墓参り 前編
「帰りたい……」
繁茂の月も後半に差し掛かるこの頃、あたしは熱気と湿気が充満するジャングルの中を歩いていた。
森の中なので、日差しが直接襲い掛かることはないのだが、それでもこのまとわりつくような暑さは耐え難いものがある。
「ああ……どっか涼しい所に入って二、三日寝転んでいたい……」
あたしがそんなことを呟くと、
「喪主が真っ先に弱音吐いてどうすんのよ」
あたしの同伴者の一人――――友達のマチルダがジト目で睨んできた。
「この暑さは年寄りにはこたえるんですよ……汗だっくだくで気持ち悪いし」
「そんだけ汗出てりゃまだまだ若いわよ。もう少しらしいから頑張んなさい」
マチルダはそう言って自分の分の飲み物をあたしに手渡し、足元悪い獣道をつまづくことなく進んでいった。
普段から遊び慣れている賜物なのか、妖艶な見た目に似合わず野性味のある彼女。あの身体能力の高さは時々羨ましいし、ムカつくが頼もしくも感じてしまう。あれで同じ八十六歳だというから驚きだ。一体どこで差がついてしまったのか……。
「あと十分したら到着しますよ。師匠の家は泉の近くに立っているのでここより涼しく感じるはずです」
いつの間にか、先頭を歩いていたほうきのアダムがあたしの隣りにまで戻ってくれていた。あたしが遅れていることに気付いたらしい。今は森ガールのアロマが悠々と先頭を歩いているという。
「ごめんなさい、アダム。気を遣わせてしまったね」
「お気になさらず。誰しも得手不得手はございます。しかし、シャロン様のご友人方は壮健ですね」
「マチルダはアウトドア派でね、結構あちこち出歩いてるから慣れてるんだと思うよ。なんなら一人登山とかもしてるし」
「へえ~、すごいですね。道理で僕より動きが素早いわけだ」
魔道具であるあんたより素早い時点で異常な気がするけど……まあ、いいか。
「アロマはね、普段はインドアなんだけど、ほら、生粋の森ガールってやつだからさ、こういう所は研究も兼ねて頻繁に行くし、マチルダよりも慣れてるんだよ。今も内心ウッキウキだと思うよ」
「確かに、お一人で嬉しそうに何かとお話ししておいででした」
好い方にでも出会ったようだ。
「あの人は純粋だから、好きなものには一直線なの。反対に興味のないことは見向きもしない。本当に研究者に向いてる性格だよ」
山で育ち、草木に触れ合って生きてきた彼女には、ここはまさに天国だろう。彼女の植物好きは、他の追随を許さないくらい凄まじく、姉さんですら若干引いていたほどだ。
やさぐれた顔をしているが、彼女は人一倍幼く、そしてきれいな心を持っているのだ。
「アロマ様、ご主人様のことをご存知でしたね」
「大学時代、姉さんとは師弟関係を結んでいてね。仲良くしていたんだよ。よく家にも来てたしね」
当時大の人嫌いで有名だったアロマが、姉さんにだけはなぜか心を許していた。今でも、彼女が姉さんにあそこまで好意を寄せていた、詳しい理由はわからない。
「すごく気が楽だった」
ただ一言、昔あたしにそう言った程度である。姉さんが亡くなった時、彼女はあたしよりも取り乱していたし、今回の墓参りもほとんど彼女の希望によるものである。
何か宿縁というか、二人を結びつける強い絆のようなものがあったのだろう。姉さんも、どちらかといえば人嫌いな所があったから、お互いシンパシーを感じ合っていたのかもしれない。
「美しい関係ですね」
あたしの話を聞き終えたアダムが、そういう感想を述べた。あたしはそれにニコッと笑い返した。
「うん、そうだね。美しい関係だ」
☆☆☆
「ついたああああ!!!」
アダムの言う通り、十分程度歩いたら、目的の場所に到着した。
姉さんの家は、少し草木が生い茂っている程度で、そこまで劣化は進んでいなかった。近くには小川が流れ、サラサラとした水の音がジメジメした空気を吹き飛ばしてくれた。
確かに、心なしか気が楽になった感じがする。名勝地という訳でもないのに、身体を優しく撫でてくれるような温かな感覚が、この空間には存在していた。
(身体の弱かった義兄さんがいたから、この場所を選んだのかな。ここでなら、病人でもある程度元気に生きていけるかもしれない)
