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実話小説・京都の或る自治会騒動顛末記

作者: 矢野勝弘


プロローグ


「おい、何か文句があるのか? 言いたいことが有れば、言わんかい!」

 図体の大きな丸顔の梅田という男が、小柄な久米を睨んで恫喝した。

 そこは久米の住む団地の自治会事務所であった。

 久米は三年前、この梅田という元自治会会長と死活を賭けた大喧嘩を演じたのであった。

 それ以後、久米は自治会活動には極力関わりを持つまいと心していた。しかし、集合団地に住む以上、お役御免で通すわけには行かなかった。

 妻のキヨ子がいる内は、彼女に任せていたが、その妻もいなくなれば、後は……。役回りが順番に来る。それは、階段委員という不可避の役で、その委員になった以上は、年に一度の住民総会にも、極力出席しなければならなかった。

 かって喧嘩をした梅田は、会長を辞めた後は会合には出てこない、と言う話を聞いて、それならと、総会に出ることにしたのであった。

 しかし、出てみるとそこには梅田がいた。一目みるなり、久米は「この野郎!」と、再びかっての怒りが蘇るのであった。梅田を睨んでいた。すると、梅田が久米に近づいてきて言ったのだ。

 久米は応えて言った。

「俺が誰か分かっているのか? 分かっているのなら言ってみろや!」

「お前は久米と言うことは先刻知っておるわい。なにか言いたいことがあるのか? 有るのなら言わんかい!」

 いや、何もない、と言えば、弱虫の久米、として嘲りを受けて、おしまいとなる所であったが、久米は平然と言い返した。

「あの時は随分と、からんでくれたな。あれだけからめば満足したか?!」

「詫び状を書いた者が何を言うか。お前が詫び状を入れたことは皆んなが知っておる」

 それが久米を逆上させた。

「詫び状とは何だ。詫びたのは自治会とお前じゃないか」

「アホ抜かせ! みんながお前が悪いと言うておる! みんなに聞いてみろ!」

「みんなとは何事だ! 聞き捨てにならん。自治会のみんなが、俺が悪いと言うているのか? はっきりしろ!」

「おお、みんながお前が悪いと言うておるわい。お前の詫び状がその証拠だ」

 戦闘再開!

 これは梅田個人の話か、自治会の者も同じ認識なのか、問いつめて返事を取り付けようと、久米はこの後、議長に重要質問項目として、返事を求めた。

 だが、その質問への回答は後回しにされ、最後は時間切れで葬られた。

 誠実に答えようとはしない。それは、とりもなおさず、梅田の言を承認している、と久米はみなした。

 久米に対して、自治会は違約したことになる。梅田と自治会は久米に『今後一切ご迷惑をお掛けしません』と詫びて、その約束をしたのである。それなのに、「お前は詫び状を入れた。お前が悪いと言うことはみんなが言うておる」と人々の面前で公然と罵り、それに抗議する久米に対して、一切取り合おうとしないと言うことは、これは明らかに、再び迷惑を掛けたことになるではないか!

 そうではない、とはっきり弁明すれば、それは梅田一人の違約となるものを、久米の正式の抗議と弁明の求めにも応じなかったと言うことは、三年前に交わした誓約書を破棄したのと同じ事と、久米は考えたのであった。




=一=


 久米は民主主義の信奉者であった。民主主義の理念の元から、久米は自ずからの思索を構築し、且つ自らの生活指針としていた。

 民主主義は正義であった。権力者や富豪や世襲制度の恩恵の元で生きている一部の者を除いて、民主主義は広く深く、人々の生活の中に浸透している、と思っていた。そこにしか、民衆の拠り所は無いはずであるから。


 しかし、久米はこの前提に少なからず、疑いを持つ羽目に陥った。

 日本人にとって、民主主義とは所詮、絵に描いた餅ではなかろうか。

 言論の自由とともに、民主主義というこの絶対的正義と思われる理想は、未だ日本人の血肉とはなっていないのに違いない、と、思われたのであった。

 久米は自分の住む自治会に関わって、この疑念に(さいな)まれるようになった。それはすでに三年を経過していた。

 いま、一時(ひととき)の経過をもって振り返ると、久米は自身の不屈の信念を貫徹出来ずに、一つの舞台から、惨めに敗退した無力な一人の人間……つまり自分を見るのであった。


 久米の妻は京都の女性であった。キヨ子(仮名)と言った。キヨ子は、久米が自治会の会長と壮絶な喧嘩をしているのを見て(おび)えた。

「こんなもめ事になってから、わたしたちはここの団地に住めなくなる」

 自治会の会長の梅田もまた生粋の京都人であった。彼は自分の腰巾着で、権威主義を鼻にかけた政岡(仮名)の知恵を利用して、久米に理不尽な詫び状の提出を執拗に要求するのだった。

 キヨ子は「なんでもいいから、それで解決するのなら、ハンコを押したら」と言う。

「そういう妥協が、後々の災いになる。こっちに何一つ落ち度もないのに、なんで俺が詫び状を書かなならん?」

 キヨ子には、事の是々非々よりも、当面の騒動を収束させることにしか、関心がなかった。

「考えてよ。子供がいるんよ。自治会に逆らってばかりいると、子供がどんな目に遭うと思うのね。これ以上騒ぎが続くのなら、私がこの団地から出て行くからね」

 結果的には、キヨ子の言う通りになったのだが、その時の久米は逆に、子供たちのためにも、家庭のためにも、売られた喧嘩には堂々と受けて立たねばならないと、考えていた。

「もし、相手の言うとおりに詫び状を書けば、正義も民主主義も日本には無い、ということになる。それでは子供たちに未来がなくなる。無理が通れば道理は引っ込む、そんなことを通用させてはならない」

「お父さんは人の言うことを聞かないのよ。勝手な理屈ばかり言って、それを理解する人は、誰一人いないでしょう。いないのに理屈を言うから、お父さんは孤立するのよ。その結果、私たちはこの団地に住めなくなるのだから。それでもいいのなら、好きなように喧嘩していればいいでしょう」

 キヨ子が珍しく長広舌を振るって、プリプリに腹を立てたのだった。勿論、久米に対して腹を立てるのであって、問題の自治会へ対して怒るのではなかった。



=二=


 久米の住まいは、京都市の西の果て、洛西ニュータウンの中の一角で、十年前に移り住んで来た。

 陸の孤島とも揶揄(やゆ)されていたが、緑の多い快適な住宅地であった。

 そこは京都府の営む公営住宅で、自治会もあった。久米は今まで、住居地の自治活動には無縁であった。そういう自治会の会合に招かれるような所には住んでいなかった。だからこそ、日頃の理念である民主主義の具体的実践の場として、その活動には積極的に協力する意志を持っていたのであったが……。

 毎年、団地内の問題が自治会総会で討議された。けっこう揉めてもいた。それでも、試行錯誤、一歩一歩、問題解決に取り組んでいた。

 久米は二回ほど、階段委員という一つの階の担当をこなした。そして、十年目に棟を代表する重要な役職があてがわれたのだった。


 ここで、久米が関わった自治会組織の仕組みを、概略、記しておこう。

 トップに会長。総務として、副会長三人、会計一人、事務局長一人、事務局員二人、の七名をもって本部役員と称した。さらに、保健衛生部・体育振興部・文化事業部・自主防災部・交通対策部・(カークラブ会計)の五部門が設置され、それぞれに部長を配置していた。合計十二名の役員は、各棟の棟代表者がなり、部門の補佐として副部長が各棟の棟長の中から割り当てられる。と言うことになっていた。


 久米は棟の代表として、交通対策部を引き受けた。

 棟の世話人から依頼されたのであった。

「交通対策は一番難しい所やねん。それで、誰でもええと言うわけにはいかへんねん。久米さんは車のことにも詳しいし、前々から駐車場の意見も有ったさかいに、このさい、久米さんのやりたいようにしてええさかいに、交通対策の部長を引き受けてもらえんやろうか?」

 本来なら、自分の棟を管理する棟長を経験して、その経験から自治会の運営の詳細を理解した上で、棟代表として直接自治会の中枢に関わるのが良かったのであったが……。

 その棟長を飛ばして、棟代表者になってくれ、と言うのには、久米自身、躊躇(ちゅうちょ)があった。

「他に誰もいないというので、どうしても、というのであれば、引き受けますけれど、ただし、勝手もわからない事だし、協力してくれるというのが条件ですよ。役員の皆さんが協力してくれなければ、なにも出来ませんし、投げ出してしまうことになりますよ」

 世話人の松井夫人は、府から委託されている棟の管理人で、自治会とは別個の人だった。それでも松井夫人は、団地切っての世話人で、顔の広い口達者であった。

「松井さんが請け合うのなら、それなら……」と応じたのであった。


 久米はかねてから団地の駐車場の配置について、提案していた。車と車の間隔がバラバラであり、時には、ドアも開けられないようになってしまう。元々、狭い場所であり、その中で、確実に均等な間隔を維持するためにと、スペースの中央に車を配置するのではなくて、ラインにタイヤを添わせて駐車するようにしては、と。

