空先案内人
碧空と地平線との狭間に、プラットホームが設置されている。停止している列車の車掌室で待機している春仁は『本日の乗客リスト』を確認し、車窓から駅舎の階段を見詰めている。(今日の乗客数七名様、現時点で御乗車されている御客様六名様……残り一名様がまだだ……)列車にはとくに細かい発車時刻等はない。けれど本日中に全乗客を乗せて発車しないと、乗り遅れた乗客は行くべき場所に行く事が出来なくなる。行くべき場所と云うのは死語の世界……つまりは『あの世』の事を云う。この列車の名称を分かりやすく云うのならば、『天国号』。天国行きの列車という事だ。そして『天国号』の車掌を勤めるこの青年、春仁はこの職務を初めて日は浅くまだ二年目に突入したばかりだ。春仁、生前での呼び名は川嶋春仁といい、百二歳というかなりの高齢を迎えた時期に老衰で他界されたわけだ。他界時での年齢が百二歳なのに今は何故見た目が若いのかと説明すると、魂は成仏する際自身が最も幸せだった時の年齢に戻るからだ。春仁は二十代の頃が人生の中で一番充実していた時期だから、あの世に着いた時点でその年齢に戻っていたというわけ。成仏する為『天国号』に乗車する際、当時車掌を勤めていた初老の男性、基に案内されたのだ。基から聞かされた人生ルートは、物心がついた頃から鉄道に強い憧れを抱いており、将来の夢は鉄道会社に就職して車掌になる事だったらしい。車掌への夢となるきっかけは、家族旅行に出掛けた時に車内で耳にしたアナウンスの声だという。訓練されているからなのか、それとも元々印象の良い声を持つうえで訓練したからなのか、流れる風景を目にしながらの耳に入れる案内の声が本当に優しく気遣いにあふれていたとの事だ。基は懐かしそうに語っていた。『折しもその旅行の日は小雪が降っていましてね、降りられるお客さんにその車掌さんはとても粋なアナウンスをされたんです』『ほう……粋なアナウンス、ですか……そうですな』長年の経験から培った勘を働かせ、春仁は列車の扉に寄りかかり考える。遊び心なら春仁だって負けてはいない。一捻りした考えを悪戯っぽい笑顔で返して見せた。『足元の空に落ちないよう、ご注意下さい……でしょうか?』『!』基の驚いた顔を視界に入れて、春仁はそれが正解だとにらんだ。そんな春仁の気持ちを察したのか、基は驚いた顔に笑みを見せ答えを返した。『当たらずとも遠からず……正解はですね、【本日は空の産卵日よりでございます。皆様、思う存分産卵の御様子をお楽しみ下さいませ】です』『空の……産卵ですか?』春仁がどういう意味か考えていると、基はアナウンスをより身近に感じる声の質で答えを伝えた。『雪雲から雪が舞い落ちる様子を思い浮かべ下さい……鮭が水中で産卵されている様子と似てらっしゃると思いませんか?『鮭の……産卵』過去にとある生き物の番組をテレビで観た記憶があり、春仁はその時の映像を甦らせてみた。鮭のカップルが二匹寄りそう感じで最期の力を振り絞り、産卵し力つく……そんな映像。水中を舞う鮭の卵が、空から舞い落ちる雪と降り方が似ている。『ああ……なるほど!確かにあの緩やかな舞い方は似ています。その車掌さん、本当に粋なお人柄ですね』『でしょう?私はそんな花のある言葉を伝えられる人になりたくて、何件も鉄道会社の面接を受けたんです』語尾が掠れていた。基が受けた面接の結果は聞かなくとも、彼の表情から窺える。『ですが、夢と云う物はー』『良かったじゃありませんか。今こうして、車掌の業務を務めてらっしゃるのでしょう?』『……!』『努力が報われましたね』春仁が言葉を添えた瞬間、影があった基の表情に明るみが現れた。穏やかな声が、基の唇から零れた。『ありがとうございます。夢が叶って幸せです』念願だった車掌の業務を真っ当している事に改めて気付き、気付かせてくれた春仁に凛とした姿で基は云う。『御客様の【足元の空】……という御答え、大変素晴らしい表現でございます』『恐縮です』体勢を低くし苦笑いを見せる春仁。これからあの世へ向かうというのに、恐さよりも別の国に赴くような心地好さがあり、ちょっとした旅行気分と似た感覚を抱いた。『すみません!遅くなりました!』最後の乗客が列車に乗り込んできた。年輩の女性の客だ。かなり急いで来たらしく、息を荒く吐いている。『お待たせ……してしまい、申し訳ありません』女性は頭を低くしていて、肩身が狭そうに振る舞っている。『大丈夫ですよ。どうぞ楽になさって下さい』列車の発車時刻が遅くなった事を気にする年輩の女性に対し、基は車掌らしく品よく振る舞い言葉をかける。『お孫さんのお顔……ご覧になられました?』年輩の女性が遅くなった理由を、基は最初から知っていた。それはやはり、ここがこの世とあの世の境界線に面しているからだろう。女性は幸せを噛み締めながら、それと同時に切なそうな姿で答えた。『はい……とても可愛らしい孫でして、わたしが顔を覗き込むと、笑ってくれました』『それは幸せな御対面でしたね。きっとお孫さん、大人に成長されていても今日の日の出来事を覚えてらっしゃる事でしょう』『そうでしょうか……そうだといいんですけど……』あの世へ向かう列車に乗っているからなのか、それとも亡くなって魂だけの存在になっているからなのか、春仁には女性の生前の記憶が波のように伝わって来た。この年輩の女性と息子は意見の食い違いが多く、何かと対立してきた。そのうち息子に恋人が出来その相手と入籍した辺りから実家に帰る事が少なくなってきた。精神的な事もあり体力が衰弱し始めた女性は入院を余儀なくし、数週間経った後息を引き取ったのだ。よく耳にする身の上話だが、実際そんな経験をした人に会ったら胸が痛む。ーお孫さんと笑顔を交わしても、息子さんと和解出来てなければ辛いだろうにー春仁は女性の気持ちを想像して、ふと心の片隅で言葉を響かせた。心で呟いただけなら他者にわからないだろうと思った……ところが、だ。『そちらのお方、わたしでしたら平気ですよ』『え……っ?』心の呟きも聞こえていたのだ。『ちゃんと息子にもわたしの事、通じていました』『え?息子さん……にも、視えていたんで……』『視えていた、というよりは感じていた、と表現した方が良いような気がします。孫が見ている方へ息子も振り向いたんですけど、その時わたしと視線が合ったんですよ』嬉しそうに語る女性から、息子との最後の時間を過ごした記憶がイメージとして春仁の内部に送り届けられた。孫の視線に息子も振り返ると女性との視線が繋がり、息子は何かを悟ったらしい眼差しを注いできた。ー母……さん?ー『息子が心でそう言ったように思えましたよ』家族を思い描く女性の姿をこれほど美しいと感じた事はない。春仁の心で優しさが芽生え、基の心で真心が咲き誇り……彼らは二人本音をコーラスのように響かせる。『『きっとそう、おっしゃっていましたよ』』女性を見ていた二人は、今度は互いに視線を映して小さく笑った。女性も愛らしく笑みをこぼし、ペコリと頭を下げ座席に腰を下ろした。空気が柔らかくなったその時、プラットホームを包むかのような発車ベルが響き渡った。ーパアアアアアア……ッ!ー発車ベルは霊柩車が棺を火葬場に運ぶ為、移動する寸前に鳴らすクラクションの音色と似ていた。本能で春仁は、直感した。ー出発……?ー『それでは私は車掌室へ戻ります。列車が動く際は揺れますので、お席にお座り下さいませ』春仁は基の指示に従い扉から座席に移動し座席に腰を下ろした。座席は感覚が皆無であるかのように心地がよく、経験は無いが雲に腰を掛けているのと同じ柔らかさだと列車に乗る乗客は全員思っていた。発車ベルが鳴り止むと扉は閉まった。続いて車内に基のアナウンスが流れる。『皆様、お待たせ致しました。この列車はあの世……天国へと向かう『天国号』でございます。心残りのお忘れものが無いようですので、間もなく発車致します。次は『天国』でございます』車輪が回りだしても音はせず、列車はレールを外れ上空へと走り出した。『天国号』が雲の向こう側へ走り出しているのが、車内にいながらにして分かる。座席から車掌室の窓へ視線を傾けていると、春仁の脳裏に生前の自身が過った。ー父さん……僕ね、将来の夢はー『間もなく『天国』、『天国』でございます……』『!』車内アナウンスにハッ、となり意識が舞い戻る。随分到着するのが早く感じられた。車窓から見える景色は雲が長く浮かび、空が広がっていた。ーなるほど……天国に向かう列車は、やはり予想通り天空を走る……なんて幻想的ー『ん……?』薄く伸びる雲の隙間を、一瞬何かが翔んでいた姿が目に映った。鳥ではない……一瞬だったが、あの影は龍……だったような気がした。列車が速度を落とし、再び車内アナウンスが流れた。『お待たせ致しました。『天国』……『天国』でございます』停止した列車から乗客たちが降りると、朧気な雲が至る所に浮かんでいる花畑が広がっていた。何とも心地がよく、一同その美しさに目を細めた。春仁はその地に足を踏み入れた瞬間二十代の年齢に戻り、気持ちも若返っていた。車内にいた時の姿ではなく、活発なシャツとダブダブのズボンの出で立ちだ。『僕もこの『天国号』の車掌さんになりたい!』元気な春仁の声に基はクスリ、と笑い『天国号』から降りて言葉を告げた。『それでは春仁さん、わたしがあの世からいなくなった暁には、春仁さんが『天国号』のー』花畑を風が吹き抜け、吹き抜けた場所に咲いてある花弁を何枚か散らした。あの日の風と似た強い風が、プラットホームを通り抜けた。『!』かぜに吹かれた感覚を抱き、基の言葉が甦る。『それでは春仁さん、わたしがあの世からいなくなった暁には、春仁さんが『天国号』の車掌を担って頂けませんでしょうか?』『なるなる!僕、なるよ!この、『天国号』の車掌に!』車掌と少年との小さな近いの言葉が、空の国の花畑で交わされた。