女神襲来
女神の突然の来訪に、この場にいた全員がポカンとしている。エインセル王子のみが、うんざりしながらも俺への説明を優先してくれた。こういう場に慣れているのかもしれない。
「そもそもあの隠れ家の場所は、この魔女から得た情報だった。貴方が気絶した後になって、やっと貴方が別の世界から来た『お客人』だという伝書が送られてきたんだ。……事情を知っているのなら、もっと早く、より正確に教えてほしかったね」
えぇ、俺は女神の説明不足でシーアさんもろとも死にかけたの? 酷くない?
エインセル王子からのもっともな指摘に、女神は悪びれずに言う。
「儂の虎の子が貴様らごときに遅れを取るはずがないと踏んでいたからだ。派遣された黒騎士を全滅させ、生き残った王子に恐怖を植え付け、新生した邪竜による高らかな王国破壊宣言! 魔王の船出としてはこれ以上ないほど良いものになると、思っていたんだがなぁ」
「貴方まさか、我々を彼の当て馬としてわざと……」
「どちらにしろ目論見は外れたのだ。現に貴様らは生きているだろう、何を問題視する必要がある? そも、蓋を開ければあの程度の竜炎しか出さなかったのだ。そこの黒騎士の腕が焼け落ちたのは儂のせいじゃあないなぁ。そちらの落ち度、訓練不足だろうのぅ」
女神がどんどん火に油を注いでいくので、場の空気は最悪だ。せっかくこの世界について、王子というかなり詳しい立場の人から聞けているのに、これじゃあこの後会話をしてもらえるかどうかも怪しくなってきたぞ。
ジェイクさんなんて利き腕と思われる左の腕がないのに、右手で剣に触れて女神に睨みを効かせている。
一触即発の沈黙に耐えきれず、俺はつい言葉を発してしまった。
「あの……ジェイクさんの事は本当に俺のせいなんで、あんまり、その、こんな所で争いなんてするもんじゃないですよ。本当、全部俺が悪いですから」
プレッシャーで声が上擦る。冷や汗が止まらない。こういう空気は、本当に苦手だ。
「……ユウ、貴方を責めるのは簡単だ、だけどそうもいかない。我々は貴方のことを何も知らない。貴方自身も、きっとそうでしょう。恨み、怒ることはあれど、正直、その辺の動物と同じくらいかそれ以上に無知なるものに責任を求めることは筋違いだ」
慰められているわけではないだろうが、エインセル王子は俺を諭した。そして、女神に向き直って、真っ直ぐに問い正した。
「我々の事より、今は彼、ユウの事です。何故貴方は彼が『お客人』であることを知っているのか。貴方の目的は何で、虎の子とは何を指すのか。ユウが何も知らぬというなら、ユウの為にも、貴方が明らかにするしかありませんよね?」
こんな早くに手の内晒しなど趣がない、とぼやきながら女神はすごく嫌そうな顔をして、大きくこれ見よがしにため息を吐いて言った。
「この世界の何者かが、ヨットーの禁術を使った。異世界人を薪にして法外な量の魔力を得るアレだ。種火として選ばれたのは、元より燃えていて、禁術の動力源である痛みと憎悪で既に狂い始めていたこの男、多摩川悠よ。女神本体である方の儂が察知して、発動阻止こそ出来なかったが、魔力のパスとして利用されるはずだったこやつの魂を奪取することに成功した」
つまり、ただ死んで転生しました、という話ではないのか。俺が何か良くないことに使われようとしていたのを助けてくれた、と考えていいのだろうか。
なんて考えていると、急に首根っこを掴まれて宙に浮かされた。誰がやったのかとびっくりして振り向くと、やはり女神だった。元魔王だと言うし、助けてくれたからといって優しい人というわけではない、らしい。
「そんな魂持っていたって儂には使えないからな! まだ魂が芽生える前の陰険邪竜にぶち込んであいつを二度と目覚めない肉塊にしてやったわ! あとはこの悠が儂の望み通りに動いてくれれば、こやつは憂さ晴らしが出来てラッキー、儂も望みが叶ってハッピーって寸法だ」
こいつ結構やばい奴じゃない? 優しいとかそういう問題じゃなくて、現在進行形で悪い奴じゃない?