 そのための車の配置図面も作って、当時会長をしていた松井夫人の夫、つまり松井氏本人へも、説明していた。

 そういうこともあって、交通対策に久米を推薦したのであった。

 新年度の役員は4月からであるが、実質は三月から始まった。引継ぎや予定やと、次年度役員の集まりが続いた。

 実は、久米はそれに先だって、一月の新年早々から病院に入って、C型肝炎の治療を開始していた。放っておけば確実に肝臓癌になると言われていた。子供達のためにもまだ長生きをしなければならないと、意を決してインターフェロンの集中治療のために一月一杯入院して、後は通院治療に切り替えたところであった。その治療が生半可なものではないことを理解していなかった。したがって自治会の活動が始まる前に入院して、そのあとで自治会の役職をこなそうと考えた。

 医者からは副作用として、脱毛や鬱病も出ることがあると言われていたが、軽く聞き流していた。脱毛は出なかった(そのときは)。鬱病にはなる筈はないと。しかし、意外な副作用が現れた。隔日置きのインターフェロン注射と毎日の薬の服用。その出費はバカにならず、それ以上に困ったのは、意識が朦朧として、無気力と倦怠感に見舞われた。そして、記憶力の喪失が現れた。この記憶が無くなるのには閉口した。前日の出来事を覚えておれないのだ。

 しかも、通院と服薬は半年は続けろと言われた。半年も続けていれば、廃人になるかもしれないと危惧された。それよりも、自治会の活動が出来なくなる。三月に入ると、もう辛抱できずに、治療を打ち切ったのだった。

 医者に相談すると、自分の責任で決めなさい、後のことは知りません、という。

 いい加減な医者だと思った。治療を中止するこ事と続ける事での、その問題点や、メリット・デメリットを言わない。

 患者に、可能な限りの情報を提示して、その説明を加え、さらに予測も提供する。その上で、患者自身の決断を待つ。それが、民主主義のルールであり、その説明をするのが、プロとしての力量であるはず。その大事な任務を果たさないのである。

『寄らしむべし、知らしむべからず』の、かっての封建時代の残滓(ざんし)を、いまだ医者の特権として身にまとっていると、久米は見た。

 リスクは大きいと思われたが、久米は自治会の任務のためにもと、意を決して治療を打ち切った。(これは後日、大変危険なことであると分かったが、そのときはその意味を知らなかった)



=三=


 三月の予備集会の前に、会長の梅田から電話がかかってきた。

 考えてみると、この会長と親密に会話をしたのは、この最初の電話だけであったかもしれない。以後、直接会って話す内に、感情的になって、ついには怒鳴り合うだけの関係となったのであった。

 会長の梅田は巨体の持ち主で、しゃべりだすと止まらなかった。

 久米との初対面で、梅田は言うた。

「交通対策部長は、何でも自分の判断で、やりたいことをやって貰う。その権限が部長にはある」

 それに対して、久米は、

「いや、僕の独断ではやりません。すべからく会長と役員さんに相談しますし、変更するものは住民に知らせて、同意を得てから実施するつもりです」

 それでも、梅田は、

「部長のやりたいようにやって貰いたい。まかせます」という。

 しかし、それは単なるハッタリかましであった。しばしば、張ったりを噛ます者には、横暴な者が多い、ということを、まだ久米は理解していなかった。

 外見の柔和さに、久米は梅田の人間を見誤っていた。

 いや、それよりも、久米は人を外見とか先入観とかで、否定的に見る事へ嫌悪を持っていた。人を外見で見定めてはならない。そういう信念を持っていた。そのために、あまり人間性の実態・その人の問題点、等を見抜いてやろう、などという発想は持っていなかったのである。

 もし、久米が注意深く梅田を観察していれば、早めに、要注意の人間であることに気付いたかも知れない……。


 初対面の時、久米は路肩で梅田と二人で、団地の問題点を話していた。そこへ小柄な老婆が両手にゴミ袋を下げて、足元おぼつかなくやって来た。

 梅田はそれを見て言う。

「今日はゴミを出す日ではない。団地の決まり事は守って貰わな困る」

 老婆は聞こえるのか聞こえないのか、天気の挨拶をする。

 久米は老婆へ声をかけた。

「大変ですね。いいですよ、いいですよ。ゴミは出せるときに出しておかないと、室が片付きませんからね」

 と言いながら、そのゴミを持ってやろうかと考えた。梅田は憮然(ぶぜん)としていた。出過ぎてもアカンかと、老婆を見ているだけにと留めたのだが……。

 久米は規則一辺倒で押し通すような非情さは持ち合わせていない。

<規則はあくまでも便宜上のもので、規則のために人がいるのではない。状況によっては目をつぶることも必要>

 久米はタクシーの仕事をしており、タクシーを杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)の交通規則で取り締まる警官たちへ対しても、少なからず憤慨していた。

 交通法規は、必要なら変更されてしかるべきもの。深夜の客待ちタクシーをどうして目の敵にして検挙しなければならないのか? タクシーは時には交差点でも客のために停車する。タクシー乗り場でなくても並ぶ。そこに客が居るからであり、その客は身障者であるかも知れない。歩くのも苦痛になって乗ろうとする身障者を、百メートルも二百メートルも先の正規の乗り場へ歩いて行け! と言うて良いのか!

 法規では正しいと言えても、人間としてそれはあってはならない!

 と言うことは、法規をその時は無視するか、あるいは変えなければならないことになる。

 曰く『タクシーは周辺の状況を配慮して、安全な時には、駐停車の反則対象とはしない』

 と但し書きが記入されてもよいのである。それが人間のための法律・規則というもので、決められた法規で人間を殺すようなことをしてはならないのである。

 そういう仕事柄の考えを持っているだけに、久米は規則で弱い者を虐めることには同調できなかった。

 ゴミは指定日に出せ、というのは、それを実行することの出来る者へ対して、言うことである。

 身障者や老婆は、出せるときに出さなければ、仕方の無いときもあるだろう。文句を言う前に、『事情のある方は知らせて下さい。ゴミ出しは自治会が行います』というぐらいの温情さが必要である。

 梅田は、老婆には睨み付ける視線を送ったが、一方、久米に対してはニコニコと同調した。しかし、それは最初のことで、久米の人間を見るための様子伺(うかが)いであったようだ。

 今にして思えば、ここに梅田の非情さと狡さと底意地の悪さが、かいま見えているのであった。



=四=


 久米はまず、自分の事業計画書を作成した。交通対策の仕事は多々あるであろうが、それらの単純な作業はいずれ取り組むとして、まず、以前からのアイデアを文章化した。それには、冒頭の挨拶文が以下のように書かれていた。


 <ご挨拶>

   このたび交通対策部の役員を仰せつかりました「久米(部長)」

  と「光橋(副)仮名」と「岩倉(副)仮名」でございます。会長の

  「梅  田」氏とともに、当団地の駐車場管理に取り組んでまいります。  

  何卒、御理解と御協力を御願いいたします。

   ところで、自治会の各部門の中でも、この交通対策部は、特に煩雑

  且つ重要な部門だと、かねがね噂で聞いておりました。しかし我々は、

  (実は)交通対策委員も棟長も拝命したことのない者たちで、具体的

  にその実際が把握されていないままの就任となりました。

   なんとも、いい加減に無責任な話で恐縮ですが、それでも、自分た

  ちの住む団地のために何かお役に立てるものなら、忌諱ばかりしてい

  ないで、極力協力すべきものいう建前論に鞭打たれて「盲蛇に怖じず」

  式に拝命したのでした。

   最初は暢気に、私久米がかねてから提案していましたところの「駐

  車ラインの恒久化」に取り組めば、それで一年のお役は終わるのだろ

  う、ぐらいな考えでしたが、蓋をあけてみると、あに図らんや、大変

  な問題が待ち受けていました。

   会長曰く「何事も部長の判断で実行して貰えば良い」とは申します

  ものの、住民各位の意向も伺って、さらに一段のアイデアも頂ければ、

  それを加味しつつ対策を考えて行きたいと思います。

   ともかく、我々の住処をより美しくより快適な所にすべく微力を捧

  げたいと存じます。

   すでに当団地を古里として心に抱く人々が社会に巣立っています。

  かっての懐かしい幼子たちが立派に成人して、盆・正月には帰省して

  来ます。(住所を変えた人たちも当団地に立ち寄り眺めては懐旧の情

  を暖めて行きますし、これからも、子供たちがこの団地を古里として

  脳裏に刻み続けて育って行きます)古里を古里らしく、期待にそぐわ

  ないように美しく快適な所として、一層の整備に努めるのが我々現住

  民の義務であろうかと存じます。

   不肖我々役員も頑張りますので、皆様方の御支援御援助を何卒よろ

  しく、重ねてお願い申し上げます。


 梅田はこれを激賞した。感動したようであった。

 久米を部長に紹介した松井夫婦にも、「いい人を出してくれた」と感謝していたらしい。

 ところが……、

 久米のこの文章は、当然、松井氏にも、その他の人々にも閲覧されていた。

 その文章には、久米にも、若干気になる点はあった。それは、

 部長の挨拶としては、出過ぎているのでは?