数ヶ月後……基はあの世で車掌人生を真っ当し、魂の死期を迎え他界した。つまり生まれ変わり、現世で新たな人生をスタートさせたわけだ。今彼は平凡なサラリーマンの父と平凡なスーパーマーケットのお惣菜売り場の店員の母を持ち、姉との二人姉弟として楽しく暮らしている。そして前世での想いが息吹いているらしく、列車を見ると強く反応するのだ。(今度は『この世』で車掌さんになれたら良いですね……)『すみませえん!その列車……!』『!』プラットホームから声が響いた。最後の乗客が列車へと駆け込んでくる。『あ……危ないですので、走らずゆっくり……』乗客室の窓から春仁が声を掛けた時、乗客の肩をポン、と誰かが小さく叩いた。『え?』乗客が振り向いたが、そこには誰もいない。春仁は乗客リストを確認する。『あ……そうか、なるほど。足止めされていたのか……』手にする乗客リストから、最後に乗る筈だった乗客の名前が薄くなり……そして消えた。『御客様、心のお忘れものがあるようです。御客様の次の御乗車は、百年先になるかと思われます』『……』乗客が立ち尽くしているとプラットホームの端まで、列車の発車ベルが鳴り響いた。ーパアアアアアア……ッ!ー『間もなく発車致します』春仁は車内アナウンスを流し、車窓から残っている乗客へと一礼した。プラットホームから『天国号』が出た後、乗客がいた所に一冊の本が残されていた。列車が発車した事で起きた風が本のページをパラパラ捲り、そしてまた閉じられる。表紙に記されているタイトルは『百年先の未来』……『本日の乗客リスト』の中に記載されていた名前だ。『天国そらくに)号』には人間の他に動物やツクモガミサマも乗車する。命には制限はあるが、魂は永遠に続いていく。『百年先の未来』と記された本のツクモガミサマは、暫くプラットホームの空気を感じていたが、上空の何かの影に隠れた一瞬の隙に消えていた。きっと今、自身を必要としている人の元へ戻っているだろう。プラットホームへ影を落としたと思われる空の方向を、透き通るような白い龍が雲の向こう側へと吸い込まれるように翔んでいった。『アシドメリュウ』と呼ばれるその龍は、まだ行くべき所へ行ってはならない魂を探して翔んでいるのだろう。
『天国号』があの世へと近付きつつある時間、間隔を読んで春仁は車内アナウンスを流した。『間もなく『天国』、『天国』でございます』春仁が告げる車内アナウンスには、穏やかで心地が良い音色が込められている。『天国号』の車掌……別名『空先案内人』の『あの世』への案内には、青い空のような優しさが溢れている。(一話目『最後の乗客』)でした。
魂を『あの世』へ送り届ける前日、春仁は乗客リストを隅から隅まで確認する。業務は明日なので現時点の乗客リストには、『明日の乗客リスト』と記載されてあるのだ。その文字は業務当日に日付が変わる瞬間、自動的に『本日の乗客リスト』の文字へと改名される。『狭間駅』の一角に設けられてある『駅係員室』の長椅子に浅く腰を掛けて手前にあるテーブルの隅に『明日の乗客リスト』を置き、二時間ほど黙々確認作業を続けているのだ。間違いは許されない、見落としはもっての他、取りこぼし等してはならない。(明日の御客様の人数……一名樣。一名様にはその方の人生の『重み』があり、その『重み』は魂にも現れる……)熱心に『明日の乗客リスト』に目を通す春仁の背中に、駅長のソラヅルが声を掛ける。『少し休憩したらどう?ほうじ茶煎れたわよ。ほら、わらび餅もあるから』『あ、駅長さん。ありがとうございます』ソラヅルの声はどんなに集中していようが、妨げになる事はなく、寧ろ精神的に距離感が上手く取れる質を持つ声なのだ。『はい、冷たくて美味しいわよ。このわらび餅も、『満月堂』さんからお取り寄せして頂いた特別な一品なのよ』菱形の御盆に乗せているほうじ茶とわらび餅をテーブルに並べた瞬間に広がるほうじ茶の芳しい風味は、どんな日本人の心も鷲掴みにしてくれる。ソラヅルが煎れた御茶だからなおのこと美味だ。彼女が煎れた御茶には真心は勿論、極められた御茶への技術が詰まっている。『頂きます……』透明な花の形の器に注がれたほうじ茶は丁度良く冷えており、わらび餅を滞りなく喉を滑り落ちる。ここで説明を入れる必要がある。春仁達は『魂』という存在なので、手を使い飲食するわけではない。彼らの食事の方法はと云うと、まず目の前に置かれてある目的の食べ物、飲み物を見詰め、脳内によるイメージを働かせ食事をするという……魂ならではの所作を使用したものだ。春仁もソラヅルも脳内でのイメージを器用に調節しながらほうじ茶とわらび餅を味わっている。『うーん……駅長さんが煎れて下さった御茶は、やっぱり絶品ですね』綺麗な器で飲む御茶だから、そういう気分にさせられる。『わらび餅もひんやりして、柔らかさが丁度良いです……黒蜜も極上ですね』『そうでしょう?なんてったって『満月堂』さんのわらび餅ですもの。あのお店の商品はどれも絶品だわ』『満月堂』の御菓子は『狭間の園』で一番の味を誇る御菓子だ。他の銘菓店の商品もそれはそれで美味なのだが、やはり『満月堂』の味には勝てやしない。『このお店の品物を見ていますと、思い出しましたね。偽『満月堂』事件を……』『ああ、思い出す、って言うより……わたしの場合、忘れた事はないから覚えていた、かしら?』『僕も……どっちかと言いますと、そうです。『満月堂』さんの御菓子は絶品ですから、そうしたい気持ちは分かりますがね』一年ほど前の事だ。『満月堂』の商品の味があまりにも美味な事から、他の銘菓店がそこからレシピ集を盗みだし味を再現させたうえ、あろうことか『満月堂』の名を語り御菓子を販売していたのだ。レシピ集をそっくりそのまま複写して御菓子を生産していたのだから、それは反響する事間違いなしだった。そのせいで調子にのり過ぎたそのお店は、新たな御菓子をレシピ通りに生産しようと試み、それが失敗に終わってしまった。その新たな御菓子を食した『満月堂』のファンがあまりに味の仕上がりが違うという事から、盗作事案が発覚したのだ。『その銘菓店だって絶品だったんだから、味を極めれば『満月堂』さんを越えていたかも知れないのにね』ソラヅルの云う通り、努力次第でその銘菓店は御菓子の星を掴んでいた可能性があっただろう。『結局のところ、偽物は本物には勝てない……という事ですね』『そういう事ね。さあ、御菓子を食べたら、明日に備えてもう休んだ方が良いわ。明日も日の出と同時に業務が始まるわよ』『はい、本日もお疲れさまでした。明日も宜しくお願いします』『お疲れさまでした。宜しくね』テーブルをの汚れを拭き取り食器を重ね合わせ、春仁とソラヅルは向き合い声を重ねた。『『ご馳走さまでした』』なんて背筋の伸びた綺麗な『ご馳走さま』だろうか。日本人の和の心を垣間見たような気になる。春仁やソラヅルがもし、『日本人作法教室』等の指導者となれば、生徒は全員、所作が美しい人になるであろう。さて、『駅係員室』の半地下に係員の自室が設けられてあり、菱形になっている造りに春仁の自室、ソラヅルの自室、とが向かい合う状態で存在してある。春仁の自室には必要最低限な物のみ揃えられており、取り立てて派手、な雰囲気でもなくかといって地味というのもまた違う感じの、いうならば無機質と表現した方が適している感じのする室内だった。以前は基が使用しており、彼が『魂の転生』をした後『天国』で過ごしていた春仁が車掌を担う事となると同時にこの自室を使用する事になったわけだ。(リラックス出来ると同時に、明日の緊張感もあるな)寝間着に着替えた春仁は『明日の乗客リスト』を再確認しようと、ちゃぶ台に置いてあるそれに目を通す。(明日の御客様は『冬馬架純様……一名様と言えど、慎重に御案内しないといけない)春仁は自ら生み出した緊張感が漂う空気を感じ、少しばかりすると気が済みようやく寝床についた。(いつか、基さんのように優しくて立派な車掌に……なる……ぞ……)誓いを胸に響かせ、いつの間にか響いていたのは、春仁の寝息だった。
明くる日日の出より早く目覚めた春仁は、気合いを入れ仕事着に着替え既に車掌室で乗客待ちの状態だった。日付が更新されている為、手にするリストは『本日の乗客リスト』に文字が変わっている。車掌の必須道具である懐中時計で現在の時刻を認識すると、いつもの姿勢で車掌室の窓からプラットホームの様子を見る。(時間制限は今日いっぱいだから、最期の一日を『この世』でゆっくり過ごしているのかも知れない)
乗客の『冬馬架純』が訪れる様子はまだ見られず、春仁は彼女が最期を楽しんでいるのだろうと考え、焦る事なく気長に待つ事にした。傍らに置いてある懐中時計は一日で針が一週廻る仕組みになっており、その時間を見て乗客が訪れるタイミングを読み取るのだ。針はまだ動き始めたばかり。
