魔法
「まさか、お嬢様が魔女だったとは……」
私、ヴェルナーは、リリエット様を館までお送りした帰り道、ずっと同じ呟きを繰り返していた。
もちろん、お嬢様のことだ。リリエット様にお嬢様が見つかった時は、それはもう慌てた。このままではお嬢様が生き残っていることが国にまで露見してしまう。しかし、そこでお嬢様は機転を利かせて、自らが本当に噂の時計塔の魔女であるかのように振る舞われた。
そこまではよかった。お嬢様はまだ幼いながらも、リープリング家の女性の例に漏れず、聡いお方だ。後々のことを考えれば、ここで追い払うよりかは吉であると判断したのだろう。
しかし、問題はその後だった。如何にも魔女と言った様子の立ち振る舞いでリリエット様を迎えたお嬢様は、魔法によって秘密厳守の盟約を結ぶと言い、懐の本を取り出しては本当に魔法を行使されたのだ。目を疑う思いだった。まさか、そんなことが。驚いた私は、一言もフォローをすることができなかった。
いったい、いつの間に……いや、そうではない。確かに、ほんの一握りだけ、世には魔法使いが存在するという。加えてリープリング家には、代々伝わる伝説があった。リープリング家の始祖は、魔法使いであったという伝説だ。しかしそれは伝説で、時計塔を囲って家にしたがゆえの風説のようなものだと思っていた。
だが、それは紛れもない事実だったのだ。でなければ、お嬢様が魔法を行使された現実に説明がつかない。お嬢様はいつからその身に魔法を宿していたのだろうか。
あの時のお嬢様は、いっさいの戸惑いなく、まるでさも当然とばかりに魔法を使われた。であるならば、お嬢様自身は自分が魔法を使えることを以前から知っていたのではないか。知っていて、隠していたのではないか。そんな疑念が浮かんで消えない。
お嬢様は賢いお方だ。きっと、自身が魔法を使えることが周囲に露見することによって巻き起こる騒動を予期し、孤児院ではそれを隠していたのではないか。だとすれば、色々なことに説明がつく。
出会った当初の、なんのためらいもなく私に着いてきた不自然さや、この館に来てからこれまでの、どこか私を探るような素振りの説明が。
お嬢様は、私が信用に足るかどうか、この一か月ずっと試していたのではないか。
それに、何故このタイミングで魔法を露見されたのか。それはきっと、私への信用がある程度にまで達したのに加え、恋煩いに悩み、こんなところにまで出向いてきたリリエット様を捨て置きはできなかったのだろう。
お嬢様がお優しい方だというのは、執事であるはずの私を畏れながらも同等に扱ってくれることにも表れている。一緒に食事を摂ろうと言われた時は、大層目を見開いて驚いたものだ。いや、もしかすれば、それすらも私への試しだったのかもしれない。
ゾッとする思いだった。それらがすべて真実だったとすれば、なんたる智慧の持ち主か。お嬢様は十三という歳で、人の本質を見抜こうとするまでに精神を熟されているのだ。不快感や寒気などとは違う、感激に似た感情が胸の奥から湧き上がる。
やはり、お嬢様は私にとって、そしてリープリング家にとっての最後の希望なのだ。
「お嬢様……」
誇り高き薄紫の髪を靡かせ、すべてを見透かすような金色の瞳で言葉を授けるその姿は、まさに時計塔の魔女。
森羅万象を見通し、大いなる智慧を授ける、伝承の魔女そのものだ。
こうなってくると、話は違う。魔法については自分もうわさに聞く程度で詳しくはないが、魔法には、単純な行使以外に触媒を介した魔法も存在するのだという。お嬢様が本を読み漁られていたのは、知識を得ること以外に、なにか魔法に適した触媒を探していたのかもしれない。
お嬢様が先ほど盟約を交わすのに使った本は、時計塔の魔女の物語。騎士アインガルドと魔女マーリンの盟約の物語だ。
なにか約束事をするに置いて、これ以上に適した触媒はないように思える。
「魔法、か」
四十年も生きてきて、初めて目にした魔法。それも、自らが仕える主のその手で成された魔法。その衝撃は如何ほどのものか。自分でも計り知れなかった。
実際、未だに現実を受け入れ切れていない、どこか夢心地のような有り様だ。いや、もしかすれば、お嬢様はここまで見通して、どんな反応を私が見せるかによって、今後の動向を決めるつもりではないのか。
こんな調子ではいけない。
「よし」
大きく息を吸って、波立つ心を整える。お嬢様の唯一の執事が、こんなことではいけない。
私はお嬢様が魔女だと知ったうえで、最良の執事であらなければならないのだ。
気付けば私の足は、館の門の前で止まっていた。気合を入れなおし、門をくぐって玄関の扉に手をかける。
私の活力は、まるで何十年も若返ったかのようにあふれていた。
「お嬢様」
「ヴェルナー。ご苦労様」
何やら目を輝かせながら帰ってきたヴェルナーさんに振り返って、目礼する。どうもあのままひとりで食事を済ませる気にならなかった私は、ヴェルナーさんの帰宅を待っていた。
すっと目配せをすれば、ヴェルナーさんは心得ましたとばかりに席に着いた。えっ、なんでそんな気合入ってんの。
そんな違和感はさておき、私は早速本題を切り出した。むろん、魔法についてである。
「ヴェルナー。私は……」
「ええ、お嬢様。わかっております。お嬢様が魔女で、幼き頃からそれをずっと隠していたこと。そして、この一か月、私を試しておられたこと。このヴェルナー、今更ながらに理解いたしました」
「えっ」
「えっ」
えっ。いったい何の話ですか。
私がヴェルナーさんを試していた? 幼いころから魔法を隠していた?