 見方によれば、会長の顔色なからしめるものが有るのでは? なぜなら、会長には何一つとして、見るべき挨拶文はないからである。ただ、部長だけが評価されるような挨拶文を出した!

 会長が太っ腹で、公正であれば、問題はないが、もし、矮小な度量しかなければ……。

 まさに、その点こそが、大事なことであったのだが、久米は、ふと気になった程度で、あとは大して意識しなかった。


 今にして見れば、誰かが、言ったのであろう。

「これは一部長の挨拶ではない。会長がこれを言うのであればよいが。部長ごときにこんなものを出されては、会長が恥を掻くだけだ」

 梅田の久米に対する態度の変化を、当の久米自身は、あまり気にとめてはいなかったが、それは確実に、且つ執拗に始まったのであった。

 まず、具体的な対策について、一々文句を言うようになった。

 それに応えて、久米はさらに内容を変更して、第二、第三の叩き台を作った。

 しかし、久米の知らないところで、久米を不快とするラインが引かれてしまえば、なにをどう調整しょうと、直そうと、配慮されるものではない。努力するだけ、溝は深まるものである。


 久米のすることなす事、ことごとく梅田に妨害されるようになった。

「部長はこの団地の駐車が悪いというのか。どこが悪いか。みんな、ぴっちり綺麗に駐車しておる」

 また、

「ロープがすぐ切れるというが、どこもロープは切れておらぬ。切れれば張り替えればいいだけの話」

 また

「ロープでなくブロックを埋めてラインにするとか、鉄パイプをラインにするとか、無茶苦茶を言う。そんなことをしている団地がどこにあるのか」

 また、

「住民に提案することはならん。そんな案を出すとそれこそ大事(おおごと)になる。会長の権限でそれは絶対に許さぬ」

 久米も言い返すようになった。

「最初はなんと言うていたのだ。部長に全ての権限を与える。部長のやりたいようにやってもらう、と言うのたのではなかったのか!」

 家の電話ででも怒鳴り合うようになった。


 キヨ子は言う。

「みんなで協力するという話ではなかったのかね。なにも協力して貰えないのなら、辞めたらいいでしょう。大方、また今度も、松井さんにはめられたのよ。お父さんは利用されたのよ。調子のいいことを言って、迷惑ばかり掛ける人だから」

 松井さんに、また、はめられた、と言うのは、以前、階段委員をしたときに、コンテナ掃除や棟周辺の清掃などで、体の不自由な年寄りを免除してやろうとしたときに、松井夫人が、

「あそこには立派な息子がいる。同じ所帯で健康な息子がいるのなら、免除する理由はない」

 と言われて、件の老婆への説得にかかったのだった。

「近所付き合いと、人間関係の学習にも成ることだし、息子さんに参加するように話してあげて下さい」

 老婆はそれが不満で、松井夫人に訴えたという。久米さんが理解してくれない、と。

 松井夫人がどう返事をしたのかは分からないが、老婆はその後、自分でコンテナ掃除にとりかかっていた。元気な息子、という男は、久米は結局、一度も見かけたことはなかった。

 そして、まもなく久米の自家用車の窓が木っ葉微塵に叩き破られていた。(自宅の窓も割られようとしたが、窓は鉄線入りでヒビだけで済んだ)

 キヨ子は、それを「松井夫人にはめられた」と言うのであった。

 そして今度もお人好しの父さんを「利用した」と怒るのであった。

「松井さんは梅田がどんな人間か分かっていたはずよ。それで誰も嫌がる仕事を父さんに押しつけたのに決まってる……」

 キヨ子は久米よりシビアだった。

「……私は最初から賛成できなかった。棟長を先にすればいいのに、いきなり棟代表なんかするから、みんなから寄ってたかって叩かれるのよ」

「なにも皆んなから虐められているわけではない。梅田と馬が合わないだけだ」

「この際、部長を辞退したら。最初の約束と違うでしょう。みんなが協力するという約束の上の事だったのと違うのね!」

「今さら、尻尾を巻いて辞めるというわけにもいかん。意地でも辞めるわけにはゆかんよ」

「勝手ばっかりで……。私たちに迷惑がかからんようにしてよ」


 久米に協力するという前提であったのが、その前提がなくなれば、キヨ子のいうように、辞めてもいいわけだが、久米はそれとは別の理由で、辞めるわけにはいかないと思っていた。

 組合事務所は団地の出入れ口の近くにあり、久米の子供たちはその事務所の横を通って、ピアノ教室や学習塾へ行っていた。

 窓を開けて、パソコンに取り組んでいると、教室へ行く子供たちが見えるのだった。手招きをして招き入れ、久米の仕事ぶりを見せてやったりした。

 ある時、弟が友達に言ったという。

「お父さんはな、棟代表なんやで」

 子供は自治会の仕事をすることになった父を誇りにしたのだった。

 今まで、久米の仕事はタクシーで、ほとんどは夜であった。

 当初は久米のタクシーの話を友達にしていたが、いつしか、なにも言わなくなった。

 子供は互いに自分の親の事を話題にする。中には教員もいる。役所勤めもいる。医者も薬剤師もいる。そう言う中でタクシーと言えば、子供たちはいつしか、「なんだ、タクシーか」という反応を示す。

 それを聞けば、子供は二度と、「お父さんはタクシーに乗っている」とは言わなくなる。

 そうすると、他に父を自慢する話題がない。

 そういう中で、棟代表となったことに、子供は父を自慢する材料を一つ見つけたことになる。

 目に見える形で、父を誇りに出来ることは、子供にとっては、その精神的成長の上で大いに重要であろう。組合事務所に立ち寄る二人の子供たちは、普段になく明るかった。

 子供たちのためにも頑張ろう、と久米は思うのだった。



=五=

 しかし、久米を疎ましく思った梅田からの嫌がらせと攻撃は留まることがなかった。

 蛇のように陰気で執拗な攻撃がつづいた。一度ならず、久米は梅田に謝った。謝る必要はないと、思ったのだが、時には不本意な謝罪も必要かと……。

「不慣れなために、不手際ばかりでした。済みませんでした」

 それで、納まるのなら我慢のし甲斐もある、と思った。しかし、それは誤算だった。

 一度、攻撃開始のスイッチが入っている者へ詫びると言うことは、ますます相手を図に乗せてしまう、と言うことを久米は認識していなかった。

 いや、それよりも、会長たる梅田が、本気で久米を虐める対象として見定め、蹴落とすための体制固めを始めだしている、などということは予測だにしていなかったのである。

 梅田の下心を見抜けないまま、久米はますます真面目に事務所通いを続けていた。


 元々、久米はかなり几帳面なほうであった。自分の住まいでは、後片づけも投げやりになることは屡々(しばしば)だったが、他所では決していい加減なことはしなかった。例えば、事務所に入ると必ず会長である梅田に電話を入れて、事務所に来たことを知らせた。合鍵を持っているからといって、一人で勝手に入室して、そのまま出て行くような隠密行動はしなかった。

 そういう久米の誠実さと和解への努力は、あるとき突然の梅田の暴力行為によって終止符が打たれた。

 梅田にしてみれば、久米は柔弱な奴で、いくらでも絡んで虐めてやれる。その内に音を上げて自分から辞めると言い出すだろう。そうすれば一層罵って虐めてやれる、ぐらいな気持ちで居たことだろう。まさか、馬鹿にしている久米が反撃してくるとは、予想していなかったことだろう。

 その日も、久米はいつものように、梅田に入室を知らせてから、パソコンに向かっていた。ほどなく梅田がやって来た。そして久米に言うのだった。

「場外駐車場は草ぼうぼうだ。部長は何をしておるんだ。部員を招集して場外の掃除をしなければならんのが、お前の仕事やろうが。パソコンばかり触って、カークラブ会員の名簿もまだ作ってはおらん。お前は何もしていない。一体今までにお前は何をしたのか、さあ、言うてみろ! 言わんかい!」

