第12話 一時的な決着
『私は、井伊波乃瑠夏。「嫉妬」の称号を持つ、魔女の代理です。』
その抑揚のない声は私の心にさざ波を立たせた。
「お・・・・てる・か」
指を突き入れられ掻き乱されるような壮絶な精神への凌辱には
容赦はなく、呵責はない。
私の心に消えない傷痕と癒えない痛みを確かに齎したのだ。
「お・・・いて・・の・」
・・・・けれど仕方ないのかも知れない。
私は記憶はないとはいえ33人もの人間を殺したのだ。
妥当な末路と言われれば・・・それはその通りだろう
・・・・人殺しの妥当な末路・・・果たして、果たしてそれはその記憶を持っていないモノにも適応されるのか。
いいや、この状態では・・言うまでも無く・・・
「おい、聞いているのか。掟破り。」
その声にハッとし顔を向けると同時に、、、、
私は空から居場所を失った。
■
風を切る音が聞こえる。
あの二人が小さく見える。
黒い外套を纏った、特異な装飾の棒を持つ二人、その内の一人の姿が掻き消える。
「・・危なっかしいな。」
そうしてパシリと私の腕を掴む。
懸垂以上の負荷に片腕が悲鳴を上げた、
思わず目を細め、しかし目蓋を閉じる
チリンと音が聞こえた
「私には助かる資格なんて。」
「・・・・まぁいい、立てよ。」
腕を引いて体を引き上げながら、事も無げに女は無茶な要求をしてくる。
まるで漁で打上げられた魚を自慢げに見せびらかすように掴み上げながら。
「それって、空に浮かべってこと?私どこかの戦闘民族じゃないよ。」
「・・・・・」
彼女の目を見ながらそう言い放った。
空気が変わる。
刺すような風が頬を撫でた
女の眉間にしわが刻まれる。
吸い込まれるような黒い髪は目元でバッサリと切り揃えられ、襟髪も同様にうなじの辺りでザックリと断ち切られている。
引き付けられるような黒の瞳はまるで宝石のよう。
チリンチリンと耳のそばで鳴る鈴、片方の耳元、白い紐の先で”鳴る”それは
外身、その中でありながらも玉は赤く輝き闇を感じさせずそれを咥え込む歯やそれを覆う球は骸骨のように白い。
縦に入った歯の上には歯列を口のように横並びにしながら小さいながらも整った故か異様さを覗かせる噛み合わせであった。
微かな隙間から覗く赤と見事に組み合わさったそれの印象は言うなれば”不気味なピアス”だった
そしてそれらを支える到底考えられない程の美貌。
人とは思えない相貌がはっきりと怒りと猜疑に染まっていた
「出来ないのか、お前が。口だけでは無い筈だが?」
「そんなに責めないで上げて下さい。」
声に目を向ければふわりと黒い外衣をはためかせ赤目の少女が現れる。
少女の瞳は相変わらず冷たいままだ。
けれどどうしてかどうしても安心した
溜まっていた息を吐き出す。
「この愚か者はどうやら先程までの記憶と魔法に関する記憶全てを失っているようです。だからこそ空に浮かぶことはおろか、魔力を集めることすら難しいでしょう。」
「・・・成程な。」
少女が肯定すれば女は話し始める。
ここには救援信号を元に来たのだと
ここには”掟破り”である私を安全に殺す為に上位の者しか連れてきていないのだと。
・・救難信号を送ったというのはおそらくはクリミナなのだろう。
この様子なら既に救助は終わっている・・・・筈だ
そう無理矢理自分を納得させれば、
先の言葉、上位の者しか連れてきていないという言葉が孕む嫌な予感に辺りを見渡す。
心付けば黒が辺りを埋め尽くしていた
10・・20・・・100とも言える程の数に思わず唇を引き結んだ。
これが全て・・・敵。
「・・あまり驚かすなよ。ここで死なれては困る。」
「わかりました。」
少女が指を鳴らせばその黒はたちまち四散した
残ったのは黒い霧と濃厚な魔力、それらは上下左右全ての方角を囲んでいく
まるで私達を守るように、これから来る何かを妨げるように。
黒が私達を包んだ。
外に何があるのか分からない。何か、目くらましなんかじゃなく存在そのものがなくなったような
ソレが生み出す暗闇に存在の喪失感に呆然としていれば、女が私の腕を引いた。
いつの間にか杖の様なソレから手を放した女に膝の裏と首の裏に腕を回され所謂お姫様抱っこの体勢になってしまう。
「・・・何を?」
「来るぞ。」
黒を切り裂き白がその身を顕した。
□
白、白い竜。
その朱い瞳はこれまでに無く血走っている。
だが美しい巨体も血と砂ぼこりに汚れていた
しかし殺意は本物。
低い唸り声が絶叫に変じる
鼓膜を体をそして大気を震わせる叫声に思わず耳を塞ぎ瞳を半ば以上まで閉じればその姿が掻き消えた。
思わず目を丸くする
「解けろ。」
しかし少女も女も慌てはしない
掻き消えた筈のそれは口を開いた状態のままその姿を止める
チリンと鈴が鳴る
少女の言葉と共に黒い霧が竜の足を首を胴をそして顎を縛っていたのだ。
息がかかる距離の中少女と女は嘯く
「本来なら霧の中にすら入れないのですが、やりますね。」
「”あいつ”なら当然だ」
女を見れば竜の咥内、その前に手を翳していた。
刺すような空気に思わず総毛立つ
息が止まる
「「掻き消えろ」」
その言葉と共に竜に亀裂が入り朱い霧と化した。
全く魔力を感じない”何か”による一撃、まるで認識が追い付かないソレ。
圧倒的だった。絶望的だった。
何かの力であることは理解できた。けれど他には何もできなかった。
生じた血の霧は、少女と女、そして抱えられていた私が一身に浴びるはずだった。
だが現実は違う。
壁のようなそれが私達三人を包み込んでいた。
いいや既に在ったとみるべきだろう。竜と遭遇したその時から、あるいは私の意識が目覚めたその時から。
透き通ったそれを朱がやがて全て覆いつくしたころ、暗闇が晴れる。
壁が消え去った。
魔力は少女と女の元へと還り
落ちていく血は大地を赤く染め上げることもなく光となって空へと昇っていく
骸は跡形すら無く散逸し辺りを照らしながら世界から遠のいていった。
これが竜の末路らしい。
魔力は力ある者、殺した者に吸収され死体すら残らず、全ては光となって空へと還る。
少女の顔は見えなかった、
けれどぎゅと握られた腕章がやけに頭に残った。
対して手を下した女自身の顔は虚無そのもの。
何も映さず。何者もその精神を識ることは出来ない。
だからこそ、女の内面を見透かし寄り添うことは誰にも出来はしないだろう、人であれば。
しかし、女はすぐに瞳を閉じると私に目を向けた。
「おい、掟破り。」
「・・・・何?」
目は先程と打って変わって、冷ややかだ。
虚無とは違うその瞳にどうしてか安堵を覚えた
「帰るぞ。俺達の家に。口先だけでは無くな。」
鈴の音の後
女の言葉と共に世界が割れた。