黒幕
「ところでリリエットさん、こちらの方々は?」
「私の相談役です、できれば同席を」
「なるほど、相談役ですか。まあ、それは構いません」
先ほどの憲兵さんと同じようなやり取りをして、私は同席を認めてもらえた。
フードを被ったままなのは失礼かとも思うが、顔が見えていれば十分だろう。ローランドさんは少し不思議そうにしながらも、気分を切り替えたのか、キリッとした表情になって、リリエットさんに質問を投げかけた。
「まず、リリエットさん。あなたは、モンテアグロ家の館で、毒殺をされそうになった。これは間違いないですかな?」
「いえ。たしかにこのメイドのミーシャが毒で倒れたのは確かですが、私はロメオ様にそのようなことをされたとは思っていません」
「ほう。というと?」
「私たちは、好きあっていたのです。仲は良好でした。ですから、ロメオ様が私を毒殺しようとする動機がありません」
「失礼ですが、それは演技で、あなたの一方通行であった可能性は?」
「それは私が否定します。私はリリエットさんと同時に、ロメオさんの相談も受けていました。二人とも、お互いの仲についての相談です。とてもそれが嘘だったとは」
「ふむ」
リリエットさんから私に視線を映したローランドさんは、少し考えるような素振りをして。
「ちなみに、相談役さん。あなたは」
「マリーと申します」
「ではマリーさん。その相談から、嘘だった可能性は」
「完全に否定はできませんが、とても嘘を言っているようには見えませんでした」
「なるほど」
ローランドさんはそのしわがれた手を顎にあてて、うーむ、と唸った。
事前の話とかなり内容が異なっていて、困惑しているのだろう。
「そうなると、話は複雑になりますな」
「はい。私は、ロメオ様ではなく、真犯人は別にいると考えております」
「真犯人ですか。しかしですな……」
ローランドさんは少し迷ってから、話をきりだした。
「実は、憲兵隊の方に、事前に通報がありましてな。なんでも、ロメオ卿がリリエットさんの暗殺を企てているとのことで」
「それは、どなたですか」
「それは秘密保持の関係上、申し上げるわけにはいきません。匿名としておいてください」
「でも……」
これは仕方がないだろう。憲兵たちとて、なにも悪意でロメオさんを捕まえたわけではあるまい。
ただその身の正義に従って、動いただけなのだ。密告者を明かせないというのも、道理だ。
しかし、私たちはそれでは困るのだ。その密告者こそが、真犯人であるかもしれないのだから。
私は少し、カマをかけてみることにした。
「その通報者は、もしやサムエル卿では?」
「……なぜそう思うのですかな」
「いえ。なんでも、メレンデーナ家は、先の戦争での領土割譲の件で、モンテアグロ家と随分と揉めているとか」
「まさか彼が犯人だとでも?」
「いえ、事実を述べているだけです」
「ふーむ……」
ローランドさんは険しい顔をすると、一転して別角度の質問を投げかけてきた。
一端、この話はスルーする心づもりらしい。
「当時の状況についてお聞きしたい。私が聞いているのは、晩餐会のはじめ、毒見を請け負ったそちらのミーシャさんが、数分後、お腹を押さえて腹痛やしびれを訴えたと聞いておりますが」
「はい、私が毒見をしたあと、急にお腹が痛くなって倒れてしまい、そのあと体がしびれるような感覚がありました」
「その後の医者の判断では、毒物による異常だと診断されたとか」
「はい、相違ありません」
「ですと、やはり料理の中に毒物が含まれていたということになります」
「そう、ですね」
ミーシャさんが質問に答える。たしかに、そこは間違いない。
正確には、料理ではなくワイングラスだったのだが、それを言うにはまだ早い。
ローランドさんの信用を得ていない。
「晩餐会の料理の中に毒を仕込めるのは、主催者であるロメオさんか、料理人、そして使用人のみ。それは間違いないですな?」
「はい、そうだと思います。けれど……」
「そんなことをされる覚えがない、と」
「はい」
今度はリリエットさんが答える。そう、ロメオさんがリリエットさんを毒殺しようとした、という仮説には、決定的な弱点がある。
動機がないのだ。痴情のもつれでもなければ、家同士の関係にも問題はない。ロメオさんがリリエットさんを害する理由がなかった。
「たしかに、我々としても、その点は不可解に思っていました。子爵家と男爵家ではあまり揉めようがないですし、特に衝突があったとも聞いていない。そこは不自然に思っていました」
「はい、ローランドさん。そうなのです、私たちには揉める理由がないのです。それどころか、好きあっていました。両親も私の想いを認めてくださり、両家の間に不和はありませんでした」
「うーむ。しかし、そうなると誰がやったのか、という話になりますな」
「少なくとも、ロメオ様ではありません。私はそう信じております」
ローランドさんは頭を捻り、ふぅと小さく息を吐いた。
それからリリエットさんに向けていた視線を私にずらして、尋ねた。
「では、マリーさん。あなたは、事情を知る第三者としてどう思われているのですかな」
ここだ。ここから、切り崩していく。
「私が思うに、そもそも、この毒殺騒ぎに、真の意味での犯人はおりません」
「……ほう? それは」
「誰も、毒殺を目論んでなどいないのです。それはこの身を以て確かめさせていただきました」
「詳しくお聞きしても?」
「もちろん」