 そこまで罵られて、久米はついに反撃に出た。

「場外駐車場の草刈りの話は今、初めて聞いた。初めて知らせて、それで何もしていないと怒鳴るとは何事だ! 名簿にしても、一番に必要とは、聞いていなかった。前任者から知らされた手順で駐車場割り振りの作業や関連書類の新規作り直しもやっている。他にも、いろいろとやっていたのではないのか! しかし、やりかけては、止めろとというのは誰なんだ。夜回り再開の準備作業にかかれば止めろと言うし、駐車場の配置図面作りをしていれば、それもやめろという。各棟バラバラの駐車位置を整理しようとすれば、それも止めろと言う。駐車場の段差解消にかかろうとすれば、それもやめろと言う……」

 久米の抗弁の間にも、梅田は勝手にまくし立てて怒鳴っていた。久米の弁明など聞く耳は持っていなかった。

「……会長なら何を言ってもいいのか! 怒鳴り散らしておけばそれで良いと思っているのか! いい加減にしろ! あれはするな、これは許さぬと一々止めておいて、それで何をしたのか言うてみろ!とは何事だ。最初に部長のやりたいようにやれと言うたのはどこのどいつだ。好き勝手を言うのも、いい加減にしろ!」

 梅田の怒鳴り声よりも大きく声を張り上げて、思い切りパソコンの前の机を平手打ちに叩いたのだった。

 キヨ子と喧嘩になり、キヨ子の理不尽な文句に腹が立ったときにも、同じようにしてテーブルを叩いた。キヨ子はそれで沈黙した。

 しかし、梅田は違っていた。

「この野郎! たかがタクシーの運転手のクセに!」

 と罵ったかと思うと、久米の胸倉を掴んで、久米を椅子から引きずり出すと、握りコブシを構えて、久米をそこら中に振り回した。

 殴れば、即刻医院へ行き診断書を取って、警察へ傷害罪で訴えるつもりであった。

「殴れるものなら殴ってみろ!」

 久米は梅田を睨んで、されるようにされていた。

 さすがに梅田も殴打するのは踏みとどまった。

 逆上したまま言うのだった。

「もう、お前は事務所に来るな。お前のようなタクシー運転手が来るようになって、事務所はおかしくなった。来ることはならんぞ」

「侮辱するのもいい加減にしろ! ここはお前の私宅か。お前一人の指図は受けん」

「みんなが言うておる! 久米は事務所に入れるなと言うておる。パソコンを勝手に触って、パソコンがおかしくなって困ると言っておる。事務長も言うておる。お前のようなタクシー運転手とは違って、事務長は農協の職員だ。お前よりパソコンには詳しいわい。お前がおらんでも困りはせん。二度と事務所に入るな」

「ようもそんなことが言えるな! ここは暴力団の事務所か! お前はヤクザか! ヤクザでなければ、お前はアホか!」

「なにを!」

 ヤクザにヤクザと言っても、認められたと満足するのだが、アホにアホと言ってはならないのである。自分のアホを人から指摘されることは、アホにとっては我慢が成らない!

 アホと言われて、梅田は玄関から外へ出かかっていた久米を追って、再び事務所内へ引きずり込んだ。

 袋叩きにしようとしたのであろう。しかし、いくらアホでも喧嘩の前歴を持つ者なら、手だけは出してはならないことは心得ている。傷害罪でも初犯であれば刑は軽いが、再犯、またはヤクザなどであれば、軽い刑ではすまず、確実に実刑となる。それを知っている者は、いくら逆上しても殴打はしない。はたして、梅田は震える握り拳を振り上げたまま、立ち往生した。

 このとき、さらに梅田を「アホ!」といえば、堰は切られたであろう。わざわざ徴発して殴られることもあるまい、と久米は黙して梅田を睨んでいた。

 久米を殴り倒さなかったのは、梅田にとっては、生涯の屈辱であったかも知れない。アホと侮辱されたままで、引き下がったことになるからである。

 玄関を出ながら久米はもう一度言った。

「お前はヤクザだったのか。どこの組か言うてみろ。それを言う度胸もないチンピラヤクザか、アホヤクザか。この団地にはヤクザなどいらんのじゃ。団地から出て行け!」



=六=


 役員全員に非常招集がかけられた。梅田が会長を辞めると言うのであった。その辞任届けが全員に配布された。


下記の理由により自治会会長を辞任します。

  全役員会議において会長進退願いを出した時、全役員が協力するから

  続けてほしいとのことで続けることになったが1~2ヵ月間様子を見

  ることとした。しかし、その後に行われた役員会開催において、決定

  された事項が翌日にはかわっており、何の協力も実行もなされていな

  い。このような事では今後の自治会の運営は出来ないと判断した。


 ところが、実際の問題は、別にあった。それを文に残すことはしないのである。梅田の言いたいことは分かっていた。

「儂は交通部長と一緒には、会長を務められない。パソコンは壊すし、事務所の窓は閉めないでいるし、その上、部長としてやらなければ成らない大事なことはやらないでいるし、その責任は全部会長の儂にかかってしまう。儂は会長を辞めさせて貰う。そうでなければ、久米を辞めさせてくれ。どちらかに決めて欲しい」

 それは、後に残る文章では言わない。各役員に内密に口頭で話しているのである。パソコンを壊したと言いふらしているのも察しが付いた。それは、フロッピーを逆にして無理矢理押し込んでしまっていたのである。そういうことをすれば、壊れるのは当たり前であり、フロッピーを使い慣れた久米が、そういう無謀をやるわけがない。ところが、久米の居ないところで、それを言いふらしていた。おそらく、何者かが、梅田を憎む者か、でなければ、梅田自身が久米を追い出す作戦として、やったのか、どちらかであろう。そして、役員達が協力しないので、会長を辞めさせて貰いたいと言う。そのための非常招集をかけて、そして、久米を追い落とす作戦であった。

 梅田が心底狡いのは、ストレートに久米のために困っているから、と言わないのである。事前に主だった者に、久米を取るか自分を取るかの二者択一を告げておくのである。問題を明白化して、その是々非々を討論する、ということを避ける。

 もし、ストレートに問題点を話せば、それに対して久米は一々反論できる。役員達にも梅田の誤認識とわかる。

「自治会の事務処理が進んでいないのは我々も知っている。問題を解決して早く正常な自治会へ持って行かなければならない」

 と、梅田に言い含められていたと思われる男が、それとなく匂わせた。

 久米が口を切った。

「梅田さんの辞退届けは、問題点を書いていません。要するに私を辞めさせろということで、皆さんを集めたのでしょう。はっきりさせましょう。問題は何処にあるのか、それを見定めて、梅田さんを会長から降りて貰うか、私が辞めるか、それを決めればいいことです」

 それで、議事は一気に進行しだした。ところが、問題点を明らかにしようとするのではない。

「では、久米さんに部長を辞めてもらうか、梅田さんに会長を降りてもらうか、採決します」と来るのだ。

 具体的な討議はなく、採決しようとする。つまり、事前に話はされていると言うことである。梅田によって、自治会は久米のために困っている、と吹き込まれているから、具体的な討議をする必要もないのである。

 言うても無意味とは思いながらも、久米は言った。

「私が辞めなければならない理由はなにもない。私は何一つ落ち度もなく任務を全うしている。問題は会長にある。会長は、部長に全てをまかせる。部長に全ての権限がある、と断定していた。そのもとで、私は提案をした。独断などは一切していない。住民のアンケートを採ろうと言えば、それはならん。許さん、というし、少しでも理解して貰えるようにと、提案内容を変更すると、それを会長は全部握りつぶした。そして、私へ暴言と暴力沙汰を働く。こんな会長であれば、辞めるというのなら、辞めさせればいい」

 久米と話すことの多い役員は、問題が梅田にあることは知っている。しかし、それを切り出せない。

 実は前年度ももめ事のために、会長が中途で辞めさせられていたのだ。

「二年も続けて、会長が辞めたのでは、対外的にも体面が立たないし、久米さんが辞めれば、丸く納まるのなら、久米さんに辞めて貰うより他にない」という。

 体面? アホとしか言いようがない。 

 久米が更に言う。

「筋の通らない事をしては、自治会にとって災いとなりますよ。横暴な者を残して、その被害に遭っている者を出してしまう、という本末転倒したことに手を貸すようなことをしてはいけないでしょう」

 しかし、久米の声に考え直す者はいなかった。

「久米さんは組織のことを知らないわけではないでしょう。組織というものは、上司に逆らえば運営は成り立ちません。組織を潰すのでないのなら、上司に対立する部下を切る、それが当たり前のことです」

 分かったような理屈を平然と言うのは、冷たい顔をしたまだ若い男で、梅田のために働くいわゆる腰巾着男、権力への()(へつら)いを生き甲斐にするもう一人のアホだった。

 採決が行われた。まず、会長に辞めて貰うという事に賛成の者! 久米一人で他には誰も挙手しない。

 次に、久米に辞めて貰う、は、全員挙手であった。

「こういう理不尽に対して、私は抗議する権利があります」

 久米の言に、

「勝手に抗議すればええ。何なりと抗議したらええ」

 それは、梅田が言うたのではなかった。梅田並みに巨体の老人が言うのだった。梅田も勝ち誇ったように賛同する。

「掲示板に抗議を出させて貰います。私の権利として、それを宣告しておきます」

「おお、なんなと好きなようにせえや。辞めさせられて、ぐだぐだと言えば、笑いものに成るだけや。掲示板になりとなんなりと好きにせえや」

 それは梅田であった。

「事務所のコピーを使わせてもらいたい」

「何を言うか。首になった者は今後、一切事務所に来てはならん。配りたければ自分で金を出してコピーしろ」

 梅田が勝ち誇って怒鳴った。そこここで笑いが起こった。

 久米を切って、問題解決であった。全員に笑顔が見えた。久米を交通対策部長にと推薦した松井氏も笑顔で、爾後の話にふけっていた。


 これが日本人の身に付いている「民主主義」の実態であった。

 正しいのは、どちらであるのか。トップが横暴で間違っていれば、そのトップに従って全体を誤らせても良いとするのか否か。否であれば、トップを切る勇気はあるのか?

