黒騎士と逆巻く黒炎
青い空の下、一目散に飛ぶ。後ろを振り向けば、先程までいた邪教カルトの建物がよく見えた。
禍々しい形の教会のような建物で、『豊穣を呪う』だかなんだかのお題目の通り、周りには木や植物の一つも生えておらず、代わりに木のような生物がグネグネと蠢いている。空からじゃよく見えないけど、地面の草だって、多分草じゃない。風もないのに不規則に揺らいでいるのが見えるからだ。
そんな異常な領域が、建物を中心に大体半径一キロメートルくらい広がっている。その外側は普通の大きな森で、まるで森が邪教によって侵食されているかのようだった。
とりあえず、異常な領域から脱出して、森の中に見える林道のような場所を目指して飛ぶ事にした。体力がそこまで保つかどうかは、ちょっと不安だが。
今俺が飛んでいるところからは二本林道が見えている。一本は目的地である開けた道、もう一本はどこかから邪教カルトまでを結ぶ、まるで隠されたような鬱蒼とした道。
その鬱蒼とした道を、何やら黒尽くめの集団が歩いているのを発見した。邪教カルトの方へ、異形の森を恐れもせず、淡々と、堂々と進んでいく。
気にせず目的地へと向かおうとするも、なんだか嫌な予感がして目が離せなかった。
先頭にいた人間が立ち止まり、集団に何か合図をした。集団は先に進み、先頭にいた二人だけが残った。
そのうちの一人、黒い鎧に身を包んだ背の高い人間が、こちらを見ている。
まずい、見つかった。
この距離で、兜まで着けてる相手の目なんて見えるはずがないのに、射抜くような眼差しを感じ、背筋が思わずゾッとした。
逃げないと。だが何をしてくるかわからない相手に背中を見せるのが怖い。
黒い鎧は、大弓を取り出し、こちらに向けている。重い、ギチギチという音が聞こえてくるかのように、力強く、敵意を持って矢を引き絞っている。照準を合わせる間に、矢は力が宿るように光る。
いや、見てる場合じゃない。逃げないと!
弓矢に対して何が出来るか。火を吹いて燃やしてしまおうにも、今火を吹けばそれだけでガス欠必至。シーアさんからもらった血も無駄にして、この高さから森に真っ逆さまだ。
矢は真っ直ぐ飛ぶはずだ。なら、狙いをつけられないよう、滅茶苦茶に飛ぶしかない。今の俺にはそれしか出来ない。
「シーアさんごめん、今からすごく揺れます!」
俺は翼を力強く動かして、上に飛び、横に飛び、あるいは急降下したりして、自分なりに不規則に飛びながら目的地へ急いだ。
後ろから矢が放たれた音がしたと思えば、羽を掠り、光の線が向こうへと飛んでいく。
一本目はなんとか躱せたようだ、とホッとしたのも束の間、すぐに二本目、三本目と飛んでくる。
距離は遠くなっているはずなのに、翼に、頭に、胴体に、的確に当てようとしている。シーアさんに傷一つついていないところを見ると、シーアさんを避けて俺だけに当てようとしているようだ。
それは難しいことだと思うが、随分と気を遣ってくれているらしい。配慮が痛み入るな、畜生。無力な自分と、攻撃してくる相手に、ふつふつと怒りが湧いてきた。
集中力すら、長く続くものではない。
五本目の矢が、右の翼を捉え、ぶち抜いた。矢の先端は、当たると小さく破裂するもののようで、翼の半分が消し飛び、目的地寸前だというのに、木々の中へと力なく落ちていった。
もう体力も限界だったが、地面にぶつかる前に力の限り羽ばたいてなんとか衝撃を抑え、シーアさんが傷つかないように着地した。
「うう……」
翼が痛む。無くなってしまった翼が、バリバリと痺れるような痛みで失った事実を知らしめてくる。傷口は僅かな風が触れるだけでズクズクと痛み、血も止まらない。痛みから、呼吸もままならず、うめくことしか出来ない。体力ももう限界で、頭もぼうっとしてきた。
シーアさんは、体を固定していた布を外し、一部を裂いて翼の止血をしようとしてくれている。傷口に近い部分を圧迫するように結び、血が止まるのを確認して、シーアさんは小さく頷いた。俺は止血の仕方なんて全然わからないので、シーアさんに任せて痛みに耐えるしか出来なかった。
シーアさんは、大丈夫だろうか。怪我とか骨折とか、していないだろうか。
意識が遠のきそうになった時、段々と足音が近づいているのが聞こえた。二人組の足音。俺を撃ち落とした奴と、その側にいた奴だろう。
鎧の足音がどんどん近づき、姿が見えた頃にはもう俺たちとの距離は三メートルもなかった。
「邪竜と……やはり、贄巫女か。別の信徒達と合流でもする気だったのか?」
鎧は俺たちに語りかける。男の、敵意を持った声だ。
「『豊呪の民』は我々が全て滅ぼした。東の大聖堂も、ディグシアの残党も。ここの隠れ家すら、もうじき掃討が終わる。諦めろ、諦めて死ね。邪竜……いや、傲慢なる魔王、その哀れな幼体よ」
シーアさんは鎧の男を睨みつける。同志を殺したという男のことが、やっぱり憎らしいようだ。
だがやっぱりというか、話が見えない。この世界の人間なら全部わかる話なんだろうか、これは。
「……俺、は、邪竜じゃ、ない。人間です」
息も絶え絶えで、何を言えばいいかもわからず、それでも声を発した。
こんな俺でも、まだ死ぬわけにはいかなかった。今死ねば、シーアさんがどうなってしまうのかわからない。約束をしたからには、ちゃんと幸せになれる所まで連れて行かないと。
「死にかけでも、人を謀る舌は回るようだな」
鎧の男は、俺の目の前に剣を突きつけた。
「安心しろ。貴様が執心する贄巫女も、お前が死んだ後、共に送ってやる。もっとも、邪竜の貴様は涙の一つも流さんのだろうが」
……俺が死んだら、シーアさんも殺される?
