リリエット
「リリエット、リリエットや」
「はい、お父様」
「ああ、ここにいたか。お前宛に、手紙が届いたぞ。ほら、なんだったかな、お前の気に入っている……そう、ロメオ君からのものだ」
「まあ、ロメオ様からのお手紙ですか。ありがとうございます、お父様」
「うむ」
私、リリエットは恋多き貴族令嬢であった。幼き頃、恋愛小説を読んで恋に目覚めた私は、それ以来、周囲の殿方を意識するようになった。
けれどそれは、憧れに近いような、そう、恋というものそのものに恋をしているようなものだった。
幾度となく恋をしては失恋、または相手に飽きてしまい、控えめに言っても、あまり淑女と呼べたものではない数年間を過ごしてきた。
けれど私は、ついに出会ったのだ。自分の運命の人。それこそ物語に出てくるような、本当のロマンスを紡ぐことのできる、最愛の人と。
それが、ロメオ様。ロメオ・モンテアグロ様だった。社交パーティーにて初めて出会った彼は、とても精悍で、実直な好青年だ。爵位は私より低かったが、そんなことは問題にならなかった。何度も顔を合わせるうちに、私は彼に惹かれていった。
それまでの、一目惚れのようなものではなく、徐々に徐々に恋へと落ちていったのだ。初めて落ちた本当の恋に戸惑う私を、お父様やお母様は優しく見守ってくれた。戸惑っているのは、向こうも同じのようで、いつしか私とロメオ様は顔を合わせても上手く話せないようになった。
私はそれが両想いになったからだと信じ切ることができず、つい先日、噂の時計塔へと足を運んだ。眉唾物だった噂は実は真実であり、私はそこで魔女様と出会ったのだ。高貴な薄紫色の髪はとても綺麗で、その透き通った金色の瞳に、私は引き込まれるような感覚を覚えた。
あまりに整った顔に、嫉妬なんてものは湧かず、同性の私ですら見惚れてしまうようなお方だった。
そうして彼女は私と魔法の盟約を交わし、言葉を授けてくださったのだ。
十三の月の音が響くころ、私の想いは届く、と。
家に帰ってから、私は言葉の意味を毎日のように考えていた。十三の月の音とは、いったいどういう意味か。
答えがでるのは、案外早かった。最初は暦のことを言っているのかと思った。しかし、帝国の暦は一から十二、それぞれ三十日間。十三の月というものは、存在しない。
なれば、月の暦なのでは、と思い至ったのだ。月は毎日形を変え、その満ち欠けは一定の周期で繰り返す。十三日目の月、即ち十三夜。中秋の名月、あるいは後の月、栗名月などととも呼ばれる、秋の綺麗な月の日のことを指しているのではないか。
それならば時期的にも、しっくりきた。相談にいったのは八月。ちょうど、それがやってくる前の月だ。
そうして迎えた九月の今日、私はロメオ様からの手紙をドキドキしながら慎重に開いた。
そこにあったのは、いつもの挨拶と、晩餐会についての文面。早い話が、パーティーへの招待状であった。
思わず小躍りしそうな体を抑えながら、私ははしたなくも小さくガッツポーズを決めた。
これだ。これに違いない。きっとこのパーティーにて、私の想いはロメオ様に届くのだ。
そうと決まれば、急いで支度を整えなければならない。私はお父様に頼んで煌びやかなドレスを新調し、メイドたちにも相談して、万端の準備を整えた。後は、パーティーに向かうだけだ。
「ああ、ついに、ついによ! ミーシャ!」
「はい、はい、お嬢様! ついに、この時が来ましたね……!」
きっと、素晴らしい一日になるに違いない。当日連れていく予定の、信頼のおけるメイドと何度も喜びを分かち合いながら、私は来る晩餐会の日へと備えた。もちろん、メイドや、お父様やお母様にも、魔女様のことは話していない。お姿を外に漏らさぬというのが、盟約だからだ。
魔女様は姿を漏らさぬように、と言っていたから、その存在については話してもよかったのかもしれないが、時計塔の魔女様の噂というのは、良い噂ばかりではない。一説には毎夜時計塔では怪しげな魔法の研究が行われているだとか、危険を感じるものもある。あの魔女様がそんなことをしているようには見えなかったが、それでも私が時計塔の魔女様にあったと知れたら、お父様やお母様は心配するだろう。
余計な諍いを生むこともない。ゆえに私は、この恋が実るまでは、その存在も伏せておくことにしたのだ。
もしもロメオ様への恋が実った暁には、魔女様のおかげで報われたのだと、みんなに言って回るつもりだ。
謂れもなきひどい噂を立てられている魔女様への恩返しだ。きっと少しは風向きがよくなって、魔女様もこの俗世に顔を出しやすくなるに違いない。そうしたら今度は、お礼のためにロメオ様とまた時計塔を訪れるのだ。
ああ、ああ。本当に、楽しみだ。
――しかしこの時の私は、浮かれるあまり、魔女様のお言葉を忘れていたのだ。
水面の銀、花の香り。努々忘れるな、と、そう言われたのにも関わらず。
「お嬢様、お嬢様」
「どうしたの、ヴェルナー」
私は本をめくる手を止めて、扉の向こうから聞こえてきたヴェルナーさんの声に返事を返した。
すると間もなく扉が開いて、ヴェルナーさんがどこか微笑みを携えて、部屋へ入ってきた。
「ご報告したいことがありましてな」
「報告……?」
「ええ」
紅茶を注ぎながら言うヴェルナーさんに、私は首を傾げた。