 情けないことに、だれもその決断が出来ない。是々非々を判断する知恵も気概も持っていない。寄らば大樹の蔭、長い物には従え、という事大主義、全体主義の腐った血肉が、日本人ひとり一人に(まと)い付いているのを、久米は目の前に見たのであった。

 このまま泣き寝入りはしない。面子もある。意地もある。必ず正義は勝つことを示す必要があった。子供たちが見ているのである。

 久米は、まず、自身の配下の部員たちへ事情を知らせることにした。次に、棟長たちへ。棟長はこの問題に関わっていない。なにも知らないでいるからであった。

 交通部員へは一人ずつ、郵便受けポストへ。後は掲示板へ出そうとしたが、掲示板は棟の左右に二箇所有る。全部で二十四枚になる。棟長は棟に一人。それなら、直接ポストに入れるほうが手間も費用もかからない。なにもその他大勢にまで告知しなくても、自治会関係者が理解すれば、それですむことと、久米は考えた。

 ところが、配布したその文章が、大騒動となった。



=七=


 久米にとっては信じられないことであった。事実を記したことが、名誉毀損罪になると騒ぎ出されたのである。

 そういうことがまかり通るのなら、犯罪者の行為とその名前を新聞やTVに報道することは、すべて名誉毀損罪になる。また、現在の北朝鮮の金正日に対する様々な批判も、すべて名誉毀損と言うことになる!

 報道すること、事実を告知すること、それが非難されるとは信じられない話であった。もし、事実に反することを書き立てたのなら、けしからん、名誉毀損になる、と非難されても仕方がないだろう。ところがそうではなくて、事実であるが故に、名誉毀損で謝罪せよ、などと言われては 久米の頭は混乱するのだった。

 そこまでごり押しを通おそうとするか!

 問題の文章は以下のとおりであった。


 交通対策委員の皆様へ

   この度(6/22の臨時棟代表者会で)、わたくし(久米)は交

  通対策部の部長を不本意ながら辞めることになりました。梅田会長に

  暴言と暴力を受けたあげく、久米が自治会にいることが気に食わな

  い、久米が辞めなければ俺(梅田)が会長を辞める。どちらかを選

  べと、強迫してきたのでした。

   出席の皆さんは閉口した挙げ句に、会長が辞めれば自治会は瓦解す

  るということで、私を辞めさせるということに衆議一決しました。

   他に誰も交通対策部の部長を引き受ける者がいない中、(予定していた

  方も、梅田会長と一対一で向かい合うことになる部長はとても務まらない、と辞退)当面会

  長自身が部長代行で行くことになりました。

   従いまして、今度の部会にはわたくしは出席できませんので、その

  旨、ご了承をお願いします。

   この一ヶ月間、事務所の出入りも、コンピューターのフロッピーデ

  ィスクを壊したなどと陰口を言われて(意図的に乱暴なことをしなければ壊れる

  はずのない機械的な壊れ方で心外千万でした)、そのために事務所の鍵を取り上げ

  られて、事務処理が出来ずにいました。

   しかたなく、手作業でローティションの割付原稿を作り、事務局へ

  修正とプリントを依頼しておきましたが、うまく出来ているか否か、

  分かりません。6月分をそのまま使う、という話も聞きましたので、

  あるいは、枠の増減や、一部混乱していた軽車両の修正が出来ないま

  まになっているかも知れません。

   まことに、申し訳ありませんが、そのときはもう一度、お手元で手

  直しをしてお使い下さるよう、お願い申し上げます。


   部会の議題としまして、わたくしは、以下の様な問題点を提起しよ

  うと考えていました。

  一、夜回りの復活(第一案、第二案、新しく第三案。今回は是非、決

  めましょう)

  二、駐車場の草刈りについて (名案が二つあります。当日発表しま

  す)…この名案はお流れ…梅田に任せます…

   なお、前回の部会で「場外の草は私が刈った。バッチリきれいにな

  っている」と会長が言っていたのはウソでした。ハッタリかましのウ

  ソを平気でつくお方で、困っていました(証拠の写真を撮っています。

  仕方がないので私が生えていたタケノコを切り取り、さらに後日、西

  側列を出刃包丁を使って草刈りと竹切りを徹底的に行い、写真も撮り

  ました。東側はまた後で、と考えている内に機会がなくなりました)

  三、部会開催期間 (皆さんで検討しましょう)

  四、他


   以上のように考えていました。梅田氏が別個に何か考えるでしょう

  けれど、そういう問題が有ったことを、念頭におかれて、部会へ御出

  席頂きたく存じます。


   思うに、自治会は悪い前例をつくりました。会長の気分次第で、部

  長を解任するという、前代未聞の異常な事態です。みなさまはご辛抱

  ですが、あと、9ヶ月間、お付き合いをされて下さい。

   決して、わたくしの我が儘で辞めた訳ではないことをご理解願いた

  く存じます。 いづれ、ホームページで詳しい経緯を発表します。準

  備が整い次第ご案内しますので、そのときは御一読下さい。

   なお、今後のことは、すべて梅田会長に相談されてください。彼は、

  私以外の人へは結構親切ですから、ご心配は無用かと存じます。

                       6月23日    久米義弘



 次に各棟長へ当てた経緯説明文を書いた。こちらには、ホームページのアドレスを記しておいた。関心がある人には、見て貰えば、自治会の問題点と、久米の正義が理解して貰えるはずであった。

 興味のない人には、分からないままでも仕方がないと思った。掲示板の方が、確実に見て貰えるはずであったが、その煩雑さには閉口であった。



  各棟長・棟代表

  および自治会に御関心のある方々様へ

   去る6/22、自治会集会所に棟代表だけが集められ、梅田会長の

  「辞任届」と「久米を部長から降ろす」件で、討議が行われました。

   そして、私(久米)が交通対策部長を解任されることになりまし   た。

   まことに不条理且つ不当なことが実行されました。梅田会長の個人

  的な感情とゴリ押しで、自治会を好きなように牛耳ったのです。民主

  主義も公平さも、かなぐり捨てた非常に悪い前例が作られました。

   そもそも私は解任されなければならないほどの、よほどひどい失策

  をしたのでしょうか?

   いいえ、決してそんなことはありません。

   唯一、言えることは、梅田会長に気に入られるように、機嫌取りを

  しなかった、というだけです。

  「組織に所属すれば、上司に気に入られなければ、組織から出される、

  ということは、当たり前でしょう」ということでした。


   しかし、私にも言い分があります。会長の名を笠に着て、言いたい

  放題、怒鳴りたい放題の暴言と、あまつさえ暴力まで振るわれ侮辱さ

  れたままで、このまま泣き寝入りをするわけにはまいりません。

   また、会長の言いなりになった代表者たちも、同じ連帯責任を負っ

  ていると思います。

   もし、この後、自治会でまた何か問題が発生したとしたら、今回の

  関係者は、その責任を負うことになります。

   そして、自治会をもう一度立て直そうという事態になったときにも、

  自分は梅田会長時代の者だから、等という理由で、身を引くというこ

  とは許されないのです。

   梅田の元であろうと、後の新生自治会の元であろうと、自治会のた

  めに粉骨砕身する義務が生まれているのであります。その関わりの決

  定をしたということを、この日の出席者は肝に銘じておくべきであり

  ましょう。


   私は、この様な問題をおこす会長と、このような採決を下す自治会

  に、強く抗議を申し立てるものであります。皆様は、いかがお考えで

  しょうか?