いや、まったく身に覚えがない。
しかし有無を言わさぬようなヴェルナーさんの迫力に、私は思わず頷いてしまった。
「――やはり。そうだったのですね」
いや、なにもやはりじゃないよ。何かすごい勘違いしてるよ。私はただのマリーだよ。
しかしヴェルナーさんはそんなことには気づかず、天啓を得たかのように目を輝かせ、私を見た。
やめて。その眩しさが痛いからやめて。ぜんぶ口八丁の出まかせだよ。
「お嬢様。感嘆いたしました。お嬢様は、私が測りきれるような器のお方ではない」
「や、あの」
「さすがは、リープリング家の最後の末裔。きっと、血族の皆様全員の寵愛を受けて生まれてこられたのですね」
「その……」
「お嬢様の真意を理解するには、このヴェルナー、まだまだ不出来ではありますが、どうか、今後も執事としておそばに置いて頂けないでしょうか?」
何かものすごい勘違いが広まっている。誰か、誰か止めてください。
おそばに置いて頂けないかって、むしろこっちがお願いする立場だ。どうかヴェルナーさん、今後も私のそばにいてください。そしてできればその変な勘違いに気付いてください。
「え、ええ。もちろん、ヴェルナー。今後も、よろしくね」
「お嬢様! ありがとうございます……!」
けれど私は、感動に涙まで零しながらそういうヴェルナーさんに、いまさら全部勘違いだよなんてことは言えないのであった。
口は災いの元というが、まったくもって実感するばかりである。ちょっと意味が違う気もするけれど。
「とりあえず、食べましょう。もう冷めてしまったけれど、きっと美味しいままだわ」
「はい、お嬢様……!」
孤児院の食事に比べればなんだって美味しい。それがヴェルナーさんの料理ならなおさらだ。ちょっと冷めたくらいで、その美味しさが薄れることはない。
また何やら感涙するヴェルナーさんに困惑しながら、私は白パンをちぎった。もう、なんかどうにでもなれという気分である。
ああ、美味しい。ごはんが美味しいなぁ。完全に現実逃避であった。
たぶん、私の目はいま死んだ色をしていると思う。
「お嬢様。今後は、どうなされますか。やはり時が来るまでは、隠遁生活を?」
「そ、そうね……」
いや、それはどうだろうか。つい先ほどまではそうするつもり満々だったのだけれど、こうなってくると話は違う。
もう、リリエットさんと関わりを持ってしまった以上、完全な隠遁生活を送るのは難しい。人のうわさに戸は立てられぬという。
リリエットさんは約束を破るような方には見えなかったが、彼女がここに来るのを目にした人もひとりやふたりくらいいそうなものだし、何より失敗したのが、私がリリエットさんと約束したのは、私の姿を外に漏らすなというものだ。存在まで隠せとは言わなかった。
私も突然のことで動揺して、言葉選びを間違ってしまったのだ。
これでは、私の存在が露見するのは時間の問題である。そうであるならば、今のうちから他のお貴族様との関わりに対して、耐性を持っておくべきだ。少なくとも、来客を追い返すようなことは慎むべきだろう。私は考えをまとめ、その是非をヴェルナーさんに問う。
「完全に隠れるのは、今となってはもう難しい。であるならば、来るもの拒まず、去る者追わずの姿勢で臨もうかと思うのだけれど。どうかしら」
「なるほど、来るもの拒まず、ですか。不肖ながら私も、それがよいかと存じます」
「では、そのように」
そのように、じゃないよ。まったく。あの時、好奇心に駆られて顔を出しさえしなければ……。
しかし、そんな後悔をしたところでもう遅い。今は、もしもまた来客があった時に備えて、貴族流のコミュニケーションの習得に全力を尽くすべきだろう。
「ヴェルナー。貴族の作法というのが、私にはまだわからない。これを優先して、教えてもらえるかしら」
「はっ、畏まりました。では、ひとまずマナーなどについてが書かれた本をお持ち致します。舞踏などについては、追々私と練習していきましょう」
「ええ、お願いしま……するわ」
この口調にも慣れなければ。いまのようなぎこちない様では、いつかボロを出すだろう。
お菓子に釣られたとはいえ、自分がリープリングであることを受け入れた以上は、それなりに頑張らなければいけないのだ。
「それにしても、美味しいわね」
「お気に召されましたか」
「うん。じゃない、ええ。香草焼き、今度また作って頂戴」
「お心のままに」
そんなこんなで、今日も夜は更けていった。