憲兵隊
「ライラ、リリエットさんをお願い」
「はっ、お嬢様はどちらへ?」
「ロメオさんの館へ。すぐに行かなきゃならないの」
「しかし……」
「おねがい」
「……畏まりました。ヴェルナー、お嬢様の安全は頼んだわよ」
「承知」
まだ不安定な様子のリリエットさんとミーシャさんをライラさんに任せ、私はすぐさまロメオさんの館へ向かうことにした。
もう遅いだろうか。いや。そんなことを考えていても仕方がない。間に合わせなければ。私は急いで部屋へ戻り、ローブを羽織って準備を整えた。
「ヴェルナー、いくわよ」
「はい、お嬢様」
フードを深くかぶり、館を飛び出す。ロメオさんの館の位置は、ヴェルナーさんが知っていた。
門を出ると、ざわざわと困惑した様子の、リリエットさんの護衛の騎士たちがいた。
「もし」
「はっ、……ええと、あなたは」
「ここの住人よ。時計塔の魔女と名乗れば早いかしら」
「と、時計塔の!?」
「ええ」
「これは失礼いたしました、魔女様! まさか噂が真実だったとは。それでリリエット様はここに……」
「以前から相談に乗っていてね。ちょっと、お願いがあるのだけど」
「はっ、何でしょう」
「馬車、貸してくれない?」
この館は街の郊外にあるので、ロメオさんの館まで走っていくには、さすがに距離が遠い。
今は一刻を争うのだ。できれば馬車を借りて、全速力で向かいたかった。
「しかし、これはフランブワン家の所有物です。いくら魔女様と言えど、簡単にお貸しするわけには……」
「早くしないと、リリエットが歩むはずだった幸せな人生が途切れてしまうのよ! お願いだからここは従って頂戴!」
「は、はっ……!」
私の剣幕に圧されてか、それともまだ混乱が抜けきっていないからか、ともかく騎士たちは馬車を貸してくれるようだ。助かった。
もちろん私は馬になど乗れないので、御者をヴェルナーさんに任せて、私は馬車の中へ座った。
「ヴェルナー、急いで」
「はっ、お任せください!」
ヴェルナーさんもまだ事態が呑み込めていないようだったが、私がそう声をかけると、素直に従ってくれた。
鞭を打つ音がして、ガラリガラリと馬車は走り始めた。急がなければ。あの料理が片付けられてしまっては、もう証明は難しくなる。
「なんでこんなことに……」
まったくもって不可解だ。私の予言が、本当に予言として成立してしまうなど。
しかし吐いたのは自分だ。その責任は取らなければいけない。それに、あんなに悲しそうなリリエットさんを見て、そのまま関係ないからと捨て置けるはずがなかった。
馬車は夜道を駆ける。私が体を痛めないような絶妙な速度を保って、ヴェルナーさんは馬車を走らせていた。
こんなところでまで気遣いをしてくれるとは、ありがたい話だが、今はそれどころではない。
「ヴェルナー、もっと早く走れる?」
「可能ですが、お嬢様のお体に……」
「私は大丈夫だから、とにかく急いで!」
「畏まりました!」
するともう一度鞭を打つ音がして、ぐん、と馬車の速度が上がった。
揺れる馬車、ガタガタとその衝撃で腰が痛いが、そんなことは些細な問題だ。あとでしっかり養生すればいい。
今この時、この一瞬にロメオさんとリリエットさんの人生がかかっているのだ。おしりが痛いなどと文句を言っている場合ではなかった。
「もうすぐです、お嬢様!」
「わかった!」
それから数分ほどして、馬車はゆっくりと速度を落とし、止まった。
私は馬車から飛び降りると、目の前の館へ駆けこんだ。
「どなたですかな!? 失礼しますが、いまは来客をお迎えでき――」
「リリエットさんからの使いよ。一刻も早く確認しなければならないことがあるの、通して!」
「リリエット様からの!? わかりました、どうぞこちらへ!」
慌てた様子の執事を押し切って、館の中へ入る。豪華に飾り付けられた広間は、数多の使用人たちであふれて騒然としていた。
料理、料理は。私は卓の前まで走って、確かめる。よし、まだ片付けられていない。間に合った!
