新宿御苑と桜と地震
今日は雨の予報だったけど、
朝起きたら気持ちの良いお天気だった。
そこで仕事も休みだったので、
ふと桜でも見ようかな?と思いつき、
ぶらぶらと新宿御苑まで歩いて行くことにした。
花見なら中央公園より、
入園料を取る御苑の方が少しはすいているのでは?
という予想を裏切り、広い敷地内は平日だというのに、
花見客であふれていた。
見ごろは今週末か?
それにしても前に来た時、こんなにたくさん人がいただろうか?
前に来た時……それっていつだ?
……オーストラリアから帰ってきた年だ。
いや確か、帰国した次の年……ちょうど春で……
その時も桜を見に来たんだった。
誰かと…… 誰だっけ…… 一緒にいたの。
あぁ、ユキヒサだ。
嘘つきのユキヒサ。
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ユキヒサは、私がゴールドコーストの免税店で
一緒にアルバイトしていた男で、一学年下の当時20歳。
神戸出身の『自称お坊ちゃま』だった。
でも、誰もそれを信じていなかった。
ユキヒサは嘘つきだった。
そしてギャンブルが好きだった。
サーファーではないけれど、
サーファーズパラダイスの、
ビーチフロントにあるフラットに住みつき、
夜はコンラッドホテルのカジノに入り浸っていた。
ブラックジャックでいくら稼いだとか、
芸能人の○○と飲んで部屋に誘われたとか、
嘘というか大風呂敷というか、
つじつまの合わない思いつきばかりの、
デタラメな男だったので、
店のほとんどの人から相手にされていなかった。
特に女の子には人気が無い。
というより、毛嫌いされていた。
私がその店で働き始めたとき、
挨拶が済んだ途端に、
一方的に自慢話を始めたユキヒサ。
な、なんなんだ、こいつは……?
と思ったが、それはいつものお決まりの事らしい。
「新入りはユキヒサのウソに気が付かないで、
最初は本気で聞いてくれるから、
ヤツの絶好のターゲットにされるんだよ!」
と数日後、受付担当の、
美人のヨシエちゃんが教えてくれた。
しかし、話すことのほとんどが作り話だとわかった後も、
私は特にユキヒサと話をするのを避けたりはしなかった。
慣れればフィクション小説のようなもので、
大して苦でもなく、どちらかというと面白かった。
そんなわけで、いつの間にかユキヒサはすっかり私になついて、
金魚のフンのようにくっついてくるようになり、
そしていつの間にか嘘をつかなくなった。
女の子にはすこぶる嫌われ者のユキヒサだったけど、
サーファーの男には人気があった。
ユキヒサは、波乗りの写真を撮るのが上手だったのだ。
同じ店で働いていた6歳年上のヒデさんは、
ユキヒサの数少ない理解者だった。
「ユキヒサの口は嘘つきだけど、
ユキヒサの撮る写真は嘘をつかない」
そう言ったヒデさんの横顔を、私は良く覚えている。
ゴールドコーストで3ヶ月働き、小金を貯めたあと、
私は店を辞めてメルボルンに向かった。
1週間後、ユキヒサも突然店を辞めてメルボルンにやって来た。
もうビザの期限が迫っていたので、
2週間後にここから日本に帰国するとのこと。
私は教会の横の、小ぢんまりとしたユースホステルに泊まり、
ユキヒサはその辺の、汚いバックパッカーズ専用宿に泊まっていた。
そして朝になると、ユキヒサがパンやリンゴを買ってきて、
明るい清潔な共同キッチンで一緒に食事をした。
そこで仲良くなった男の子と、ユキヒサと3人で、
バスやトラムに乗って、あちこち観光に行った。
ちょっと足をのばして、グレート・オーシャンロードや、
フィリップ島にペンギンを見に行ったりもした。
ユキヒサはいつもマジメな顔をして写真を撮っていた。
ユキヒサの帰国の日、
前の日飲み過ぎていた私は、起きることができなくて、
早朝バス停に見送りに行く約束をすっぽかした。
それからだいぶ経ってから、ヒデさんからユースに、
一枚の葉書と便箋の入った手紙が届いた。
『ユキヒサから愚痴っぽい葉書が送られてきた。
俺はいらないので読んでやって』
3月の、始まる頃のことだと思う。
それから約一ヵ月半。
私はメルボルンからアリス・スプリングスへ移動し、
エアーズロックに登り、そこからアデレードに戻って、
ワイン漬けの日々を過ごし、
その後、広大な砂漠をバスで二日かかって横断し、
西のパースで数週間滞在し、
それから再びバスで大陸を海に沿って北に上り、
ブルームで魂の吸いこまれそうな夕陽を眺め、
最後にダーウィンに辿り着き、そこから日本に帰国した。
家に戻ると、ユキヒサから手紙が届いていた。
『お帰りなさい。これを読むのは何月かな?』
ペンギンの写真が同封されていた。
私は返事を書かずに、放っておいた。
そして、そろそろ私のビザの期限が切れる頃と知っていたのだろう。
ユキヒサから家に電話がかかってきた。
「お帰り!もう帰ってたんだ?あれからどこ周ったの?