時を同じくしてこちらは『底の域』。『天国』に向かう『天国号』とは対称的に、『地獄』に向かう『底国号』という列車が存在してある。その名から分かるようにその列車に乗る魂は皆、犯罪を犯した者や人間に被害を与える『貧乏神』、『疫病神』といった良くない存在ばかりである。『地獄』行きの列車が停滞する駅なのでプラットホームは整備されておらず、車内には座席などない。列車の扉には閉まる直前鋭利な刃物が出現するように造られてあり、乗り遅れようものなら扉が閉まる際刃物に抉られ、魂の筈なのに激しい痛みを感じるのだ。そんな杜撰な駅の車掌を勤めているのは平乃愛。彼女は生前化粧品の販売員として働いていて、売上の為にお客の肌に合わない高い化粧品を売り続けた挙げ句、案の定お客達を慢性の皮膚炎にしてしまった罪がある。当然地獄行きを下された乃愛は五十年の間を地獄で過ごし、心から反省した末『闇先案内人』として罪人達を『地獄』へ送り届けている。乃愛の現在の魂年齢、十七歳。その時期が乃愛には楽しいと思える出来事で溢れていた。(今日の乗客は一体……『小陰尚』『冤罪』……ふーん……この女多分……)『反省してないな、いや……絶対』『本日の乗客リスト』の名を目にしただけでお客の内面部分を見抜く事が出来るのは、生前の経験があるからだ。とくに接客業を勤めていれば、相手の内なる境界線が垣間見え、心が手に取るように分かるわけ。(このお客の件、駅長に伝えておいた方が良いかも……)乃愛は車掌室の窓からプラットホームを確認し、乗客がまだ来ていない事を確認すると車掌室の扉を開けた。『連絡なら聞きましょう。どうされました?』『!思った通り、居るのか、やっぱり』扉を開けたそこに、駅長が居る。彼の駅長としての勘は鋭利な刃物を越えるほどに鋭く、何らかの動きを察知して相手より早くたち振る舞える。『昨夜辺りから感じていました。乃愛さんが何かを察する事を』にこやかな面持ちを見せる駅長、カゼナリの鋭さは相手が動きに入るかなり前から働き始めるのだ。『地獄耳』ならぬ『地獄勘』の持ち主。『話が早いっす!今日の乗客についてですがー』
『天国号』の車掌室の窓からプラットホームを見ていると、春仁の目に一人の影が入り込んだ。階段を駆け上がって来る人物。『本日の乗客リスト』に記載されてある通り女性だ。(来られた……!急がなくともまだ早い時間……だというの……に)女性の足はプラットホームへ続く階段を二段とばしで進んでいる。まるで何かに追いたてられているかのような走り方だ。『急がなくとも、大丈……』(冬……馬……さ……?)胸騒ぎがした。春仁の心の奥で、取り返しのつかなくなる事になる気が、した。(!これは、もしかすると……!)階段を上がりきった女性が、プラットホームを駆け列車に向かってきた。春仁の手は素早く車掌室に設置されてある業務用電話機に伸びた。
場所は変わり『底の域』、『本日の乗客リスト』に記載されてあるように乗客が列車へと歩いてくる。『!』女性はプラットホームの角を這っている毛虫を見付け、両手で掬い上げるとホーム横にある小さな草むらに移動させた。『思った通りっす!向こうに連絡入れるっす!』『こちらも準備に入ります』二人の考えは当たっていた。各自俊敏な動きで、行動する。乃愛は車掌室に設置されてある業務用の電話機を取り、カゼナリは列車の作動を行う機械室へと入った。『間に合え……っす!』『間に合いますかな……!』
『狭間駅』の駅長室にある業務用の電話機が鳴り、室内で『乗客予定リスト』を制作していたソラヅルの手が止まる。ーリリリリリリ……ー『はい。こちら、『狭間駅、駅長室……』『『春仁です!『底の域車掌、乃愛っす!』』(同時着信……
特殊事案?)こちらとあちらから同時に電話が入り、ソラヅルの表情が凛としたものになる。切羽詰まった様子の声なので、事情は後で聞くことにし、今は二人の話を聞く事だ。『『車両の切り替え作業……開始せよ!』』ソラヅルはピン、ときた。『了解した!直ちに車両、切り替え始める‼』業務用の電話機を置くと、ソラヅルは急いで車両を作動する機械室へと走った。ソラヅルがチラリと視線を向けた時、女性はプラットホームの半分ほどまで来ていた。
ソラヅル、カゼナリ……共にそれぞれの機械室に位置を整え、各車両の切り替え作業の動きに入った。二つの地を踏んでいる乗客が列車に乗り込む瞬間を読み、二人の駅長が動きを見せた。『『車両番号四十五……切り替え切断!』』駅長同士声を合わせ、同時にレバーを下げた。乗客の架純と乗客の尚が列車に乗り込む寸前、両方の車両が切り替えられた。乗客が乗り込んだのを、車掌も駅長も確認する。ー今だ……!ー『『切り替え切断……解除!』』下げられたレバーが上げられる。そのタイミングは見事なものだ。一度は切り替えられた車両が再度元の列車に接続された。ーウオオオオオ……!ー『底の域』に亡者の叫び声のような発車ベルが響き……。ーパアアアア……!ー『狭間駅』に霊柩車のクラクションを思わせる発車ベルが響いた。
『底国号』の扉が閉まろうとする。『ち……っ!』『冬馬架純』になりすましていた乗客、『小陰尚』が車両から出ようとすると、扉の渕から鋭い刃物が飛び出した。『ひいっ!』扉が閉まり、列車は荒々しく発車した。ーガタン!ー『うわああっ!……ちっ……くしよううううっ!』尚の叫び声は、闇へと消えていった。
『次は『天国』、『天国』……心のお忘れものがないようですので発車致します』『え……あれ?天……国?』『天国号』の扉が静かに閉まり、ゆっく列車はゆっくり進みだす。『あの……尚さんは……』架純が窓からプラットホームを見詰めた時、車内アナウンスが流れた。『御客様、御心配要りません。その女性は行くべき所へ向かわれていますので、御安心下さいませ』『本当ですか?尚さんは行くべき所へ行ったんですね?』『はい……御縁があれば、再びお会い出来るでしょう』春仁の真心が込められたアナウンスを聞くと、架純は安心して窓の外を眺めた。『え……?あれ、は……龍?』
架純と尚の関係性を後に知ったのだが、二人は同じ事務所に所属していた読者モデルで、対称的に同じほどの人気を誇っていた為尚が架純に嫉妬していた。架純を邪魔に思う尚は高い報酬をチンピラにちらつかせ、彼女の顔に傷をつけるよう依頼した。ところがチンピラの中に架純のファンが何人かいた為、激怒した数人が尚を拉致して海に突き落とした。その日その海に撮影に来ていた架純が尚を助けようとしたが、二人とも溺死してしまったという。
今回の活動の御礼として春仁は『底の域』へ、乃愛は『狭間駅』へ『満月堂』の最中を持っていった。だけでなく、両者行き先の駅長にそれを御馳走になっている。互いの駅長室で、お茶の時間が始まっていた。『春仁くんが乗客が偽物だと勘づいた決め手は、どの辺りですか?』『階段……をですね、二段ずつとばしで上がって来られた辺り、ですね』『ほう……ほぼ、頭からですね……ん、ぐ』最中を頬張りながらもカゼナリは、品性を崩さない。 何を食しても穏やかな顔立ちはそのままなカゼナリは『甘味美人』と云っても過言ではない。
『狭間駅』の駅長室でも、その件で盛り上がっていた。『あたしはリストを見たときから、嫌な予感がしてたっす。あたしも元悪人で、あの女だって現悪人っすから』『へえっ……犯罪の匂い、ってやつかしら?』『はむ……美味っ……そう、匂いっすよ』春仁と乃愛は対称的でいて、同じ質に意識していた。春仁が勘づいた点。『天国に行かれるか方が階段の二段とばしをされるのか、と不思議でしたし。もう一つは匂いです』乃愛が勘づいた点。『リストからは濃い化粧臭さが有ったのに、現れた乗客はナチュラルな化粧臭さだけだったっすよ』両者かなり冴えている。何より両者が乗客の入れ替わりを見抜いた部分は、駅での振る舞い方。行動を見れば生前の過ごし方が分かるものだ。つまり結論を云えば……。『『本物が偽物に負けるわけ……』』……『ないっす』『ありません』だ。そして同時に二人の乗客を『毛虫』や『化粧臭さ』で足止めしていた『アシドメリュウ』と、自身が地獄に行く覚悟を背負っていた架純には、頭が下がる。正しい行いはやはり無敵なのかもしれない。(二話目『本物と偽物』)でした。
『天国号』の車内には今日も『天国』へと向かう乗客が既に何人か乗車している。車内には様々な職業を担っていた人達がいて、人数と同じくらいのしがらみも存在しているだろう。それぞれ異なる客層を感じ、春仁は『本日の乗客リスト』を確認しながら車内にいる乗客とを照らし合わせていく。車掌を始めたばかりの頃は乗客を見ただけで人生を読む解く事は出来ずにいたが、今は何となくの範囲内で魂から人生の片鱗が分かるようになっている。(微かな感覚だけど、御客様達が歩んで来られた過去の道のりが見え隠れされている。幸せな人生もあれば、そうではない人生もある。よく人生について語られている本を読むけど、辛さ半分、幸せ半分なんていう文書を目にする……だけど……)生前春仁は『人生』をテーマにした難しそうな本を読んだ経験が何度かあった。最もらしい文面が綴られているその中に幸せも悲しみも同じくらい、と云った感じの文面がお決まりのように書かれていたのだ。(僕が思うに幸せより、悲しい事や嫌な事の方が多くあるような気がする。僕がひねくれてるせいかな?)生前春仁の身の回りで必ず自身に悪態をつく相手が表れていたのだが、相手は春仁にだけそういう態度をとり他者に対しては友好的な姿を見せていた。その為春仁は少しずつ歪んでいき、悪態をつく相手ばかりが人気者になっていったのだ。唯一二十代の時くらいだろうか、ある人物のおかげでたのしい人生を過ごせたのだ。(あの方のおかげで幸せがほんの僅かでも大きい物だと感じられたんだな……)春仁幸せを膨らませてくれた『あの方』の姿が思い浮かんだ。(幸せの方が少なくとも、印象の強い本当の意味で『幸せ』を噛み締めていた人生を過ごせたんだ……でも、やっぱり……)心に思う事の続きを春仁は呟く。『半分くらい、あってもよかったと思うな……』車掌室に戻ると、つい独り言を吐いてしまう。車内を巡回している際には充分独り言には注意してはいても、単独となると気が緩んでしまうのが難点。(駄目だ……こんなんじゃ、駄目だ!愚痴を溢すなんて、人としてあるまじき行為だ!)自身が嫌になった時は、いつも基の姿を思い浮かべるようにしている。もし基が今の春仁を見たら、なんて云うだろうか。正確には割り出せないが、好ましく思われないのは確かだ。(車掌として、人として……心の姿勢を正さねば……!)基を見習い、心の緩みを引き締め、改めて『本日の乗客リスト』を確認する。リストに記載されている乗客の名から伝わる脳内イメージと、実際に乗車している乗客との合点を浮かべる。現時点でどの乗客にも質にズレは感じられない。