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ゴーストたちを見送り、一行は首都・聖都ルクスへと続く街道を着実に進んでいた。エイティからもかなり距離を置き、追手の気配もない。街道を利用しての移動も、今は危険ではないと判断された。一行は他の旅人や隊商に紛れながら進み、夜は街道沿いの宿場町で、屋根のある宿に泊まれるようになった。
その夜、一行は比較的大きな宿場町の、清潔ながら質素な宿屋の一室にいた。窓の外からはまだ宵の口の喧騒――酒場の陽気な声、荷馬車の車輪の音、人々の会話――が微かに届く。久しぶりに味わう、日常に近い空気。しかし部屋の中は、どこか張り詰めた静けさに包まれていた。
プラナは窓辺に立ち、外の様子を眺めている。青白い月明かりの中、彼女の胸元の白銀の胸当てが、ランプの灯りを受けて静かにきらめいている。レザインは部屋の隅の椅子に座り、手入れのため分解したブレスレットやモノクル型の焦点具を黙々と布で磨いていた。数日前のエイティでの出来事、とりわけ子供たちのゴーストの安らかな消滅と、その時に感じた奇妙な感覚が、まだ頭から離れない。
彼は、数日前のことを反芻していた。エイティ郊外での激闘、ウォーザルの自滅、そして…子供たちのゴーストたちの、あの平穏な消滅。魂がただ消えるのではなく、何か大きな法則に従って処理され、記録され、大きな流れへと還っていくような感覚。プラナが口にした「魂は神のもとへ還り記録される」という教え――それは、世界を覆う巨大な“機構”の働きと、奇妙に符合していた。
(死霊術は、本当にただの禁忌なのか…? 俺が使役したゴーストたちを安息へ導いた術は、この世界の“機構”が例外や歪みを調整するためのイレギュラー解決の手段として存在している可能性は…?)
自身の術を、かつては悪や未知としてしか見ていなかったレザインは、そこに新たな意義を感じ始めていた。それは、さらに深く、そして危うい探求へと誘う予感があった。彼は、窓際のプラナに視線を送る。彼女は何を考えているのだろう。
「…なあ、プラナ」
不意にレザインが声をかけた。目は手元の焦点具に向けられたまま。
「数日前の、あのゴーストたちのことなんだが…」
プラナはわずかに驚いたように彼を見てから、静かに頷く。
「…はい」
「あいつらは、ただ消えたんじゃないように見えた。何と言うか…世界の大きな流れに還っていった。あんたの祈りが、それを助けたようにも感じたんだ」
レザインは、選ぶように言葉を重ねる。
プラナはしばらく考え込むように沈黙し、その後ゆっくり口を開いた。
「…私も、そう感じました。あの子たちの魂が、安らぎを得て、光の中に還っていくのを…。それは教会の教えとは少し違うかもしれません。でも……あれもまた、神様の御心の一つだったのかもしれない、と。今は、そう思っています」
その声にはもはや、かつてのような異端や禁忌への断固たる拒絶はなかった。戸惑いは残るものの、目の前の現実を受け入れようとする誠実な響きだった。
彼女はレザインへと視線を向ける。
「そして…」
「あなたの術がそのきっかけを作ったのも事実です。……まだ恐ろしさはありますし、正しいかどうかも分かりません。でも、ただ穢れた力と決めつけることはできない、と――今はそう思います」
ランプの光が白い頬をわずかに染めた。それは、恥じらいなのか、信じてきたものが揺らいでいる戸惑いなのか、彼自身にも判別がつかなかった。
レザインは、内心驚きを覚える。彼女の中で、確実に何かが変わり始めていた。それは、彼にとっても予想外だった。
(世界の法則の一部か…)
「…俺も、自分の術の本当の意味なんて分かっちゃいないのかもしれん」
レザインは普段よりも素直に言葉を口にした。
「ただ、この世界の“仕組み”は、俺たちの想像より遥かに複雑で、合理的というか……時に冷徹にすら感じる。善悪や神意とは別の、巨大な法則がすべてを動かしている気がするんだ」
あの時の「システムの調整」の感覚が、まだ印象深く残っている。
「マルトルルのこともそう。あいつはアンデッドでありながら、あんたの聖なる力に呼応して、神聖魔法さえ力に変えた。俺の術、あんたの祈り、そしてあの場に介入してきた“何か”。それらが絡み合い、あんな規格外の存在が生まれた。あれは、世界の法則の“例外”であり、なおかつその深淵を覗く“鍵”だったのかもしれない」
二人の間に再び沈黙が満ちる。それぞれの言葉の意味を反芻し、思考を巡らせる。旅を経て、彼らの価値観は大きく揺さぶられ、ゆっくり変わり始めていた。死や魂、異端、神聖、そして世界の真実――未だ分かり合ったわけではないが、互いの警戒だけでなく、前にはなかった不思議な繋がりも生まれつつあった。
窓の外の喧騒は次第に遠のき、部屋の空気には言葉にできない想いや、共有された謎が静かに漂っていた。立場も力も異なる二人だが、過酷な旅を通じて、不信や警戒だけでなく、複雑だが確かな理解と絆が育ち始めていた。
やがて、レザインは焦点具の部品をポーチにしまい、プラナも窓辺から離れて寝台へと向かう。明日もまた旅は続く。目指すは首都・聖都ルクス。
レザインは世界の秘密、あの奇妙な“仕組み”の手がかりに心を馳せ、その探究への思いを新たにしていた。
一方、プラナは聖都ルクスで果たす使命――教会の腐敗との対決と、信頼するアウレリウス枢機卿への報告――に意識を集中させ、正義を貫く覚悟を固めていた。
異なる思いを胸に秘めながらも、二人は束の間の休息へと入っていった。




