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死霊術師と聖女  作者: よん


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11/27

3:2

 港町エイティの一角、比較的清潔に保たれた区画にその孤児院は建っていた。石造りのしっかりとした建物で、手入れされた小さな庭には季節の花が控えめに咲いている。外から見る限り、模範的な施設に見えなくもない。だが、プラナの胸には、鉛のような重い疑念が渦巻いていた。子供たちの数の不一致、黒い噂…。彼女は意を決し、背筋を伸ばすと、同行する鋼鉄の騎士マルトルル(鎧)を一度振り返る。


 プラナの指示通り、彼は人前では一切の感情を見せず、ただ主を守る影に徹していた。街道での旅で、彼が意外なほど自然に騎士を演じきれたことが、プラナに僅かながら勇気を与えてくれていた。


(大丈夫、きっと今回も…)


 とプラナは自身に言い聞かせた。


 そして孤児院の扉を叩いた。今回は身分を明かし、聖女としての権威をもって真相に迫る必要があるかもしれない。


 扉が開き、中から現れたのは、恰幅が良く、柔和な笑顔を浮かべた中年の聖職者だった。彼が院長のタウルスだろう。


  「おやおや、これは…どちら様でございましょうか?」


 院長は驚いたように目を見開き、プラナの姿を認めた。


「中央教会より参りました、聖女プラナと申します。院長のタウルス様でいらっしゃいますね?」


 プラナは、相手に威圧感を与えすぎぬよう、しかし毅然とした態度で名乗った。


「おお! これはこれは、聖女プラナ様!」


 タウルスは僅かに目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべ、恭しく一礼した。


「聖女様のお噂はかねがね伺っております。 まさか、このような辺境の孤児院にまで御足労いただけるとは、光栄の極み! ささ、どうぞ中へ!」


  その歓迎ぶりは完璧で、心からのもののようにさえ見える。だが、プラナには彼の目の奥に隠された、計算高い光が見逃せなかった。


(噂を、ね…ウォーザルから私の情報は筒抜けだったと考えた方がよさそうだわ)


 プラナは内心で警戒を強めた。タウルスの視線が、プラナの後ろに立つマルトルル(鎧)へと移る。その笑顔が一瞬だけ凍りつき、すぐにまた人の良い表情に戻ったが、そこには明らかに厄介なものを見る色があった。


(マルトルルのことも…どこまで知っているのかしら…)


 院内は、外観同様、清潔に保たれていた。床は磨かれ、壁には子供たちが描いたらしい素朴な絵が飾られている。中庭では、十数人の子供たちが、数人の職員に見守られながら遊んでいた。


「ご覧ください、聖女様。子供たちは皆、神の愛の下、こうして健やかに…」


 タウルスが誇らしげに説明する。 プラナは微笑みを返しながら、子供たちの様子を注意深く観察した。


 一見、元気に走り回っている。だが、よく見ると、その笑顔はどこか張り付いたようで、遊ぶ声も不自然なほど大きい。彼らの視線は、常に大人たち、特に院長のタウルスの顔色を窺うように動き、何かに怯えているかのように互いを牽制し合っている。 年長の子供が、幼い子が転んでも、手を貸すより先にタウルスの反応を窺う。この孤児院全体に、目に見えない恐怖と脅迫による支配の空気が重く漂っていることを、プラナは肌で感じ取っていた。


 そして、職員たちも同様だった。ほとんどの職員は、院長の顔色を窺い、緊張した面持ちで子供たちを見守っている。だが、プラナは気づいた。その中に数人、明らかに他の職員とは違う雰囲気を持つ者たちがいることに。彼らは院長に怯えている様子は同じだが、その瞳の奥には、子供たちへの純粋な同情と、そしてこの状況に対する苦悩の色が見て取れた。時折、彼らはプラナに何かを訴えかけるような、助けを求めるような視線を送ってくるが、すぐにタウルスの目を恐れて俯いてしまう。


 その時、プラナが特に気にかけていた、思い詰めたような表情の若いシスターの一人が、何かを決意したようにプラナへと一歩近づき、震える声ながらもはっきりとした口調で挨拶しようとした。