(発車時刻の制限まではまだ時間がある。御客様が全員揃うのを見計らい次第、再度確認を行おう)『天国号』の発車は日没直前と決まっている。まだ今は午前なので、乗客が全員乗車するまでたっぷりと時間はあるわけだ。(今日一日相手の方には見えずとも、大事な方と過ごされている時間を楽しまれているだろう)リストの名からその人、その人の人生が描かれる時間を噛み締めるのが、春仁の小さな楽しみである。まるで小説を読んでいるような気分になり、羽根のような細やかな柔らかさを感じられる。(って……御客様の人生を垣間見るなんて、無礼だったかな?車掌として失敬だよな、これじゃ)気を取り直して『本日の乗客リスト』へ視線を移す。『?』え?という感じの表情に変わる春仁。『え?あ……れ?』自然な独り言が出てきた。不思議な事に無いのだ。乗客一名の名前が。数え間違いなどしていない。何より間違いではないという自信は、リストの用紙の幅を基準にしている為乗客の名前一名分の目分量を把握している事から来ている。(これは、御客様である魂が仮死状態の可能性がある)魂は、生と死の境界線をさ迷う間どちらの世界を選ぶべきなのかを考えてしまう為、リストに記載される名前が間隔を開けて点滅する時がある。(でも……この気配は、違う気が……する。上手く云えないけど、この御客様は……こちら側と、『生の世界』ではない別の場所に、行ってるようにも、思えるんだけど……)どうにも上手く表現出来ない。『空先案内人』を勤めていると、予期せぬ特殊な事案が発生する。研修を受けていた時期では、表向きの業務や、時には異例な出来事が起きる場合があるという内容のみを学んでいただけ。異例な出来事ならではの、詳しい事案と云われても……まずベテランの『空先案内人』でさえも思い付かないだろう。(駅長さんに相談……)困り事は一先ず上の者。基本なのだが、設置されている業務用の電話機を取ろうとした手がピタリ、と停止する。(もし基さんだったら、こんな時は、一人で解決法を練ると思う)春仁の中にある基への印象だと、どんなに不透明な事案でも考えを必死に働かせて突破口を見付けるような行動をとる人物。実際そうなのだろう。この『狭間駅』を去っていった今も基は『伝説の空先案内人』として名を残しているのだから。(自力でヒントを見付けるんだ!次に再度御客様の名前が浮かび上がれば、気配を読み込んで見せる!)先程記載されていた乗客の名前があった空白部分を、春仁の強い眼差しが向けられる。『あ……名、前が』予想は当たった。先程と同じ乗客の名前が浮かび上がった。(『光葉英様……名前から見え隠れしている気配からして、この方は……)春仁が見詰める名前に、重なる形で別の文字が浮かび上がる。その文字こそが乗客である『光葉英』の質だ。(えっ……と……光葉英さん、生前での職業……『映画弁士……』)その職業の名を思い浮かべた春仁に、強い反応が見られる。(あの方と、同じ職業……)春仁が二十代の頃に出会った、心の恩人と同じ職業の乗客。その事でこの乗客の情報を追及しようと、更にリストの文字の奥を見通そうと試みた。(声……は……この御客様、光葉英様はどんな質の声?)名前の向こう側に在るであろう『声』の印象を探る春仁からは、必死の念が溢れてきている。(声……!)ー……ー『っ……!』遠いながらも聞こえたらその声は、春仁が二十代の頃に出会った心の恩人だった。春仁とその人物が出会ったのは、町の小さな劇場。近所に住む同じ年の元学友(友人ではない)が苦痛である日、何気無く入った劇場で無声映画を観覧した。その映像に入っていた声を聴いた春仁は何故か、声の主が自身に語りかけていた気がしたのだ。上映後の舞台挨拶で映像の撮影者や映像に声を入れた者が現れた。声を入れた人物こそ、『映画弁士』の『光葉英』だったというわけだ。英の穏やかな姿と声が自然にしっくりときており、それだけの事で春仁は英のファンになった。その日を境に春仁の日課は劇場へ足を運び、英が声を入れている無声映画を観覧する事になっていた。それが続いたある日、春仁は英に声をかけられた。ー君はよく劇場に赴いてくれるね。映像を観る君の姿を目に映していると、私の心の汚れた部分が浄化していくようだよ……いつも、ありがとうー声をかけられ喜びを感じたが、緊張のあまり話す事が出来ずにいた。(あの方のおかげで僕の暗い人生に光が生まれたんだ!そうか……あの方がここへ来られる……でも、どうして?)心の恩人の名前を知る事が出来、その人物が間もなく訪れる。至福を感じたが、疑問も感じた。(御名前が時折消える事、そして何故今が『あの世』に行かれる時期、なのか?)不可思議な現象は、春仁を悩ませる。
実はその現象が起きていたのは、『底の域』でも同じだった。乃愛が手にしている『本日の乗客リスト』にも、『光葉英』の名前が間隔を開けて点滅している。何度も繰り返されている現象だが、乃愛には原因は分かっている。(これ、『自己対立』してるっす……。多分向こうでも起きてる……)車掌室にて乗客待ちをしている乃愛は、業務用電話機をチラリと目に入れた。連絡を考えたが、その考えは彼女自身で覆した。(あの人なら、多分自力で解決するっす。だってあの人はあたしが……)『本人の意志に任せるのが懸命ですよね』『!』車掌室の外側から駅長のカゼナリが言葉を繋げた。乃愛の心境を察していたカゼナリには、互いの為に彼女の考え理解を示す。何もかも悟っているその眼差しは、映す相手の身動きを封じるかのよう。敵に廻したくない人物。『駅長の申す通り、あの人本人の意思で動くのを信じるっす!あの人は強い人……っすから!』カゼナリが乃愛の心を見通したように、乃愛も
『あの人』の強さを信じている。リストの乗客の名前を見詰め、乃愛は結果が良いものになると心から思えているのだ。
春仁の心に英の名前を通して、声が伝わる。遠く近く響く、生前の声。ー……めんよ。助け……れなくて……助けなくて……めん!ー声に合わせて、英が見ていた過去の映像が『無声映画』を思わせる色合いで浮かび上がった。『これ……って?』春仁の口から小さな叫び声が零れた。『なん……で?』リストを持つ手に力が入り、それが握り潰される。浮かび上がった映像には、春仁が近所の悪童達に絡まれている様子だった。映像は流れる動きで残像となり、逃げるように消えていった。つまり、英が春仁の苦しむ姿を見ておきながら、立ち去って行った……という事になる。目の前にある英の文字が歪んだ。憧れていた人への感情が形を変え、突き刺すほどの苦痛へと変わり始める。春仁への詫びの言葉が何度も心に流れ込む。『ごめんよ……』『えっ?』機械的な声から生身の声に変化した。春仁が振り向いた先に、魂と化した英が佇んでいる。英の顔には表情が分からないほどの影がかかり、彼自身後悔を背負っている事が読み取れる。凍り付いた春仁を見詰めているのだろうか、英の顔は彼の方を向いている。『君がからまれている時、相手の方が年下だったというのに複数が怖くて自分は逃げてしまった……劇場では自分勝手に話しかけておいて、本当に身勝手な行為だった』車掌室の窓を隔てて向かい合う車掌と元映画弁士。窓越しに見える英の姿は、『無声映画』の中の人に見える。それに合わせているかどうかは定かではないが、丁度その時、リストの英の名前から彼の心の呟きが流れてきた。ー君を見放した後何年かして、私は病に倒れ一生を終えた。夢のお告げで『天国』か『地獄』かを決めるよう云われたー窓を隔てた向こうで英が表情を変えた気がした。ー決めていた、『地獄』へ行くと。行く前に君に謝罪しようと何年も探し続け、今までかかっていた……向かう先は自動的に両方選べるよう、道が作られていた。けど……ー『行き先は地獄のみだ』名前から出てくる声に続いて、今度は英から伝えられる。『あの時君を見離して、心から後悔している……許されない事を承知で云う。済まなかった……ね!』『!』英の表情がはっきりと見えた。涙を流し、心の底から春仁に謝罪している。涙に濡れた姿で身を翻す英を、車掌室から飛び出した春仁が追いかける。『英さ……ん!』春仁の両腕が英にしがみつき、強く引き留めた。『僕なら……もう、平……気です。もう少し……もう少しだけ……こうしていて下さい……!』辛かった心を救ってくれた、暗闇から光へと出してくれた恩人。ー僕の将来の夢は、『映画弁士』になる事だよ!ー春仁が家族に夢を語れるようになったのは、英がいたから。『僕の心の……恩……人』春仁が英を抱き締める姿を列車の中から乗客達が、駅長室からソラヅルが、まるで『無声映画』を観ているような気持ちで暫く見守っていた。(頑張って許せたわね……それでこそ『狭間駅』の車掌だわ)小さな駅は暫くの間、劇場へと姿を変えた。(三話目『夢劇場』)でした。
「マリー、もしもマリーが『天国』に出かける時は、道に迷わなくても大丈夫なようにこの鈴の音を鳴らすから、音をたどって進んでいけば良いよ」そう言うと少年は笑いながら、マリーが大事にしていた銀色の鈴を鳴らしてみせた。鈴は色と同じような銀の音色を奏で、マリーの心を安心させた。鈴の音色は云う。ーこの音色が貴女の進む道のりだから、音色を追いかけて来てねー……と。ーチリ……ンー銀色の音色が風のように響き、記憶の遠い場所で儚く消えた。
