晩餐会
「おお、よく来てくれました、リリエット様」
「当然でございますわ、ロメオ様」
私リリエットは幸せの絶頂にいた。魔女様の予言通り、十三の月の音が響くころ……すなわち中秋の名月が輝くころ、私はロメオ様の館にいた。晩餐会へ招待されたのだ。
今日の日に備え、ドレスも新調したし、化粧も完全な状態へ整えた。体調も心の準備も万全、想いを届けるための言葉だって長い時間をかけて最良のものを考えてきた。あとは、この晩餐会で良いムードになったところを、二人きりになり、伝えるだけ。それできっと、この恋は報われる。そう思っていた。
ロメオ様の案内に従って、ロメオ様の館の中へ入る。大きな広間は煌びやかに飾り付けられていて、淡い期待がきっと間違いではないことを予見させた。
「リリエット様。まずは、私の招待に応じてくださり、誠にありがとうございます」
「いえ。私こそ、ご招待いただき、光栄に存じます」
ロメオ様と私は、私の方が爵位は高い。けれど私が子爵、ロメオ様が男爵なので、実質的には大きな差ではなかった。侯爵ともなると恋愛をする相手もかなり身分に縛られるが、子爵以下の貴族ではそれはそこまで大きな障害にならないのだ。
ロメオ様の柔和な笑みに思わず自分も微笑み返してしまいながら、示されるがままに席へ座った。連れてきたのは、信頼のおけるメイドが一人。それと護衛の騎士が数名。帝都なので治安は良く、実際は護衛というよりも貴族の体裁を保つためのマナーのようなものだ。
騎士たちは一名だけを傍に残して、外で待たせている。少し悪いとは思ったが、今日この日だけはロメオ様との時間を邪魔されるわけにはいかないのだ。
メイドのミーシャも、機を見計らって離席してもらう予定だった。
「お座りください」
「はい。……まあ、とても豪華な料理ですわね」
「料理人が腕を振るって用意してくれました。きっと、リリエット様にも満足していただけると」
「私はロメオ様の用意してくれたものなら、なんでも嬉しいですわよ」
「ああ、それはまた甘い言葉ですね。顔が熱くなってしまいます」
控えめに言って、仲は良好だった。魔女様に相談して以来、どこかギクシャクしていた関係は鳴りを潜め、再び以前のような……いや、それ以上に仲が深まっていた。お互いに意識している節を、言動の節々から感じていた。ロメオ様と過ごす時間は、それが雨の日の街中だったとしても、とっても幸せだった。
卓に並びたるはみるも豪華な料理の数々。その食材のひとつひとつにまで大きな感情が込められているように思えた。
鶏のバター焼き、旬野菜のスープ、大きな牛の香草詰め焼きに、薄紫色の花を使ったサラダ。どれをとっても、一級品だった。
備え付けられているのは銀食器。飲み物は上品な深紅を揺らす赤ワイン。これからのことを思えば、頭打ちだった気分がさらに盛り上がる思いだ。
「リリエット様。今日は大事にお話があって、お招きさせていただきました」
「まあ、大事なお話?」
「はい。食事が終わったら、少しふたりになりませんか?」
「もちろんですわ、実は私も大事なお話がありますの」
「そ、そうでしたか」
大事なお話。ああ、なんて思わせぶりなフレーズだろう。その内容は、きっと……。
頬が赤くなるのがわかった。私はそれを隠すようにハンカチで口元を拭い、じっとロメオ様をみつめた。
ロメオ様も、赤く染まった顔で私を見つめている。どこか、そわそわして落ち着きがない。緊張しているのだろうか。
きっとそうだ、だって私も、こんなに胸が高鳴っているのだから。
「では……」
「はい。まずは毒見を。マナーですものね――ミーシャ」
「はい、リリエット様」
こんなに贅を振るって用意してくれた料理に毒見をするのは少し失礼な気もするが、それはそれ、これはこれだ。貴族として、毒見は省くことのできない食事のマナーだ。といっても普段の私は、友人と会食するのにそんなものは必要ないと両親には内緒で一連の流れを省いていたのだが、今日だけは違う。
ここでいきなり料理にがっついて、ロメオ様にはしたないなどとは思われたくなかった。
すっかり忘れていたのか、ロメオ様が慌てて使用人たちに指示すると、まずはロメオ様の執事がひとくちずつ、料理を口にした。
続いてこちらのメイド、ミーシャも、一口ずつ料理を食べる。最後にワインを一口確かめて、晩餐会は始まった。
「今日は少し冷えましたから、寒かったでしょう。料理が冷める前に、どうぞいただいてください」
「ありがとうございます、ロメオ様。では……」
事件は、ここで起きた。
「っ、う……!」
ミーシャが突然、お腹を押さえて呻きだしたのだ。
「ミーシャ?」
「お腹、が……なんだか体も、しびれて……」
「ミーシャ? どうしたの、ミーシャ!」
私は慌ててミーシャのそばへ駆け寄った。ミーシャはしきりに腹痛としびれを訴え、苦しそうに脂汗を浮かべている。
私は愕然とした。考えられるのはただひとつ、料理に毒が入っていた。いや、まさか、そんな。
ロメオ様が、私を毒殺しようとした?