「こんな時に、誰……魔女様!? どうしてここに」
「確かめることがあるの。協力して」
「か、畏まりました」
すぐさま私に気付いたロメオさんに頼んで、ミーシャさんの口にしたすべてのものを同じ量、用意してもらう。
もしも推測が外れていて、本当に毒物が混じっていたなら目も当てられないことになるが……。
「ええい、ままよ」
「お嬢様!?」
私は一度目を瞑って、覚悟を決めると、ワインだけを除き、それらすべての料理を口にした。
「魔女様、それには毒が……!」
「いいえ。私の考えが正しければ、この料理には毒なんて含まれていないわ」
「で、では、しかし……」
「料理人さん」
尋問されていたのであろう、ロメオさんの館の料理人たちは藁にも縋るような目で私を見ていた。
「この料理は、ロメオさんの意向で作ったもの?」
「いえ、ロメオ様がリリエット様を迎えるための最高の料理をとおっしゃったので、我々で考えて用意させていただきました」
「では、この花のサラダは……」
「はっ……隣のメレンデーナ領の商人から、食材を買った際にアイディアをいただきまして……」
「なるほど」
そうして館中の注目が集まる中、私は待った。一分、二分……十分、二十分。いつまで経っても、ミーシャさんが訴えたような腹痛はやってこない。
茫然と事態を見守るロメオさんたち。私はごくりと息をのんで、それから思い切ってワインに口をつけた。
「魔女様、いったいなにを……」
「黙ってみてて。きっと、これが……」
私は再び待った。一分、二分……五分も経ったころ、お腹の方が妙に痛み始めた。
それはどんどんと強くなり、立っていられないほどになる。
「お嬢様、大丈夫ですか、お嬢様!」
「ヴェル、ナー、水を……」
「畏まりました! ロメオ様、今すぐ水と医者を!」
「は、はい!」
すぐさまやってきた医者に水を飲まされ、ミーシャさんと同様に胃の内容物をすべて吐き出させられる。
次第に腹痛は収まり、体のしびれも取れてきた。やっぱり。私はヴェルナーさんの手に支えられながら呼吸を整え、ロメオさんに向き直った。
「ロメオさん、あなたは普段、水銀を……?」
「えっ、あ、は、はい……健康や美容にいいと聞いて、口にしておりましたが……」
「このワイングラスで飲んでいた?」
「はい、そうですが……」
「やっぱり」
私は改めて、自分の推測が正しいことを確信した。
その根拠となるのは、あの本だ。様々な金属について書かれた、あの本。
水銀の欄に、小さく乗っていた注釈。あの学説。
「この事件に犯人はいないわ」
「それは、どういう……!?」
「強いて言うならば、貴族の風習、間違った認識……それが犯人よ」
戸惑うロメオさんに、さらに説明を続けようとして――。
「動くな! 憲兵隊だ!」
「なっ……」
時間切れだった。リリエットさんの護衛の騎士たちが通報したのだろうか。憲兵の服を着た兵士たちが、何人も館へ踏み入ってきた。
使用人たちは驚いて動きを止め、憲兵隊の長らしき男がどしどしとその真ん中を歩いてくる。
「ロメオ・モンテアグロだな」
「は、はい……」
「リリエット・フランブワン毒殺未遂の容疑で、連行する!」
「そんな、私は何も……!」
「言い訳は詰め所で聞こう。連れていけ!」
ああ、ああ……。
「待って、待ってくれ、私は本当に何も! 私はリリエット様が好きなんだ、そんなことをするわけが!」
必死に叫ぶロメオさん。けれどその身は幾人もの憲兵に抑えられ、抵抗も虚しく館の外へと連行されていった。
しん、と静寂に包まれる館。誰もが事態を飲み込めず、茫然としていた。
「間に合わなかった……」
私はとてつもない無力感と後悔に包まれ、ヴェルナーさんの腕の中へ力なく沈んだ。
憲兵へ連れていかれてしまっては、こちらから手を出すのは難しい。いったい、どうすれば……。
「魔女様……どうかお教えください。ロメオ様は、無実ですよね?」
ロメオさんの執事が、力なく聞いてくる。私は頷き、応えた。
