夏のたたかい
今日は祭りの日だった。
僕は高校三年生、一応受験生だったから祭りに参加することなど許されないはずなのだが、友達に誘われて、ああ、あの喧噪を味わわずに夏を終えるのは嫌だな、と思い、皆で連れ立って神社までやってきた。
神社は、山の麓にあり、その参道には屋台がたくさん出ていた。昼頃、この神社から御輿が出て、二キロ先の田圃の真ん中にあるもう一つの神社まで練り歩くのだ。
何故、御輿が神社から神社へと向かうのか、僕はその意味をよく知らなかった。少し興味はあったが、一介の高校生に調べられることとは思わなかった。
参道は人々でにぎわっている。御輿がでるまであと一時間はある。それまで綿菓子やら、リンゴ飴を食べながら待つか、と友達と話していると……。
一人の少女が、桜の木の下でうずくまっていた。それは、確かに少女なのだがどのような姿をしているのか細部がよく分からなかった。
ただ、少女が大分疲労しているのは分かった。病気なのかも知れなかった。
「おいどこへ行くんだ?」
友達が、突然動き出した僕を静止した。
「あそこに女の子が倒れているじゃないか。何で誰も助けないんだ。救急車でも呼ぶようかも知れない」
「はあ?」
友達は怪訝な顔をしたが、僕はそれを無視して女の子に駆け寄った。
太陽光線が強い。くらくらする。人々の喧噪が、急に遠くにあるもののように感じられてきた。蝉の声だけがうるさい。
「君、大丈夫か?」
僕は女の子の肩を揺さぶった。
彼女は、少し驚いたように僕を見上げた。目の光は意外としっかりとしていて、意識に問題はないようだ。だが、日射病かも知れない。
「大丈夫か? 気持ち悪いのか、それとも?」
「喉が、渇いた」
女の子は、かすれた声で言った。
「そうか。じゃあ、これを飲め」
おれは、背負っていたカバンの中からスポーツドリンクをとりだして、少女の唇に押し当てた。少女は、唇を少し開けると、ゆっくりと、噛むようにそれを飲んだ。
「……美味しい」
彼女は僕の手からペットボトルを奪うと、今度はがぶがぶと飲み始めた。ペットボトルの中身が半分ほどになったときに、ようやく飲むのを止めた。
「ありがとう。こんな美味しいもの、久しぶりに飲んだ」
おいおい、大げさだな。少女は、元気を取り戻したのか、すっくと立ち上がった。光線の具合なのか、相変わらず少女の細部がとのような姿をしているのかよく分からなかった。 僕は目をこする。だが、何も変わらない。
「君、年はいくつ?」
「う~ん。あなたに言っても、理解してくれないだろうから、言わない」
「は?」
この少女は、お兄さんをからかっているのだろうか。だが、確かに少女の見た目は、実年齢がいくつなのかいまいちよく分からなかった。まだ小学生のようにも見えるし、意外に自分の年齢に近いようにも思えた。
「じゃあ、年はいいけど。一人でこの祭に来たの?」
「う~ん。まあ、そんなようなものね」
「お父さん、お母さんは?」
「この神社の上」
「なんだ、やっぱり一緒に来たんじゃないか。神社か、御輿がでるところをみるのかな?」 だが少女は首を振った。
「神社の上、あの、山の中にいる」
「は?」
この神社は、確かに標高800メーター程度の山である、柴田山の麓にある。そして、山の上には何もない。まだ開発されていないし、低い標高とはいえ簡単に分け入ることは出来ない。
それに、祭の時は神が遊行するからってことで、立ち入り禁止になるんじゃなかったか? もちろん、今日日々神がいるなんて普通に考える大人はいないと思うけれど、それでも何となく気味が悪いじゃないか。
「何で、祭も見ず、山の中に入ったんだ?」
「……」
少女は、むっつりと口をつぐんだ。
「まあ、いいや。僕は、石埜良太郎って言う。良太郎って呼んでくれ。君、名前は?」
「みつは」
「そうか。お父さん、お母さんの所に戻りたいよな?」
もっとも、体調の悪い自分の子供を放っておいて山の中に入っちゃうような両親だ。ろくなモンじゃないかも知れないが。
だが、みつはは
「うん!」
と、大きな声で言った。
「じゃあ、一緒に探しに行くか。あの柴田山の中へ。」
彼女は、にっこりと笑うと、頷いた。その笑顔に、僕は少しクラッときた。
一緒に祭に来ていた友達の姿はなくなっていた。薄情な奴らだ、僕と一緒にみつはを助けようとか、そういう気は起きなかったのだろうか?
