お母さんみたいに
―タチバナ サツキ―
家に帰ってくるなりお母さんと一緒にお風呂に入っていた。
それまではわたしの様子をちらちらと窺っていたけど今ではすっかり上機嫌になっおり、常時ニコニコしている。
今は二人で湯船につかっている。
それにしても・・・。
お母さんの腕を見てみた。
やっぱり細い。
ガリガリというわけではないけど男一人を片手で放り投げるほどの筋力があるとはとても思えない。
いったいどうなっているのだろう・・・。
「ひゃぁあああ!」
お母さんがいきなり悲鳴を上げた。
気づけばわたしは思わずお母さんの腕を指でなぞっていた。
「え、なに!?なに!?」
「あ、ごめん」
でももっと触ってみたい。
「ねえ、もっと触ってもいい?」
「え?い、いいけど・・・」
なにやら状況が全くつかめていない様子で頭の上に?マークを浮かべながら曖昧に返事をされた。
許可を得たので触ってみよう。
まず二の腕を軽く握ってみた。
ぷにぷにだった。
普段から鍛えているわけではないのだから当然といえば当然だけど。
次に手を握ってみた。
わたしより少し大きい手というだけで何らおかしなところはない普通の手だった。
いったいどこからあんな力が・・・。
真剣な表情で考え込んでいたわたしにお母さんが話しかけてきた。
「ねえサツキちゃん」
「ん?なに?」
何かすごい怪しい表情をしている。
ものすごく嫌な予感がする。
「サツキちゃんがお母さんの体を触ってるってことはー・・・お母さんもサツキちゃんの体に触ってもいいってことだよね?」
あ、やばい。
「え、ちょっと・・」
「ふっふっふ・・・」
ゆっくりとお母さんの腕がこちらに伸びてくる。
「うおりゃああああああああああああああ!」
「いやああああああああああああああああ!」
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ!
最終的には湯船のお湯が半分くらいになっていただろうか。
ちなみにわたしがお母さんとお風呂に入らなくなった理由がこれだった。
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今の時刻は18時30分。
晩御飯の支度をして今まさに食べ始めようとしているところだった。
お母さんの怪力の秘密とは別に気になっていることがあった。
むしろこっちの方がすごい気になる。
「お母さんってさ」
「ふも?」
すでに食べていた。
わたしは気にせず続けた。
わたしが気になっていることとは・・・
「お母さんって瞬間移動できたんだ」
「ッブ!」
軽く噴き出していた。
「しゅ、しゅんかんいどう?」
とぼけるつもりだろうか。
「ほら、校庭で・・・」
「あぁ~・・・」
あれかーとお母さんは納得した様子だった。
すると今度は得意げな顔になって
「どう?少しは見直した?」
「すごかった!」
わたしは素直な感想を口にした。
わたしの勢いに少し驚いた様子だったけど
「えへへ~。サツキに褒められちゃった~」
ものすごくだらしない表情になってしまった。
「わたしもお母さんみたいになりたい!」
そういった瞬間お母さんの表情が固まった。
それまで浮かべていたニヤけ顔の面影すら消え去り、視線を上下左右に泳がせている。
何か言葉を探しているようにも見える。
なにかまずいことを言っただろうか。
「お、お母さんみたいになりたいっていうのは・・・どういうこと?」
選びに選んでようやく発した言葉がそれのようだった。
なにをそんなに動揺しているのかわからない。
具体的にどうなりたいかなんて自分でもわからなかった。
でもあの時のお母さんに強い憧れを抱いたのは確かだった。
わたしは言葉をまとめきれていない状態で思うがままに話した。
「すごくかっこよかったし、あの校門で倒れていた人を助けたときもそうだったし、普段とはちょっと違う感じで・・・本部の人?と話してるときもよかった」
あの横顔を見て以来、お母さんへの認識がすべて塗り替えられていく感覚に陥った。
今まで見せていたおっちょこちょいな姿はあの瞬間のためにあったのではないかと思うほどだった。
「そっか・・・」
お母さんは何か観念したような様子でそう言った。
「じゃあ・・・今度お父さんも呼んで3人で話そうか」
たぶん電話でということだろう。
髪を耳にかきあげながらお母さんはそういった。
・・・今のしぐさで思い出した。
結局のところなぜお母さんはあんなにも髪だけに化粧(と言っていいのかわからないけど)に時間を費やしているのだろう。
もういいやちょっと気になるしもののついでに聞いちゃえ。
