学校丸ごと異世界転移?
教室では、担任の海原広大先生が黒板を背にして教科書を読み上げている。
先生の声に耳を傾ける生徒は、あくびをしたり、頬杖をついたり、大学受験を控えた三年生とは思えない態度だった。
広大は教壇を降りると、机の間を歩きながら一人の生徒に近付く。
「みんな、授業に集中しなきゃ駄目だろう」
広大は、机に突っ伏していた生徒を教科書でコツンと叩いた。
担任に叩かれた高橋昭夫は、頭を押さえて立ち上がる。
「昭夫、目が覚めたか?」
「うっせーよッ、てめえこそ状況がわかってんのかよ! 俺たちは、てめえの授業なんて受けてる場合じゃねえんだよ!」
広大の胸ぐらを掴んだ昭夫は、茶髪に長ラン、いわゆるヤンキーと呼ばれている不良生徒だった。
教室で担任を睨みつける彼だったが、他の生徒は気に留める様子がない。
「寝ぼけているみたいだから、顔でも洗ってきなさい。目が覚めるぞ」
「顔を洗って目が覚めるなら、何度だって洗ってくるぜ!」
「そうしなさい」
机を蹴飛ばした昭夫は、襟元を整えている広大を尻目に廊下に出ていく。
彼は廊下の窓から鬱蒼とした森を眺めると、遠くの山が噴火しているのが見えた。
そして空を見上げれば、学校を中心に青空が広がっているものの、遠方に行くにつれて黒い雷雲が垂れ込めている。
「ここは、いったい何処なんだ」
水道の蛇口をひねった昭夫が顔を洗うと、背後からハンカチを渡す女子がいた。
水沢瑠璃は、学級委員長で昭夫の幼馴染だった。
顔を学ランの袖で拭った昭夫は、瑠璃にハンカチを突き返す。
「昭夫の言うとおり、今は授業なんて受けている時じゃないかも」
「なんだよ、優等生のお前も授業をサボるのか?」
「うん」
瑠璃は横に広がるショートボブを手で撫でながら、屋上に向かって歩きだす昭夫を小走りで追いかけた。
屋上には、放課後でもないのに数人の生徒が集まっている。
彼らは変わり果てた景色を見て落胆する者、事態を把握するために校外を探検する有志を集う者、昭夫と瑠璃のように暇潰しの野次馬だった。
「どいつもこいつも、俺の縄張りを荒らしやがって」
「屋上は、みんなの憩いの場でしょう?」
「ここだけじゃねえよ。すっかり様変わりしちまった学校の外、森の中から、こっちを見ている化物のことだぜ」
瑠璃は、昭夫が顎をしゃくった先にある校門に視線を向けた。
校門の鉄柵の向う側は本来、自動車が激しく往来する国道があり、信号を渡った先には大きなスーパーマーケットがある。
しかし今は、少し開けた草原と木々の生茂る森が広がっていた。
「我々の学校は今、諸君らも知ってのとおり、日本ではない異世界に空間転移してしまった!」
生徒会長の吉野卓造は拡声器を握りしめて、屋上の中央に置いたミカン箱に登壇した。
「にも変わらず教師は、何の対策も講じることなく既に三日間を無駄に過ごしている。幸い指定緊急避難場所の当校には数週間くらいなら、全校生徒の衣食住に耐えうる備蓄がある。しかし生徒会長の僕は、いつ救助がくるとも知れない校内に留まり、食料が尽きるのを待つわけにいかないと考えている」
生徒会長の卓造は、野球やバスケットなど運動部のユニフォームを着た生徒を集めて、救助を待たずに校外を探索するべきだと主張している。
野球部の田中啓二部長は『ここは本当に異世界なのか?』と、顔を見合わせている生徒を代表して聞いた。
「それは僕にもわからない……わからないからこそ、事態を把握するために校外を探索する者を集っている」
「会長の言いたいことはわかるけど、なんで俺たち運動部の部員だけ集めて演説してるんだ。この手の調査なら、漫研やイラスト部みたいな文化部連中の方が詳しいだろう?」
「彼らは昨日、事態を把握するために、教師の反対を押し切って校外に出ていってしまった。しかし今朝になっても、誰一人戻ってこない。もしかすると森に住む魔物に襲われて……彼らの捜索も校外探査の目的だ」