いや、あいつらが、そんなことをするはずがないと、僕は考え直す。きっと何か事情があって、この場を離れなければならなかったのだろう。
突然、日がかげったような気がした。雲が出てきたのだろうか。僕は空を見上げる。だが太陽は、サンサンと輝いていた。
何か変だと思った。そうだ、景色の彩度が落ちているのだ。どこかくすんで、しかも安定しない。
人々の声は、さっきよりもますます遠くに聞こえる。
また、例の病気が始まったのだろうか。だが、気にしないことにする。この少女の正体も。彼女を、両親の元に返せばそれでおしまいなのだから。
山に入るには、神社の脇の細い道を上らなければならない。その道の両脇の木を結んで、細いロープが張ってあって、本日立ち入り禁止、と書かれた札がぶら下がっている。
だが、今御輿を担ぐ準備で人々の注目はそちらに集まっている。
僕は、ロープをひょいと持ち上げると、その下をくぐった。みつはもついてきた。
「みつは。君のお父さんお母さんは、山のどの辺にいるか分かるかい? この山道のどこかでいいのかな?」
「多分」
「何のために、今日こんな山の中に入ったんだ?」
それには色々と思いつくことがある。例えば、この山の植生の研究。だが、それならば今日でなくてもいいはずだ。では、祭を題材にした民俗学の研究か? だが、それも考えづらい。何故ならこの山の中は、普段よりもずっと静まりかえっているはずだからだ。民俗学の研究ならば麓にいて、人々から情報を集めるべきだ。
後、考えられるのは、写真撮影ぐらいか。この山の上から格別珍しい景色が撮影できるとは聞いたことがないけれど、祭の様子を俯瞰で撮影できるのかも知れない。
だが、僕の心のある部分は、そのどれもが違うと叫んでいた。何故なら、みつはや、彼女の二親は……。僕はだが、その心の声を無視する。
みつはは、だが、口をつぐんだ。何か言いづらいことを、山の中でやっているのだろうか?
それから、僕たちはほとんど会話しなかった。時折、みつはは悲しそうな表情をしたが、僕はなんと声を掛けていいのか分からなかった。そもそも僕は、幼い子の扱い方になれているわけではないのだ。
山に入ってから三十分。彼女の両親はおろか、一人の人間にも出会わなかった。まるで異世界でも入り込んでしまったかのような。
これは、判断を誤っただろうか。普通に考えれば、山の中でお互いの位置が知れぬまま探し回るよりも、麓で両親を待ち続けた方が出会える確率は高かった。だが、あのときの僕は、山の中にはいるという方法しか思いつかなかった。
「わりい。疲れただろ。もう山頂についちまうな。休むか」
だが、彼女は意外にも元気だった。むしろ僕の方が疲れているぐらいに見えた。
「ううん。休まない。このままてっぺんまで行って」
おれは、仕方なく落ちている枝をふみ、木の根を避けながら、道を進んだ。世界の彩度はますます落ちており、ほとんどモノトーンに近かった。これは完全に例の病気だ。この少女も、実際に存在しているのかどうかも分からないぞ……。
そんなことを考えながら歩いていると、どうやら山頂に着いた。
木々の間に、鉄筋コンクリートで作られた背の低い建物があった。要塞のようだった。地図にはこんな建物は載っていないはずだし、第一、この山には建築物を造ってはいけないはずだった。
「あそこに、お父さんとお母さんがいる」
「なんなんだ、あの建物は。そして、みつは、君も。そろそろ君の正体を教えてくれよ」
だが、彼女はそれには答えず、別のことを言った。
「あの、建物の中に入って。大丈夫、危険はないわ」
「そうは言われてもな……」
僕は、ゆっくりゆっくりと建物に近づいていった。君子危うきに近寄らずというが、僕は君子ではなかった。
みつはがついてきているのか確かめるために、僕は振り返った。そして、腰をぬかさんばかりに驚いた。
先ほどまで幼子のような姿をしていた彼女が、大人の女性になっていた。長い髪、白い肌。平安時代の女性のような服装をしている。神々しい。
「君は、やはり人間じゃないな。何者だ?」
「私の正体は、今はいえない。あの建物の中にわたしの両親は捕らえられている。出来れば、助けてほしい」
「捕らえられている? やはり、危険じゃないのか」
「大丈夫。彼らは人間には危害を加えることは出来ない。人間が生み出したものだから」 僕は彼女の言葉を信じ、建物の、何の装飾もない扉を叩いた。
「ごめんください。誰かいませんか?」
「はーい。どなたですか」
建物の中から、若い女の人の声がした。
