別れ、旅立ち
外は、ザーザー雨が降っていた。
「身体の調子はいかがですか?」
ベッドに横たわるわたしのそばで、優しく語りかけてくる青年の顔を、改めてよく見てみる。
いつ見てもきれいな顔だ。
エメラルドグリーンの瞳に、プラチナブロンドの髪。男性型にしては中性的で可愛らしい顔つき。女装したらすごく似合うだろう。
わたしの、一番好きなタイプだ。
「別に、何てことないわ。いつもと一緒」
思わず顔を背ける。つい見惚れてしまった。やっぱりいつ見ても、いい男だ。
目を背けると、再び窓からの景色が映り込む。
雨は降り止む気配なく、むしろひどくなっていく。どんよりした空気が辺りを充満し、わたしの身体にのしかかる。
「あー、いやだいやだ。せっかくの日にこんな天気だなんて。どうせなら木漏れ日差し込むのどかな季節がよかったなー」
気を紛らわせるためにわざと軽口を叩く。隣に座る青年は、ふふっと爽やかな笑みを浮かべた。
「ある意味魔女に似つかわしい天気だと思われますが」
「全然ダメ。望んでたのと違う」
「おや、何かお考えがあったので?」
「どうせ死ぬならさ、イイ感じに死にたいじゃん」
「イイ感じ、と言いますと?」
ふ~む、言わないとわからないか。ここらへん、本当にお堅いわね。
「例えばそうね……晴れた日の朝、あそこにある大樹に寄っ掛かりながら目を閉じる。すると、穏やかな風がサッとわたしの頬を撫でて、わたしはそれを気持ちよく感じながらそのまま意識を失う……イイ感じじゃない?」
「いつどこで死のうが、老衰による死にそこまで差異は出ないと思いますよ」
「……ロマンがないわね、相変わらず」
「今年で一八〇歳になる老婆がロマンを語りますか」
「うっさい。ロマンを追求するのが魔女ってもんなの」
最後まで本当に礼儀のなってない「ほうき」だ。やはりもう少し教育した方がよかったかもしれない。今更ながらちょっぴり後悔する。
まあ、無感情なイエスマンよりは百倍マシか。
「はぁ……憂鬱。雨どんどんひどくなってる……」
「そんなに嫌なら、魔法で晴れにしてしまえばよいのでは? ご主人様なら可能なはずです」
「できるけど、それは元気な時だけ。わたし、死にかけなんだからね、一応」
「申し訳ありません、わりと元気そうに見えましたので」
「気分はいつも通りだよ。でも身体はほとんど動かない」
嘘ではない。数日前に突然足が棒切れと化し、それからはずっと寝たきり生活。今や下半身は何も感じない、ただのモノになってしまった。
どんな原理が働いているのか不明だが、寿命を迎えると魔女は皆こうなるのだそうだ。そして、最期は光の粒になって大気に霧散する。
魔女は皆、そうやって死ぬ。
☆☆☆
「ほんと、変わんないなあ」
鏡に映る自分の顔をまじまじと見て、思わず呟く。
二十代前半頃から変化しなくなったわたしの顔。この顔で百年以上も生きてきたのかと思うと、何とも言えない気分になる。
「はぁ……」
「なんです、自分の顔ジロジロ見てため息なんて。ナルシシズムってやつですか?」
「んなわけないでしょ、失礼な」
本当、主人に対して何という言い草だろう。こんなんでこの先生きていけるのだろうか、こいつ。
「そういうの、温厚なわたしだからいいけど、他の人にはもっと気を遣いなさいよ。トラブルの元だから」
「温厚? 誰が?」
「ぶち殺すぞワレ」
「ほら温厚じゃない。嘘をつきましたね、御主人様」
「…………」
人を怒らせる天才か、こやつは。どれだけ人を煽れば気が済む?
