アガパンサスの瞳
「なんと……サムエル卿が?」
「はい。状況からして、黒であると判断します」
「しかし……」
私がそう断言すると、ローランドさんは少し狼狽したような様子で考え込み、やがて頷いた。
その目は鋭く、正義を追求する男の輝きを放っていた。
「わかりました。たしかに、サムエル卿には色々と話を聞く必要がありそうだ」
「その事情聴取、私たちも同席しても?」
「ええ、元々マリーさんが言い始めた疑いだ、それが道理でしょう」
「ありがとう」
ローランドさんはそう言って席を立つと、ドア前で控えていた憲兵に何事かを伝えて、私たちを別の部屋へ案内してくれた。
部屋へ入った瞬間、リリエットさんがああ、と声を零した。そこには拘束されたロメオさんの姿があった。
「ロメオ様……!」
「ああ、リリエット様! 信じて欲しい、私は断じて……」
「ええ、ええ、わかっておりますとも。ロメオ様がそのようなこと、するはずありません。私こそ、先ほどは気が動転して逃げ出してしまい、申し訳ありませんでした」
「そんな、恐ろしいと思うのは当然です」
二人は涙ながらに寄り添いあい、ロメオさんは拘束された自分の姿を見下ろしてはあ、とため息を吐いた。
「しかし、リリエット様。私は、このまま捕まってしまうかもしれません。このことはある男に仕組まれていたのです」
「サムエル卿……」
「ど、どうしてそれを……?」
「すべてこちらの魔女様……マリー様が、教えてくださいました。事件の真犯人は、別にいると」
その言葉にロメオさんはようやく私の存在に気付いた様子で、ふと目が合うと驚いたように、拘束されたまま傅いた。
「これは魔女さ……」
「マリーよ」
「マリー様。ありがとうございます、きっとあの日からこうなることをお見通しだったのですね」
「えっ」
「だから忠告までしてくださったというのに、私はそれに気づかず……」
「ああロメオ様、それは私も同じことです。決してロメオ様が悪いわけではありません」
いや、たしかにあのテキトーに吐いた予言は不気味なくらい的中してしまっているけれど。
私だって、最初から見通していたわけではもちろんない。すべて状況からの推測である。
ま、まあ、二人がそう思っているのならそれでもいいか。いまさら嘘でしたというのもあれだし。
「お待たせしました、皆さん」
しばらくそうして話していると、扉が開いて、ローランドさんが入ってきた。
その背後にいるのは……。
「サムエル……!」
ロメオさんが悔し気に睨みつける。
サムエル卿はどこ吹く風で、ふん、とそれを一笑に伏した。その余裕が保っていられるのも、今のうちだ。
「それで、わざわざこんな罪人の部屋にまで呼び出して、何事ですかな。私が話すべきことは、先ほどすべてお話したはずですが」
「それが、もう少し話していただく必要が出てきましてな。座っていただけますか」
「ふん、まあ、いいでしょう。まったく、私も暇ではないのですよ」
よく口が回る。まだ話があると聞いて露骨に機嫌を悪くしたサムエル卿を見て、私は確信した。
やはり、この男、黒に違いない。
「――というのも実は、あなたがこの件の真犯人ではないかという説が出ておりましてな」
ローランドさんが鋭い眼光で切り出した言葉に、サムエル卿は目を見開いて、見るからに狼狽した。
少しの沈黙があって、サムエル卿は弁明のために口を開く。
「私が? いきなり何を言うかと思えば――」
「あなたはリリエットさんが普段から毒見という風習を嫌っており、ゆえにメイドのミーシャさんが水銀への耐性を持っていないことを知っていた。水銀が人体には猛毒であるということも。そして、今回の晩餐会は特別なもの、ゆえに普段は毒見を行わないリリエットさんも、今回ばかりはきっとマナーを守るだろうということも。そこに目をつけ、今回のことを企んだ」
「な、なんだね、急に! そのような事実はない、そもそもお前は誰だ!」
「ロメオさんが懇意にしている彼女へ晩餐会を開くとの話を聞き、自分の手の者を使い、口達者にそのメニューの中へある花を使った料理を潜り込ませた。すべては、そう、ロメオさんを毒殺容疑で陥れるために」
「なにを……ふ、ふざけるな、さっきから何を言っている! 私はそのようなことはしていない!」
私が矢継ぎ早に言葉を続けると、見るからにサムエル卿は動揺している。
すべて状況推定で、それを確定付ける証拠はない。しかし、であるならばこの反応はどうだ。
ローランドさんも怪しく思ったのか、私に続いて質問を投げかけた。
「では、サムエル卿。あなたは今回の件が起こる前に、我々に通報を入れましたね。こちらのロメオさんが、リリエットさんの毒殺を企てていると」
「ああ、間違いない。このような美しい令嬢の命を奪おうとするなど、言語道断だ」
「事前に連絡を受けていて、実際に事が起きたという通報があった以上、我々は動かざるを得ませんでした。しかし、どうにも話を聞いていると不自然な点が多くありましてね。まず、ロメオさんがリリエットさんを毒殺する動機がない」
「そ、それは、私も知らん。人を殺めるようなものの心理など、理解したくもない。大方、なにか裏側で暗闘でもあったのだろう」
「いえ、それが両家の仲は良好だったとか。暗闘といえば、メレンデーナ家は、モンテアグロ家と領地問題を抱えていますが」
「それと今回のことは関係ない! 私は企ての噂を聞き、良心に基づいて通報したのだ。それ以上は我が家への冒涜にあたるぞ!」
