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貴族

「ヴェルナー」

「はい、お嬢様」


 今日も今日とて、私は読書盛りだ。ヴェルナーさんの選んでくれた貴族の作法についての本を読み漁り、知識だけなら最低限は身に着いたように思う。これを実践する日がいつ来るかはわからないが、備えておいて損はない。私はこの前の一件でそれを学んだのだ。


「ところで、リリエットさん、どうなったのかしら」

「はっ。私の聞く限りでは、特に大きな動きはないと」

「そうなの。上手くいくといいわね」

「まったくですな」


 最近、ヴェルナーさんとの仲が更に深まったような気がする。いや、どっちかといえば、ヴェルナーさんが距離を詰めてきた、という方が正しいだろうか。私からは特に変わったことはしていない。かといって、不快感もなかった。

 ヴェルナーさんは普通にいい人だし、顔立ちだって整っている。仲が深くなって困ることはない。年齢差こそ大きいが、私は少し老けた年齢の人の方が好きなのかもしれない。孤児院でもそうだったが、なんとなく、その方が落ち着くのだ。

 私の深層心理が、父性を求めているのだろうか。


「ヴェルナー、今日のランチは何かしら」

「はい、お嬢様。本日は、猪肉を使った料理を考えております」

「へえ、猪肉。それなら孤児院でも食べたことはあったわ」


 ヴェルナーさんと暮らし始めて、猪肉が食卓に並ぶのは初めてではないだろうか。

 あれは、臭みが強いのだ。だから、庶民が害獣退治を兼ねて口にすることはあっても、お貴族様が口にすることはあまりないという食材だ。

 けれど、ヴェルナーさんのことだ。きっとそんな臭みの強い猪肉ですら、美味しく調理してくれるのだろう。これは今からランチが楽しみだ。


「猪肉というのは、扱いの難しい食材でしてな。香りの強いハーブなどを上手く使えば、その臭みが和らいで、絶妙な味わいになるのですよ」

「そうなんだ。初めて聞いたわ。孤児院では、そのまま焼いて出していたから」


 この辺りも、孤児院と貴族の身分の差を感じる話だ。孤児院ではひとつひとつの料理にそこまで手をかける余裕などなかった。

 案外、この館に来て一番嬉しいことは料理がおいしいことかもしれない。すっかりヴェルナーさんに胃袋を掴まれてしまった。


「そのまま食べるのもまた趣があるのですが、さすがに好みが分かれますからな。今回は、しっかり臭みを消してご用意させていただきます」

「それは楽しみだわ。今からお腹を空かしておかないとね」

「であれば、そうですな。少し、ダンスの練習でもしてみますか?」

「ああ、なるほど。それはいいかも」


 社交界にデビューすれば、ダンスを踊る機会はかなりあるという。ちょうど手持無沙汰だし、腹を空かせるのも兼ねて練習してみるのは、良い案かもしれない。

 私が頷いて了承すると、ヴェルナーさんが、では失礼しますといって、私の手を取った。


「まずは、簡単なステップから始めましょう。私に合わせて、真似するように足を動かしてください」

「ええ、わかった。ええっと……」


 ヴェルナーさんがゆっくりと体を動かして、一、二とステップを刻む。私もそれに一歩遅れて追随して、同じようにリズムを刻む。

 これが結構、難しい。けれど、できなくもなさそうだ。


「お上手ですぞ。ではもう一度、一、二」

「一、二。こう?」

「ええ、ええ。大変お上手で。では、少し難易度をあげてみましょう」


 二つ刻みだったステップが四つになって、足の交差が動きに足される。

 左右の足が引っかからないように慎重に動かして、バツの字になるように足を動かす。それからまた開いて、一歩。

 なるほど、こんな感じだろうか。


「できているかしら」

「ええ、初めてにしてはかなりお上手です。続けていきましょう、それ、一、二、三、四」

「一、二、三、四……」


 ヴェルナーさんに合わせて、何度もステップを反復して練習する。繰り返すうちに、段々とつまらずになめらかにできるようになってきた。

 上達が目に見えてわかると、自分でも楽しくなってくる。踊りながら話す余裕も出てきた。


「ヴェルナー、少し質問しても?」

「なんでしょう、お嬢様」

「いえ。配偶者や好きな人なんかは、いるのかなと、少し気になってね」

「好きな人、ですか。でしたら、お嬢様ですな。ははは」

「そ、そう。じゃあ、今はいないのね」

「そうですな。考えたこともありませんでした。この通り、仕事一筋で生きてきたもので」

「なるほど」


 ヴェルナーさんの不意の冗談に、少し胸が高鳴る。

 何故だろうか、私が好きだと言われて、そういやな気分はしない。むしろ、嬉しかった。

 私は彼に惹かれているのだろうか。いやいやまさか、年齢差がありすぎる。きっと勘違いだろう。

 人に好きと言われて嫌な気持ちになることなどないのだから。


 きっと、一緒にダンスを踊っているせいで雰囲気にあてられているのだろう。


「いいですな、上達が早いですぞ。もう少し、難易度をあげてみますか?」

「え、ええ。やってみましょう」

「では、ターンを試してみましょう。私の手の動きに合わせて、くるりと回ってみてください」

「わかったわ」


 これまでの一、二、三、四のステップに続いて、五で回転が加わる。少し足が縺れそうになったけれど、ヴェルナーさんのリードが上手くて、なんとか回転することができた。今度もまた、反復して繰り返す。一、二、三、四、五。

