。そして、その後の破邪魔法、“神の拳”に至っては…信じがたいことに、あのアンデッドは、その力を…**吸収し、自らの力へと変えたのです。**我々の攻撃は、奴を浄化するどころか、逆に強化させる結果になってしまいました…!』


「馬鹿なぁっ!!」


 ウォーザルは絶叫し、机を力任せに叩いた。


「教会の神聖魔法が、アンデッド風情に通用しないだと!? それどころか力を与えた!? バルドゥス、貴様、それでも審問官長か! 教会の名折れも甚だしいわ!」


  怒りに我を忘れかけるウォーザルの耳に、壁際から静かな声が届いた。


  「猊下、お静まりください。審問官長の報告が事実とすれば、対象は我々の理解を超える存在である可能性が高いかと存じます」


 声の主はドウブだった。彼はいつの間にか一歩前に進み出ており、その表情は相変わらず読めないが、声には妙な説得力があった。


  「通常の浄化プロセスが通用しないのであれば、別の手段を講じる必要がありましょう。このまま放置すれば、教会の権威そのものに関わる問題にもなりかねません」


  (この若造が…!)


 ウォーザルはドウブを睨みつけた。彼の冷静すぎる態度と、まるで状況を楽しんでいるかのような雰囲気が、ウォーザルの神経を逆撫でする。だが、言っていることは正論であり、反論できない自分にいっそう腹が立った。


 その時、水晶から再びバルドゥスの苦々しい声が響いた。


  『…そちらの方の言う通りかもしれん。あの鎧は…異常だ。通常のアンデッドではない。だが…!』


 声に、屈辱を振り払うかのような強い執念が籠る。


『神聖な力が通用しないならばっ……! 物理的な力で、その異端の器ごと粉砕してくれる! 神聖魔法を受け付けぬのなら、鉄の塊に戻してやるまで! 我々には、そのための手段があります!』


「…物理的な力だと? どうやって…」


  『我が隊が秘蔵する**『破砕槌フラクトル・マレウス』**! あれならば、いかなる装甲であろうと鉄屑に変えられます! ですが、あれを効果的に使うには、対象の動きを確実に止める必要がある。つきましては、猊下! 貴殿配下の私兵、あるいは傭兵部隊の動員許可を! 彼らで奴の動きを足止めしていただければ、私がこの『破砕槌』で、今度こそ確実に奴を粉砕いたします! どうか、このバルドゥスに雪辱の機会を! 私兵部隊と共に出撃する許可をいただきたい!』


『破砕槌』。その名を聞き、ウォーザルは息を呑んだ。審問局の最終兵器。あれならば、確かに…。だが、私兵を動員するとなると、相応のリスクと費用がかかる。それに、これで失敗したら…。 ウォーザルが逡巡していると、再びドウブが口を開いた。


「猊下、バルドゥス審問官長の提案は、現状において最も現実的な策かと存じます。あの存在を放置することは、できません」


(またしてもこの小僧が…!)


 ウォーザルは内心で毒づいたが、ドウブの言葉は彼の決断を後押しする形となった。もはや、他に選択肢はない。


「……よかろう、バルドゥス」


 ウォーザルは苦々しげに水晶に向かって答えた。


「貴様の再度の出撃と、『破砕槌』の使用、そして我が私兵部隊の動員を許可する! 全力をもって奴の動きを封じ込め、貴様がその槌で確実に息の根を止めろ! いいな!」


『はっ! 必ずや!』


 バルドゥスの声に、僅かな歓喜と狂的な闘志が滲んだ。


「だが、バルドゥス」


 ウォーザルは冷たく付け加えた。


「これが最後の機会だと思え。もし、それでもしくじるようなことがあれば…貴様にも、相応の覚悟をしてもらうぞ」


 そう言い放ち、ウォーザルは一方的に水晶の通信を断ち切った。水晶の光が消え、執務室に重い沈黙が戻る。

 彼は荒い息をつきながら、机の引き出しの奥に視線をやった。


(もし、あの破砕槌でも駄目だったならば…)


  「……その時は、**あのお方からお預かりしている『アレ』**を使わざるを得なくなる……」


  彼は誰に言うともなく、独り言のように低く呟いた。


「…あれは、あまり使いたくはない…禁忌の代物なのだがな…」


  その言葉には、最後の手段への依存と、それを使うことへの深い躊躇い、そして破滅への予感が、重く滲んでいた。壁際に控えるドウブは、その呟きを聞き届けたが、表情を変えることはなかった。


 ウォーザルは再び椅子に身を沈め、新たな葡萄酒をゴブレットに注いだ。これで、教会の「掃除屋」と、審問局の「最終兵器」が動く。今度こそ、あのアンデッドも、それを操る術師も、そしてあの忌々しい聖女も、全て片が付くはずだ。彼はそう信じようとしたが、心の奥底には、ギルドに見限られた屈辱と、事態が自分の制御下から離れていくことへの言いようのない焦りと恐怖が、黒く渦巻いていた。


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 壁際に影のように控えていたドウブは、葡萄酒を呷りながらも内心の動揺を隠しきれていないウォーザルの姿を、ドウブは冷徹な観察眼で見つめていた。先ほどの通信で得られた情報は、予想以上に興味深いものばかりだった。神聖魔法を吸収・強化するアンデッド、異端審問局の最終兵器『破砕槌』、そして何より、ウォーザルが「あのお方」から預かっているという禁忌の切り札『アレ』の存在。

(破砕槌か。あれを持ち出すとは、バルドゥスも相当追い詰められていると見える。だが、あの報告を聞く限り、それで対処できるかどうか…むしろ、ウォーザルの持つ『アレ』の方が気にかかる。禁忌の代物、ね…)


 ドウブの思考は、回転し始めていた。


(ウォーザルの企みは、聖女によって露見寸前。そこに現れた規格外のアンデッドと、おそらくはそれに関わる術者。そして審問局の切り札と、ウォーザルの最終手段…。これは、単に観察しているだけでは勿体ない状況かもしれん)


 不測の事態に備えるためには、現場で直接事の推移を見届ける必要がありそうだ。


(…よし、決めた。私も追わせてもらおうか。バルドゥス審問官長の『破砕槌』がどれほどのものか、あのアンデッドはそれにどう反応するのか。そして、この愚かな大司教が、最終的に『アレ』に手を出すことになるのか…あるいは、私が少しだけ“舞台”を整えてやる必要が出てくるかもしれんな)


 ドウブの唇の端に、再びあの冷ややかな、しかし確かな愉悦を含んだ笑みが浮かび、彼もまた追撃に加わることを決めた。




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