   ことの詳細な経緯は私のホームページで、公開いたします。インターネットの

  検索で「久米タクシー」と入力して頂けると、ページが出ると思います。御関心の

  ある方は、どうぞ)



=八=


 一週間も経過した頃に、松井夫人から電話が入った。

「久米さん、あんたはなんていう事をしてくれたのかね。事務所では大騒ぎしているよ。名誉毀損で訴えるて言うているよ。みんなカンカンに怒っているよ。どうするのかね。何十万も慰謝料を請求されて、お子たちもいるというのに、どうするのかね」

 久米は開いた口が塞がらなかった。一方的にしゃべりまくる松井夫人へいくら弁明を試みても通じなかった。

 電話の後、さらにドアを叩いて来て、同じ話を続けるのだった。閉口しながら久米も言った。

「それでは、不当な差別を受け被害にあった者は、泣き寝入りをすることしか出来ない、ということですか? 不当な仕打ちに抗議すれば、その抗議が中傷したことになり、加害者の名誉が傷付けられた! 名誉毀損で訴えてやる? なんてバカげた話があるものですか?」

 しかし、松井夫人は話を聞こうとはしない。

「インターネットで公開しているそうやね。それに怒っているのよ。インターネットは世界中の人が見るのだから、そこに出したと言うことは、とんでもないことで、名誉毀損で裁判にしてやる、と言うているのよ。あの政岡が名誉毀損になるて言うているのよ。どうして一言、私に相談してくれなかったのね。そうすれば、止めてやれたのに」

 なるほど、あの腰巾着の政岡が御忠進に及んだのか。彼が理屈を言って煽り立てたのに決まっている。その他の者たちは、尻馬に乗るだけのワラ人形である。

 梅田はパソコンもインターネットも、なにも知らない男で、それを知らされると、またまた喧嘩の種が手に入ったと、勇み立つだけの典型的なアホである。

「だけどね、世に言うネットの掲示板などではなくて、僕自身の個人的なホームページですよ。閲覧者は、一週間に2~3人。それは検索ロボットが無作為に訪問して回る分だけの回数で、言うてみれば、誰も見ていないページです。しかも、内容は事実を書いて抗議しているもので、それがけしからんと言うのであれば、新聞が犯罪の事件を怒って書くのも、犯人への名誉毀損をしている、ということになりますよ。そんな話は非常識でしよう。しかも、僕は実名で書いているわけではないのです。どこの誰か分からない話で、ただ、どこかの団地のもめ事、としか、読んだ者にはわかりません。それでも名誉毀損で訴えるというのなら、訴えればいいでしょう。いくらでも受けてやりますよ」


 松井夫人は、自分が推薦した手前もあるのであろう。とにかくまず、ホームページの記事を消してくれと言う。それに応じなければ、後のことは知らん、と啖呵を切られてしまった。

 いくら暖かな思いやりも安らぎも得られない久米の不幸な家族ではあっても、団地一番の口達者で世話焼きの松井夫人から絶交されては、家族の命運にかかわる。

 仕方なく、久米は夫人の要請に応じた。

 まだ、ページには全部の資料を出していなかったが……、ごく一部を書いただけであったが、それを削除した。

 それは実に、不愉快な限りだった。『無理が通れば、道理が引っ込む』久米の訴えは、封殺されたのだった。

「掲示板なり、なんなり、好きなようにすればええ」と言っていたはずなのに……。それは、久米なんかに何が出来るか、何も出来ない、と見くびって、そう言うたのであって、もし本当に抗議すれば、とんでもないことをする奴、と怒り出すのが、根っからの正真正銘のアホ人間の姿というものである。

「梅田はな、怒ってばかりや。私も、あんな男とは思わなかった。分かっていれば久米さんに部長はさせへんやった」

 今頃になって、松井夫人は言う。結局、久米の妥協と屈辱で終止符が打たれてしまった。

 忌々しかったが、已むを得ないと、久米は諦めた。


 それから一月ほど過ぎて、久米は内容証明郵便を受け取った。

 差出人は「団地自治会役員一同」と成っていた。

 『通知書』と題して、久米がプリントを配布した者たち全員へ、詫び状を出せ、と言うものだった。それをしなければ、名誉毀損で告訴すると!

 呆れた、というものではなかった。今度ばかりは、怒り心頭に発した。

 さすがの久米もついに堪忍袋の緒が切れた。これは、何事だ。一個人を徹底的にいたぶり付けて楽しんでいるのか? 団地から追い出すために村八分を実行しているのか? 

 松井夫人に、「今度は戦う」と一言伝えて、久米も内容証明郵便を出したのだった。



  『通知書』への返答と謝罪の逆要求

 平成**年七月八日付け内容証明郵便の『通知書』に対して、

返答致します。

   『次の文章は適切でない』云々の一(交通対策部委員宛)二(棟代

  表、棟長宛)三(ホームページ上に出した文章)については、当方の

  立場においては、全く適切であり、謝罪の必要はありません。

   理由。

   何一つ落ち度のない者に対して、不条理且つ不当な役職の剥奪には、

  甚大な精神的苦痛と名誉を傷付けられたのであり。従ってその経緯を

  明かにし、且つ抗議を行うのは、基本的人権における正当な権利の行

  使であります。


   『一、二、の文章を出した相手に、久米氏の署名捺印の上謝罪文

  を出すこと』云々

   これは論理の整合性がなく、意味不明です なぜなら、不当な役職

  剥奪に対して、関係者へ事実説明を行うと、それが怪しからんので謝

  罪せよ、ということであり、通常の人間の常識を逸脱した要求と言う

  べきものです。

   万一、仮に私の文章に問題があったとすれば、まず、それはどの箇

  所かを指摘した上で訂正要求を出すのが、筋道というものです。むし

  ろ、謝罪すべきは、自治会のほうであることを認識すべきでしょう。

   自治会は私に対して「しかじかの理由でやむを得ませんでした。お

  許し下さい」と謝罪し、しかる後、私が横暴に振る舞うのであれば、

  そのとき初めて抗議をする、というのが組織側の筋道というものです。

  そういう正義に基づく人道的手順を踏まずして、いきなり自治会の名

  において謝罪せよ、と迫るのは、一個人への強迫行為であり、脅しで

  あり、人権侵害になるものと考えます。

   なぜなら、正当な弁明の機会を剥奪され、その上不当な謝罪要求を

  強要されるという事は、その団地内における生活が家族共々精神的に

  困難になるからであります。且つ、病弱な私の健康上にも、また、多

  感な少年期を迎えている子供達の健全な成長の上にも、看過すべから

  ざる害をなすからであります。

   私の正当性を訴える弁明と抗議とは、私と私の家族の基本的人権を

  守るためにも必要なことであります。それを謝罪しなければならない

  とは、言語同断です。


   表現と言論の自由は何人にも保障されており、言論には言論で応じ

  るべきものであります。

   しかし、組織が一個人を問答無用で辻褄の合わない強迫をすること

  は、人権上許さることではありません。

   自治会は何はさておき、私へ対して謝罪文を出すべきであります。

  事情を知らずに私を解任する為の挙手をし、且つ七月一四の内容証明

  郵便が関知しないうちに発送されたというのであれば、それを撤回す

  る同種の郵便を出すべきであります


   再度申し上げます。謝罪は自治会が私に対して成されるべきもので

  あり、私に要求するのは筋違いというものであります。

   なお、蛇足ながら、自治会および自治会会長が、この上、さらに私

  に対して悪意な態度をとり続ければ、事のいきさつをすべて白日の下

  に公表せざるを得なくなります。また、私の自己弁明と感想や抗議は、

  再びホームページへ掲載せざるを得なくなるでありましょう。

   (注、当ページには団地名や会長名など一切伏られていました。し

   かも未完成でわずか三日間の提示でした)

   相談役の取りなしで、ホームページからそれらの正当な私の権利行

  使の記事を、涙をのんで削除したのにも関わらず、自治会側が引き続

  き村八分的に私に対して悪意な態度を示し続けるのであれば、私にも

  断固として戦う覚悟があります。

   おとなしい人間を際限もなくなぶり虐める者には、私は怒りを覚え

  ます。子供ならいざ知らず、大人が組織に隠れて虐めを行うとは驚い

  た話であり、明らかに人権蹂躙の犯罪を犯していることを、自治会は

  御認識頂きたいと思います。


   以上、取り急ぎ、ご返事と抗議及び逆謝罪要求まで。

   御返事をお待ちします。

   平成**年八月十四日

   受取人 自治会 役員ご一同様



=九=

 久米自身から、裁判を起こすことも可能であった。しかし、裁判を起こせば、その対策にどれほどの時間と労力を奪われることであろう。

 かって、久米は妻のキヨ子のために、損害賠償要求の裁判を起こしたことがある。

 被害にあった立場であれば、負けはしない、と弁護士なしで訴訟を起こしたのだった。

 しかし、相手の男は最初から騙しを目的にキヨ子と交際して、金を湯水のように使わせていた。例えば百万もするスイスの高級腕時計。同じく高級外車。これらの月賦購入に名義を提供してくれれば、あとは必ず責任を持って自分が払う、と口約束をしていた。それは口約束だけで、一切の証拠となるような書類は発行していなかった。諸処(しょしょ)問い合わせると、書類はなくても口約束でも、支払いの義務は生じる、ということで キヨ子名義で訴訟を起こしたのである。

