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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒い恵比寿

作者:

 島の浜に鯨の死骸が打ち上がっていた。

 腐敗が進んでおり、()えた臭いが漂っている。かなり大きく、三間(さんげん)はあった。砂浜に身を横たわらせ、ヒレを力なく垂れて長い口を半開きにしている。その瞳は、白く濁っていた。

 私が漁に赴こうとしたとき、その亡骸を発見した。最近は海が荒れており、舟が出せなかった。おそらくそのあいだに座礁したのだろう。ただ、気にかかることがあった。あまりに死骸の腐敗が激しいことである。

 浜に打ち上げられて死んだのなら、もっと死体の状態は良いはずだ。病気か寿命で海の中で命を落とし、その亡骸が陸に流れ着いたのか。何であれ、黒い恵比寿さまには迂闊に触れてはならないと爺さまから教わった。身が(ただ)れたものは、(けが)れを宿しているという。

 少なくとも鯨の血肉を生活の糧にすることはできまい。骨や髭なら利用価値があるだろう。悪臭に顔をしかめながら思案していると、巨体が身震いした気がした。

 波打ち際に海水が押し寄せたためか。そう考え、すぐに否定された。腐った鯨の死骸が頭をもたげ、大口を開いて鳴いた。浜の空に響き渡る声は、苦悶に呻く鳥獣のものに近かった。

 馬鹿な。鯨が鳴くなど聞いたことがない。しかもあれは間違いなく死んでいたはずだ。あまりの絶叫に耳を塞ぎながら、動き出した鯨の死体から目を離せない。

 そのうち腹の部分が(うごめ)き、内側から押し上げられていた。そのたびに声も大きくなる。あるいは妊婦の出産を思い出した。何かが出てこようとしている。

 やがて黒い血飛沫とともに、細いものが突き出された。血の雨が砂浜に降りそそぎ、距離を取っていたにも関わらず全身を濡らした。呆然としているあいだも異変は続き、鯨の体が激しく痙攣する。

 突き出たものは肘を持ち、指を(そな)えていた。信じ難いことに、あれは人の手だった。血塗られた片手が自身の体を持ち上げ、髪を生やした頭部が現われる。どす黒い血によって縁取られていたが、どうやら子供らしい。鯨の腹から人間の上半身が生え、全貌を現わそうとしている。

 誤って鯨に呑まれた子供が、その体内から脱出したとでもいうのか。合理的な説明をつけようとしても、断末魔を上げる鯨の死骸と、その中で生存できるはずがないという現実が突きつけられるだけだった。

 やがて鳴き声が鳴り止み、力尽きた鯨の上で腹を突き破った全裸の子供が空を見上げていた。全身が血で染まり、とても人間とは思えない。やがて首が傾き、視線がこちらを向いた。

 子供が赤黒い歯を剥き出しにして笑った。その笑顔が親に向ける子のそれによく似ていて、全身が総毛立った。我を忘れ、砂浜から逃げ出した。あれが追ってくることはなかった。

 人づてに聞いた。あの砂浜には、鯨の骨だけが残されていたという。

 あれが何だったのか、知りたいとも思わない。

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