「聖女プラナ様、ようこそいらっしゃいました。私は――」


 彼女がそう名乗りかけ、何かを続けようとした瞬間だった。それまで満面の笑みでプラナに施設の説明をしていたタウルス院長が、そのシスターの言葉を遮るように、しかしあくまで穏やかな、だが有無を言わせぬ声色で割って入った。


 「おお、シスター・リリア。聖女様がお見えになっているというのに、そのようなところで油を売っていてはいけませんな。あなたは確か、病気の子供のための薬湯を準備するお役目があったはず。さ、そちらへお行きなさい」


 タウルスの言葉は表面上こそ優しかったが、その瞳の奥には鋭い警告の色が宿っていた。シスター・リリアと呼ばれた彼女は、一瞬、何かを訴えようとするようにプラナを見たが、院長の威圧的な視線に射すくめられると、悔しそうに唇を噛み、深く一礼すると小さな声で


「…申し訳ございません、聖女様。失礼いたします」


 とだけ言い残し、足早にその場を立ち去らざるを得なかった。プラナは、彼女が去り際に一瞬だけ見せた、深い苦悩と助けを求めるような眼差しを、見逃さなかった。


(シスター・リリア…彼女も、何かを伝えたいことがあるのに、院長に阻まれているのね…)


 プラナはタウルスの巧妙な妨害に内心で憤りを感じながらも、『シスター・リリア』という名前と、彼女の悲痛な表情を強く心に刻んだ。


「聖女様、もしよろしければ、施設の中をご案内いたします。学習室や食堂などもございますので」


 タウルスの声に、プラナは意識を戻した。


「ええ、ぜひ。それと…運営に関する帳簿なども拝見できますか? 教会への報告のためにも、現状を把握させていただきたく」


「もちろんでございますとも! 何も隠すことなどございませんからな!」


 タウルスは快活に笑い、すぐに分厚い帳簿の束を持ってきた。(ずいぶん準備がいいわ…普段から見せるための帳簿を用意してあるのね…)プラナは内心で歯ぎしりした。


 案内された施設内部も、帳簿も、やはり完璧だった。学習室も食堂も寝室も非の打ち所がないほど清潔で、帳簿の数字も巧妙に操作され、一見しただけでは不正を見抜くことはできない。プラナが核心に迫る質問――


「この期間に養子縁組が決まったという子供たちの、具体的な引き取り先の記録を見せていただけますか?」


 あるいは


「この多額の寄付金の使途について、もう少し詳しく…」


 などと尋ねても、タウルスは常に柔和な笑顔を崩さず、よどみなく答える。


  「ああ、その件でしたら、個人情報保護の観点から、詳細な記録は別の場所に厳重に保管しておりまして…」


  「その寄付金は、子供たちの将来のための基金として、教会本部の指導の下、適切に管理運用しておりますのでご安心を…」


 彼の言葉は理路整然としており、聖職者としての知識も豊富で、プラナはなかなかその守りを崩せない。 案内中、彼はわざと狭い通路や、子供たちが密集している場所を選んで進もうとした。


「おっと、ここは少し狭いですな。騎士殿は、こちらでお待ちいただいてもよろしいですかな? 子供たちが驚いてしまいますので」


 プラナが断ると、彼は残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


(マルトルルと私を引き離そうとしている…)


 プラナは彼の意図を確信し、警戒をさらに強めた。


 夕刻が近づき、西日が院内礼拝堂のステンドグラスを通して、床に長い影を落とし始めていた。結局、プラナは何一つ具体的な証拠を掴むことができなかった。タウルス院長の鉄壁の偽善と、周到に準備されたであろう隠蔽工作の前に、為す術もなかったのだ。レザインと落ち合う時間も迫っている。


(このままでは駄目…何か、何か突破口を見つけなければ…!)


 プラナは焦燥感に駆られながら、この偽りの聖域の中で、次の一手を必死に模索していた。院長の笑顔の裏にある、冷たい悪意を感じながら。


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