つもる話もしたいし、今度千葉に行くよ!」
その約一週間後、
ヒデさんからシドニーの波の絵葉書が届いた。
『帰国してたのに連絡してくれなかったって、ユキヒサが愚痴ってた』
6月のことだった。
そしてユキヒサが千葉にやってきた。
ディズニーランドに行きたい、と言うので一緒に行った。
私は男の人とディズニーランドに行ったのは、
ユキヒサが初めてだった。
散々遊んで夕方にはすっかり疲れてしまい、
私は晩御飯を一緒に食べずに、
浦安の駅でユキヒサと別れて帰ることにした。
数日後、既に帰国して市原に戻っていたヒデさんから
電話がかかってきた。
「せっかく神戸から出てきたのに、
さっさと帰っちゃったって、ユキヒサが愚痴ってた。
おかげで俺が呼び出されて、結局一晩中付き合わされた」
8月のことだったと思う。
秋になり、新しい職場にも慣れ、仲良くなった女の子3人で、
一緒に深夜バスで大阪へ行くことにした。
バスのロータリーでユキヒサと待ち合わせして、
大阪城を見物し、たこ焼きを食べ、それから神戸に移動して、
中華街や高級住宅街を散々観光して一日中ユキヒサを引きずりまわし、
3人でにこやかに手を振って帰った。
数日後、ヒデさんがふらっと、船橋の職場に買い物にやってきた。
「ユキヒサのこと気に入った女の子ってどれ?
毎日電話がかかってくるって愚痴ってた。ウソだと思うけど」
11月だったか。
それからしばらく、ユキヒサから連絡がこなくなった。
ヒデさんからも連絡はこなかった。
そして年が明けて久しぶりに、ユキヒサからハガキが届いた。
『桜が咲いたら新宿御苑に連れて行ってくれる?』
ユキヒサがバックパックとカメラを持ってやってきたのは、
新宿御苑の桜が満開を過ぎ、
風でヒラヒラと花びらが散りはじめた頃だった。
そして、
「最近、写真の学校に通い始めたんだ。課題用に撮らせて」
と、私にカメラを向けた。
私は写真を撮られるのが、どちらかというと苦手だった。
つい意識しすぎて表情が固くなったり、ふざけ過ぎてしまうのだ。
だから、ユキヒサがレンズを向けている時には、
決してそちらを向かなかった。
走って逃げ回って、結局一度も、
ユキヒサに笑顔を見せなかった。
数日後、久しぶりにヒデさんからも電話がかかってきた。
「全然写真を撮らせてくれなかったって、ユキヒサが愚痴ってた。
でも、一枚だけ良いのが撮れたって」
同じく4月。
ユキヒサから大きな封筒が届いた。
中には新宿御苑で撮った写真が一枚、大きく伸ばされ入っていた。
いつの間に撮ったのだろう?
満開の大きな桜の木の前に、後ろ向きの私が立っていて、
風で長い髪が横にザッと流れている。
単にそれだけの写真。
かっこよく表現する言葉もない。
見たまんまである。
けれど、そこに写っているものは全部、
その時そこにあった風景そのままだった。
私の嫌いな引きつった笑顔も、
大袈裟な道化のようなつくり顔もなく、
ウソのない本当の私だったと思う。
そして手紙が一枚入っていた。
それを読で、私からヒデさんに電話した。
「よく考えてやってよ。
悪いヤツじゃないって、もうそれは良くわかってるでしょう?」
口は嘘をつくけど写真は嘘をつかない……
私はよく考えた。
考えた結果、返事をしなかった。
何度か家にユキヒサから電話がきたけれど、
親に居留守をつかってもらって出なかった。
そして電話も来なくなり、手紙もこなくなり、
ヒデさんからの連絡も無くなった。
それから3年後。
阪神・淡路大震災が起きた。
神戸がひどいことになっていた。
須磨は特に被害が大きかったようだ。
須磨はユキヒサの住所のある場所だった。
古い小さなアドレス帳を慌てて探す。
赤いアドレス帳。
千代紙でできていて、旅行中いつも持ち歩いていたアドレス帳!
オーストラリアの写真がたくさん入った、
お菓子の缶の中からそれが見つかった。
急いで「た」のページをめくって、
ユキヒサの電話番号を探し、家に電話した。
電話は全くつながらなかった。
何度かけても同じだった。
次に「み」のページをめくって、ヒデさんに電話した。
女の人が出たので、簡潔に事情を話して、ヒデさんに代わってもらった。
するとやはりヒデさんも、神戸に電話がつながらず、
ユキヒサの安否を気にしていたところだった。
結局、何日経っても、ユキヒサの家の電話は繋がることがなかった。
しかし、ヒデさんが調べたところ、
被災した人の中に ユキヒサの名前は無かったと言う。
「心配ないよ。憎まれっ子、世にはばかるっていうだろ」
「そのうちひょっこり出てくるさ」
同じ店で働いていた仲間と久々に連絡をとってみたが、
嫌われ者だったユキヒサのことを、
真剣に心配する人はほとんどいなかった。
私だって、真剣に心配なんかしてなかった。
どっかでまた、
写真でも撮っているにちがいない……きっと
そう思うことにしたのだ。
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だから今日も、この桜を見るまで、
ユキヒサのことはすっかり忘れていた。
でもすぐに思い出した。
……いや、ウソだ。
忘れてなんかいない。
思い出さないようにしていただけだ。
背がひょろっと高くて、痩せていて、
髪が黒くて、クセっ毛で、
アゴの下に、いつも無精ヒゲが生えていて……
それから、もうひとつ思い出した。
あの頃、私が誰を好きだったのか。
今は、はっきり分かるのに。
ー終ー
2008年ブログ掲載。