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墓地の端、風雨に崩れかけた古い石塀に身を寄せ、レザインは眼下の街道で渦巻く暴力の応酬を凝視していた。雲が流れ、先ほどよりも星がわずかに見えるようになった。わずかに開けた街道の上空だけが、星々の冷たい光を微かに反射している。その静寂を無慈悲に切り裂くのは、数本の松明が放つ、踊るような不安定な赤い光と、それに照らし出される人影。そして、耳障りな金属音、肉を打つ鈍い音、荒々しい怒号、そして悲鳴にも似た切羽詰まった声が、冷たい夜気に木霊していた。状況は一目瞭然だった。これは対等な戦いではない。狩りだ。数の上で圧倒的に有利な者たちが、少数の獲物を嬲り、追い詰めている。
松明を持つのは、見るからに粗暴な風体の男たちだった。十数人はいるだろうか。薄汚れた革鎧や、あちこちが擦り切れ、異臭さえ漂ってきそうな衣類を纏い、その目つきは飢えた獣のようにギラついている。統制された動きは皆無で、それぞれが手にした得物――錆びた剣、欠けた刃の手斧、ささくれだった棍棒――を、興奮のままに振り回していた。彼らは円を描くようにじりじりと間合いを詰め、獲物である二人組を嘲笑混じりの罵声で威嚇している。どこかの領主に雇われた傭兵崩れか、あるいは単なる追い剥ぎか。いずれにせよ、まともな相手ではない。
その包囲の中心で必死に抵抗しているのは、場違いなほど高潔な雰囲気を纏う二人だった。一人は、闇夜に白く浮かび上がる清楚な司祭服を纏った銀髪の少女。年の頃は十七、八といったところか。恐怖に顔を引き攣らせながらも、その背筋は凛と伸び、澄んだ声で必死に祈りの言葉を紡いでいる。彼女が差し出す白い手から、眩いばかりの黄金色の光が迸る。ある時は鋭い矢となって賊の肩を貫き、ある時は盾となって振り下ろされる凶刃を火花と共に弾き返す。神聖魔法――ヴェリタス教会に仕える聖職者だけが許された奇跡の力。だが、高位の魔法ほど詠唱と集中を要するのか、あるいは単純な経験不足か、彼女の魔法は絶え間なく繰り出される攻撃の波に追いつかず、息も絶え絶えになっているのが見て取れた。きつく結ばれた唇は微かに震え、額には玉のような汗が滲んでいる。その瞳には、恐怖と共に、自身がこの事態を招いてしまったのではないかという強い責任感が宿っているように見えた。
「プラナ様、決して離れずに! 私の後ろへ!」
もう一人は、その少女を守るように立ち塞がる、全身を鋼鉄の鎧で覆った騎士。声の響きから察するに、彼もまた若い。磨き上げられたフルプレートアーマーは夜目にも鈍い光沢を放っているが、既にその表面には無数の斬り傷や打撃痕が生々しく刻まれている。彼は、プラナと呼ばれた少女を背に庇い、銀色の長剣を構えて四方八方からの攻撃に応じていた。その剣捌きは若者らしい鋭さを見せるものの、どこか動きが硬く、必死さが先行している。熟練の戦士が持つような、余裕や老獪さは感じられない。それでも彼は一歩も引かず、兜の奥からくぐもった声で自らを鼓舞するように叫び、迫る賊を薙ぎ払い、あるいは突き返す。だが、賊の攻撃が鎧の表面を叩くたびに、ゴォン、という重い衝撃音が響き渡り、彼の体勢がぐらりと揺らぐのが分かった。その鋼鉄の不動に見える背中にも、隠しきれない疲労と、死地における悲壮な覚悟が滲み出ている。
石塀の陰で、レザインは息を殺し、状況の推移を見守っていた。関わるべきではない。彼の内で、これまでの経験と理性が強く警告を発する。死霊術師。それが彼の正体であり、このヴェリタスにおいて最も忌み嫌われる存在の一つだ。ひとたびその力が露見すれば、待っているのは教会の異端審問官による容赦ない追及と、おそらくは火刑台の上での惨めな最期だろう。面倒事は避けたい。彼はただ、世界の理を探求したいだけなのだ。そのためには、日陰で静かに生きるのが最善のはずだった。
しかし、眼前の光景は、彼の心の壁を静かに、だが確実に侵食していく。卑劣極まりない数の暴力。明らかに守られるべき立場の聖職者の少女。そして、彼女を守るために、絶望的な状況下で己の限界を超えて戦い続ける鋼鉄の騎士の姿。これが不正義であることは、レザインの捻くれた価値観をもってしても明白だった。
マルトルルの動きが、決定的に鈍くなった。賊の一人が陽動のように盾を打ち鳴らし注意を引いた瞬間、別の賊が低い姿勢から滑り込み、マルトルルの膝裏の関節部、プレートの繋ぎ目を狙って汚れた短剣を深々と突き立てた。
「ぐっ…!」
兜の下から、これまでとは質の違う、押し殺したうめき声が漏れた。体勢を大きく崩した騎士の脇へ、さらに別の賊が回り込み、重いメイスを鎧の上から叩きつけた。ゴォン、と骨に響くような鈍い衝撃音。マルトルルの巨体が、操り人形の糸が切れたかのように激しく揺さぶられ、前のめりに倒れ込みそうになる。
