3:6
港の西倉庫――その地下へと続くであろう経路を、レザインは案内役の女の子ゴーストと、それに付き従う他の子供たちのゴーストたちの後を追って進んでいた。ゴーストたちは壁や障害物を意に介さず進んでいくが、当然ながらレザインにそれはできない。彼は息を殺し、五感を研ぎ澄ませ、ゴーストたちが示す最短経路――時には埃っぽい通気口、時にはネズミしか通らないような壁の隙間、時には隠された従業員用の通路――を、まるで猫のようにしなやかに、しかし必死に追跡していた。幸い、先行するゴーストたちは、レザインが追いつくのを辛抱強く待っていてくれた。
やがて、一行は目的の建物――港の他の倉庫と比べてもひときわ大きく、そして窓が少なく堅牢な造りの、古い石造りの倉庫――の前へとたどり着いた。夜の闇に沈むその建物からは、何の音も聞こえてこないが、ゴーストたちはこの場所が目的地だと示している。
問題は、どうやって中に入るかだ。正面の大きな扉は固く閉ざされ、その脇には屈強そうな見張りが二人、退屈そうにではあるが、油断なく周囲を警戒している。側面や裏手に回っても、おそらく同様だろう。
(少し手伝ってもらうか…)
レザインは、彼の周りを漂う子供たちのゴーストたちに意識を向け、念話で指示を送った。
(お前たち、あの見張りの注意を引け。建物の裏手の方で、何か物音を立てるんだ。石を転がすとか、布を揺らすとか。それから、少し姿を現して、逃げ出した子供のようにふるまい、奴らを遠くまで引き離してくれ)
小さなゴーストたちは、レザインの指示を理解したのか、数体がふわりと浮かび上がり、音もなく建物の裏手へと回り込んでいく。しばらくして、建物の裏手から、カラン、コロン、と小石が転がるような、あるいは風もないのに何かが揺れるような、微かな、しかし静寂の中では十分に注意を引く物音が聞こえてきた。
「ん? なんだ?」
「今の音は…裏手か?」
案の定、二人の見張りは顔を見合わせ、訝しげに武器を手に取ると、音のした方へと注意を向け、ゆっくりとそちらへ歩き始めた。
「ガキ!?」
「おまえ、どこから逃げ出しやがった!」
うっすらと姿を現したゴーストたちを見張りたちが追いかけ出す。
(よし、今だ!)
レザインはその隙を見逃さなかった。彼は素早く建物の壁際まで移動し、側面にあった小さな通用口と思しき扉に近づく。案の定、頑丈な鍵がかけられていた。彼は扉にそっと手を触れ、今度は案内役の女の子ゴーストに念を送った。
(嬢ちゃん、中からこの扉開けられないか?)
女の子ゴーストは、扉をすり抜けて内部へと消えた。レザインは息を殺し、扉の向こうの気配を探る。しばらくの間、何の反応もなかったが、やがて、カチャリ、と内部から金属の擦れるような小さな音が聞こえた。ゴーストの非物質的な干渉が、鍵の機構に作用したらしい。
(…やった!)
レザインは慎重に扉を開ける。抵抗なく、扉は静かに内側へと開いた。彼は音もなく内部へと滑り込み、すぐに扉を閉ざす。すると自動的に扉の鍵がかかる。どうやら脱走を防ぐために中からも鍵がなければ開かない構造らしい。ゴーストの念力により鍵内部から無理やり開けてくれたようだ。
内部は倉庫として使われていた頃の名残か、荷物の匂いと埃っぽさが漂っていた。彼はゴーストたちに合図を送り、おとり役のゴーストも呼び戻す。ドアには内側からしっかりとかんぬきをかけ、見張りが戻らないようにしてから、再び彼女たちを先導させて、建物の奥深く、地下へと続くであろう階段を探し当てた。
(…ここか)
レザインは階段を降り、身を潜め、そっと様子を窺う。そこは、彼が残留思念で垣間見た通りの、地獄のような光景が広がっていた。薄暗く、換気の悪い、広い地下空間。いくつもの粗末な鉄格子のはめられた檻が並び、その中には、様々な年齢の子供たちが家畜のように詰め込まれている。顔には諦めと恐怖の色が浮かんでいるが、極端に痩せこけている者は少ない。おそらく「商品」としての価値を保つため、最低限の食事は与えられているのだろう。だが、その瞳には生気がなく、まるで魂が抜けてしまったかのようだ。レザインは子供たちの視線に入らないよう、そして物音一つ立てないよう細心の注意を払いながら、壁際を移動した。少し離れた場所には、屈強な警備員たちが数人、退屈そうに椅子に座ったり、壁にもたれたりして見張りをしていた。
(…ひどい有様だ。これが、聖職者とマフィアが作り出した地獄か…!)