『う……む……今日の御客様もまた、色んなしがらみを背負われている方が沢山いらっしゃる。始まりから終わりまでそれぞれにドラマがあり、涙無しでは語れない人生を送られている……!』『本日の乗客リスト』の乗客達の名前からイメージを受けとめ、その一つ一つに『人生』を感じて感動する春仁。本来ならばリストから乗客の『質』を見極めて、車内に居る乗客と照らし合わせる事が目的とする作業なのだが、春仁のリストの読み方は個性的。記載されてある乗客の名前を読み込み、魂が誕生した瞬間から幕が閉じるまでを垣間見る。(御客様各々が過ごしておられた日々は、どの方も素晴らしい!この方……は、マリー様?異国の方でしょうか?)ーバサ……ッ!ーリストに気になる乗客の名前があり、その名前『マリー』と記された文字を読み解こうとしたその時、声とは異なる激しい音が脳内へと入り込んだ。(この音は……鳥が羽ばたく時の音?)再度名前を読み解こうとする。ーバサッ!ー『は……っ!』一度目に耳にした音よりも、激しい物になっている。荒々しい音には驚いたが、春仁はどうやらその音は鳥の翼……それも鳩が羽ばたく時の音だと分かった。『鳩……へぇ……っ!』名前があると云う事は飼われていた鳩で、もしかすると伝書鳩かもしれないと春仁は考える。(リストに記載されてある御客様で、まだ御乗車されていないのはマリー様のみだ。まだ時間にゆとりはあるから、ゆっくり待とう)懐中時計を確認して時間を待つ春仁。車掌室の窓から駅の階段を見詰め、乗客のマリーが到着するのを待ち始めた。『車掌さん、お疲れ様です』『!』窓の外から整備士の保が顔をだし、春仁に声をかけた。『ああ……保さん、お疲れ様です。今日はまた、随分深い所まで手をかけていらっしゃったんですね』保の整備士としての働きぶりは、駅長のソラヅルも頭が下がるほど。この日も保の作業着や頬には機械油で汚れている。『いえいえ、ほんの少しばかりですね、手を加えただけです。』保の『ほんの少し』とは、ほぼ完全状態の事を云う。謙虚で、仕事が早い。『ところでですね、『予備の天国号』のですね、歯車の軋みをですね、調整しておきましたです』『あ、はい。ありがとうございます、お疲れ様です!』にこやかに一礼をする春仁から、保は何かを感じ取った。雰囲気がかなり良いので、任務中でも許せる範囲内で会話を始める。『今日はまた、一段とですね、ご機嫌ですね』『あ……分かりますか?保さんは敏感ですね』整備士なだけあって、細かい部分によく気が付く性分。『実は今日僕が好きな鳥、種類は鳩……で御名前が『マリー』様とおっしゃる御客様が御乗車されるんですよ』鳥が好きな春仁にとって、この日の乗客はとても楽しみ。マリーが駅に到着するのを今か今かとワクワクしながら待っているわけだ。『あ、そうだ!保さんは整備士ですから聴覚に優れていますよね』『そうですね、まだまだですね、青いですがね、『音』を聞き分けるのには自信がありますね』車掌室から出てきた春仁の手には『本日の乗客リスト』がある。『保さんも聴いてみてください。『マリー様』が羽ばたかれる翼の音が、実に爽やかなんですよ』『生き物が出す『音』というモノにはですね、生命が叫び声を上げているかのようにですね、強さが込めらているんですよね。是非ともですね、小耳に挟みたいものですね』保の表情にも無邪気な感じが現れてきて、『本日の乗客リスト』に記載されてある『マリー』の名前に意識を集中させていく。どうやら二人とも似た部分があるようだ。ーパサ……ッ!ー鳩は身近でありふれている鳥だが、リストに記された文字から垣間見ると強い印象を受けるものだ。『力強い羽ばたきの音でしょう?まるでラジオドラマを視聴しているみたいですよね』紙で出来た乗客リストでも、春仁から思えば持ち運べる音声ドラマにだって変身する。保の表情が難しいモノとなり、『音』を楽しんでいるようには思えない。視聴に聞き入っている、ようでもなさそうだ。『保……さん?どうされました?』『車掌さん、この乗客リストにですね、羽ばたきの音の他にもですね、別の音がですね、聞こえてきますです』『え?別の……音が?』『はいです』『ん―……』春仁は神経を研ぎ澄ませ翼の音の向こうにあるであろう『別の音』とやらを探ろうと心の耳を澄ませてみる。(別の音……一体何の音なんだろうか……)読み解けない。どんなに集中力を高めても、保が云うような『別の音』の正体を掴める事はかなり難しい。『保さん、読み解けました?』『あのですね、いつもはですね、即座に聞き分ける事が出来るのですが……何故だかですね、聞き取れませんです』『保さんでも御無理なんですね。まあ、一先ず『マリー様』を待つ事にしましょうか』『それが賢明ですね、はいです』二人とも、車掌としても、整備士としてもまだ未熟者である自身に対して悔しい気持ちでいっぱい。『実際に『マリー様』と直接お会いすれば、『音』についても判明すると思いますし……保さんはどうされます?』整備士としての業務は完了したのだから、帰宅しても構わないのだ。だけどそこはプライドが許せない。『車掌さん、自分もですね、『マリー様』を御待ちしましてですね、『音』を読み解けずにいます理由をですね、知りたいわけです』同じだ。役目を担う者だからこそ、突破出来ずにいる自身が鍵を掴みたいのだろう。このままではモヤモヤしてどうしようもない。『それにしても遅い……時間はあるんですが、来られる途中で迷われているのでは?』入り口に通じている階段からはまだ姿は見えない。『ここまでの道が分からないとなると、『マリー様』はどちらに?』『不可思議な事案ですがね、魂は自然にですね、『狭間駅』にですね、到着しますです』『ですよね……あっ!『マリー様』が……』駅のプラットホームへと続く階段から、ようやくマリーが訪れた。白い翼を左右対称に広げ、『天国号』に向かって来る様子は、『幸福の象徴』という響きによく合っている。『御待ちしていました。慌てずゆっくり、御乗車……え?』『あれ?』『どうされました?『マリー様⁉』』奇妙な出来事が、二人の目の前で起きた。列車を目指して翔んでいたマリーが、何故か突然踵を返したのだ。『狭間駅』から離れていくマリーを、春仁も保も呆然とした顔で眺めていた。『え?え?この現象はどういう事なのか?』
天国へ行く事が決定している魂が、行くべきルートを外れるなんて有り得ない。ない筈なのに、実際にそれが起きてしまっている。二人が何も出来ずにいるそこへ、再び先程去って行ったマリーが階段から跳んで来た。『来ましたですね。はい』『心のお忘れ物が御座いましたのですね。急がずゆっくり、羽ばたき乗車は危険ですので……』そして飛び去るマリー。列車に乗車するのかと思い、戻って駅から外れて行く。乗り込むような仕草を匂わせ、また列車から離れて戻る。魂が乗車拒否など、未だかつて例に見ない事だ。『このままだと『マリー様』は永遠にあの世に行けず、魂のまま一人歩きを続けてしまう……どうすれば……!』そもそもマリーが何ゆえ同じルートを飛び続けているかが、どうしても読み解けない。『今日中に御案内しないと日が暮れて……』春仁が太陽の位置を確認すると、空の一点でアシドメリュウが佇んでいる姿が目に入った。『アシドメリュウ……どうしてマリー様を……』『怯えている『音』がですね、アシドメリュウからしますね。はい』保の一言から一つの案が浮かんだ。『……保さん、確か列車以外にも整備や改造が出来ましたよね?』『え?』突然過ぎる問いかけに保は唖然とする。『ええ……機械でしたらだいたいの物はですね、手を付ける事がですね、出来ますね』何やら無関係の質問だと思いがちだが、春仁には突破口があるような気がするのだ。『今、即席でこの懐中時計を改造出来ませんか?次にマリー様が現れる迄に、急ですがお願い出来ます?』『普段より手を速く動かせばですね、出来ない事はありませんですね。それでですね、どのような仕組みにしましょうか?』階段に視線を向けて、マリーが姿を見せないかを確かめながら春仁は改造内容を告げる。『同じ空間の時間に、少しのズレを生じさせるからくりなんですが……出来ますでしょうか?』『んむ……難易度は高いですがね、挑戦してみましょうです』物理的に不可能な考えだが、保の腕を持てば不可能な事も可能に思えるのだ。(車掌さんは時折ですね、突拍子のない事を考えられますね……ですが……)素早く工具を出し、春仁の懐中時計を改造し始める。修理室での作業とは異なりプラットホームで作業を、それも困難に近い依頼改造なんて、保には初の働き方だ。『そういうところが、好きですね。はい』駅の階段、空に佇むアシドメリュウ。二つの場所を交互に見詰め、春仁の脳内では次の動きをシミュレーションしている。(もし僕の考えが正解ならば、今起きているループ現象を突破出来る!)ーバサッ……!ー階段の下側から、羽ばたきの音が聞こえた。マリーが来る。工具を置き、改造した懐中時計を春仁の手に渡す保。『改造、完了しましたです』『ありがとうございます!』懐中時計を手に春仁の足は、マリーが踵を返す寸前の位置へと向かって行く。(どうか……勘が当たりでありますように!)マリーとの距離が縮まる。春仁は懐中時計のぜんまいを、微調節し廻した。(ほんの少しだけ時間を……!)春仁とマリーが目と鼻の先まで近付く。狙い通りの配置だ。(ずらす!)懐中時計の秒針が、僅かに歪みを生み出した。ー鈴の音をたどるんだよー『『!』』ーチリ……ン!ー今隠されていた『別の音』の正体がはっきり解明出来た。マリーは再び姿を消したが、解決させる策は見付け出せた。『もう一つですが、業務用電話機の改造もお願いしますでしょうか?』『はいです。お任せ下さいませです』二人は車掌室に入り、保は手早く室内に設置されてある業務用電話機の改造を始める。マリーが何度も姿を消す理由が分かった為、改造内容は見通せている。そして今度はマリーが駅を訪れる前に、改造しないと行動が活かされない。業務用電話機を改造する保の傍らで、春仁は階段に視線を向けている。(今はまだ、向こうに居てて……アシドメリュウ、ずっと耐えていたんだね。もう少しの辛抱だよ)保の働く手が、止まった。『改造完了しましたです。はい』『たて続けにありがとうございます!』保に一礼すると、春仁は急いで業務用電話機の受話器を取った。(裏声話術、よし!)