 相手は出廷しない。出廷しなければ、告訴人の主張が百パーセント認められます、と若い裁判官は言っていた。いよいよ最後の時になって、相手は弁護士を出して来た。弁護士はしばし裁判官と密室で話していた。そして出てくると、裁判官の態度が変わった。

 被告人のほうが、恐喝されている、という話になったのであった。裁判官は和解を奨めた。なけなしの保証だった。それに応じなければ、本裁判となるが、被告が脅迫されて逆に被害に遭っている、という相手の主張を証拠で斥けることが出来なければ、負けて反対に損害請求されますよ、と言われたのであった。

 金で雇われた狡猾な弁護士の話を、鵜呑みにしているのだった。弁護士の方が二回りも三回りも年長者で、若い裁判官は弁護士に一目置いているのに違いないと思った。

 裁判そのものが久米には信用できないと思った。弁護士に何を貰うのか、何を約束されるのか知らないが、金で雇われた汚い弁護士の言うままになるのが裁判官だと思っている。

 少なくとも、弁護士なしで挑めば、正義も敗れる! 弁護士に正義はない。雇い主のために働く。黒でも白と言いくるめる。被害者を悪者に仕立て上げて平気なのが、弁護士と言うもの。

 したがって、弁護士の雇えない久米は、裁判に躊躇する。

 一方、梅田は事業家で名義を息子に換えてはいるものの、その会社のお抱え弁護士を自由に使える。裁判をおこせば、必ず自分は勝つ、と信じているのだった。


 久米の内容証明郵便が、またまた、騒ぎとなった。

 こんどは、役員たちが慌てだした。

 勿論、返事は来ない。返事を書く代わりに、役員が順番に、交代で久米を訪問するのだった。

 久米は彼らを門前払いした。

「言いたいことが有れば、書面で言って下さい」

 訪問は昼であったり、夕方であったり、時には就寝前であったり。

 キヨ子がまたまた怯えた。そして、久米に食ってかかった。

「わたし、子供を連れて出て行こうか? こんなことになって、ここに住めると思うのね。正しいとか正しくないとかの問題ではないでしょう。自治会のみんなから嫌われて、毎日押しかけられているのよ。どうして、こんな所に住んでおれるのね」

「それが奴らの目的なんだよ。気に食わない者は追い出してしまえ。嫌がらせをして絡み続けてやれば、団地から逃げ出すだろう、というのが、()()な奴らの狙いだよ」

「そんな嫌らしい人が住んでいるこんな団地に住む必要はないでしょう」

「と言って、他に行く所はないだろう」

「それなら、騒ぎを起こさないでよ。私たちまで巻き添えにしないでよ」

 一人でいるのなら、とことんまで戦ってやる。弁護士なしででも、裁判をこちらから起こしてやる。しかし、子供はまだ小さい。「父さんは棟代表なんやで」と自慢した子供の面子(めんつ)はどうなるのか……。

 本来、支えと成ってくれることを期待する妻のキヨ子は、騒動の起こるのは久米の所為(せい)だと怒る。確かに、久米は自分がまだ青臭いと思う。人間関係の複雑怪奇さ、百鬼夜行の醜悪さを理解していなかった。わけても、権力を手中にした我が儘人間には、用心しなければならないことに、無関心だった。

 役員の中には、飛び抜けた美人もいた。比較的久米には好意的な感じも受けたが、しかし、彼女も久米降ろしには積極的に関わった。そして、梅田から久米をとっちめろと指図されているようだった。次期会長に相応しいと思われた巨体の老人とともに、久米を訪問して来た。久米から何度、門前払いを受けても、やって来た。

「久米さん、私たちは久米さんの敵ではない。久米さんのために話したいのだ」

 会わなければ会うまでは訪問を止めないというしつこさに、玄関口できつく苦情を言ってやった。

「どうしても僕をこの団地から追い出したいのかね。いいですよ、やりなさい。こちらも覚悟はしている」

「久米さん、違うんだよ。そうではないよ。儂らはみんな困っているのだよ」

「言いたいことがあれば、文章を出しなさい。こちらの抗議に返事を書きなさい。内容証明郵便を出して脅すことが出来るのなら、文章が書けない、とは言わせない。話はそれからのことや」

 そうした押し問答が、何日も続いた。

 合間合間で話しをすると、法律相談に行って、いろいろと聞いているという。そして、あの文章とインターネットの公開は、名誉毀損になると弁護士は言っているという。そうなると、賠償支払いが大変でしょう。だから、詫び状を書いてしまいなさい、という勧めであった。

 つまり、親切ごかしの脅しであった。もし、裁判になれば、役員たちも当然の責任を負うことになる。もし、久米が逆に賠償要求を出せば、その負担を負うことになる。皆はそれを恐れて、本格的な裁判沙汰と成るのを回避しょうと、やっきになっているのだった。

「あなたたちが、申し訳なかったと、謝罪すれば、僕はそれ以上騒ぎません。しかし、なんですか? 反対に僕に謝罪を要求するとは、言語道断でしよう?!」


 話しを聞いたキヨ子がまた文句をいうのだった。

「詫び状でもなんでも、相手の気の済むように書けばいいではないの。それで納まるのなら、そうしてよ」

「そんな理不尽なことはできない。そういうことをしてしまえば、結局、(とが)のない本来正しい者が、理由もなく悪者として笑いものになる。正義が無くなる。正義のない人間の社会となる。貧しい者は、正義だけが頼りなんだ。その唯一の頼りを、自分で破壊してはならない」

 キヨ子には、正邪の区別ではなかった。現実の生活で、波風が立つか、立たないかが問題だった。久米のこうした騒動を、子供たちはどのような感慨で見ていたことだろう。

 せめて母親が「お父さんは正しいのよ。立派なのよ」とホローしてくれれば、子供の精神衛生上に、害をもたらさなくて済むであろうに、と期待するのだが、キヨ子はそうした高雅な配慮のできる女性ではなかった。いつしか子供たちは、久米に対してよそよそしくなっていた。わけても、姉の態度が悪くなった。

 尊敬できる父ではない、こんな父は疎ましい、という態度であった。



=10=


 松井夫人が久米を呼び出した。主人の松井氏自身が乗り出してきて、収束に一役買うというのであった。

「こんなことが続いていては、私も困るし、梅田も一文入れば、それでいい、と言うているし、一つ考えてもらえないやろうか」

 と持ってきたのは、『和解書』と表題されたものだった。

「私が書いてみたんです。こういうところでどうでしょう?」

 その内容は、自治会にも久米にも到らないことがあって、それを双方、謝罪する、と言うものだった。

「これでは、僕も同罪で、それを双方で詫びる、と言うことになっている。とんでもないことで、罪は自治会にあるでしょう。自治会が僕に詫びて、それを受けて、僕も到らないことでした、と妥協の文言が入る、ということなら、考えますけれど、これでは応じようがありません」

 久米の要求に応えて、内容をいろいろと修正していた。かなりの書き直しとなった。

「では、久米さんが納得出来るように、作り直しましたから、それで納めてください」


 また、一週間ほどして松井夫人から呼び出された。

 その文案は、久米が修正を求めたものとは全く別の文だった。

「どうして、あの時の修正文にしなかったのですか?」

「いや、修正したものを役員会に出すと、もう一度、彼らが書き直したのです。そして、これで久米さんのハンコを貰うようにと。当然ですよ。久米さんも納得できないでしょうから、これをどうしますか?」

 何度も何度も、修正の手が加えられた。松井氏は言うなりに修正に応じる。是々非々を忖度して、内容をリードするというものではなかった。ただ、調停役で満足しているだけであった。

 しかし、松井氏を離れると、全く別の物にすり替えられる。その内に、ハンコを押すだろう、と言う期待なのか、あるいはトコトンまで、久米を追いつめてやろう、という魂胆なのか。

 いったい何回往復したことだろう。松井氏は自治会で作り直された文章唯々諾々(いいだくだく)と持ち帰って、久米にハンコ押しを要求する。久米はそれを断り、また内容を書き換える。しかし、自治会は別の物を提出する。そこには、内容に進展はまったくなかった。

 ついに松井氏が、久米に対して啖呵を切った。

「久米さんが、どうしても嫌だというのなら、もう、僕も手を引きます。あとはあんたが梅田とやりあっていればいい。向こうは金もあるし、裁判も出来るし、弁護士もいるし、それでもやるのなら、やりなさい。もう僕は知らん」

