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死霊術師と聖女  作者: よん


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24/27

5:1

 エイティの喧騒から遠く離れた静かな森の中。夜空には無数の星が瞬き、焚き火の炎がパチパチと音を立てて暖かな光を投げかけている。あの忌まわしい港町での死闘から数日、一行はようやく束の間の休息を得ていた。


 焚き火の周りには、エイティの金庫室から持ち出した証拠書類――帳簿や顧客名簿、通信記録など――が広げられていた。プラナは、聖女としての責任感からか、疲れた体に鞭打って一つ一つ丹念に内容を確認している。レザインも傍らで焦点具の手入れをしつつ、ときおりプラナが読み上げる文章に耳を傾けていた。マルトルル(胸当て)は、彼女の胸元で静かに輝きを放っている。


「…ひどい…これも、これも…ウォーザル猊下の指示…」


 プラナは通信記録を読みながら、何度も息を呑み、怒りに声を震わせた。子供たちの「処分」や「移送」に関する生々しい細工、マフィアとの黒い取引、莫大な不正蓄財……。


 さらに調査を進めるうち、彼女の表情は険しさを増した。ある顧客名簿と、ウォーザルと何者かの間で交わされた暗号通信の断片を見比べながら、彼女は深く考え込む。


「…この印…そしてこの暗号の形式…まさか…」


 震える手で、ウォーザルが中央教会に送ったと思しき報告書と照合する。そこにも同じ印と暗号が用いられていた。


「プラナ、どうした?」


 異変に気付いたレザインが声をかける。


「レザインさん…これを見てください」


 青ざめた表情で、いくつかの書類を差し出す。


「この顧客名簿にある幾つかの名前…そして、この通信記録の印と暗号…。これは、帝都にいるある高位の枢機卿猊下のみが用いる印なのです…。私が信じているアウレリウス猊下では……ありません。ウォーザル猊下の背後で噂された、別の……!」


 プラナの言葉に、レザインも眉をひそめた。確かに、その印はただならぬ権威の気配を纏っている。


「つまり…?」


「このエイティの街の腐敗は、ウォーザル猊下個人だけの問題ではなかったのかも知れません。彼の背後、あるいは教会の中枢にまで、この闇は広がっているかもしれない…」


 プラナの声は絶望に打ち震える。ウォーザルを倒しただけでは、何も終わらない現実が目の前にあった。


 レザインはしばし沈黙した後、静かに言う。


「…そうだな。ウォーザルひとりで、あれほどの組織犯罪を行うのは難しい。本部か、あるいはさらに巨大な黒幕がいるのか……。いずれにせよ、これらの証拠はもはや、ウォーザル個人だけを裁くためのものではない」


「はい…」


 プラナは顔を上げ、瞳に新たな、より大きな使命への決意を宿す。


「だからこそ、私たちはこれを聖都ルクスへ届けなければなりません。アウレリウス猊下に託して、この根深い腐敗のすべてを明らかにし、“上”を正さなければ、この闇は決して終わりません。本当の戦いは、これからです」


 レザインはその意志を真正面から受け止め、静かに頷く。彼の探求心もまた、この事件の背後に潜む更なる謎へと向けられ始めていた。


 二人の間に静かな決意と沈黙が流れる。焚き火の炎が静かに揺れ、夜風が木々を優しく揺らしていた。


 そのとき、ふとレザインの傍らに、半透明の小さな人影がいくつか現れる。エイティ地下で使役した、子供たちのゴーストたちだ。案内役を務めた少女のゴーストは、どこか穏やかな表情でレザインを見上げていた。


(…お前たちも、もういいのか?)


 レザインは念話でそっと問いかける。少女のゴーストは、こくりと頷いたように見え、他のゴーストたちと共に深々と頭を下げる仕草をした。彼らを縛っていた強い無念も、町の事件とともに少しずつ和らいでいたのだろう。


