五話「行動力の裏にあるもの」
極力街の滞在時間を減らす。そうなるとどうしても街の宿で寝泊まり、なんて出来ないこともある。そんな時は野宿せざるを得ない。そして今日はまあ、そんな日であった。道から少し外れた森の只中にバイクを停めて、三人は各々野宿の準備に取り掛かる。
王女という高貴な身分であるクロアにとってきっとそれは耐え難いことであるだろうとマナトはクロアの方を見た。
「これはもしや……野宿、ですね!!?」
目をこれ以上ないくらいにキラキラと輝かせていた。抵抗感ゼロ。
「書物で見た事があります……焚火を囲んで談笑する、そんな行事でしょうか!!?」
「いや、その辺の動物を狩ってきて焼く用に火を焚くことは焚くが……疲れてるだろうしさっさと火消すぞ?」
「動物を、狩る、ですか? あのお昼の癖になりそうな歯応えをした……携帯食糧? とやらでは、ダメなのでございますか?」
携帯食糧。なんか粘土みたいな見た目で味がしないゴムみたいな食感の食べ物である。味は最悪だが、栄養はあるらしく、軍ではその携帯食糧だけで一ヶ月ゲリラ戦を行った部隊がいるらしい。
決して王女様に渡すつもりはなかったが、物凄く物欲しそうに見てきたので渋々渡したところ気に入ったらしい。王宮ではまず出てこないような食べ物だろうが、あれを好きだって言い出すのは少し味覚を疑うレベルだと思うんだ。
「……悪いな、うちじゃ飯は無限には出てこないんだ」
「野生動物はフェイクちゃんが居ますから見逃して食いっぱぐれることはありません、高性能アンドロイドなので!」
軍から貰えばいくらだって安く手に入るだろうが、マナトは携帯食料の味が好きじゃなかったし、王女がこれを気にいるなんて微塵も考えなかったから最低限しかストックはしていない。節約だ。
「そうなのですか?」
「そうなんですよ! このフェイクちゃんのフェイクちゃんアイは熱感知で的確に生き物の居所を感知し、フェイクちゃんイヤーは1km先の会話も聞き取り、フェイクちゃんブレードは鉄をも裂きます!! そしてこのフェイクちゃんフィンガーは銃です」
「なんと……素晴らしいですね!!」
「でしょう!!? というわけで先輩、指示お願いしますね?」
「……じゃあフェイク、薪集め頼んだ」
「でしょう!! …………薪???」
焚火をするにあたって必要なのが、その元になる木だ。何が引っかかるんだ?
「冗談はやめて下さいよ、動物の狩りのために付けられた110の機能が先輩に向かって火を吹きますよ」
「……まあ冗談だよ、しょうがねえ、俺が薪を集めてくる。フェイクは猪でも獲ってきてくれ」
「おっしゃあ行ってきまーす!!!」
フェイクは夜闇に包まれた森へ大声で突っ込んでいった。あいつ絶対自分の気配バレバレだから絶対時間長引くと思って別の仕事させようと思ったんだが。
「マナト伍長、今何をしているのでしょうか」
「ちょっと簡易の結界を……ルーン文字って別に魔力込めなくてもお守りくらいにはなるんで、こうしてその辺の石ころに〈保護〉、刻んでキャンプの周りに配置する」
「……ほぅ」
「ところでクロちゃんはどう思ってるんだ、これ」
「これ……ああ、野宿でしょうか。私は日頃王宮に篭りきりで、外の世界が見たくて安全な近衛の元から彼女たちの目を盗み抜け出しました。それでこのような貴重な体験が出来るなんて、やっぱり抜け出してよかったと思いますよ!」
「確かに王宮で暮らしてればできない体験だろうが……あー、そうだな、暴徒とか、近衛がいないこととか、その辺心配じゃないのか?」
「守ってくれるのでしょう?」
王女は、曇りのない目をマナトに向けていた。それは確信の目だった。心の底から信用している、疑い一つない。その目に映るマナトは揺れていた。彼の像だけが揺らいでいた。
マナトはそこでようやく自分が勘違いしていたことに気がついた。今の自分は王女の護衛であり、護衛対象にこんな揺れている様を見せることは護衛としてはあってはならないのだ、と。信頼を裏切ってはいけない、そう感じるような彼女の目を見つめ返しマナトは言う。
「そうか……当たり前のことを聞いたな。とりあえず簡易の結界は敷いたから小動物くらいならビビって近寄らねえ……あとはこれだな」
マナトは親指くらいの大きさの緑色の石をクロに渡した。その石には〈松明〉のルーン文字が刻んであった。
「これは……宝石?」
「いや、魔鉱石っていう魔力の籠った石だ。松明……いや目印の魔術だな、いざとなったらそれを握りつぶす感じで魔術を使ってくれ。すぐ駆けつける。何か聞きたいことはある?」
「えっ、は、はい、わかりました。ないです」
「……じゃあ、行ってくる」
■
……行ってしまった。クロは大きく息を吐いた。
「私もやりたかったなあ、薪拾い」
王宮の外に出たのだ。近衛の目、いや王宮の目からも離れた。なんだってやりたい。何せ今まで、一歩だって王宮の外になんて出たことはなかったのだから。
「ルーン魔術、みんな簡単に使ってたよね……そうだ!!」
結界に使っていたのはルーン文字の使っている石だ。あれを使えば魔術が自分にも使えるかも? 使ってから元の位置に戻せばいいし?
