40. 悪い先輩
「……なんで。
先生のくせに、そんなことを」
裏返りそうな声を押さえ、悲痛な思いを絞り出すように、後輩がうめいた。
「女の子なんだから、体はそりゃ、女性として成長していきますよね。
当たり前のことなのに、なんでそれが悪いんですか!?
勝手に、男の欲望を押し付けて、<そういう目>で見た大人が悪い、それだけなのに……。
逃げられなかったことが悪かったなんて、そんなの、こどもに何ができるんですか……」
「先生たちが、弱い大人だったからだろうな」
他人事のように、和希は身もふたもなく断じた。
「今なら推測できなくもないけど。
あまりのことの大きさに、おののいて、犯された側もなにか悪いんだと思う様にしないと潰されそうだったんだろう。
これも正常性バイアスの亜種なのかな」
「でも………そんなの。
潰されそうなのは、こどもの三条さんこそじゃないですか……」
「私のせいで迷惑をかけてしまったんだ、私が悪かったんだ、って、思うじゃん。
助けてくれた人たちに、そう言われたらさ。
先生たちの中での<普通のこども>は、レイプもされないし妊娠もしないんだから」
「………大人が、支えなきゃいけなかったのに……」
「一応、支えてくれていたよ? ただ、彼らの言葉の端々は、こうも言っていた。
私の体が女だから。
私が男に産まれなかったから、悪かったんだ、って。
女なんかに産まれてしまったから、妊娠してしまい、みんなに迷惑をかけたんだ。……って」
……周囲の<味方>の言葉を集約したら、神の見えざる口は確かにそう言っていて、和希の耳に届いた。
「そのあと、両親から私は引き離されることになって、でもしばらくは……ネットストーカーみたいな連中とかに行き先を追われ、何度も居場所も名前も変えた。
<男に産まれていれば正しかった>
<女に産まれたお前は、間違った>
そう刻み込まれたよ。
女だからこうしろ、女だからこうだろう、そういう決めつけをされるたび。女なのに女に求められることができない自分が嫌になるたび。今でも亡霊みたいによみがえるんだよね」
その後、19歳の今に至るまで。
女から同じ言葉を聞いたことはあっても、男から、自分が男に産まれたことが間違いだったのかと問う言葉は聞いたことがなかった。
男は皆、男に産まれたことを当たり前のように享受していると思ってた。
男が基準の世の中で、世の中の<基準>と自分がずれていないことを、当たり前のように受け止めている、うらやましい、と思っていた。
和希は時折、泣けない自分、スカートを履けない、柔らかい物言いも、セックスもできない自分が嫌になる。女として価値がない気持ちになる。
けれど、本当は、どれも<誰か>に望まれていることだ。
今の自分がそうしたいと望んでいること、というわけじゃない……。
『それができたら良いのに』とできない自分を呪うことからも、どうか自由になれたら。
ただ、自由になりたい。
烙印なんて本当は何も押されていないんだと。
そのささやかな望みは、罪なのだろうか?
慶史も、そう思うのだろうか。
今井慶史にとって、三条和希は一体何に見えるだろうか?
「……出産は、産前産中産後すべてにおいてヘビーだったよ」
「………」唐突に切り替わった話題に、後輩は言葉を発さない。
「まだこどもの体だったのもあるかもしれないけど……。
出産が、大事故に遭うレベルで体が傷むっていうのは、あながち間違いじゃない。将来家族が妊娠したら、労わってあげると良い」
そこまで話すと、和希は深く息をついた。
「長くなったね。
また話すよ。
今日は……おやすみ」
そう言って、慶史に背をむけて、和希は布団にくるまった。
「……おやすみなさい」
少しして、背中の方から布団が擦れる音がして、慶史もまた布団にくるまったのを知った。
長く話過ぎてしまった。
眠らなければ。
そう、意識的に和希は、強めに瞼を閉じる。
そして。
静かな薄闇の中で。
精一杯抑えたような嗚咽が、零れた。
最初は聞き間違いかと一瞬思ったけど。
すこししたら、再び。
和希の耳に届いた。
「何で君が泣くんだよ」
「………すびばせん………」
慶史の鼻声が、闇の中に響いた。
目を閉じ、隠しようなく漏れる布団の中でのすすり泣きが、乾いた胸にしみわたる。
和希の代わりに慶史が泣いているかのような錯覚。
数えきれないぐらい、いろんなことを、いろんな大人たちに言われてきた。
和希の中で悲しみの粒は乾ききって、そっとしておけばその存在を忘れていられる。
けれど。
慶史の泣き声を聞くと……代わりに、慶史の涙が、その悲しみを濡らしていくような気がする。
流していく、ところまでいかず。
ただ。
悲しみを分け合っている。
わけもわからず、切なくなる。
いずれにしろ。
……後輩を泣かせる私は悪い先輩だ。と、和希はひそかに、つぶやいた。
◇◇◇