 少し慣れてきた。それを感じ取ったのか、ヴェルナーさんが若干ペースをあげた。


「わっ」

「おっと……少し早かったですかな、失礼いたしました」

「う、ううん」


 足が縺れて転げそうになったのを、すっとヴェルナーさんが支えてくれる。

 ぽすん、と胸に抱き着く形になって、ヴェルナーさんのその精悍な顔つきがアップに映った。


 年季を感じさせるしわが幾つか顔に入っていて、鼻下にたくわえた白い髭が私の額を擽った。

 なんだか、少しドキドキする。


「あ、ありがとっ」

「いえ、もう少しゆっくり、慣らしましょうか」


 孤児院では自分より年下の子ばかりで、そういう沙汰がひとつもなかったからだろうか。

 ヴェルナーさんと触れ合っていると、妙に胸が高鳴る。心臓に悪い。もう何度か練習して、今日はここまでにすることにした。


「では、ランチを作って参ります」

「うん」

「御用があればいつでもお呼びください」

「わかった」


 部屋を出ていくヴェルナーさんを見送って、ぽすりと枕に顔を押し付けた。

 赤くなっていないだろうか。どうなんだろう、私はもしかすれば、ヴェルナーさんが好きなんだろうか。

 ぶんぶんと首を振って、礼儀作法の本を開く。今は、とりあえず答えを出さずに忘れておくことにした。

 きっと、勘違いだろう。今まで得られなかった人との密接な関わりという温もりが、早とちりを犯しているだけに違いない。


「……ふぅ」


 紅茶を一口。今日もヴェルナーさんの淹れてくれた紅茶は、薫り高くて美味しかった。

 一息ついた私は、少し荒いだ呼吸を整えて、本に目を通す。


「名を名乗る時は、格式の低い方から、ね……ふんふん」


 この場合、私の格はどの程度になるのだろうか。リープリング家は、孤児院でも噂になるくらいには有名な家である。

 貴族界でどれだけの力を持っていたのかはわからないが、それなりに格式は高いと考えていいのだろうか。


 ヴェルナーさんに聞いたところ、一応、爵位的には伯爵にあたるらしい。

 帝国の爵位は、上から順に、皇室、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵。

 最後の士爵というのは要するに騎士の家のことで、実質的にはあまり貴族としては扱われない。そうなると、伯爵というのはちょうど中間あたりの格だということになる。

 ただ、その人口比で考えると、伯爵以上の侯爵や公爵、皇室というのは数が両手で数えられるほどにしか存在しないので、実質的にはかなり上の方の格位だ。侯爵以上の特定の人物と話すとき以外は、ヴェルナーさんに話すような態度を保つのがきっと正しいのだろう。


 その辺の感覚はまだイマイチわからないが、まあ、詳しいことは、あとでまたヴェルナーさんに聞くことにしよう。


「息抜きに、物語でも読もうかな」


 礼儀作法の本を閉じて、脇に置いてあった時計塔の魔女の本を取る。

 この間読んだばかりだけれど、私は妙にこの物語を気に入っていた。なんとなく、魔女に親近感が湧くのだ。

 それがどうしてかはわからない。不憫な立ち位置に、自分を重ねでもしているのだろうか。


 いや、それはない。だって私は、こんなにも恵まれている。孤児院で暮らしていた時とは比べ物にならない待遇だ。世話を焼いてくれる。ヴェルナーさんという信頼のおける人物もいる。


 ならばどうして私は、魔女に親近感を覚えるのだろう?


 不思議な感覚に首を傾げながら、まあいいか、と本を開いた。

 何度か物語を読んで思ったことだが、騎士アインガルドというのは、とても正義感の強い男だ。

 それが、物語が進んでいくにつれ、いつの間にか帝国の侵略の尖兵となっている。


 行き過ぎた正義は、悪となり得るのだろうかという、深いテーマが込められているように感じた。


 反対に、魔女マーリンは、どこまでいってもフラットな存在だ。

 常に中立でいて、ただ盟約と己の価値観によってのみ行動する。そこに正義や悪といった大層なものはない。

 ただ、己の信ずるままに動くのが魔女という存在だ。


 ……そうか、私は、マーリンのこういった姿に親近感を覚えているのかもしれない。

 私だって、自分の赴くままに日々を生きている。そこに正義や悪はなく。ただ自分がそう思う道に、進んでいるだけだ。

 ここに来たのだって、お菓子をお腹いっぱい食べたいなんていう、己の欲望だけに満ちた理由だったのだから。


 そういう意味では、なるほど、私は魔女マーリンと似ているのかもしれない。

 いや、そんなことを言ってはマーリンに失礼か。


 そんなことを思いながら、また一つ、ページをめくる。

 本の世界はいつだって、私を魅了してやまない。他のなんだってこの魅力には敵わないだろう。


「――お嬢様、ランチの用意ができました」

「……ぐぅ」


 ……ただひとつ、ヴェルナーさんの料理を除いて。

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