現実世界のとある家を目指して、マリーは翔んでいく。二階のベランダでマリーを待つ少年、シンは腕を伸ばしマリーを停まらせた。シンの手には、銀色の鈴が握られている。シンは部屋に入るとベランダのサッシを閉め、物事が上手くいっている事に喜びを感じる。「おかえり。何度向こうに行ったって、その度に呼び戻すよ」マリーの飼い主シンは、強い霊感の持ち主だ。マリーが一生を終えた時別れたくないと、あの世の仕組みを調べ『竜避けの鈴』についての知識も、とりいれた。シンはまだ七歳と、別れを経験するには幼すぎる年齢。でも、だからと云ってシンの行動はあまりに軽率なものだ。このままではマリーは成仏出来ないうえ、シンの為にもならない。『シンくん、ワタシもう向こうに行きたい。行かせて?』マリーが言葉を話す。シンは小さく驚き、マリーを見詰める。「マリー……それって、本気?ボクはイヤだよ」驚きはしたものの、返答する。魂と化しているからか、恐怖心はわいてこない。『ワタシだって別れるのは辛いわ』「じゃあ、このままずっと、いようよ!」シンが抱くマリーへの執着心は強いもので、別れるといった選択肢はないようだ。マリーが向こうに連れて行かれないよう、羽ばたきの音でシンの声と鈴の音色を隠す方法を思い付いた。鈴の音色を隠す事で、アシドメリュウがマリーに近付かない理由が不明になるよう仕組んでいた。そこまで考え動いていた事が全て無駄になる。『ごめんね。ずっといたいけど、ワタシはこのままこの世にいたら成仏出来ないわ。そしたらシンくんは、その罰を受けて天国とは違う所に連れて行かれる……だからね、ここでお別れ』マリーはシンの腕に留まったまま、首だけを細かく動かしている。「マリー、もう少しだけいたい」シンが鈴の音を鳴らすと、マリーは反応を示した。「夕陽が沈む前まで……列車が出発する前には放すから、それまでここにいてて」シンは本当はこうなる事は分かっていた。別れはいつか来るものだと分かっていたが、いざその日が来ると受け入れられなかったのだ。『今だけ、ちょっとのお別れ』「いつか向こうで会おうね!さよなら!」
シンが手にしていた銀色の鈴は、マリーの脚に付けられていた。ーチリ……ン!ー
今度こそ列車に乗車出来たマリーを見て、アシドメリュウは安心したかのように翔び去り、次に足止めをするべく魂を探しに行った。
『では、参ります』『お気を付けて下さいませです』春仁が一礼すると、保も一礼し列車の扉が閉まった。『皆様、御待たせ致しました。この列車は天国へと参ります。そして耳を御澄まし下さいませ……本日、空では美しい音色が響いております』ーパアアアアアアアッ……チリ……ン!ー発車ベルと銀色の鈴が混ざり合い、見事な二重奏が奏でられた。(四話目『道標の鈴』)でした。
遠い日の光景が甦り、自身はあの日の姿へと戻っていた。見慣れた場所を歩いているが、胸の内側から感じられる痛みには慣れる事はない。この痛みの正体……棘だ。先が反り返り外そうとすればするほどに体を抉り外す事が出来ずにいる。((ああああ……ぐっ!))激しい痛みが頭から足まで走り抜け、苦痛の地獄から抜け出せない。この苦しみから逃げ出したい……終わりのない暗闇から解放されたい!<春仁くんっあっそびましょ!>『は……っ!』苦しみが限界を迎えた時、ようやく春仁は悪夢から覚めた。
<私の顔……こんな風になったのよ……!>『ううっ!』罪悪感に押し潰されながら乃愛は目覚めたが、未だ闇から出られない。
この日、それぞれの駅係員での特別企画が行われていた。企画の内容だが『狭間駅』の車掌が『底の域』へ赴き、『底の域』の車掌が『狭間駅』へ赴き、互いの車掌体験を学ぶという交流会のような物だ。いつもと違う管轄での車掌を勤めるのは新鮮であり、未知の世界を知る感覚に陥ってしまう。『狭間駅』に到着した乃愛の胸のうちは地に足がつかないような、そんな感情。『本日、こちらで車掌体験をさせて頂く平乃愛っす!宜しくっす!』駅係員室内いっぱいに、乃愛の気合が入った声が空気を良い意味で換えてくれた。乃愛の手前に並ぶ駅長のソラヅルと整備士の保が穏やかな表情を浮かべ、乃愛の気合に答えた。『駅長のソラヅルです。今日一日、宜しくっすね!』『整備士のですね、保っす。です』ノリの良い駅係員達のおかげでさい先の良い始まりになりそうな気がした。実は乃愛は、今朝見た夢が胸につかえて、ここに到着するまで憂鬱だった。『狭間駅』の駅係員達に入室してから、思い気持ちは消えていた。『向こうでの車掌作業とそんなに大差は無いから、乃愛さんの思うように業務を進めてくれれば良いのよ。特殊事案や他にも改善したいと思う点がある場合には、車内車掌室にある業務用電話機で知らせて頂戴。まあ、こんなところかしら?』『運転時に機械のトラブルが発生したらですね、『緊急事態の歯車』を廻して下されば駆け付けますです』保の言葉には機械的な響きがよく似合う。風変わりな単語でも、ベテラン車掌の乃愛には聞いた瞬間意味が理解出来るのだ。『助かるっす!整備士さんの言った意味って『精神での歯車』って意味っすよね。つまりは念じろって事つすね』『正解です……理解力がありますですね』『以心伝心ってやつっすよ。あっちの駅長とは、『かくかくしかじか』のやり取りで通じ合う関係っすから』一言で通じるなら話は早い。地低での空間を移動する役割でやっていけるのだから、天空でならば、なおのこと作業はこなせるというものだ。『それじゃあ、車掌にとっての必須アイテムであるこれ……乗客リストを渡すわね。この辺りの手順は、『底(の(域』でも類似してるわよね?』『本日の乗客リスト』を手渡すソラヅルと、いつも乃愛に乗客リストを手渡すカゼナリの姿が、不思議と重なって見える。物を渡す所在が、同じ『質』であるかのように、乃愛には思えてならないのだ。『一日車掌さん、精神の歯車がですね、廻りだしましたです。何かにですね、気付かれた感じがしますですね』保の聴覚は心の『音』にも敏感。駅係員は皆何故だか鋭い人が集まる気がしてきた。『ちょっと思ったんすけど、駅長さんって、あっちの駅長と仕草とかが、似てるっすね。やっぱり駅長だと似てくんすっかね』何気無く口にした言葉に、ソラヅルは普通に答えた。『ああ……それね、似た者夫婦だからだわ』『!』『あ、一日車掌の歯車がですね、停止しましたですね』かなり凄い事実を告げている事にソラヅルは気付いていない。保は保で真顔で佇む。『夫婦は知らない間に似るのよね。はい、これ『本日の乗客リスト』よ。宜しくね』『一日奮闘して下さいです』あれよあれよと言う間にも物事は進んでいく。乃愛だけは脳が追い付いていかない。(え?これ……驚いてんのあたしだけ?え?夫婦?え?)『一日車掌さん、車掌室にですね、行きましょうです。あちこち機械テストをですね、やりたいです』『あ、行くっすね』途方にくれている場合ではない。気を取り直して気持ちを再生すると、いつもの車掌としての精神的な部分が現れてくる。空間は違えど業務内容としては、同じ物だ。『さあ……夫婦の件は後で聞くっす。今は、車掌の業務を行う事っす……』リストを開いた乃愛の眼差しに、真っ黒い闇が落とされた。(この乗客の名前……これ、もしかしたら……)濃厚な油汗が乃愛の額から流れ落ちた。心が、脳が闇に沈んでいく。乃愛が今居る場所が急に遠ざかり、違う場所に居るような感覚が体内を駆け抜けて行った。プラットホームへ向かうと、列車が停止している。出発前の車内には、何人かの乗客が見えた。乃愛は恐る恐る車両に乗り込み、巡回を始めた。『本日の乗客リスト』の乗客の名前と、車内で出発を待っている乗客との『質』を照らし合わせ人数が合っているかを確認していく。(どうかこの乗客が同姓同名の別人であるように……)
車内を歩く時間がやけに長く思えてしまう。『もしもし、ちょっと宜しいでしょうか?車掌さん』乃愛へ声をかける女性の乗客。女性からは微かに香水の香りがしている。『はい、どうしたっすか?』乃愛は座席に座り発車を待っている乗客の女性の方へと目線を向け、女性も乃愛の顔をまっすぐ確かめるように見詰めている。『『!』』両者、覚えのある姿に強い反応を示した。『ああ!やっぱり車掌さん、あの時の……!』乃愛は唇を一文字に結び、逃げ場の無い空間に立ち尽くす。<私の顔を……返してちょうだい!>狭