それでも騎士は剣を杖代わりにして踏みとどまろうとしたが、もはやその動きに力はなかった。プレートアーマーの胸部と脇腹の繋ぎ目、短剣が突き刺さった膝裏の隙間から、どくどくと夥しい量の血が溢れ出し、地面に黒々とした染みを作っていく。兜の奥で、荒く途切れがちになった呼吸音がぜえ、ひゅう、と不気味に響いている。それは、内部に深刻な損傷を受けた者の、断末魔の喘ぎに近かった。
(……駄目だ。鎧ごと内臓をやられたか、あるいは関節の動脈を断たれたか。どちらにしろ、もう持たない)
石塀の陰で、レザインは冷徹に判断を下した。あの出血量、あの呼吸音。介入したとしても、騎士の命を救うことは不可能だ。全ては手遅れだった。
彼の思考を断ち切ったのは、賊たちのリーダー格と思しき、顔に深い傷跡を持つ大男の行動だった。男は、もはや抵抗する力も失い、地面に膝をついたまま動かない騎士にゆっくりと近づくと、下卑た笑みを浮かべ、兜のバイザー越しに何か侮蔑的な言葉を囁きながら、止めを刺さんとばかりに汚れた両手持ちの大剣を頭上高く振りかぶった。
「マルトルル!いやぁぁぁっ!」
銀髪の少女の、喉を引き裂くような絶望的な叫びが、夜のしじまを切り裂いた。
(…クソッ、数が多すぎる!このままじゃ、あの娘も! 剣だけじゃ間に合わん…仕方ない、使うか)
瞬間、レザインの中で最後の躊躇いが消し飛んだ。騎士は救えない。だが、せめてあの少女だけでも。理不尽な暴力を、ここで終わらせる。彼は石塀を音もなく飛び越え、闇の中から街道へと躍り出るのとほぼ同時に、左手を背後の墓地へと翳した。右腕の篭手の内側に隠されたブレスレット型焦点具の冷たい感触を意識し、その魔力を起動させる。囁くように、しかし確かな意志と、冷徹な計算を込めて、短い古の呪文を紡いだ。
「—目覚めよ、忘れられし者ら。汝らの安寧を奪いし者への怒りを知れ—」
墓地の冷たい土くれの中から、ゆらり、と半透明の歪んだ人影が複数、滲み出すように現れ出た。それらは実体を持たないゴースト。この地に埋葬され、本来ならば静かに風化していくはずだった魂の残滓だ。怨念は薄く、現世への執着も弱い。それだけでは、賊を脅かすには力不足だ。だが、レザインの術は、彼らの微かな意識の核に、偽りの記憶と激しい感情を強制的に植え付けた。愛する娘が、妻が、家族が、目の前の凶悪な賊たちによって無惨に殺されたのだ、と。
瞬間、茫洋としていたゴーストたちの輪郭が禍々しく揺らめき、その半透明の体にどす黒い怒りの色が混じり始めた。声にならない、しかし聞く者の精神を直接削るような憎悪の叫びを発しながら、彼らはレザインの指示通り、松明の光に怯えながらも武器を構える賊たちへと殺到した。
「な、なんだぁ!? 今度は数が増えやがった!」
「ひぃぃ! こっちに来るな! あっちへ行け!」
賊たちは最初、実体のないゴーストを侮った。だが、それは致命的な誤りだった。ゴーストたちは物理的な攻撃こそできないものの、ゴーストは、目の前の相手の精神に干渉し、その恐怖や後悔を引きずり出す力を持つ。
棍棒を振り回していた大柄な賊は、まとわりつくように迫る女の姿をしたゴーストの冷気に動きを封じられた。まるで氷水に浸されたかのように手足が痺れ、金縛りにあったように硬直する。
別の賊は、ゴーストが囁きかける呪詛によって、かつて自分が裏切って見殺しにした仲間の断末魔の顔が、目の前の味方の顔に重なって見える幻覚に襲われ、錯乱して斬りかかった。
また別の、逃げ腰になっていた小柄な賊は、行く手に立ちはだかった子供のようなゴーストの姿に、幼い頃に溺れかけた暗い水の底の恐怖を呼び覚まされ、腰を抜かして動けなくなった。足元からは無数の青白い手の幻影が伸び上がり、逃れようとする者たちの足首を掴んで離さない。
偽りの怒りに燃えるゴーストたちが、賊たちの精神を内側から破壊し、戦線を崩壊させていく。レザインはその混乱と恐怖が作り出した完璧な隙を突き、冷静に、そして効率的に獲物を狩っていった。抜き放った長剣は、恐慌状態に陥った賊の鎧の隙間を正確に捉え、あるいは武器を持つ腕を斬り落とし、確実に戦闘能力を奪っていく。彼の動きには一切の躊躇いがなく、まるで精密な機械のように、必要なだけの力で、最短の手順で敵を無力化していった。
死霊術師の顔を隠した、手慣れた軽戦士の、迅速かつ冷徹な狩り。ゴーストが生み出す地獄絵図の中で、それは異様なほど際立っていた。やがて街道には、動かなくなった賊の死体と、精神を壊され虚ろな目をした生存者だけが残された。レザインは剣を振るって血糊を払い、最後に残った標的――大剣を振りかぶったまま呆然と立ち尽くすリーダー格の男へと、静かに歩を進めた。
レザインの設定はMoEのネクロマンサーマスタリーにイビルナイトマスタリーの複合構成をもとにしています。召喚に裂きすぎて、パニッシャーはできないですw