込み上げてくる怒りを押し殺し、レザインはさらに奥へと進むことにした。身を潜めゴーストに警備兵の気を引いてもらいながら奥に進む。案内役の女の子ゴーストは、僅かに震えながらも、通路のさらに奥、ひときわ暗く、重い鉄の扉が閉ざされた一角へと到達したとき、彼女の動きがふいに止まった。その半透明の体が、小刻みに震え始めた。
(この部屋は…?)
レザインは慎重に鉄の扉に近づき、覗き窓のような小さな隙間から内部の様子を窺った。部屋の中は薄暗かったが、壁に掛けられたいくつかの拘束具や、用途の知れない金属製の器具、そして部屋の隅に置かれた血痕の付いた簡素な寝台が目に入った。拷問部屋、あるいは…「躾」の部屋か。瞬間、隣にいた女の子ゴーストの残留思念から、強烈な恐怖と苦痛の記憶が奔流のように流れ込んできた! ここで彼女は、ここで襲われ、抵抗して、酷い暴行を受けていたのだ!
「―――ッ!!!」
声にならない絶叫が、レザインの精神に直接響き渡る。女の子ゴーストは、過去のトラウマに完全に飲み込まれ、制御不能な狂乱状態に陥った!
(しまっ…!まずい!)
レザインは咄嗟に念話を送り、契約の力で彼女の意識を繋ぎ止めようとする。
(落ち着け!!)
しかし、彼の必死の呼びかけは、トラウマの奔流に掻き消された。
女の子ゴーストの狂乱は、周囲の空間を激しく歪ませた。近くにあった木箱や樽が激しく宙を舞い、壁や天井に叩きつけられる。鉄格子の檻がガタガタと不気味な音を立てて揺れ動き、囚われていた子供たちが恐怖に引き攣った悲鳴を上げる。他の子供たちのゴーストたちも、案内役の狂乱に引きずられるように、あるいは自らの辛い記憶を呼び覚まされ、泣き叫びながら施設内を無秩序に飛び回り始めた。ポルターガイスト――それは、野生のゴーストが引き起こす、最も基本的な現象の一つであり、そして制御されないそれは鎮めるのが極めて困難な、厄介極まりない状況だった。
そして、当然のように、この派手な物音と異常現象は、警備員たちの注意を引いた。
「なんだ!? この音は!」
「おい、奥の方だぞ!」
「てめえら、何をさわいでいる!」
数人の警備員が、怒鳴り声を上げながら武器を手に通路の奥へと駆け寄ってくる。
「おい、あそこを見ろ!侵入者だ!」
ついにレザインの存在が発見されてしまった。
(クソッ、こうなれば力ずくで行くしかない!)
レザインは剣を抜き放ち、迫りくる警備員たちと対峙した。だが、状況は最悪だった。暴走したゴーストたちが巻き起こす混乱は、警備員たちだけでなく、レザイン自身の動きをも阻害した。どこからともなく物が飛んできて身を躱さねばならず、ゴーストが発する強烈な冷気が彼の動きを鈍らせる。集中して剣を振るうことすらままならない。
「侵入者だ! 囲め!」
警備員たちは、最初はゴーストの異常現象に戸惑っていたものの、レザインという明確な敵を発見すると、数を頼りに襲いかかってきた。レザインは飛来する木片を避け、ゴーストの冷気に耐えながら、必死に応戦する。狭い通路での戦闘は不利だった。彼は一人の警備員の突きを躱し、カウンターで腕を切り裂くが、すぐに別の警備員が背後から襲いかかる。ゴーストの妨害で体勢を崩したところに、棍棒の一撃が左肩をとらえる。
「クッ」
衝撃に呻き声を上げながらも転がるように追撃を避ける。
(まずい、このままでは…!)
レザインは一旦距離を取ろうと、近くにあった大部屋へと飛び込んだ。だが、それは警備員たちの思う壺だった。
「そっちへ逃げたぞ、塞げ!」
「回り込め、挟み撃ちだ!」
背後からも容赦のない怒号が飛ぶ。部屋の入り口はすぐに屈強な警備員たちによって塞がれ、さらに別の扉から、あるいは壁の隠し通路からか、次々と増援が現れた。数はみるみるうちに増え、十人以上に膨れ上がっていた。
彼らは連携を取り、盾を構えた者を先頭に、じりじりと包囲網を狭めてくる。レザインは背後の壁を感じながら、迫りくる警備員たちを睨みつけた。剣を持つ手に汗が滲む。この部屋にはもう出口はなく、完全に袋小路だった。そして、未だにゴーストたちは狂乱していて使役できる状況ではない。
「はは、袋のネズミだな!」
「もう逃げ場はねえぞ、侵入者!」
「大人しく武器を捨てて投降しやがれ!」
四方から浴びせられる嘲りの声。警備員たちは、完全にレザインを追い詰めたと確信し、油断したように笑みを浮かべていた。
(…完全に追い詰められたか…)
レザインは自嘲気味に呟き、剣を片手で握りしめた。左肩は骨が折れたのか、使い物にならない。絶体絶命。もはや、ここを切り抜ける術は、彼には見当たらなかった。