「ロメオさんは無実よ。この事件に犯人はいない。必ず私が、あなたたちの主を連れ戻して見せる」
どうしてそんな言葉が出たのか、自分でもわからなかった。放っておけばいいはずなのに、自分とは関係のないはずなのに。
けれど、どうしても。どうしても頭から、両片思いに悩む二人の幸せそうな顔が浮かんで消えなかった。
「一端、館へ戻らなきゃ……」
こうなっては、リリエットさんも参考人として憲兵隊の詰め所へ呼ばれることになるだろう。
この後どうするかは戻りながら考えるとして、とりあえず、館へ帰らなければ。
「ヴェルナー、戻るわよ」
「はッ、お嬢様」
私はヴェルナーさんに体を支えてもらいながら、馬車へと戻った。
ヴェルナーさんは私を気遣ってか、往路よりはゆっくりと馬車を走らせた。
「……お嬢様」
「なに、ヴェルナー」
「どうか、もうあのようなことはおやめください。お嬢様にもしものことがあれば、私は……」
少し潤んだヴェルナーさんの声に、私は物凄い罪悪感にかられた。しかし、あの場ではああするしかなかったのだ。真実を確かめるために、二人の未来を守るために。
「ごめんなさい。けれど、ああするしかなかったのよ」
「それでは、私が代わりに――」
「馬鹿言わないで。それこそ、もしものことがあれば、私はどうすればいいのよ」
もしも全部間違っていて、万が一にもヴェルナーさんが毒で死んでしまったら?
考えたくもなかった。そして同時に、ハッとする。ヴェルナーさんもきっと、こんな思いなのだ。
「……ごめんなさい。冷静ではなかったわね」
「はい、お嬢様。どうか、もう少しご自分を大切にしてくださいませ」
「わかった。気を付ける」
そこからは、無言だった。
互いに微妙な空気感を居心地悪く思いながらも、馬車は進む。
それから約十数分、館へ戻ると騎士たちが門で待っていた。
「お帰りになられましたか、よかった」
「馬車、貸してくれてありがとう」
「はい、魔女様。それで……」
「確かめるべきことは確かめられた。けれど、憲兵隊がやってきて……ロメオさんは連行されてしまったわ」
「それは……」
話していた騎士が振り返ると、目線の先でひとりの騎士が少しバツが悪そうに目を逸らしていた。
「その……申し訳ありません。魔女様にどんなお考えがあったのかはわかりませんが、まずは憲兵隊に通報しなければならぬと思い……」
「いいえ、仕方ないわ。誰だってそうする」
しっかりと説明してから出発しなかった私が悪い。急ぎ過ぎたのだ。
しかし、どうしたものか……。憲兵隊に話したとして、信じてくれるかどうか。ここは、リリエットさんの協力が必要かもしれない。
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
「ライラ。リリエットさんとミーシャさんの様子は?」
「はい。二人とも、少し落ち着かれたようです。お嬢様の帰りをお待ちしておりました」
「そう。ありがとう。すぐいく」
馬車を騎士たちに返して、私はすぐに館の中へ帰った。
広間に入ると、目を泣き腫らした二人がバッと顔を上げて、私をみるなり駆け寄ってきた。
「魔女様、ロメオ様は……!」
「残念ながら、連れていかれてしまったわ。でも、大丈夫。リリエットさんと私で詰め所へ行って事情を説明すれば、きっと」
「そうですか……ロメオ様は、本当に私を毒殺しようとしたわけではないのですね?」
「ええ。今回のことはすべて、不幸なすれ違いが原因よ」
「わかりました。魔女様のお言葉を信じます。いえ、私もロメオ様のことを信じたい」
「大丈夫。ロメオさんは、そんなことをする人ではないわ。実は、あなたと同じように、ロメオさんにも相談を受けていたのよ。あなたのことで」
「私のことで?」
「ええ。だから、大丈夫」
「ああ、魔女様……」
しくしくと再び泣き始めたリリエットさんを宥めながら、私はこの先の計画を立てるのだった。