「僕の名前は石埜と言います。山野辺東高校の、三年生です。麓で出会った人の、ご両親がここにいらっしゃると聞いて、こうしてやってきました。会わせていただけますでしょうか?」
「あら、そうですか。どうぞー」
扉が開いた。スーツ姿の、清楚な女の人が立っていた。みつはは、彼女を複雑な表情で見つめていた。
「念のために聞くけど、おかあさん?」
みつははまた、以前の少女の姿に戻っていた。着ている服装は、平安時代よりもずっと古い時代のものに変わっていたが。彼女は、静かに首を横に振った。
建物の内部は、全体がコンクリートむき出しだった。明かり取りの窓や、その他光源が一つもないのにまぶしかった。そして、ほとんど、白と黒と、ちょうどその中間の灰色の三つしか色がなかった。
「わたしについてきてください」
僕たちは、スーツ姿の女の人の後を追いかけた。
「わたしの名前は、西崎とでも呼んでください」
彼女の足があまりに速いので、ついていくのが大変だった。やがて西崎は、一つの黒い扉の前で止まった。
「この部屋の中に、オオミツハヒメ、あなたのご両親がいますよ。それにしても、まさかあなたの方からやってきてくれるとは思っていませんでしたが」
みつはは、それを聞くと悲しそうに笑った。西崎が扉を開いた。
部屋の中の壁や天井は、全て漆黒だった。その中で、男女が寄り添って、やはり黒いベットの上に腰掛けていた。
男は、威厳あるヒゲを生やしているが、やはり年齢はよく分からなかった。女は、髪を複雑に結い上げていた。
「とう、かあ!」
そういって、幼子の姿をしたみつはは、二人に駆け寄った。
「おお。ミツハ! 何故戻ってきたのか? また会えるとは思っておらなんだ」
「おお、おお」
両親はみつはを抱き寄せると、涙を流した。
「西崎さん。彼らはこの山の神、麓の神社の御祀神ですね。男神の方はタケシバタノカミ、女神の方はミズハタサクノカミ、そしてあの子は二人の娘、オオミツハヒメですね」
僕は努めて冷静にそういった。
「よく分かりますね。麓で行われている祭に参加している人間のほとんどが、誰のための祭なのか知りもしないのに」
西崎は口元だけで笑った。僕にはその意味がよく分からなかった。
「その偉大な神が、何故こんな建物に押し込められているのですか? そして西崎さん、あなたは何者ですか?」
「わたしは何者なのか、という問いに先にお答えしておきましょう。わたしは、あなた達現代人が生み出した、新しい形の神です。高層ビルと地下鉄とコンピュータに囲まれて暮らしている都市の人間の心が生み出した神です。東京からきました」
「名前は? 少なくとも西崎ではありませんね?」
「名前は、まだありません。仮に、西崎と呼んでください」
「そうですか」
三人の古き時代の神は、皆こちらを見つめていた。そして、タケシバタノカミが口を開いた。
「人間の少年よ。 その、あららしき神は、我らにその座を譲れと言う。それをせぬ時には、滅べ、と。我らにはもう力がない。だが、まだ我らは」
「どういうことですか。西崎さん」
「古き神はもう滅びるべきなのですよ。石埜君。我々も、あの人達も、同じ人間が生み出したもの、人間のためにあるべきだ。しかし、もうあの人達はその役割を終えたのですよ。あなたも、分かるでしょう」
「それは違うぞ。新しき神、西崎とやら。神は、人間のためだけにあるのではない。人間と、より広大な世界をつなぐためにある。人間を律し、彼らが限度を超えないために!」
タケシバタノカミは、声を荒げた。
「その考えが古いのですよ。神は人間の道具です。彼らを癒し、楽しませ、人間がよりよい進歩の道を歩むための手助けをする、ね」
「それでは、人間は、限度なく、恐れなく、世界を好き勝手に作りかえる。それが許されるというのか?」
「いいのですよ。それこそが、わたしの理想とするところです」
「だが、それでは人間は自滅する。頭のいいお前には分かるはずだ」
「そうですよ、西崎さん。ただ、科学技術の発達が幸福を生むという考え方が、どれだけ人間の首を絞めてきたか、ご存じのはずです」
僕は黙っていることが出来ず、口を挟む。
「そうかも知れない。だが、人間は走り続けなければならないのです。新たな未来、新たな成長のためにね。もし歩みを止めたら、そこで死んでしまう」
確かにそれは、西崎の言うとおりだった。科学技術の発達が、人間をそれまで見えなかった高みへと到らせる。だが、その高みに到っても、人間の苦しみは消えない。むしろ苦しみは増える。その苦しみから逃れるために、人間は上を目指し続けなければならないのだ。