生まれ変わっても俺は結局、人との約束も果たせず、ただ希望だけ見せて、絶望の底に叩き落とすしか出来ませんでした、っていうのか。
ははっ。
……こんな理不尽があるかよ。
「やめろッッ!!」
痛みと悔しさ、死の恐怖と、理不尽への怒り。不甲斐なさ、悲しさ。
それら全てが言葉となり、言葉は赤黒い茨の炎となって、鎧の男を襲った。
焼き殺せ、焼き滅ぼせという憎悪の炎が頭を巡るように、ぐちゃぐちゃと思考が乱れるのは、死ぬ程の力を振り絞ったからだろうか。あまりにも怒涛で理解不能な展開で、俺の頭もおかしくなってしまったからだろうか。
それとも、目の前に揺れる剣の切っ先と鎧の男の殺意が、怒り狂った親父に殺されかけた時の、あの怒号とアイスピックを思い起こさせたからだろうか。
最後には何も考えられなくなるほど混迷し、そのまま意識を失った。
目覚めると、シーアさんの膝の上に乗り、馬車に揺れていた。
「お目覚めになりましたか、邪竜様」
シーアさんは俺をぎゅうと抱きしめて、俺の痛みがまだ全然引いてないことがわかるとあわてて元に戻した。
「ここは……?」
「我々の馬車です、『お客人』」
俺の問いに答えたのは、目の前に座っている黒尽くめの少女だった。背が少し高めの、大体十六歳くらいに見える少女は、隣に座る先程の鎧の男と合わせて、俺たちを狙っていた二人組だとわかった。
上等そうな滑らかな服は、黒い色と合わさって近寄り難い雰囲気を出していて、フードから覗く白い肌と金の髪は、服と正反対の色なのにやけに馴染んで見えた。
彼女の手には、黒い鎧の手甲があり、鎧の男の方を見ると、左腕、手甲に包まれていたはずの部分が無くなっていた。
「先程は失礼しました。我々の手違いから、貴方を殺してしまうところでした」
言葉の端々に潜む覇気が、彼女の気品を伺わせる。
そして、彼女が鎧の男に目配せすると、二人ともしっかりと俺に向き合って、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「本当に、すまなかった」
二人は誠実に、真摯に謝罪の言葉を述べた。
「いや、あの、全然大丈夫です、本当。頭をあげてください」
謝られ慣れてない俺が挙動不審になっているのを、シーアさんが静かに諌めた。
「邪竜様。例え相手が王族とはいえ、貴方はそれに並び立つ存在。このような怪我を負わされたのなら、むしろ二人を食い殺してでも覇を示すべきです」
……この人たち王族なの?
いや、もういいや。聞こう。全部。
「そんなことより、俺産まれたばっかりなんで、今までの状況が全くわからないんです。もしよかったらなんですけど、教えてくれませんか……?」
そう言うと、目の前の少女は意外そうな顔をして、少し考えた後、微笑んで言った。
「わかりました。積もる話もありますから、後ほど僕の部屋で情報交換といきましょうか。貴方に会わせたい者もいますしね」
景色が変わり、馬車は跳ね橋を軽快に渡っている。今まで走っていた草原は、俺たちが倒れた森から遠く離れていたようだ。
城壁を抜けると、活気ある街の喧騒が馬車を包んだ。
「ようこそ、僕らの『フィルヴィネ城』へ!」
少女は声高にそう宣言し、俺たちを歓迎した。
悠が死にかけたのが誰のせいか、次回ハッキリします。
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