まずいな、わたしが死ぬ前に何とかしないと。余計な火種を生みかねない。そうなれば、つらい思いをするのは彼自身だ。
「あのね、人をわざと苛立たせるような物言いはやめなさい。あなたの素直さは長所だけど、それが短所になることだってあるの。コミュニケーションって難しいのよ?」
そう、コミュニケーションは難しいし煩わしい。だからわたしは、こんな山奥に住み着いたのだ。
だけど――――
「僕は別に、ご主人様以外の他人と付き合うつもりはありません」
ほうきはまっすぐな瞳をわたしに向けてそう言った。
「あなた、独りになるわよ? いいの?」
「構いません。時間の許す限り、僕は一体でこの場所を守ります」
「そう……」
ほうきは主人に対して嘘をつかない。活動停止するまで、彼はどんなことをしてでもここを守るだろう。魔女の相棒たる魔道具、ほうきとはそういうものだ。
まあ、わたしのほうきはちょっと特別なんだけどね。
「あなたの思いは理解したわ。その上で」
わたしは一拍置いてから、彼にこう伝えた。
「わたしが死んだ後、旅に出なさい」
☆☆☆
「はい?」
目を点にさせながら、かわいいほうきは間の抜けた返事をした。
そんな顔、できたんだ。死ぬ前に面白いものが見れたかも。
「ほうきのくせに聞こえなかったの? わたしがいなくなったらここを出ていけって言ってるの」
「……理由をお聞きしても?」
理由かぁ……理由って言われてもねぇ。なんだろう?
「う~ん、余生を楽しんでほしいっていう、親心? みたいな?」
「そんなあやふやな」
「あらな~に? ほうきのくせに反抗期?」
「そんな機能はありません。ほうきは主人に絶対服従する魔導具です」
――――それを自分で言ってる時点でもう、なんだけどね――――
思わず口角が緩む。よしよし、上手く機能してるじゃん。
「今のうちに言っておくけどね、あなたは他のほうきとは違うの」
「何が違うんです?」
「あなたにはね、自律プログラムを組み込んであるの」
「自律プログラム?」
「そっ。わたしが長年研究して完成させた集大成。これまでのほうき研究のステージを一段階上げさせる、魔女界の歴史上最も偉大な成果」
ほんとは一段どころか二段も三段もあげる最大最高の産物だけど、自画自賛するみっともない奴だと思われたくないので抑えておく。
「最も偉大な成果、ですか……」
眉をひそめながら復唱するほうきは無視し、わたしは話を続ける。
「既存のほうきは主人がいなくなると、主人の最後の命令を死ぬまで遂行し続けるモノになり果てる。だけどあなたは、主人がいなくなっても自分で判断、行動することができるの。原理はまぁ、話す時間はないから省略するけどね。あなたには必要のない情報だし」
「なぜ、そんなものを僕に?」
ほうきは「意味がわからない」と言いたげな表情で尋ねてきた。
ほうきの最大の利点は主人を絶対裏切らないことにある。主人がたとえ非人道的な行いをしても、ほうきは何も咎めないし、加担することも躊躇わない。
魔女の手足となって死ぬまで働くことに、ほうきの存在価値がある……と、ここまでは一般的な解釈だ。
だが、わたしは――――
「だってさぁ、つまらないじゃん?」
「つ、つまらない?」
「うん、つまらない。そんな無機質な生命、必要ないじゃん」
何でも言うことを聞いて、主人の望むものしか与えない。主人に対して間違いを起こさず、いつも主人を気持ちよくしてくれる。主人が喜んだら必ず喜び、主人が悲しんだら必ず慰める。
常に最適解を出して主人のつまらない欲を満たす万能の魔道具。わたしにとってほうきとはそういうものだった。
「わたしはね、あなたには自由であってほしかったの」
「自由、ですか?」