「マジかよ」
「あの禍々しい森を見たまえ」
卓造が指差した森の奥、木々を揺らしながら移動する二足歩行のワニのようなモンスターが見えた。
「文化部の彼らには知識があっても、あれと戦って勝つだけの体力がない。ここは普段から厳しい部活動で汗を流して、筋力の鍛錬を重ねている君たち運動部の出番じゃないのか」
「いやいや、俺たちだってモンスターと戦って勝てるわけないじゃん」
「君たち野球部は、何のために毎日バットを振り回しているのか」
「甲子園に出場するため?」
「否! 野球部は甲子園に出場して、世間にちやほやされたくて鍛錬を重ねている。つまり異世界に転移した今日、君たちのバットは魔物と戦って英雄になるためにある」
「そんなわけあるか!」
啓二がツッコむと、バトミントン部の中森陽子部長はラケットを後手に隠した。
「もちろん、陽子くんのラケットも魔物と戦うためにある」
「え、ええ……バトミントンのラケットは、シャトルを打ち返すためにあるんです」
「そのとおりだ。バドミントンのスマッシュは球技の中で一番速い、最大初速度493km/hのシャトルを打ち返す動体視力があれば、オークの放つ弓矢も叩き返せるだろう。まさに異世界向きの能力だ」
「え、えーっ! ここには、弓矢を持っているモンスターがいるんですか!?」
「僕も見たわけではないが、おそらくいるだろう。異世界だし」
生徒会長の卓造は、野球部の啓二、バトミントン部の陽子のほか、脚力を見込んでサッカー部の飛馬将暉部長、弓道部の忍成静香部長を調査団に参加要請した。
「僕を含めた五名が昼食後、校門から出て異世界を探索してくる。残りの者は、今日中に各自で班を編成しておいてくれ」
「待てよ、こんな重要なこと俺たち生徒だけで決めて良いのか?」
「啓二、学校における生徒会の役割は生徒自治だ。教師が臆して校内に引きこもっている今、我々生徒が動かなくてどうする。我々は一致団結して、この状況を打破して日本に帰らねばならない!」
拡声器を下ろした卓造が『僕は、こんなところで座して死を待つわけにいかない』と、ミカン箱を降りて土下座した。
「会長……どうしてそこまで日本に帰りたいんだ?」
「僕には夢がある」
「夢?」
「ああ、僕は帰国して大学受験したい。名門大学に入学して、イベントサークルに入りバラ色のキャンパスライフを送ってみたいんだ!」
「お、おう……そうか」
頭を上げた卓造の勢いに飲まれた啓二たちは『わかった』と、押し切られてしまった。
それを見ていた昭夫は『俺にも一枚噛ませろよ』と、卓造に胸ポケットから出したタバコの空箱を投げつける。
「昭夫、やめておきなよ。あんたみたいな不良が、しゃしゃり出て何ができるの?」
「だからって俺も瑠璃も、こんなところで『座して死を待つわけにいかない』だろう。俺たちも、参加させてもらおうぜ」
「俺たちも……って、手芸部の私も参加決定なの!?」
「瑠璃だって、退屈な授業をサボってるじやねえか。手芸部の編み棒も、あれで結構な殺傷能力がありそうじゃねえか」
「私は必殺仕事人じゃないわよ!」
二人のやり取りを見ていた生徒会の卓造は、膝を払って立ち上がると、昭夫に向かって手を差し伸べる。
「まさか君のような不良が、学校の危機に名乗りを上げてくれるとは思わなかった」
「まあタバコを買いに行くついでに、英雄になるのも悪くねえと思っただけよ」
「ふふふ、今のは聞かなかったことにしよう」
卓造はメガネのノッチを指先で押し上げると、向き合った昭夫と握手を交わした。
こうして不良の昭夫、手芸部の瑠璃は、生徒会長の呼びかけに応じた運動部の部長たちと、食料確保と先行した文化部を捜索するために、校外に広がる異世界に旅立つことになった。