なにか、頼みごとでもしていたっけ。
「いえ。実は、ちょっとした話を小耳に挟みましてな」
「話」
「なんでも、モンテアグロ家のご令息が、フランブワン家のご令嬢に晩餐会の招待状を送ったとか」
モンテアグロ家、というのはわかる。この間恋愛相談に来た、ロメオさんの家だ。
フランブワン家。ええと……ああ、そうか。リリエットさんのお家だ。
私は最近勉強中の、各貴族家の知識を漁って、思い当たる節を見つけた。
そう、ロメオさんの前に来たリリエットさんの本名は、リリエット・フランブワン。本人はお忍びだったからか、家名までは名乗らなかったが、帝都近郊に住む金髪碧眼でお貴族様のリリエットさんといえば、一人しか当てはまらなかった。
ヴェルナーさんは先ほど食料の買い出しに行っていたから、そこで街中の噂でも耳にしたのだろう。
あるいは、私が二人に予言もどきを授けたことから、積極的に情報を集めていてくれたのかもしれない。
ともかく、それならば確かに、ヴェルナーさんが笑顔になるのも分かる。
「そう。ロメオさんと、リリエットさんが」
「ええ。お嬢様のお言葉通りですな。十三の月の音が響くころ、その想いは届き、報われる……」
「やめて」
めちゃくちゃ恥ずかしいからやめて。ヴェルナーさんにとっては予言かも知れないが、私からすればただの黒歴史。
それを掘り返されては、顔が熱くなって仕方がない。あれはぜんぶ口からでまかせである。
まあ、それはともかく。
上手くいきそうで、何よりだった。私はあまり他人に関心がない方だが、それでも見知った人々の幸福を喜べぬほど薄情ではない。
あの微笑ましい二人が結ばれるというのであれば、私の体裁が保たれるという意味でも、嬉しい出来事であった。
「うん、それはよかった」
「これもお嬢様の予言のおかげですな」
「だからやめて」
ヴェルナーさんはわざとやっているのだろうか。
いや、その満面の笑みと尊敬の念に煌めく瞳を見る限り、そんなことはないだろう。
あんなの、それっぽい適当に言葉を並べただけなのに……。
ヴェルナーさんも、ロメオさんもリリエットさんも、誰も私を疑おうとしない。目の前で魔法もどきを見せてしまったからだろうが、なんて人のいい。この先誰かに騙されたりしないか少し心配になる。
「ヴェルナー、私だって、間違えることもあるのよ」
「はっ。お嬢様はまだお若い身。魔法を今まで隠しておられたのですから、そういうこともあるでしょうな。このヴェルナー、きちんと理解しております」
理解できてないよ。かなりズレてるよ。
とはいえ、その眩しいばかりの瞳を向けられれば、すべて間違いですとは言いにくい。今の私にとって、ヴェルナーさんの信用は死活問題だ。それを失うようなことがあったら、今後にも差し障るし、何より悲しい。
なれば私は、吐いた嘘を貫き通すしかないのだ。この幸せな引きこもり生活を続けるために。
「あとは、お嬢様の忠告をお二人がきちんと覚えているかにかかっておりますな」
「そ、そうね」
忠告。えっ。そんなのしたっけ。
「水面の銀は災厄を齎す、それと、花の香り、偽りの花に惑わされるべからず、でしたかな」
「やめて」
「うーむ、私も色々と考えてみたのですが、いまいちピンとくるものがありませんでな。もし差し障りなければ、どういう意味かお聞きしても……?」
「えっ」
意味なんてないんだけど。なんとなく思い浮かんだ言葉を並べただけだけど。
急に危機に陥った私は、必死で脳を回す。なんとか、なんとか取り繕わなければ。
……そうだ。先ほどヴェルナーさんの漏らした言葉、今まで魔法を隠していたから未成熟だという勘違い、これを言い訳にしよう。
「それが、私にもわからないの」
「はて、お嬢様にもわからないのですか?」
「ええ」
目を丸くしたヴェルナーさんに、私は努めて神妙な表情で頷いた。
「私の魔法は未熟なもの。だから、私自身も、その行使によって行われた予言の内容すべてを明確に計り知ることはできない。特に予言のような、不確定な未来を写し取る魔法は、とても不安定なものなのよ、ヴェルナー」
「なるほど。たしかに、数多に分岐する未来すべてを知るのは人の身では到底不可能なこと。つまり、お嬢様の予言はその中から最も可能性の高いものを選び取るものなのですな」
「えっ」
「えっ」
なんだその壮大な魔法は。ヴェルナーさんにはどうも私の言葉を最大限に良く解釈するくせがあるのではないか。
慌てた私は一瞬素に戻った表情をいつもの無表情に戻し、コクリと頷いておいた。まあ、なんかそういうことでいいや。
「ええ、ヴェルナー。さすが、察するのがはやい。もしかしたらヴェルナーにも、魔法の才能があるのかもしれないわね」
「わ、私にですか?」
「い、いや、大きく取らないで。ただの戯言よ。それくらい、察しがいいってこと」
「お嬢様を誰よりも理解し、奉仕するのが私の仕事ですからな」
またとんでもない勘違いを生みそうだったので、慌てて自身の言葉を引っくり返す。手のひらくるっくるである。
納得してくれたようで、どこか誇らしげにそういったヴェルナーさんに、私は曖昧な笑みで頷いておいた。
魔法使いって大変だなぁ。
私は、現実逃避気味にそんなことを思うのであった。