い車両の中が、一段と狭い物と化していた。彼女達の間にある距離感に、居心地の悪さが生じる。
苦しい夢を見てしまったせいで、春仁は目覚めた時から気持ちが重くてどうしようもない。『底の域』での朝礼を行っている際も、その気持ちを引き摺り顔色が冴えない。個人的な思いは業務の妨げになる事を重々承知ではあるが、魂とは云え所詮は人間。耐えられない感情に潰されそうになる時だってある。(朝から気持ちが重い……だけど、それを顔に出すなんて良くないよな)自身に言い聞かせ駅長のカゼナリが話している内容を頭に入れようとするが、この沈んだ気持ちのせいか彼の声が聞こえてこない。まるで無声映画を視聴しているかのような空間に、置いてきぼりをくらっている感じがする。(こんなんじゃ駄目だ!きちんと駅長であるカゼナリさんの話を頭に入れないと、困り事が在った場合対処出来ない……!)意識をカゼナリの話に向
けようとする。(カゼナリさんの、駅長さんの話を……聞かないと……あれ?変、だな?声が……?)聞こえてこないのだ。どんなに耳を澄ませても、カゼナリが話している言葉が聞こえない。何かが自身の中で起きている……未体験の不安が春仁の脳裏を過る。『そう、深刻にならないで下さい。これ、ほんのイタズラですので』突然カゼナリの声が、はっきり耳に入った。カゼナリの目を見ると、少しばかり済まなそうにしている様子が分かった。『すみませんね。貴方の困り顔を見ていると、ついつい遊び心が疼いてくるんですよ。やり過ぎましたね……後程反省文を作成して、貴方に提出致しますね』真剣に謝罪の言葉を口にするカゼナリに対して、春仁はつい笑いが零れた。『ぷ……はっ!』それまで沈んでいた気持ちが軽くなり、気持ちが解れてきた。そればかりか年上のカゼナリを可愛らしいとさえ思えてきた。この心地好さはソラヅルといる時に感じる感情と似ている。『駅長さん、反省文は僕の心に刻まれました。ありがとうございます』『それは何よりです。さあ、それでは本日の一日車掌体験を楽しんでくださいね!』『はい!それでは乗客リストを頂いて、配置につきます』『あ、ソレなんですけどね……本日特別企画という事でして、御客様御自身が『本日の乗客リスト』とお考え頂きたいんです』カゼナリが珍しい提案を下す。よく理解が出来ずずに春仁から質問がなされた。『……御客様御自身とは、どういった意味でしょうか?』『つまりですね、いつものようなリストから御客様の『質』を見極めるスタイルではなく、情報なしでの状態のまま車内におられる御客様を目にしてお人柄を見抜いて欲しい……というわけです』『リスト無しで……なるほど、御客様の一つ一つの所作を見る……との事ですね。この形式、良い経験になりそうです』面白い提案を聞いて、春仁の興味が育ち始めた。過去にそういった形式で業務を行っていた事はない為、新しい動き方を学べそうな気がしてきた。『どうです?この業務方法、遊び心があるでしょう?』カゼナリの思い付きは無邪気な少年のように弾けている。個性的な遊び心は春仁のトキメキを芽生えさせた。『全くその通りですね。遊び心が溢れた業務内容には、胸が踊ります』『はい!気持ちが弾んできたところで、本日の一日車掌体験悔いなく楽しんで頂きたいです』『はい!本日も御安全に車掌としての働きを見せます!』爽やかな言葉を交わし、彼らはそれぞれのポジションに着いた。(朝礼の時のカゼナリさんの口パク、金魚みたいだったな。ああいう所は、『狭間駅』の駅長さんとそっくりだな)小さく笑いを含みながら春仁が列車に乗り込むと、男性の乗客が一人乗車していた。『底国号』は地獄行きの列車なので、乗客への対応の悪さから座席は一切な無し。ひどい時には罪人達のすし詰め状態になる日も在るので、この列車の事を地獄にいる罪人達は『走るダストボックス』と呼んでいる。車内にみられる乗客は、男性のみだ。初老の男性はただ一人、車内の壁に寄り添う形で空間に視線を向けている。(あちらの御客様の『質』……視えた!)男性の乗客に意識を向けていると、まるで乗客リストを確認している時と同じ感覚がしてくる。初めて乗客リストを持たずに試みた事が成功し、文字の無い当たりくじを引き当てた気分になっている。『本日の御客様、筒尾真咲様……で御座いますね』春仁が歩み寄り語りかけると、男性の乗客はゆっくりと顔を向け儚げな雰囲気を漂わせた。とてもではないが、地獄へ行くような感じは微塵も見受けられない。『はい、筒尾真咲です。この度は人として許せない重罪を犯しました故に、地獄行きの刑を受ける事となった所存で御座います』物寂しい雰囲気が伝わる車内で、春仁の心はツギハギの感情にくるまれていく。この男性、真咲の姿と地獄とではどうにも匹敵しないのだ。(この御客様が犯した罪、犯した日の時間が遠すぎて見えないけど……かなり深いな)真咲が背背負っている罪の深さを読み解ききれずにいるものの、心から後悔している事は伝わってくる。『車掌さん、重く深い罪を犯しておきながらなんですが、地獄へ行くまでに一つだけお願いが在ります』真咲は無理なく姿勢を正し、春仁を真っ直ぐ見詰める。『はい、どのようなお願いでしょうか?』
『狭間駅』では保が機械室にて内部の微調整を行っている。『空国号』の部品のメンテナンス等の作業の他に、機械に関する様々な働きを担う事に誇りを持っている。機械の内部を整備する手付きは、まさに『職人技』とも言える。内部配線を通る部品を細かく確認していき、動きが正確に連動するかどうかをちくいち報告しなければいけない。回転の速度、ネジの強度、一つたりとも不具合は許されないのだ。(今日も歯車は回転が、良いですね)速すぎず、遅すぎずの歯車の回転が好ましい保は、それを眺めていると思い出す事がある。対の歯車……あの歯車をあの方々は、どうされてるでしょうかね?)保の記憶には二枚の歯車が廻っている。それは今より保が若い時の、もう何十年も前の出来事……話の始まりは、二人の魂との出合いだった。二人はどうやら間違って『狭間駅』に『仮到着』してしまったようだ。本来、来ない魂がこの場所に到着する事案を『仮到着』と呼ぶ。『もしかしますとですね、臨死体験かもしれませんです。はい』二人に声をかけた保は手にしている歯車をそれぞれに差し出すと、人指し指を口元に持っていき囁いた。『『石積みの刑』の番人に見付からないようですね、この歯車を廻してお帰り下さいです』『『?』』歯車を受け取った二人の表情を見ると、疑問と不安が共同している。『左に廻しますとですね、こちらに『仮到着』する直前に戻りましてですね、右に廻しますと
……』云いかけて言葉を止めると保は、急かして切り換えた説明を下した。『その歯車は動きの歯車でもありましてですね、今後の動きにですね繋がりますです』不思議そうにする二人に保は今後について語った。『その歯車をどう使われるかはですね、お二方しだいです。はい』
凍り付いた気持ちが胸の中を陣取り、表情が強張ったものになる。乃愛を見詰める女性の乗客は、彼女に歩み寄ると意外な言葉を口にした。『私に御化粧を施してくれませんが?貴方のお勧めのお品で』『え?』『覚えていますね、その表情。あの日貴女に御化粧を勧められた神谷麦です。私今は、貴女に感謝しておりますのよ。貴女の……乃愛さんのおかげで私の心をみて下さる男性と結ばれましたもの』……その時乃愛の中にあった塊が、静かに溶け始めた。今になり気が付いたが、女性、麦は和服を召している。『あの……あたしの事を、怒ってはいないのでしょう……』『同時は、恨みましたね。あの御化粧を使用してから肌が酷い事になりまして……でもね、それがきっかけで容姿目当てに近付いてきた男性達は遠退いて、中身をみて下さるただ一人の方とその後入籍しました。恨みは消えて、感謝が生まれたんです』麦の振る舞い方には『美しさ』が込められていて、花を擬人化した感じに思える。『!そ……それではこちらのお席にどうぞ、でございます。今、準備をしますので……』乃愛が乗客リストを網棚に置こうとすると、リストの間に何かが挟まっている事に気が付く。(こんなのさっき、なかったような……?)リストには白い羽根が一枚、栞のように挟まっていだ。(鳥……これ、鶴の羽根?)奇妙に感じたがその事は置いといて、リストを網棚に置いた。続いてその網棚に化粧箱が在るのでそれを下ろし、空席の背もたれに設置されている荷物台を開いた。車内にはあの世に行く前に化粧を求める乗客が多々おられる為、化粧箱を常に用意しているのだ。(ここは優遇されている……あっちとは全然違うな……)まさに正反対の世界を感じ、乃愛は席で待つむぎの前に立つ。『それでは始めさせて頂きます』乃愛の言葉に品が宿り、手付きにも色気が現れた。自然と体が良い感じに動かせる。もう随分長い間は扱っていないが、手の使い方は忘れてはいない。(あの日の自分は酷かった……)甦るのは欲を出した結果による、最悪の光景。<貴女のせいで、こんな顔になったのよ!わたしの顔を……返してよ……!>返す言葉もなく、乃愛は被害者の女性から逃げ出した。道路に飛び出し、走っていた車に接触してしまった。その後の事は覚えておらず、気が付いたら病院のベッドにいた。
