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ロメオ

「へぇ、本当に臭みがない」

「ええ、そうでしょう。中々コツがいるのですがね、上手く臭みをとるとこんなにも美味しいお肉に変わります」


 ヴェルナーさんからランチができたとの報告を受け、広間に降りた私は早速臭みのない猪肉に舌鼓を打っていた。

 独特の堅さや風味は残しながら、見事に獣臭さだけが排除されている。これは噛み応えがあって、美味しい。

 一口一口噛みしめる度、しっかりとした肉の味と、ハーブの香りが舌を満足させてくれる。付け合わせは野菜の冷スープと柑橘系の果物の果汁を混ぜた水だ。肉の味が濃いから、これがまた上手く調和している。やはりヴェルナーさんは一流の料理人だ。


 もしも執事という職からあぶれることがあっても、これだけの腕があれば料理人として簡単に生計を立てられるだろう。私がヴェルナーさんを解雇するなんてことはあり得ないが、それほどの腕だ。猪肉がこんな風に食べられるとは知らなかった。


 肉質も少し柔らかくなっているように感じる。これもハーブの効果なのだろうか。


「うん、美味しい」

「それはそれは、有難きお言葉。気に入っていただけたようでなによりです」

「孤児院では、そのまま焼いて食べていたから。なんだか不思議な感覚だわ」

「食とは、誠に探求のし甲斐があるものですな」

「そうね、本当に」


 元々その食に釣られて館にやってきたのだから、まったくそれは同意するばかりであった。

 といっても釣られたのはお菓子であって、通常の食事もこんなにおいしいものだとは思っていなかったが。


 ……そうだ、お菓子。それを目的にやって来たのに、考えてみればまだ一度もお菓子を食べたことがない。置いていないのだろうか。少し聞いてみよう。


「ヴェルナー」

「はい、お嬢様」

「その……甘いお菓子を食べてみたいのだけれど」

「甘いお菓子ですか」


 目を丸くしたヴェルナーさんはこれは失礼しました、と頷いて。


「そうでしたな。女性は甘いお菓子を好まれるもの。まったく失念しておりました」

「館にはないの?」

「ええ、私はお菓子の方は専門外でしてな。直ちに街へ繰り出して、仕入れるように致しましょう」

「本当っ? ありがとう」

「いえ、気が回らず、申し訳のない限りです」

「そんなことないわ、ヴェルナーはすごく良くしてくれてる。これはただのわがままよ」

「でしたら、どんどんわがままを仰ってください。私はそれに応えるのに喜びを覚えますので」

「そ、そう。……うん、わかった」


 甘やかされ過ぎのような気もするが、ヴェルナーさんがそういうなら、もう少しわがままになってみよう。

 せっかく貴族になったのだ。私にだって、色々と憧れるものはあった。自分の許せる範囲で、贅沢というものをしてみよう。

 まずは、お菓子だ。ああ、今からたのしみ。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした。毎日料理を美味しく食べて頂き、本当に嬉しい想いでございます」

「だって、美味しいもの。ヴェルナーと一緒に食べているから、というのもあるかも」

「それは……」

「あっ、い、いえ、ほら。……食卓は誰かと囲む方が、楽しいでしょう?」

「なるほど、それは道理ですな」


 そういって誤魔化すようにスープを飲み干すと、ヴェルナーさんは微笑んで食器の片づけを始めた。

 私も手伝おうと席を立つと、慌てたように紅茶を出される。


「まさかお嬢様に雑用をやっていただくわけには参りません。どうかごゆっくり食後の紅茶をお楽しみくださいな」

「……う、うん。じゃあ、甘えておくわ」

「もちろんでございます」


 ホッとしたようにすらみえる様子で、ヴェルナーさんは次々と食器を運び、見る間に卓は綺麗になった。

 注いでくれた紅茶の香りにうっとりしながら、調理場で洗い物をするヴェルナーさんの背中を見遣る。はぁ、と、どうしてか熱い吐息が漏れた。きっと、紅茶のせいだろう。


「お待たせいたしました。お嬢様、なにかご本でもお持ち致しましょうか」


 洗い物を終えて戻ってきたヴェルナーさんはさすが、わかっていてくれて。

 なんとなく手持無沙汰になったのをすぐに察して、本の提案をしてくれた。


「そうね。……なんとなく、花のことについて知りたい気分だわ」

「なるほど。では、草花の図鑑でもお持ち致しましょう」

「おねがい」


 特に理由はないが、なんとなく、そんな気分だった。社交界では挨拶に花を贈り合ったりするというし、知っていて損はないだろう。

 書庫に向かったヴェルナーさんがまもなく数冊の本を持って戻ってきた。長年執事をしているだけあって、本の位置も把握しているのだろう。いつものことだが、随分と用意が早い。まったく勿体ない執事を持ったものである。


