姉の遺産
「……義兄さん?」
玄関のベルが鳴り、扉を開けたら死んだはずの義兄が立っていた。
夢? 夢にしては中々迫ってくるものが――――って痛い。頬つねったら痛い。え、現実?
「あのう」
噓、声まで義兄さんそっくり、ってかまんまじゃん。どういうこと? まさか死者蘇生の黒魔術が実在していたなんていう――――
「すみません、あなたが御主人様の妹君、シャロン様でいらっしゃいますか?」
「……へ?」
まるで初めて会ったかのような態度に、あたしはさらに困惑した。義兄さんがあたしを知らないはずはない。ということは、この人は義兄さんじゃない?
でもこの眩しいくらい輝く黄金の髪にエメラルドの瞳と、どこか安心できるような温かみのある声は、間違いなく義兄さんのものだ。長いこと一緒にいたのだから間違いない。
じゃあ、やっぱり? 死人が蘇って――――
「はじめまして。僕はあなたの姉君、ソルシェ様に作られたほうき、名をアダムと申します」
………………。
「…………えっ?」
☆☆☆
「じゃああなた、本当にほうきなのね? 姉さんが作った?」
「はい、そうです」
「はぁ……」
自らをほうきだと名乗る奇妙な客人を座らせた後、あたしは彼を身体の隅から隅まで観察した。
うーん……どこからどう見ても人間だ。しかし、よく見てみると魔力で編んだ継ぎ目が見える。直に触るとより強く魔力を感じる。
なるほど、この上なく精巧に作られたほうきだ。応対の仕方も不規則・自然的で、魔道具であることを一切感じさせない。もはや新種の生命と言っても過言ではないくらいだ。
素晴らしい。これほどまでの魔道具は見たことがない。まさに唯一無二。
「あの、そろそろ……」
ほうきのおずおずした声を聞き、あたしはハッと現実に戻ってきた。慌ててほうきから離れる。
「ご、ごめんなさい。職業柄、つい夢中になっちゃって……」
「い、いえ。大丈夫です。僕はほうきですから、何も思いません」
大丈夫と言いながらも、ほうきは戸惑いを隠せていない。普通のほうきならば、こんな反応はしない。あたしがジロジロ見ても、ペタペタ身体を触っても、彼らは嫌な顔一つしない。ほうきは、命を受けない限り何もしないのだ。
「あなたを今大学に連れて行ったら、お祭り騒ぎになるでしょうね」
「? どういうことです?」
「ああ気にしないで、こっちの話……んで」
こほん、と咳払いをして空気を整える。
「どうしてほうきが一人であたしのところに? あなたの御主人様――――姉さんはどうしたの?」
普通、ほうきが主人の元を離れることは決してない。ほうきの動力源は主人の魔力であり、それ以外は動力源として機能しない。そして、毎日主人の近くにいることでほうきは自動的に魔力を摂取する。だからこそ、ほうきが主人の元を離れるなんて自殺行為に等しいのだ。
にもかかわらず、目の前のほうきはきちんと機能している。エネルギー源がないのに、どうやって動いているのだろう? うう、気になる。
そんなことを考えていると、義兄に似たほうきは、こう切り出した。
「御主人様が、亡くなりました」
――――えっ?
「今、なんて……」
聞き間違いであることを祈りつつ、あたしはもう一度尋ねる。
「あなたの姉君である、ソルシェ・ブロム様が先月亡くなりました。ここへはそのことを伝えるために来たのです」
頭の中がしばらく、真っ白になった。
☆☆☆
「そう……寿命がきたのね。姉さんに」
少しの時間の後、あたしはほうきから渡された姉さんの遺書を読んだ。そこには、音沙汰がなくなった後のことがつらつらと書かれていた。
義兄さんのこと、自分の研究のこと、そして――――この人型ほうきのこと。
あたしはじっくりと、姉さんのことを思い浮かべながら遺書を読み進めていった。姉さんはどんな顔をしていたのだろうとか、ここらへんのおっちょこちょいさは姉さんらしいな、とか……。
一緒に暮らしていた時のことが思い出されて、久々に色々こみ上げてきた。唯一の家族がいなくなり、あたしはついに独りになったのだと実感する。
遺書の最後の方は、文字が歪んでしまっていた。きっと、身体が満足に動かせなかったのだろう。魔女は死ぬ直前、身体が硬直して寝たきりになるらしいから。
遺書はあたしへの謝罪で締め括られていた。長年連絡しなかったこと、姉さんなりに気にしていたらしい。気にしてたくらいなら寄こせっての、バカ。
しかしまあ、姉さんもなんやかんや魔女だったというわけだ。置き土産にこんなものを用意するなど、昔の姉さんならば忌み嫌うだろうに。
「あなた、名前は?」
「ほうきです」
「いや種類名じゃなくて、あなた自身の名前を聞いてる」
「名前、ですか?」
聞き返されてしまった。
あれ? あたし難しい質問したかな? もしかしてこのほうきポンコツ?