乗客の願い事は、可能な限り受け入れるのが車掌の役目だ。春仁は真咲の謙虚な雰囲気を好ましく思い、彼の心に応えようと尋ねた。『何なりと承りましょう』『ありがとうございます。願い事と云うのはですね、地獄へ到着する前に、この車内に絵を描きたいという事ですが、御許しを頂きたいわけです』少しだけ沈黙が流れる。(僕の聞き間違い?じゃないのかな?真面目な顔でおっしゃってるけど、発言がやや非常識な気が……)列車内に絵を描きたいなどという乗客。異例な特殊事案が発生している状況の中で、春仁は立ち尽くす。答えを待つ真咲もまた、真ん前で立ち尽くしている。(もう一度お尋ねしようか?でもそれ勇気いるよな。『何処に耳付けてんだ?』って、云われるかも。怒らせるかも知れないけど、お尋ね……)再度問いかけようと春仁が動くが、タイミング良く、身に付けてある無線が反応した。『あ……はい、こちら列車内です……』『ハルくん?こちら駅長室、カゼナリです。聞き間違いではなく、今のは御客様が発された声ですので安心して下さい。それと絵、ですが問題ありません』『え?』『それシャレでしょうか?列車は地獄行きですので、絵まみれになろうと構いません。許可して頂いても宜しいですよ』(絵まみれって……)『地獄しか知らない列車を華やかにしても良いと思います』カゼナリの言葉には、特有の花が添えられている。春仁は臨機応変に対応出来るカゼナリが羨ましい。『確かにそうですね。この列車に彩りるのもまた、風情がありますね。許可の許可を下さり、ありがとうございます』『ハルくんの言葉にも『花』、が添えられていますね……引き続き業務、宜しくお願いしますね』『了解しました』カゼナリとの通信を終え無線を胸ポケットに納めると、春仁は真咲に許可を下した。『お待たせ致しました。只今車内執筆の許可が下りましたので、御自由にこの空間に彩りを添えて下さいませ』『御許しを頂けるんですね。感謝致します』(穏やかな笑顔……どうしてさっきはビクビクしてしまったんだろう?)理由は不明だが、先程まで春仁に真咲に対しての恐怖心が宿っていた。けれど今の真咲を見ていると、そんな感情は消えていた。無線を通して、カゼナリは春仁の感情を取り入れた。(ハルくんに乗客リストを渡さないで正解だったかも知れませんね。リストに記載されているのは本名……御本人を垣間見た場合での名は、筆名)駅係員室で明日以降の乗客を調査しながら、カゼナリの意識は無線音声に傾いている。器用な技を持つものだ。(はじめからリスト持参で業務を行おうものなら、その乗客への感情で仕事にな
りませんでした。不明なまま業務を始めた方が意識せず良い仕事が出来るもの……そして、万一業務中に乗客の『質』を知ったとしても相手は地獄に赴く事を知っていますし、今の控えめな雰囲気をみていれば自然に気持ちはやわらぎます。この方法、間違いではありませんでしたね)真咲が脳内で絵の道具を思い浮かべると、彼の手にパステルが現れる。(パステル風か……何かを思い出しそうな気が……?)色合いが朧気な記憶の中で、春仁は物影から見ていた。あの人物が風景の絵を描いているうしろ姿を。その人物は振り返ると突然こちらに歩いてきた。(気付かれた!)春仁とその人物との距離が縮まり、恐怖心で春仁は気を失った。意識が途切れた間に何かがあったのだが、その内容が思い出せない。(今まで色んな人が絵を描かれる姿に恐怖心を抱いていたけど、今はそんなもの現れないな)真咲がパステルで描いているのは、四季を通して咲き誇る花だ。あらゆる種類の花が鮮やかな姿で、車内に咲き誇る。(なんて幻想的な花なんだろう……!こんな絵を描かれるのに、地獄へ向かわれるのか?想像も出来ないな)地獄行きの列車内部が、まるで天国に在る花畑のように鮮やかな世界と化している。<絵描きを目指してるのは、ぼくなんだよ!なんで君の絵が選ばれるんだ!生意気なんだよ!>絵が好きで色の運びかたに自信がある少年、絵には関心はないが何故か公募で金賞をとった少年。選ばれなかった少年の怒りは選ばれた少年に向けられ、その日から攻撃が始められた。周りの学友もそれに加わり、その少年を見ると必ず彼を小突くようになっていった。人が怖くなってきた少年は次第に一人を好むようになっていった。(この人を一人にしてしまった自分には、せいぜい地獄が似合う……)戒めの思いを込め描いていく数々の花には、真咲の魂も深く刻まれていた。(なんて美しい絵……本当に何故この御客様が、地獄に行かれるのか……)車内を彩る花を視界に映し、春仁の心は夢気分だ。
そしてもう一方の列車でも穏やかな時間が流れていた。『はい、お化粧仕上がりました。後は、お髪を整えて……和服の色合い、感情の変化で変わってる。今の和服の色は薄紅……この色には……あれが合いそう)閃きの働き方が廻る。網棚に置いたリストの間から、鶴の羽根を静かに引き抜く。乃愛は雪のように白いその羽根を、麦の髪へ斜めに通す。更に髪から外れないように、髪ゴムで羽根を留めた。乃愛の化粧の腕前と、白い鶴の羽根がかなり良かった事で麦の姿は本当に見映えが良いものになっている。『こんな感じに仕上がりました。いかがでしょうか?』化粧箱に納められている手鏡で麦を映し、彼女自身に姿を見せた。『まあ……!なんて綺麗な羽根飾りなの!お化粧もとても優しい仕上がりになっているわ!』『御客様に美容の素質がおありなんですよ』『まあ、そんな風に云われたら、嬉しいわ』『天国でお待ちの御主人さんも、きっと喜んでくれる事でしょう』乃愛が語る言葉には風のような柔らかさがあり、聞いているだけで麦の心は糸のようにほどけていく。
『完成しました。車掌さん、絵の執筆を許して頂いたというのに、もう一つお願いが在ります』『はい、何なりと』『車内の風景を写真におさめても大丈夫でしょうか?』真咲はカメラを持参していた。ここまでくれば撮影さえも問題がないように思える。『この列車では、車内撮影も可能です』『何から何までありがとうございます』真咲はカメラのレンズを覗いた。
その合間を垣間見たソラヅルとカゼナリが、同じタイミングで言葉を唱えた。『『繋がれ、空間!』』
真咲はレンズを覗いた瞬間、言葉を失った。『車掌さん、これ……見てみて下さいませんか?』『どうされました?』
鏡を眺めていた麦は、思わず声を上げる。『えっ?あの……車掌さん?これは一体?』『?』
カメラのレンズを通した世界、手鏡に映る世界。それぞれの世界に花が映り込み、それが廻り出したのだ。続いてその世界に細かい光の粒が注いでいる。光の粒はアシドメリュウの鱗だ。花の万華鏡の中を、アシドメリュウの鱗が輝いて舞い落ちている。<アノヒ、アシドメデキズニイタカラ、ホンノオワビ>花の万華鏡に降り注ぐ光の粒を見た時、春仁の動きかたが廻り出した。『本日この列車には淡い花が咲き乱れ、そこへ光の雨が降り注いでおります』咄嗟に思い付いた車内アナウンスを空間に響かせた。天国に到着した麦は、主人と再会を果たした。天国行きの列車はもと来たレールを戻っていったが、地獄行きの列車は花の万華鏡を運び、ゆっくりはしていく。『それぞれの歯車がですね、廻りましたです。はい。それにしても、夫婦とは、似るものですね。はい』本日心は万華鏡日より。(五話目『対の歯車』)でした。