「これらはどうですかな」

「うん、良さそう。ありがとう」

「いえ、とんでもありません」


 お腹が落ち着くまでどうにも広間を動く気になれなかったので、そのまま紅茶を片手に読書を始めることにする。

 一冊目の表題は、帝国の代表的な草花。そのままだ。ぱらりとページをめくると、前書きがあって、その次のページからはずらりと見たことのあるものからないものまで、数多の花が説明と共に並んでいる。私はそれらに軽く目を通しながら、少し孤児院での思い出に浸った。


 あれは、たしか七歳のころの話だ。

 他の子どもたちと一緒に、庭で遊んでいた時のことだった。私が庭の端っこで薄紫色の綺麗な花を見つけて、せっかくだからと花冠を編んだのだ。するとそれを見つけた孤児院の先生が、最初は微笑ましそうにこちらを見守っていたのに、しばらくすると何故か慌てたようにこちらに走り寄ってきて、花をつぶさに観察しはじめたのだ。


 私が驚いてどうしたの、と聞くと、先生はよかった、これはアガパンサスの花だ、と言って花冠を返してくれた。

 疑問気な私に先生はホッとしたように苦笑して、説明をしてくれた。

 なんでも、アガパンサスの花というのは、ヒガンバナにとても良く似た花で、よく間違えられるのだとか。けれど二つの花には大きな違いがあって、それはヒガンバナには強い毒性があるということだ。間違って花を食べてしまったりすると、下痢や腹痛に襲われ、ひどい場合には呼吸ができなくなって死んでしまうこともあるのだとか。とても恐ろしい話だ。

 私はすぐさま花冠を捨てそうになったけれど、アガパンサスの花は見た目が似ているだけで、ヒガンバナとは反対に食用にもできるくらい毒性のない花らしい。納得した私は、なんとなくホッとした気分で花冠を被ったのだ。


 突然思い出した懐かしい思い出に、くすりと笑みが漏れた。

 ヴェルナーさんがどうかしましたか、と視線を向けてきたのになんでもない、と返して、ページをめくる。ちょうど、アガパンサスの花のページだった。ヴェルナーさんに思い出話でもしようかと思ったところで、玄関の方から声が聞こえた。


「――もし、もし。誰かいませんか」


 どうやら、来客のようだ。この間リリエットさんが来たばかりなのに。

 偶然も続くものだ。


 私が目配せするとヴェルナーさんは頷いて、門を開けにいった。

 戻ってきたヴェルナーさんの背後についてくるのは、金髪碧眼の、とても顔の整った青年だ。

 わかるはずもないのに、誰だろうと眺めていると、目があった。すると青年は驚いたように目を見開いて、少し怯んだように見えた。しかしその直後、気合を入れなおすように呼吸を整えると、まっすぐに私へ向かってきた。


「もし、夜分遅くに申し訳ありません。時計塔の魔女様であられますか」

「えっ。あ、うん」


 反射で頷いてしまった。どうやらこの青年も、リリエットさんのように魔女に用があるらしい。

 頷いてしまったし、追い返すのももちろんダメだ。とりあえず話を聞いてみよう。


「やはり。噂は真実だったのですね」

「……ええと、どなたかしら」


 私が尋ねると、青年は慌てたように跪いて。


「これは失礼いたしました。私はロメオ、ロメオ・モンテアグロと申します」

「ロメオ、ね」

「はっ。本日は、魔女様にどうかお知恵をお借りしたく」

「まあ、そうでしょうね。わざわざここまで来たのだから」

「魔女様が俗世との接触を嫌っておられるのは……」

「それ前も聞いた」

「はっ?」

「……や、なんでもない。それで、相談事というのは」


 ロメオさんは少し躊躇した後、覚悟を決めたように語りだした。


「実は、想い人がいるのです」

「それも聞いた」

「はっ?」

「……ううん、なんでも。続けて」

「……しかし、最近どうも、仲が疎遠なような気がしてしまって。もしや相手方に嫌われてしまったのではないかと、毎日悩んでおるのです。このままでは、夜も眠れません。どうか、お知恵を……」