アロマが教えてくれたが、この辺りには希少な薬草があちこちに生えているらしい。アロマ自身も目を輝かせながら、そこらかしこに生えている薬草を眺めてはあたし達に講義をしてくれた。
「お肌に効くのもあるなら、それ摘んで帰ろっと」
マチルダは美肌効果のある草木を探しては、適宜アロマにアドバイスを貰いつつ採取しまくっていた。どこにいても、彼女は一切ぶれない。そこが彼女の良いところでもあるのだが……。
「さて、それじゃ、お墓に案内してくれるかな? アダム」
「かしこまりました。こちらです」
そうして、あたし達は姉さんの眠る場所に向かったのだった。
☆☆☆
一際目立つ大樹のそばに、それらは小さく置かれていた。
小さな石ころを無造作に積み上げただけの、一見簡易的で乱雑に見えるお墓。これこそ、魔女のしきたりに沿った立派な墓である。
「本を読んで、書かれているとおりにやってみました」
「うまく出来ているよ、アダム。さすがだね」
アダムの学習能力は、やはり目を見張るものがある。
魔女は光となり、この世界と一体になるため、厳密には魔女は死なない。ただ、肉体が消えるのみである。だからこそ、魔女は存在の証に執着したりしない。墓もただ、そこにあるもので済ませる。その石ころも、光となった魔女そのものなのだから。
「こっちの少し立派なものは……?」
マチルダが不思議そうに、姉さんの隣りにある墓石を眺めていた。こちらは姉さんのとは違い、少し大きめの四角な石を縦に突き立てた、立派なものとはいえないがそれでもしっかりした墓である。
「……多分、義兄さんのだね」
「ああ……」
あたしの言葉に、マチルダは少し物憂げな表情をした。
「ご主人様の遺言でした。墓は、この大樹の下に立ててほしいと」
義兄さんは魔女ではない。それなりの墓を用意し、生きた証を残さなければならない。
姉さんにとって、精一杯のものがこの墓石だったのだろう。何も刻まれていない、真っ白で歪な墓。これを見るたび、姉さんは――――
「それじゃ、祈りますか。ソルシェ先輩と、旦那さんのために、ね?」
マチルダのいつもどおりの口調が、少しありがたいと感じた。
☆☆☆
祈りは、特に何事もなく終わった。
「うう……先輩、せんぱぃぃぃ……」
――――ただ、一人を除いて。
「はーいはい、よしよし」
マチルダの肩を借りながら、アロマが今まで見たことがないくらいに取り乱していた。祈りながら、今までの思い出がどっと押し寄せたのだろう。マチルダも意を汲んでか、一切文句を言わずアロマの背中をさすっていた。
「もう少し、かかりそうだね」
「そうねぇ、こうなると中々おさまらないわよ〜」
「マチルダ、手慣れたもんだね」
「色んな人と付き合っていると、こういうことは頻繁にあるの。私からしたらアロマの反応は見慣れたし当然」
「……そうだね」
ズキンと胸が痛む。あたしは、何も感じなかった。
「先に家に入りなさいな。あんたの家族なんだし、大事な遺品とかあったら整理してきなさい」
マチルダの言葉に、あたしは無言でうなずき、その場を去った。
☆☆☆
『アロマの反応は見慣れたし当然』
マチルダの言葉が、脳内に何度も反芻される。
あたしは身内の死をいざ見ても、何も心が動かなかった。どこか心がフワフワしていて落ち着かない。それを落ち着かせるのに必死で、あたしは何か感じる暇もなかった。
アロマは素直に、姉さんの死を悼んでくれた。それじゃあ、あたしは何なのか。そもそも、ここに来るのも乗り気じゃなかった。あたしは、どうしてそんな気持ちになっていたんだろう?
マチルダの言う通り、普通なら家族であるあたしが我先に、一人でもここに来て死を悼まなければならないはずだ。なのに、友達に何度も説得されてここにいる自分は、家族を何だと思っていたんだろう。
姉さんと義兄さんは好きだった。その気持ちに偽りはない。ないはずなのに――――
「シャロン様」
「!?」
不意に声をかけられ、あたしはドキっとしながら声のした方を振り向く。そこには、まるで待ち構えていたかのように、あたしの義兄と瓜二つなほうきが――――
「ア、ダム……」
「あなた様に、お見せしたいものがございます」
そう言って、アダムはニコリと優しい笑みを浮かべるのであった。