「望みって、あれですよね。世界を壊せ、どんな形でもいいから世界のあり様を変えろってやつですよね」
「そうだ! ほら、目の前にいるのはこの国一の研究者と魔王殺しの黒騎士だ、こやつらを殺すだけでもグンと目標に近づくというもの。さぁ、痛みも知らぬ甘ったれた王族に、お前の全てをその身に教えてやれ!」
女神はエインセル王子の鼻先に俺をぐっと近づけ、ほれほれという感じに揺さぶる。
「いや……やりませんけど。というか人に八つ当たりとか、そんなの許されるわけないじゃないですか」
張り詰めていたエインセル王子の顔が、ホッとした表情に変わる。女神はなんだそんなことか、と言わんばかりに笑い、俺を抱き寄せた。
「お前の所業の全ては儂が祝福しよう。儂が全て許す。お前はただ、心のあるがまま振る舞えば良いのだぞ」
今までとは打って変わって、優しく、温かく、俺を受け入れるように柔らかに接してくる。
なんだこの人、超怖い。
俺に世界を壊させるために手段を選ばないつもりか。人間と情緒が違いすぎてなんか気持ち悪い。
「お前、女神に気持ち悪いと感じたか」
小声で怒った女神が抱く力を思いきり強めて俺を絞めてくる。苦しい。
「そもそも、やりたいと思ったとしても、俺なんかが出来るわけないじゃないですかそんな大それたこと。俺は誰にも迷惑をかけずひっそりと生きていければいいんです。シーアさんに幸せな人生をプレゼントする約束が果たせれば、俺の人生の目標は達成です。俺にはそれだけでいいんですよ」
さらにギチギチと絞められる。
「お前は未だ元の肉体と繋がっているのだ。どれだけ拒否しようと感情のまま竜の言葉を奏でれば憎悪に飲まれ、向こうもこちらも火の海よ。迷惑をかけずひっそり? 魔王の宿痾から逃れられるわけがなかろう!」
「じゃ、じゃあシーアさんをエインセル王子に任せて俺は洞窟にでも篭りますよ! 俺なんかよりもシーアさんを幸せに出来る道をたくさん知っているだろうし、俺が一緒にいるよりもきっと安心です。約束が果たせるのなら、今ここで死んだっていいんですよ俺は! いやまぁ、王子が頼みを聞いてくれればですけど……!」
そう言った俺を、女神はガシッと掴んだと思うと、いきなり床に叩きつけた。
「いだっ!」
「腑抜け! 腰抜け! 貴様がこれほどまでに使えない雑魚だとは思わなかった! もう良い、好きにしろ!」
女神はそう言い放ち、ドカドカと去っていこうとして、ドアの前で振り返り、俺を指差して忠告した。
「言っておくが、貴様には魔王の素質がある。どれだけ逃げようが、貴様は必ず魔王になる。死んだとて、向こうからの魔力がその肉体に絶えず流れ、誰も止められぬ業火となるだけのこと。……魔王と成り果てて、ようやく儂が正しかったと悔い改めても遅いからな」
ドア前にたむろする衛兵たちを乱暴に退け、女神は帰っていった。
「……言うだけ言って帰ったよあの人」
呆気に取られたエインセル王子が言葉をこぼした後、ジェイクさんが口を開いた。
「ユウ、貴様はどうしたいんだ。本当に、貴様の人生はそれでいいのか」
そんな事を言われても、困ってしまうな。
「自分でも、わかりませんよ。……ずっと昔から考えてたんです。生きてるだけで人に迷惑をかけるなら、死んだ方がマシだって。でも、死んだら死んだで、迷惑をかけるんですよ。向こうでも、こっちでも。だから俺は……」
床に這いつくばりながら、気がつけば涙が頬を伝っていた。もう涙なんて枯れたと思っていたけど、新しい体だからか、それとも体はまだ赤ちゃんだからか、涙はとめどなく溢れてくる。
「俺は、どうしたらいいんですか」
昔なら平気な振りをして、心配させないように振る舞えたはずなのに、今は最早誰に言うわけでもない弱音を、言葉にするので精一杯だった。
女神の情緒不安定すぎんか。