「西崎さん、ひょっとしてあなたは、こうやって日本各地を訪れて古い神々をしらみつぶしに?」
「ええ、そうです。ほとんどの神は、最終的にはわたしの考えに賛同、自らの在り方を変える道を選びましたが……」
中には、滅びの道を選んだ神もいたということだろう。
「西崎さん、あなたの考えは正しいかも知れない。でも、だからといって古い信仰の対象を滅ぼすことに何の意味があるのですか?」
「古い信仰は、古いというそれだけで滅びるべきなのですよ。今人間が崇拝すべきなのは、科学技術であり、数式であり、人工の芸術です。理性こそ、人間が信ずべきものなのです」
「馬鹿な! ならば西崎、お前の存在はどうなのじゃ。お前の存在自体、非理性的なものではないか!?」
それまで黙っていたミズハタサクノカミが言った。
「……」
そうなのだ。しょせん信仰は理性的なものではあり得ない。そして、理性的でない部分によってしか、つながれない何かもあるのだ。だから。
「違います。わたしは人間の理性が生み出した、神だ」
「西崎さん。あなたがそうして、古い神々を滅ぼす権利がどこにあるのです。もし権利なくして滅ぼしているのなら、確かにあなたは非理性的な存在だ!」
「そのとおりじゃ!」
「くく、これはこれは。人間であるあなたが、彼らの味方をするとは」
今度は西崎は肩で笑った。
「言っておきますけどね。彼らも、それ以前に存在していた神々を滅ぼして、新たに居座った存在なのですよ。ねえ、タケシバタノカミさん。あなたは、古代国家の成立とともにこの地にやってきた神だ。そして、以前からいた森の神を、精霊達を滅ぼして、この地に、国家公認の神として君臨していたに過ぎない。それと同じなのですよ。だからあなた達の方にこそ、わたし達にとやかく言う権利など、ない」
そうだった。神社に祀られているような神は、大体において、人工的な神なのだ。そして人工的でない神など多分いないのだ。
どうやら、西崎の方に軍配が上がりそうだ。だが、僕たちはまだ、みつはの意見を聞いていない。
「みつは、君は、どうなんだ。このまま、新たな神の勢力に吸収されるのがいいのか、それとも、滅ぶ道を選ぶのか?」
幼子の姿のままのみつは口を開いた。
「わたしは、どちらも嫌。このまま、昔のように、お父さんお母さんと仲良く暮らしていきたい」
僕は思う。例え、古き神々がいなくなる時代が来るとしても、それは今ではない、と。それに、彼女はかわいいし、守ってあげたいと思う。だから。
「西崎さん。あなたを生み出した人間である僕からのお願いだ。彼女たちを、このままそっとしておいてくれないか?」
「なぜ?」
「僕が、みつはのことを好きだからだよ。だから、僕が死ぬその時までは彼女をこのままの姿で生かしてやってくれ」
西崎はため息をついた。
「あなたは、ただの人間ではありませんね。わたし達の姿が見えるのですから。時折、そうした人がいるのは知っています。でも、わたし達の闘いに人間が介入してきたのは初めてですよ」
そうだ、僕の家系には、どうも他人に見えないものが見えてしまうものが時折でる。僕の早くに死んだ母親がそうだったらしい。もっともおれは、それは能力ではなく、幻覚が見える病気だと思っていたが。
「僕も、今回みたいにあなた達の姿がはっきりと見えたのは初めてですよ」
「分かりました。わたしも、人間を、あなたのように力ある人間を敵に回したくはない。自分たちの存在意義に関わってきますからね。彼らには、何もしません」
そういってもう一度ため息をついた西崎の姿は、少しやつれて見えた。現代人がかかっているのと同じ病に、彼女もかかっているのかも知れない。
「そうと分かれば、もうこのの建物は入りませんね」
建物が消えた。四人の神々の姿も、どこにもなかった。おれは柴田山の山頂で、一人立ちつくしていた。ただ、ありがとうというみつはの声だけが、聞こえた気がした。
多分、今回の経緯はこうだ。いつものように、麓で祭の最中に山で遊んでいた親子三人。そこに、西崎がやってきて、三人と争いになった。負けそうになったタケシバタノカミたちは、自らの子供を逃がした。
体力を消耗し、桜の木の下で倒れていたオオミツハヒメを、僕が見つけてしまった。良かったのか、悪かったのか。
あれだけのことがあったのに、腕時計を見ると山に登り始めてから一時間ほどしか経っていなかった。
麓に降りると、友人達が僕のことを探していた。変なことをいいながら、ふらふらとどこかへ行って、そのまま姿を消してしまったので、心配したそうだ。
思いつきで書いたのですが、なかなか上手くいきませんでした……。