「では、その噂というのは、誰から聞いたのですかな」
「さっきも言っただろう、商人からだ」
サムエル卿はあくまで自分が善意の第三者だという姿勢を崩さない。
しかしローランドさんが突っ込んだ質問をするたびに、ボロが見える。
逆に呆れる思いだ。そんな簡単な部分の辻妻合わせもしないで、このような企みを実行に移したのか。
「では、やはりロメオさんがリリエットさんを毒殺しようとしたのは間違いないと?」
「その通り。この罪人は彼岸花を使って、リリエット卿を毒殺しようとしたのだ。間違いない」
「――どうして使われた毒物が彼岸花だとお知りなのですかな」
私はため息が漏れる思いだった。よくこれで、今日まで領主が務まったものだ。
まったくもって迂闊。私以上に口は禍の元という言葉が似合いそうな男だ。
「そ、それはっ……う、噂で聞いたのだ! 噂で」
「今回の件はまだ発生してから数時間も経っていない。それに、あなたは事件発生から間もなく我々に招かれ、ここへ向かっていた。噂を聞く暇などなかったように思えますが」
「ふ、ふざけるな! 名誉棄損だぞ! これ以上続けるなら――」
顔を真っ赤にしたサムエル卿が憤慨して手を振り上げたところで、ローランドさんはこの件に見切りをつけたようだった。
変わらず確定的な証拠はないため、逆にサムエル卿を逮捕するというようなことは今のところ難しいだろう。しかし、ロメオさんの冤罪はなんとか晴らせそうだ。
私はそれを決定づけるため、ここで追い打ちをかけた。
「仮に彼岸花で、毒殺を試みたという噂を本当に聞いたのだとして。ならばそれは、ただの勘違いです」
「な、なにを」
「私自身が、この命を以て確かめました。あれは彼岸花ではなく、アガパンサスの花です」
「それはこの私、ヴェルナー含め、多くの者が見届けました。毒は花ではなく、ワイングラスに付着した水銀でした」
「な――」
サムエル卿は信じられないというような目で私を見た。
誰も、第三者が、他人の容疑を晴らすために命を賭して毒物の疑いがあるものを口にしようなどとは考えない。サムエル卿の誤算はここだった。事件が発生してしまえば、多少不自然な点があれど、強引に押し切れる。
実際、このひどい言い分を見る限り、そのつもりだったのだろう。
しかしそこに、いるはずのない者が現れた。私という、イレギュラーが。
「……ふざけるな、ふざけるな! なんだお前は! さっきからちょこまかと、私を愚弄しおって……名乗れ、名を名乗らんか!」
頭まで血を昇らせ、手を振り上げるサムエル卿。
私は反射的に手を突き出し、魔力を振り絞った。ぶわり、と魔力が展開される感覚。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……無数の魔法陣が、サムエル卿を囲うように展開された。
バチリ。私は少しだけ力を込め、魔法陣に雷を纏わせる。
固まったサムエル卿が、バケモノを見るかのような目で私を見た。
「貴様……何者だ……」
「命よ。空よ。地と人の理よ。いま、我が魂で以て、ここに真実の告白を」
どうせなら、少し脅しをかけておこう。この男がこの先、二度と二人の邪魔をしないように。
「私はマリー。マリー・リープリング」
私はぶわりと紫色の魔力を体に纏い、金色の瞳を見開いて言った。
「またの名を――時計塔の魔女。これ以上なにか異議があるなら、私の館までいらっしゃい!」
すっかり怯え切ったサムエル卿がぺたりと力なく座り込んで。私が魔力を収束させると、しん、とした沈黙が場を支配した。
驚いて固まったローランドさんが、恐る恐る私を見た。
「と、時計塔の、魔女、様……まさか、実在していたとは……そうか、あの日の不自然な落雷は、あなたの……」
「えっ」
「えっ」
ローランドさんも、あのやらかしを目にしていたのか。
いや、それはそうか。まさかあの派手な魔法を目にしたのがライラさんだけというわけはない。
「……と、とにかく、私の魂に誓って、私たちは真実しか話していないわ。ロメオさんは無実、私たちはそれを証明するためにここへ来た」
「魔女様……」
ローランドさんはハッと我を取り戻したかのように嘆息し、少し考えてから唸って。
「たしかに、これでロメオさんを毒殺未遂の疑いで逮捕するのは、無理がありますな」
「では……」
「ええ。――君、ただちに拘束を解きたまえ」
ローランドさんが憲兵に指示し、ロメオさんの拘束を解かせる。
無実の罪から解き放たれたロメオさんは、泣きながらリリエットさんと抱き締め合った。
「ああ、リリエット様、――いや、リリエット……!」
「ああ、ロメオ様……!」
「私は、君が好きだ!」
「私も、あなたをお慕いしております、ロメオ様……いえ、ロメオ――!」
なにはともあれ、二人の想いは通じ合ったようだった。
まったく、思った以上に厄介な相談事だった。安堵した私は頭の中でそんな軽口を叩きながら、ヴェルナーさんとライラさんの方を見た。
二人とも、笑顔でガッツポーズを返してくれた。自然と、私の頬も綻ぶ。
「さて、サムエル卿。あなたには聞かなければいけないことが沢山ある。ご同行願いましょう」
「馬鹿な……そんな……」
アガパンサスの花。花言葉は――愛の訪れ。
連行されるサムエル卿と、愛を伝え合う二人を背景に。
私はほっと、ため息を吐くのであった。