私は一呼吸置いて、まず状況を整理するところから始めた。
丁寧に説明することが、大切な場面だ。
「まず、あの時料理を口にしたのはたった二人。毒見役を請け負った、ミーシャさんと、ロメオさん側の執事のみです」
「ふむ」
「ミーシャさんはそれぞれの料理を口にして数分後、腹痛を訴え、倒れてしまった。ところが、ロメオさん側の執事に異常をきたしたような様子はありませんでした。むしろ、ミーシャさんが倒れたことに驚いて、右往左往していたと聞いております」
「リリエットさん、ミーシャさん、話に間違いは?」
「ありません」
「ない、です」
すかさず同意してくれる二人。そう、まずそこからおかしいのだ。料理に毒が含まれていたのであれば、同じ料理を口にしたロメオさんの執事も倒れるはず。けれど倒れたのは、ミーシャさん一人だった。
「ですから、そもそも、毒は料理に含まれていなかったと考えます」
「と、いうと?」
「料理ではなく、その食器に問題があったと考えます」
「なるほど」
ローランドさんは興味深そうに、私の弁舌に相槌を打った。
大丈夫だ、聞いてくれている。これなら。
「実は私もあの後、すぐにロメオさんの館へ駆けつけ、ミーシャさんと同じ食器を使って料理を口にしたのですが、体調に異変があらわれることはありませんでした」
「それはまた、危険なことを」
「必要なことです。しかしその後、ワインに口を付けた時、体調に異変が現れました。ミーシャさんと同じく、腹痛と体のしびれを感じたのです」
「ふぅむ」
「で、あるならば。私はこのワイングラスに問題があったと、考えます」
「道理ですな」
うん、きちんと話について、乗ってきてくれている。
この調子で、丁寧に状況を説明していこう。
「ローランドさんは、貴族の間で水銀、というものが不死の妙薬の原料になるとして飲食されているのをご存じでしょうか」
「ええ、存じております」
「しかしこの水銀、とある学説があるのです。曰く、水銀はその実人体には猛毒で、口にすると腹痛や体の麻痺を引き起こす、と」
「なんと、それは初耳でした」
「注釈としてですが、きちんと学術書にも乗っている説です。そしてこの症状、まさに私とミーシャさんが経験した症状そのものではありませんか」
「たしかに、その通りですな」
ローランドさんは頷いた、先を求めた。
「ロメオさんに話を聞いたところ、ロメオさんは健康のため、普段から水銀を飲食されているとのことでした。その残りが、ワイングラスに付着していたのだと思います。そして耐性のない、即ち初めて水銀を口にしたものには、その症状が大きく発現するのではないかと考えます。いわばショック症状です」
「なるほど。たしかに、水銀は初めて口にしてから、しばらくの間は体調に異常が出るものだと聞いています。それは効能が強すぎるから、体が慣れるのに時間がかかるのだと」
「いいえ。水銀は猛毒です。それは正常な反応なのです。慣れるというのは、言い換えれば耐性がついたということです。体調に重大な異常をきたす薬など、薬とは呼びません。それは毒です」
「それは、そうですな」
「私も、水銀など口にしたことがありませんでした。だから、ミーシャさんと同じ状態に陥ったのです。ロメオさんの執事は、普段から毒見で微量の水銀を口にしていたのでしょう」
「ミーシャさんはそうではないと?」
ローランドさんの質問に、リリエットさんを見る。
リリエットさんは頷いて、私の代わりに質問へ答えた。
「はい。私は、普段の会食ではこの毒見という一連の流れを嫌っており、ミーシャにはそのようなことをさせていませんでした」
「なるほど、ではミーシャさんはその時初めて水銀を口にした、と」
「はい。私の記憶の限りでは」
「なるほど。その話が真実であるのならば……」
そうだ。私は最初、その結論に辿り着いた。
「はい。この件に、犯人などいない、ということになります」
「そうなりますな。それゆえ、ロメオさんが無実であると」
「その通りです」
「……これは、再捜査の必要がありそうですな。それも国をあげたものになりそうです。まさか、水銀が毒だったとは」
話を切り上げようとしたローランドさんを、引き留める。
まだ、断罪は終わっていないのだ。
「まだ、話は終わっていません」
「……うむ?」
「それとは別に、この件の裏で、蠢いていたものがあります。リリエットさん」
「はい。私は、このミーシャの体に異常をきたした毒について、最初は彼岸花による毒だと考えていました」
「彼岸花? たしかに、毒性のある花だが……」
「はい。晩餐会にて出された料理には、花を使ったサラダがありました。私はそれを、彼岸花のサラダと見間違えたのです、ですが、まじょ……マリー様の身を張った検証によって、それは違うとわかりました」
「つまり?」
上げかけた腰を下ろして、再び席に着いたローランドさんに、私はリリエットさんの言葉を継いで言い放った。
「あれは彼岸花ではなく、よく似た見た目をしている食用の花、アガパンサスです」
「アガパンサス……」
「そして、それを使った料理を、モンテアグロ家の料理人に仕込んだ人物がいます」
「それは……?」
「メレンデーナ領からやってきた、商人です」
ローランドさんの口が大きく開いて、驚愕を示した。
攻めるなら、ここしかない。私は深呼吸をして、言い放った。
「――この事件。黒幕は、密告者であるサムエル・メレンデーナ、その人であると考えます」