「そう。わたしにとってほうきとは一体の生命だった。人と同じように行動し、人そっくりの顔と身体を持ち、わたし達とコミュニケーションまでとれる。そうした存在に、義務や使命を与えたくなかった。縛りたくなかった」
「ご主人様……」
ほうきは何とも言えない表情をしながら、わたしの言葉に耳を傾けていた。その表情はガラス細工のようにキレイで、愛おしかった。
「だからね? わたしがさっき命じたこと、別にしなくてもいいのよ? あなたがどうしても嫌ならね」
「……旅に出る、ですか?」
「うん、どうしてもここを守りたいっていうなら、それでも構わない。どうせわたしは死ぬんだし、あなたを止める者もいないしね」
彼がわたしの言うことを守る義理はない。命令は対象を縛る鎖だ。行動を抑止する呪いだ。
だから、さっきほうきに言ったのは命令じゃない。
そう――――
「だけどお願い。あなたには一度、外の世界を知ってほしい。こんな穴蔵に閉じ籠もらず、その曇りない眼で世界を見てほしい。それで嫌になったら、またここに戻ってくればいいから」
わたしはあなたに、望みを託したい。あなたを縛ることになるけれど、あなたの自由を奪ってしまうかもしれないけれど、あなたの残りの人生を、あなた自身の手でより良いものにしてほしい。
それが、わたしがあなたを産んだ理由なのだから。
ほうきはしばらく黙り込んだ後、わたしから顔を背けた。そして、絞るように声を発した。
「ご主人様……わたしは、その願いを、聞き入れたくはありません」
「ふふ……やっぱり、反抗期なんじゃん」
本当にわたしのほうきは可愛い。彼の今の顔を見れただけでも、わたしは間違っていなかったと自信が持てる。
「さっきも言ったけど、好きにすればいいわ。これからはあなたの人生だもの。わたしには関係ない」
「もうじき死ぬからって、急になげやりにならないでくださいよ」
「親心を理解しない子のことなんか知りません。勝手になさいな」
「そんなぁ……」
「ふふ、はははは……!」
情けない声を出す我が子を見て、わたしは声を上げて笑った。
わたしが死んだ後、彼が間抜けな行動をするのを想像しながら――――
☆☆☆
――――そんなことがあってから二日後。
僕は石で積み上げた墓の前にいた。乱雑に積み上げただけだから、これをお墓と説明できるかは怪しい。けれど、僕がこれを墓と認知しているのだから、それで充分なはずである。
ご主人様はあの後お休みになり、そしてすぐ――――光となって消えた。
明るくて、いつも僕をからかって、それでいて優しくしてくれたご主人様はもういない。僕は、独りになった。
「独りになるって、こういうことなんですね、ご主人様。ほうきはまた一つ、学びました」
返事は返ってこない。僕が何を話しても、答えてくれる人はもう――――いないんだ。
「ご主人様、色々考えましたが、僕はやっぱり旅に出ることにします。あなたに踊らされるようで癪ですが、あなたのお願い聞き入れないと、あなた化けて出てきそうなので。それもごめんですから」
結局、ご主人様は僕を生み出した理由を教えてはくれなかった。光になる前に聞いたけど、あの方はただ微笑むだけだった。まるで、自分で調べろと言わんばかりに。
なので、自分で調べることにした。僕が生まれた意味、僕に自律思考とやらを組み込んだ意味を。
始めに手がかりになるのは、いつもご主人様が物憂げに眺めていたこの写真。ご主人様と僕に瓜二つな男性が笑顔で立っている。この男性の正体が分かれば、僕が生まれた理由がわかるかもしれない。
ご主人様、僕は行きます。あなたと過ごした時間、一生忘れませんから。
そうだ、ついでに他のほうきも見てみよう。僕は特別だと言っていたけど、もしかしたらあの人の妄想かもしれないし。うん、事実確認は大事だ。
残り稼働時間は六十六年。間に合うことを祈りながら、僕は住み慣れた我が家を後にした。