「そういえば・・・お母さんなんで髪のセットだけであんなに時間かかるの?セットしても全然変わってないのに」
「・・・」
あれ、微妙な空気になってしまった。
お母さんはコホンと一度咳ばらいをして静かに語りだそうとした。
「お母さんね・・・実は髪を染めているの」
「うん知ってる」
語れなかった。
そもそもそれくらい知ってる。
というか隠しているようだったけど12年も一緒にいて気づかない方がおかしい。
わたしが気になっているのはどうしてそこまで気にしているのかという点だった。
「・・・」
無表情になってしまった。
とりあえずおーいと声をかけ、目の前で手を振って正気に戻してあげた。
ハッと我に返ったお母さんはおもむろにケータイを取り出し写真を見せてくる。
なんだろう・・・。
その写真には4人の姿があった。
年齢は中学生から高校生くらいで全員黒い服に身を包んでいる。
一人はいかにも好青年といった感じで身長は写真に写っている人の中で2番目に高い。
わたしと同じ髪の色をしていて、表情はとても柔らかく周りの人を見守るように微笑んでいる。
きっとこれはお父さんだ。
その隣にいるのは・・・この人は何か怒っているのだろうか。
一番身長が高くガタイがすごくいい男の人だ。
髪型は短髪で逆立つようにツンツンしていて灰色がかっている。
ついでに態度もツンツンしていそうだった。
きっと背中とか見えないところを誰かにツンツンされてついでに態度も髪型もツンツンしちゃっているに違いない。
見た目で判断してはいけないのはわかっているけどちょっとわたしでは友達になれそうにないタイプの人だった。
その隣にいる女性は見るからに活発で面接では「元気なのが取り柄です!」とか言い出しそうな人だった。
長いオレンジ色の髪を後ろで結っており、その表情は満面の笑みそのものだった。
右腕を前方に突き出してピースをしていて、左腕は端っこにいる少し小柄な女性の肩を一方的に抱き寄せているような状態だった。
そしてその隣にいる女性というのが
「これ・・・お母さん・・・?」
肩をすくめて少し困ったような笑顔を浮かべている。
若干強引に肩を寄せられる形で写真に入ることになったからだろうか。
それよりも気になったのが・・・
「これ15年くらい前の写真なんだけど・・・ね、変でしょ?」
この写真のお母さんと同じような表情をしてそう言った。
腰まで届く髪の色は見事なまでに真っ白だった。
今のお母さんの髪の色とは対称的で、なんの不純物もないような完璧な白色。
「前まで全然気にしてなかったんだけどやっぱ黒の方が目立たなくていいかなーって・・・」
「きれい・・・!」
「・・・へ?」
わたしがそう口にしたとたんお母さんは素っ頓狂な声をあげていた。
「すごくきれいだよお母さん!なんで染めちゃうの?」
そう言ってわたしは写真からお母さんの顔へと視線を移した。
「・・・お、お母さん・・・?」
その目には今にもこぼれ落ちそうなくらいの涙が溜まっていた。
わたしの視線が自分に向けられていることに気づいたお母さんは急いで涙をぬぐい、写真を指差しながら
「じゃあこれからはこっちにしよっか」
とカタログか何かで商品を選ぶ時のようなことを言っていた。
「じゃあまた染めないとなぁ」
「え、染めちゃうの?」
「だって髪が伸びきるまで生え際だけ白ってちょっと嫌じゃない?」
「・・・なるほど」
・・・あれ?
そういえばこの写真の服装って・・・
「お母さん警備団にいたの?」
「あれ、前に話さなかったっけ?」
いやいや、そんな話きいたこと・・・あった。
話は聞いたけどその時のわたしはまるで信じていなかった。
てっきりお父さんに対抗して口から出まかせを言っているものだと。
「あれ本当だったんだ」
スカーン!!!
お母さんがデコをテーブルに打ち付けていた。
顔だけをこちらに向けて
「さすがに酷くない?」
「ご、ごめんごめん」
だって普段のお母さんの姿しか知らなかったら・・・ねぇ・・・?
とりあえずお母さんがなぜ手錠を持っていたのか納得した。
そんな会話をしながら晩御飯を済ませ、ほどなくして就寝する時間になった。
ベッドに滑り込んで布団を被ったわたしは明日がすごく楽しみでわくわくしていた。
「お母さんの髪の色・・・楽しみだなぁ」
わたしは学校がお休みでお母さんに至っては無職なので明日早速一緒に美容院に行くことになった。
とりあえず肝心の家族会議は後日開かれるということになっている。
お父さんの都合もあるので日時はまだ未定だけど。
それにしてもわたしはただ「お母さんみたいになりたい」って言っただけなのになぜそこまでする必要があるのだろうか。