 どいつもこいつも、長い物には巻かれろの事大主義者ばかりだ。正義のために一肌脱ごうという者は一人もいない、と久米は腹が立った。

 だが、久米は事ここに至って、妥協することにしたのだった。

「文章を僕が直接、作り直します。それで応じてください」

 松井氏は、待っていたとばかりに快諾した。


 ところが、出来上がったものにまた、再び、書き直しが加えられた。

「もう、いい加減にしてくださいよ」

 憤然と怒りをぶちまけると、松井氏は、

「今度こそは合意を取ります。今度向こうが文句を言えば、僕もその時は啖呵を切る」

 と、久米をなだめた。

 久米は、自治会が久米に出す詫び状と、久米が自治会へ出す文章とを一つにすることにした。別々にしては、将来、久米が出した文だけが一人歩きしてしまわないとも限らない。一つの用紙に併記することで、自治会に非があることが分かるようにしなければならなかった。

 ようやく仕上げて、松井氏に渡すと、さらに十日ほど後に、また、別の物が久米に差し出された。

 そして、最後通告のように、『念書』と題して、役員全員のハンコが押されていた。久米が苦労して一枚にまとめたものが、再び、別々にされていた。


(自治会が作成して、捺印を要求する文言は以下の如し)

今回私事で、役員、棟代表、交通対策委員にご迷惑を掛け

申し訳有りませんでした。

7月8日付けで私宛てに郵送されました内容証明に指摘された文

章について、

私は今後一切文章にしたり公表致しません。


 これでは、久米が不始末をして、その詫び状を出した、という内容である。

 久米は足下に蹴った。

「何度も言うように、自治会が僕に謝罪することが先決ですよ。それが何ですか? 僕が謝罪した文ではないですか? こんなものにハンコが押せますか?!」

 松井氏も、声ばかりが大きくて、指導力のない小人(しょうにん)だった。自治会の連中に牛耳られている。今度は久米が啖呵を切った。

「もう、いいですよ。こうなれば戦いましょう!」

 すると今度は、

「まあまあ、久米さん。もう一度久米さんの手で書き直して下さい。今度こそは合意を取りますから。今度向こうが文句を言えば、僕もその時は啖呵を切ります」

 あれもこれも、すべて狡猾な手法だったのかもしれない。ぎりぎりまで都合の良い修正を加えて、久米に妥協させてしまうための……。


 それでも、一度ではすまなかった。その有様を見ているキヨ子は不快感を隠さなかった。

「せっかく松井さんが仲介してくれているのに、いつまでも、意地を張ってから!」

 と、その顔は言っていた。

 奴らは、家庭の事情まで見透かしているのか?

 権力を持っていれば、正義も悪にすり替えて、ごり押しで謝罪させられる、と信じているのかもしれない。

 梅田一人なら、彼がアホだから、と軽蔑を投げて済ませられるだろうが、彼を補佐して、彼を正義にすり替えて、久米を悪者にしてしまおう、という、まるで悪ガキもどきの大アホが、幾人もいるのに唖然とさせられる。


 最終的に、久米が妥協して成立したものは、以下のような文だった。


      示 談 書

久 米 義 弘 様

今回、自治会より久米氏に対し身上を害する処置を行い、反省

して居ります。

今後一切ご迷惑をお掛けしません。

以後、健全なる自治会運営を図る様、役員一同努力する考えであ

ります。

自治会 役 員 一 同 (自治会の印)

会 長 梅 田 馬 雄 (印)

=====================

府営住宅宇治川団地自治会 様

今回、自治会に心ならずもご迷惑をお掛けする結果となり、

反省して居ります。今後この件の文書は、違約のない限り作成致

しません。

以後は一会員として協力していきたく思います。

久 米 義 弘  (印)


 この最終的合意文にも、久米は不満だった。何よりも『この件の文書は……作成しない』という文言が気に食わなかった。梅田側は徹底的にこれに固執したのである。そのために、決裂寸前となった。

 断固として戦えなかった久米の足枷は家族であった。家族のためにも、何とか納めねばなるまいと、最後の妥協修正として『違約のない限り』という条件を入れたのだった。

 そして、梅田と自治会側は、久米に対して『今後一切ご迷惑をお掛けしません』と明記させた。

 それでも快しとしなかった。しかし、いざとなれば、憲法で保障された言論の自由と権利を否定する約束事は、根本的に無効となるはず。しかも、相手が久米に対して、不快な迷惑的言動に出た場合は、違約したことになり、後は久米の自由となる。

 そう考えて、捺印しようと思ったが、なおも不快感は尾を引いた。そこで、使用するハンコを、あえてシャチハタ印にした。それは、本心の捺印ではない、という意志表示だった。もし、シャチハタ印で文句を言うてくるのなら、あとは戦いあるのみ……。


 キヨ子は、久米の苦労の末の収拾にもかかわらず、不満気であった。

「こんな騒動が起こったことは、もう消せないでしょう。子供が可哀相よ。お父さんは棟代表も部長もやめさせられたの? て聞いていたよ。友達が言うていたそうよ」

 やんぬるかな。久米の部長はずしは、久米を笑いものにする材料として、早くも子供の中に広まっているのだった。数多い役員の中には、子供持ちもいる。彼らが、久米君のお父さんはね、と話すのであろうか。

 その後、キヨ子は中古住宅を調べ始めていた。

 まさかの、家庭崩壊が進行し始めていた。


<エピローグ>


 梅田が入居する棟の責任者であった中沢という棟長が自殺した。

「久米さん、中沢さんは僕に言うていました。梅田の奴を殺してやりたい、と。そら、ものすごく憎んでいましたよ」

 その話を聞いたのは、二年後の自治会総会のときであった。

「棟長という立場の者が自殺したと言うことは、自治会はその詳細を説明しなければならない。関わりのある現執行部は、この総会でいきさつを明らかにしてください」

 久米は鋭く要求したが、「議事進行を優先します」と小声で言ったのみで、結局、冒頭の梅田による発言へ対する説明要求と共に、無視されて、閉会となったのであった。

 以前、梅田や松井が会長をするその前に、自治会の会長を務めたことのある老齢の人物が、その話に対して、

「自殺するということは精神病を持っていたのやろう」と、にべもない。

 正義は支持せず、しかも人間的な情愛も無いとは……。


 久米が自治会役員を去った後の年には、久米に対するごり押しの強権発動に味をしめたように、残りの役員達へ次々と難題を要求しては、怒鳴り散らしていたという。

「みんな怖がっている。あんな横暴な人間がいるものやろうか。久米さんを辞めさせたのが間違いやったと、みんな言うているよ」

 あとになって嘆いても意味はない。それで良いのなら、かっての大戦で、マスコミは勇気がなかった。政府と軍部に対して、マスコミ全員で一丸となって具申し、真実を毅然と発表すれば良かった、と嘆いて、免罪符にするのと同じである。

 そのとき、正義は那辺(なへん)にあるのか、と、それを考え、正義を支持する気概なくしては、民主主義は成り立たない、と痛感するのだった。

 多数決による民主主義!? 笑止千万! 腐った事大主義者が、正義を支持する気概もなく、その場その場の事なかれ主義を、民主主義とは断じて言わない。むしろ、民主主義の破壊者である。正義を理解せず、理解しても支持しない者たちは、民主主義を口にする資格はない。今日のマスコミ関係者もそれを肝に銘じておくべきであろう。

 日本人には、本質的に民主主義と相容れない体質がある。それを知っていなければ、民主主義を定着させることはできない。

 もう一度言う。多数決を行ったから民主主義ではない。多数決に従った者たち一人一人が、正義を理解し支持しているか、その前提の上でのみ、多数決は民主主義の方法として意味を持つ。でなければ、凶暴な専制主義が生まれてくるだけである。そのとき、多数決に従った者は、全員同罪である。

 あとから、「あのとき……」云々で後悔して、免罪符にするなかれ!


 久米の怒りは、納まらなかった。久米を理不尽に追い出し、横暴な梅田を支持した者たちのお蔭で、久米の家庭は、結局、崩壊した。

 敏感な子供達が、権威の落ちた久米を嫌いだし、妻がそれを囲い込み、家庭内は陰険な状態に陥った。ここでも、久米のひた向きな努力は効を結ばなかった。

「この状態でいては、子供の精神衛生に悪い。人格の崩壊さえ招きかねない。方便としてでも、別居して険悪な感情を覚まそう。密着していなければ、やがて、子供達は父親へ親和感を持ち始めるだろう」

 ところが、方便は方便でなくなった。

「もう離婚したのだから、来ないで! いつも来るようなら!」

 それは、ストーカーとして訴えるよ、という意味だった。

 もう、一年も妻子と会っていない。出勤の道を遠回りして、窓に灯る明かりに「今夜も元気にしているな」と安堵するのが、今ではささやかな生き甲斐となっている久米だった。

 そして、怒るのである。日本人とは、なんといういい加減な民族だ! アホどもばかりが!          

                             (了)


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