「いや、なんかないの? あたしでいうシャロンとか、姉さんでいうソルシェとか」
すると、ほうきは少し首を傾げると、
「申し訳ありません、そういった個体名は僕にはありません」
と、衝撃的なことをのたまった。
「へ? ないの? 手紙だと十数年いたってなってるけど」
「十五年と四ヶ月ですね。はい、ございません」
「じゃあ十五年間なんて呼ばれてたの?」
「『おい』『ねえ』『わたしのほうきぃ』の三つです」
「…………」
姉さん、まじか。
☆☆☆
ほうきにあれこれ質問してみた結果、このほうきは自分の名前はおろか、この世界を生きるうえでの術はほとんど教えられていなかった。
世界そのもののこと、社会のこと、魔女のことや魔道具のこと、そして――――自分がいかに異常な存在であるかということ。
遺書には「ある程度生活できるくらいの知恵は授けている」とたいそうに書かれていたけど……いや確かに家事や植物のことは人並み以上に知っていたけども。
姉さん、面倒なことをこのほうきに全部押し付けていたな。家事が詳しいのはそれが理由だろうし、植物に詳しいのは姉さんの専門分野だからだろう。結局、知らないことは教えられないというわけだ。
「よくこれで旅に出ろとかほざいたもんだわ……」
いや、だからこそまずはあたしに会うよう命じたのか? つまりは、ある程度社会に出てるあたしにこのほうきの――――
「あの女……」
随分会わないうちに、あたしの姉は図々しい性格に変わり果てたようだ。まあ、元々そんな節はあったけど。
「ねえ、あなた」
あたしは改めて、目の前のほうきの顔を見据えた。彼は背筋をピンと伸ばし、目を少しもそらすことなくあたしを見つめ返していた。
曇りのない、美しい顔をして。
「この後、どこか行く予定はあるの?」
「いえ、特にございませんが、旅をしろという亡き主の命を全うする予定です」
「そう……」
ああ、何となく察してたけど、やはりか。
「この手紙には姉さん――――あなたの御主人様からあなたの面倒を見てほしいと書かれているけど」
「えっ? そうなのですか?」
「その様子だと何も聞かされてないのね……」
「はい。ただ旅をしろ、としか言われておらず……」
あわれ、ほうきよ。
「なぜ、僕には話してくれなかったんでしょう?」
「ほぼ間違いなく、言い忘れてただけだと思う。姉さんの物忘れっぷりは尋常じゃないから」
「ああ、なるほど……御主人様ならその線、あり得ますね」
ほうきにまで認識されてんじゃん……姉よ、さすがにやばいぞ。
「姉さん、そっちでも物忘れやばかったんだ?」
「それはもう。一度何かを始めると他のことは全部放り投げる人でしたから……」
「そうそう、不器用なのよね、あの人。昔一緒に住んでた時なんか本当に大変で――――」
それからあたし達は、姉さんの話で大いに盛り上がった。物忘れがひどいこと、研究熱心なこと、陰気なとこ、変なところで面倒見が良いこと――――面白おかしく語り合った。
変な話である。お互いはじめましての仲なのに、不思議と気が許せてしまう。それはやはり、ほうきの為せる技なのか、それとも姉さんの遺産だからなのか、あるいは……初恋の人に瓜二つだからなのか。
ほうきの方も姉の世話ばかりやってきたからなのか、あたしの一方的な会話にもちゃんとついてきてくれた。嫌な顔一つせず、あたしの話にきちんと耳を傾けてくれる。本当によくデキたほうきだ。
姉さんは、このほうきのことをどう思っていたのだろう? ほうきを作った理由は軽く書いてあった。仲睦まじかったから、あの動機でこの子を作った理由はわかる。でも、ほうきに対する姉さんの想いは、全く書かれていなかった。
虚しかったのだろうか? この子はあの人とは違う。顔や声は同じでも、あの人の代わりにはなれない。それに気付かない姉さんではないはずだ。少なくとも、あんな遺書を書けるぐらいなのだから、気が狂ったわけではないだろう。
ほうきは幸せそうに姉さんの話をする。大体は文句の話ばかりだったけれど、言葉の節々に彼なりの愛を感じた。ほうきは主人に絶対的な服従を誓うといっても、ここまで感情豊かに育つだろうか?
姉さんの本当の気持ちを知っておきたい。そのためにもまずはこの子を引き取ることにしよう。旅に出たいのならば、一人でも問題なく暮らせるよう導いてあげよう。もしかしたら拒絶するかもしれないけど、その時は言葉を尽くして、それでも駄目ならあきらめよう。
(姉さん、安心して。この子のことはあたしが責任持って立派にしてみせるから)
いつの間にかあたしは、姉さんの遺産であるこの魔道具に、不思議な愛着を抱いてしまうのだった。