 レザインはその気配を感じ取った。短い間だったが、悲惨な過去と触れ合い、彼の中にも奇妙な繋がりが芽生えていた。別れにはわずかな寂しさが残る。


「…そうか。なら、もう行け」


 いつになく優しい声で告げる。


「俺がお前たちの無念を完全に晴らしたとはいえないが……少しでも力になれただろうか?」


 ゴーストたちは発声こそしないが、その揺らめきが、確かに肯定と感謝の思いを伝えているようだった。


「…分かった。契約は解除する。もう縛るものはない。安らかに、“還る”がいい」


 レザインは右腕の焦点具に意識を向け、彼らと結んだ死霊術の契約を正式に解除する。


 その変化に気づき、プラナも静かに立ち上がってレザインのそばに来た。彼女は穏やかになったゴーストたちの姿に気付き、軽く驚き、やがてその表情は優しい祈りのものへと変わる。


「…この子たちは…」


「ああ。もう、行くらしい」


 レザインは短く返す。プラナは頷き、胸元の胸当て(マルトルル)にそっと手を当て、静かに祈りを捧げた。


「…安らかに。あなたたちの魂が、光に導かれ、穏やかな場所へと還ることができますように…」


 その祈りは、温かな光の波となり、ゴーストたちを静かに包み込む。それは浄化ではなく、魂を癒やし、本来の場所へ送り出す慈愛の道標だった。


 光に包まれたゴーストたちは、一瞬だけ、生前の屈託のない笑顔を見せたように思えた。そしてレザインとプラナに頭を下げる仕草の後、半透明の体は静かに光の粒子に変わり、優しく夜空へと消えていく。強制ではない、安らかな旅立ち――プラナはその様子を、かつてのようなアンデッドへの恐怖ではなく、慈しみ、平安を祈るまなざしで見送っていた。レザインの術への見方も、少しずつ変わってきたのかもしれない。


 レザインは消えていく光の粒子を特殊な感覚で捉えていた。それは単なる消失ではない。複雑なパターンを描きながら、世界の大きな記憶領域データベースへと記録され、やがてエネルギー循環のサイクルへと還っていく手応え。


(死は終わりじゃない……プロセスであり、記録され、そして循環する……? 師の言葉の意味が、今、やっと少し分かった気がする……)


 彼の世界観がまた一つ、大きく揺れ動いた瞬間だった。


 やがて最後の光の粒子も消え、森には静寂が戻る。焚き火の炎だけが、静かに音をたてていた。


 レザインは空に残る淡い光を見上げ、隣のプラナにその想いを隠さず問いかける。

「なあ、プラナ……今の、見たか? あの子たちの魂は、ただ消えたんじゃない。まるで……何かの帳面に書き留められるように、どこかへ記録されて、そっから大きな流れに還っていったように見えたが……」


 プラナは少し驚いたようにまばたきしたが、内容には特に動じず、当然のように頷いた。


「ええ」


 彼女の声は穏やかだった。


「魂はその生涯を終えれば、神のもとへ還り、すべてが記録される――それが私たちの世界の理です」


「記録……やはりそうか。その後はどうなる?」


 レザインは重ねて尋ねる。死霊術の知識では、さらに先までは記されていない。


「記録された魂は、神に生涯を評価されます」


 プラナは語り聞かせるように続ける。


「善き行いを積み、正しく生きた魂は、やがて訪れる理想の世界で再び形を得るため、大切に保管されると。でも、そうでない魂は……その記録は……」


 彼女は言葉を濁し、わずかに表情を曇らせた。「完全な削除」について語ることをためらったのだろう。


 レザインは、プラナの言葉に耳を傾けつつ、自分が受けた機械的な感覚と、彼女の語る宗教的世界観との間に、奇妙な一致と断絶とを感じていた。


(神の評価……理想の世界……記録と保管と削除……。これは単なる管理じゃない。まるで神が、壮大な『作品』を作ろうとして、この世界で『試作品』を大量に造り試しているような……? 出来の良い魂だけを新たな段階へ進め、失敗作は容赦なく廃棄する。この世界自体が、壮大な“試行錯誤”のための巨大な実験場……?)


 その直観に背筋が冷える思いがした。神の慈悲というより職人の選別。プラナの語る「神の評価」の正体も、そうしたものなのか。本能的にこれ以上の追及は避け、彼はただ夜空を見上げた。


 ゴーストたちとの別れを経て、二人の間には以前と少し異なる、言葉にできない温かな空気が流れていた。知識や世界観は異なっても、目の前の出来事と得た感覚は確かに共有されたのだ。


 束の間の平穏――だが、彼らの旅路は終わらない。そしてレザインの探求も、世界の深淵を目指し、新たな段階へと踏み出そうとしていた。


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