怪人の誕生
まだ小学生の時分。それは心に宿った。
絶対的な正義とは?
苛められたことはなかった。
と思う。
苛めであったかもしれない。
しかし、
苛めと受け止めたことはなかった。
つまり苛めとは、受け手側に問題があると
幼心に刻んだ。
私には三つ年上の兄がいた。
兄には人徳があった。
皆に愛され
特に女子達には人気があった。
家には兄の友達が男女問わず毎日のように訪れた。
私は同級の者達とは遊ばず、兄の友達と遊ぶようになった。
自ら動かずとも
兄に訪れる友達と遊ぶ毎日。
兄は私の面倒を見ながら遊んでいた。
兄としての責任感があったのだろうか。
それは分からないがとにかく、
私は自身で動かずとも友達が訪れる環境にいた。
兄の弟というだけで
可愛がられ大事にされた。
その環境は私にとってとても
満たされた環境であった。
いつしか私は
兄の人徳を
自らの人徳と
思うようになった。
兄が中学生になると、
訪れる友達は少なくなっていった。
私は自ら動かなければ
友達と遊ぶこともままならぬ状況に
突如として陥れられた。
しかし、兄を恨むことはなかった。
兄は兄として
交遊関係に嫌気がさしていたことを
吐露したのを聞いたからだった。
そしてその吐露した言葉を
真に受けた私はいつしか
兄以上に
兄と交遊関係を結んでいた友人達を
嫌悪するようになった。
兄の友人として振る舞う友人達を
信用出来ず
最も愛する兄を傷つけた友人と名乗る
者らを私は
嫌いになっていったのだった。
兄を傷つけた者らを許さない
心に宿った小さな炎は、
やがて大炎となり、
見境無く友と名乗る者達へ向けられた。
最も
その大炎はただ心の中で膨張するのみであり
大きな損害を他人に及ぼしたということはなかったが
兄の友人達に向けられたその怒りという大きな炎は
いつしか社会へと燃え広がっていった
ルール、縛り、それら自分自身を取り巻く環境に
常につきまとう不自由さに
道徳という曖昧な思想をまるで神のごとく絶対的な正義と掲げる者達に
私自身ではどうしようもなく燃え広がったその大炎は
1人の怪人の心へと移し替えなければ
私自身を保つことは不可能となった。
その怪人の怒りには、自分自身の信じる正義があった。
それに反した場合
全てを焼き尽くすのだった。
私はその怪人に名前を付けた。
遠藤平吉という名前を。