貴族の暗闘に毒が用いられるのは珍しくない。けれど、そういう問題ではなかった。
ありえない。だって、私とロメオ様は……。
「そんな……」
「ああ、君! ミーシャといったね、早くこの娘に医者を!」
ロメオ様が大声で使用人たちに指示を出している。けれど私は、頭が真っ白になって、何も入ってこなかった。
苦しむミーシャの手を握って、ようやく追いついた感情が、瞳からぽつり、ぽつり、と大粒の雫を落涙させた。
それからのことは、あまり覚えていない。瞬く間に館付きの医者がやってきて、ミーシャのそれは毒物による異常だと診断された。
私は信じられないような気持ちで、それをぼうっと聞いていた。まさか、ロメオ様が、そんな……ずっと、その言葉ばかりが頭の中をめぐっていた。
それから数時間を経て、ミーシャはなんとか健康な顔色を取り戻した。医者が大量の水を飲ませて、胃の内容物を吐き出させたのだ。
私はふらつくミーシャを連れて、ロメオ様の館を後にすることにした。もはや、晩餐会どころではなかった。館中が、騒然としている。
ロメオ様は怒鳴りながら、料理人を呼びつけていた。ロメオ様の意思ではなかったということだろうか?
いや。では誰の。それに、どうして向こうの使用人だけは無事だったのかという話になる。まさかあの使用人が?
疑心暗鬼に陥った私の胸中は、もうぐちゃぐちゃだった。
最後に振り返った食卓で、ふと花のサラダが目に入った。そうだ、何故気付かなかったのだろう。
薄紫色の、綺麗な花。しかし強い毒性があって、それゆえに不吉な名前を付けられた花。
あれは――彼岸花。ロメオ様は、あれを使って私を……。
ロメオ様の呼び止める声も聴かず、私は馬車に乗って夜道を駆け出した。
自宅ではなく、そう、時計塔の魔女様のもとへと。
「――ということなのです。お願いです、魔女様。もう一度お知恵をお貸しくださいませ、おねがいです……っ」
「お、落ち着いて、落ち着いて」
「ああ、魔女様、ロメオ様ではありませんよね? きっと、なにかの間違いですよね?」
「わかったから。少し落ち着きましょう。ほら、深呼吸して」
「すー、はー、すー、はー」
私は取り乱すリリエットさんを宥め、衝撃的な話をなんとか噛み砕いて思考に落とし込んだ。
まさか、ロメオさんがリリエットさんを毒殺? ありえない。二人はあんなに、幸せそうだったではないか。
貴族の暗闘なんて、経験のない私にはわからないが、少なくともあの時のロメオさんが嘘をついているようには見えなかった。
彼は本気で、リリエットさんのことを好いていた。だから、わざわざ不気味な噂のある“時計塔の魔女”にまで助言を求めに来たのだ。
ますは、もう一度話を整理しよう。
「リリエットさん。体に異常が起きたのは、そのミーシャというメイドの娘だけなのね?」
「はい。私は、まだ手を付けておりませんでしたから」
「けれど、相手の執事にはなにも起きなかった」
「はい。むしろ、突然のことに、本当に驚いているようでした」
「ロメオさん……ロメオも、それは同じだった」
「はい。演技なのか、本当なのか、茫然自失としていた私には判断がつきませんでした」
「しかし少なくとも、ミーシャは一命を取りとめた。すなわち致死量の毒ではなかった」
「はい。毒見程度の量でしたので、きっと」
「うーん……」
私は必死に頭を捻って考える。しかし、まるでわからない。なぜそのようなことが起きたのか。
同じものを毒見したのに、異常をきたしたのがミーシャさんだけだというのも不可解だ。何より、ロメオさんがリリエットさんを毒殺など、ありえない。魔女と恐れられる存在――私だけど――と盟約まで交わして、恋愛相談を持ち掛けてきたのだ。そのようなことをするとはとても思えない。
では、他の人物の犯行……料理になにか細工をできる人物は、リリエットさんに聞く限りでは向こうの使用人と、料理人。
執事はその反応からして、ひとまず除外。となれば料理人が怪しくなってくるが、なぜ料理人がリリエットさんを毒殺しようとしたのかという話になってくる。動機がまるで見えないのだ。女性の料理人ではなかったというから、嫉妬ではない。誰かに雇われた?
いや、雇うなら暗殺者でも雇うだろう。そんな裏切られて露見する可能性のあるようなリスキーな選択肢をわざわざ選ばないだろう。ないとはいえないが、これも可能性が低い。
ではいったい、誰が?
「私が魔女様の忠告を忘れたのがいけなかったのです。水面の銀は災厄を齎す、花の香りに騙されぬように、と。あの言葉をっ、もっと深く考えていれば……」
「花の香り。彼岸花……」
リリエットさんがロメオさんの館を飛び出す直前に気付いたという毒物の正体。サラダにされた彼岸花。
妙なところで自分の予言が当たってしまった。適当な吐いた言葉なのに、なんだか薄気味悪い。
いや、今はそれどころではない。彼岸花、彼岸花……。
「あ……いや、でも」
彼岸花と聞いて、私はふと思いつくものがあった。彼岸花の名は、つい最近、図鑑の中で目にしたばかりだ。
けれど、これだと矛盾する。ならばミーシャさんの体調の異常は一体。私はこうなればなんでも使うとばかりに、自分の予言を思い出してみた。水面の銀は、災厄を齎す、花の香りに騙されぬように。偽りの花を、真に目するように。
――ゾッとした。
「そんな、まさか」
けれど、それならすべての辻褄は合う。ならば聞かなければいけないのは。
「リリエットさん」
「はい、魔女様……」
「もしかして、そのミーシャというメイド、普段はあまり毒見をさせていなかったりしない?」
「ど、どうしてそれを……はい、私はこの毒見という風習が苦手で、普段の友人との会食などではさせていませんでした」
「……まさか」
まさかのまさかだ。適当に吐いた言葉が、どうしてここで繋がって来るのか。
私は不気味な思いに駆られた。まさか本当に、自分には予言の魔法が使えるのだろうか?
偶然にしては、できすぎている。
何はともあれ、まずはロメオさんにも話を聞かなければ。
もし、もしも。私のこの推測が正しければ。
――この事件に、犯人はいない。