「なに、これは? からかわれてるの? 壮大な惚気話かなにかかしら?」

「はっ?」

「いいえ、なんでも……」


 ついこの間まったく同じような話を聞いたばかりなので、思わず動揺してしまった。

 まさかではないけれど、その想い人というのはリリエットさんだったりしないだろうか。

 そんな偶然があるものかと思いながらも、私はついついロメオさんに尋ねる。


「その想い人というのは、長い金髪が綺麗な、リリエットという名の女性かしら?」

「はっ……え、あ、な、何故それを……!?」


 ドンピシャである。そんなまさか。

 事実は小説より奇なりとは、まさにこのことか。


「……い、いえ。そう、魔法よ、魔法」

「魔法、ですか、なるほど……魔女様には、すべてお見通しだということですね」


 いや、違うけど。全然違うけど。

 たまたまその想い人さんとやらがつい最近同じ相談をしに来ただけだけれど。

 まあいいや、とりあえずそういうことにしておこう。


「それで、どうでしょうか。リリエットは、私のことを嫌っているのでしょうか」


 ぜんぜんきらってないとおもうよ。むしろお似合いだとおもうよ。


「……知恵を授ける前に、盟約を」

「盟約、ですか」

「ええ。私のことを外部に漏らさないという、ちょっとした約束のようなものよ」


 私はいつかのように懐から本を取りだして、その上に手を置いた。

 何度か検証したところ、この盟約魔法かっこ仮は、実際には効力などなく、ただ触れているものが魔法の力、魔力とでもいうべきものに包まれて光っているだけだったので、これは見せかけだけの口約束である。

 しかしロメオさんやヴェルナーさんはそんなことは知る由もないので、現実には十分以上の効力を発揮するだろう。


 ゴクリ、と息をのんだロメオさんの手を取って重ね、この間のようにそれっぽい詠唱をする。


「命よ。空よ。地と人の理よ。いま汝と我が魂で以て、ここに盟約を交わさん!」

「お、おぉ……!?」


 ロメオさんが驚いて後退るが、手はしっかりと重ねたままだ。

 やがて行き場を失った魔力は私の手の中に逆流して、収束していった。演出完了である。

 あとはそれっぽい言葉を吐いて、お幸せに、でいいだろう。


「では、言葉を授ける」

「は、はっ……!」

「十三の月の音が響くころ、其方の想いは報われる。ただし、努々忘れるな。水面の銀は、災厄を齎す。偽りの花を、真に目するように」


 口八丁。リリエットさんに言ったのを少し改変しただけの、これまたでまかせである。

 しかし二人が思い合っているのは本当なので、これできっと上手く仲を深めてくれるだろう。後ろの文は、魔女っぽさを出すためだけのフレーバーである。


「十三の月、水面の銀、偽りの花……わかりました。魔女様、本当にありがとうございます! 盟約は必ず守りますゆえ!」

「ええ。では、用が済んだなら、あちらへ」


 ひらひらと手を振って、玄関を示す。なんだか盛大に惚気話を聞かされたような気分である。もちろんロメオさんに悪気はないだろうが、疲れてしまった。今日はさっさと部屋へ戻って眠ろう。


 ヴェルナーさんが苦笑しながら、ロメオさんを玄関まで送るのを見送って、私はふあ、あと欠伸をかいた。


「ヴェルナー。少し早いけれど、今日はもう眠るわ」

「はい、お嬢様。魔法の行使はやはり負担が大きいのですね」

「えっ、あっ、う、うん……そうね」


 なんか勘違いしてるけれど、まあいっか。そういうことにしておこう。

 ヴェルナーさんの尊敬するような眩しい瞳に見つめられてしまったら、いまさら嘘ですとは言えなかった。


「おやすみ、ヴェルナー」

「おやすみなさいませ、お嬢様」


 私は逃げるように席を立って、自室へと戻るのであった。

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