クロはそう思って結界石の一つを拾い上げた。
「えーっと〈こうかな〉?」
石に魔力を送る…………しかし何も起こらなかった。クロがまだルーン文字が読めなかったからである。当然その意味も知る由もない。
「列車ではみんな使ってたのに……〈何か起こってください〉!!」
ちなみにこの保護のルーンはお守りとして使われるルーンでもあり、霊的に守られている、なんて解釈例もある。そして、クロア=メトルム=フレーディアは特別だった。彼女が漫然と願うことを、そのルーンの刻まれた意思のないはずの石ころが叶えようとするくらいに。
二つの要因が絡み、その時彼女に不思議なことが起こった。
「ふぇ?」
「────グルゥ……?」
何もなかった筈のキャンプのど真ん中に空気中の魔力が集まったかと思うと……3mはかくや、という大きな青い毛をしたクマが出現したのである!!
クロは、目を白黒させる。これは? マナトの結界用のルーン文字から生まれたイキモノ……と、言うことは、守護獣と呼ばれるものなのでは!?
しかしその顔面は明らかに人を十人くらい食らっていそうな顔だ。爪は触れるだけで切り裂きそうな大きいものが両手に五本ずつ。その両手で守護れるのでしょうか……?
「く、くまさーん……」
「…………?」
「えと」
日本の太い足で直立する熊に恐る恐る近づくクロ。見上げた先、じっと凶悪な顔と見つめ合うこと数秒。
「グゥルゥああァァぁぁァァ──ッ──ァアアアア!!!!!!!!!」
熊は吠えて、クロを挟むように両手で掴んだ。大口を開ける。食べる気だ、守護獣などではなかった!!!
「ぴゃああああああああああああああ!!!!! 食べても美味しくないですから!!!! し、死んじゃいますよ!!!!!!?」
クロは悲鳴を上げた。しかし、守護獣でもなんでもなくこの熊はただクロの『何か起こって欲しい』と言う願いを不十分に叶えようとして生まれた悲しき魔物である。ハプニング。
「あっそうですっこの宝石を軽く握りしめてえいやっ!!」
マナトに渡された魔鉱石を言われた通り、握って念じる。目印!!!
「…………おや?」
しかし何も起こらない。なぜなら魔鉱石の蓄積魔力を消費して魔術を使うのは、超超高等技術だったのだ。
マナトだったら息をするように簡単に出来るが、それはマナトが偶然その才能を持ち合わせていたからである。そして、そもそもこの国の魔術研究は本場ユグネリアと比べると火縄銃と弾道ミサイルくらいに歴然とした差がある。
一応、その知識を理解しているものもいるだろう。ジョン=ドーはその一人だった。だがあの男は言わない。
つまりマナトは知らなかった、誰でも出来ると思っていたのだ。
「死にますよ!!! いいんですか!!!?」
その結果がこれだ。熊は大口を開けて迫ってくる。うわあヨダレきたないですね!!!? 熊は大口を開けたまま笑って、その牙をクロの頭に突き立て。
「────ガ?」
牙は髪の毛に刺さって、それ以上進まない。不審に思う熊がクロを握る手にも力を込めた。がこちらもびくともしない。
「…………だから……言いましたのに……!!」
────金猪。クロはそう呟いた。
金色の風が吹く。それは熊の頭目掛けて突っ込んだ金色のナニカがそう見えただけである。言葉の通りならば、猪が。
「死にますよ、って!!!」
そして熊は上半身を失いその場にどしゃりと沈んだ。金の猪が抉り取っていったのだ。断面からキラキラと散っていくのは魔力。魔力で構成された生物だったのだこうなるのは自然なことである。
「できれば、殺したくなどないのですが、意思の疎通の出来ない魔物であれば致し方ありません……よね」
彼女の名前はクロア=メトルム=フレーディア。
メトルムの象徴たる三妖精、を束ねる妖精鍵の継承者〈妖精王女〉その人である。
「────おい!! 無事か!!!!?」
勢いこんで戻ってきたマナトを一瞥するとクロはふにゃりと笑った。
「いま、何かとてつもなく大きな気配を感じて戻ってきたんだが……何も、ないな……? どういう事だ?」
「気のせいですよ。だって何もありませんでしたから」