全力疾走
―タチバナ ヤヨイ―
「はぁはぁはぁ・・・」
時刻は午後12時30分。
自動車や自転車が行き交う中、私は娘が通う小学校への道を全力疾走していた。
財布を忘れたのでタクシーやバスを利用することもできない。
とりあえずケータイを忘れるよりはマシだと自分を励ました。
「なんで・・・こんな日に限って・・・」
なぜこんなギリギリの時間になってから小学校へ向かっているかというと、本部からの呼び出しがあったからだった。
別に怒られるようなことをしたから呼び出されたわけではないですよ。
理由としては退団する際に
「私が力になれることがあればいつでも呼んでください!」
なんて言ってしまったからだ。
普段は1週間に一回呼び出されるくらいだったのに今日に限って立て続けにあちこちからお呼ばれされた。
ちなみに本日の業務は
「事務所の掃除に入団手続きの受付に闘技場の耐久テストに魔薬調査の資料整理ね・・・」
魔薬というのは初めて知った。
麻薬ではなく魔薬。
全く知らないものの資料を渡されても整理できるわけがないのでとりあえず少しだけ目を通してみた。
簡単に言うと麻薬の依存性をそのままに服用したものに魔力を付与するというもの。
人工物である可能性が高いけど出所をつかめないでいるらしい。
誰がこんなめんどくさいものを開発してしまったのか。
ていうか掃除のためにわざわざ呼び出されるとは・・・。
「これ専業主婦じゃなくてフリーターっていうのでは・・・」
今後の身の振り方を考え直す必要があるような気がしてきた。
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授業内容は作文の発表で、お題は「感謝の気持ち」らしい。
どうしてもサツキが書いた作文が気になったので見せてほしいと言ったら拒否された。
私が何度もしつこく迫ってしまったせいか、最後には
「やっぱり作文書き直そうかな・・・」
ボソッとそんな物騒なことを言い出してしまったのでそれ以来ノータッチ。
作文の内容を確認するためにはサツキが作文を読み始める前に教室に入る必要があった。
校門に着くころにはすでに13時をまわっており、すでに授業は始まっているはずだけど私はまだ希望を捨ててはいなかった。
出席番号が若い順に発表するらしいので、サツキの10番に回ってくるまではまだ少し余裕があるはず。
だと思う。
1から9番の生徒が超絶短文ではない限りまだ間に合う。
校門から校庭に入りそのまま進むと、生徒用の下駄箱があり、その脇に来客用のスリッパがあったので履き替えた。
6年生の教室は3階にあるので階段を一歩一歩踏みしめながら上って行った。
とてもじゃないけど駆け上る体力なんて残っていなかった。
現役時代はもちろん、実家の道場にいたときの方がまだましな体力だったような気がする。
ようやく3階までたどり着いた。
もう立っているのもやっとの状態だったけどなんとか教室の前まで移動し、何度か深呼吸をした。
いきなり教室に入るのも少し勇気がいるので入った後の動きをシミュレートしてみよう。
まず音を立てずにドアを開ける。
もちろん教室の後ろから入るので先生と目が合う。
会釈をする。
先生の視線が教室の後ろに向いていることに生徒が気づく。
みんなこちらを向く。
サツキもこちらを向く。
私が小さく手を振る。
笑顔で返してくれる。
よしこれだ。
呼吸もだいぶ整ったしそろそろ行こう。
私はドアに手をかけた。
ゴン!!
New→ドアに膝をぶつける。
やってしまった!
しかし時間もないので観念して入るしかなかった。
「しつれいしま~す・・・」
なんだか10年前くらいにも同じようなことがあった気がするけど気にしないことにしよう。
それよりも入った瞬間教室の中にいる全員が私のことを見ているという事実をどうにか受け止めなくてはいけなかった。
冷汗が止まらない。
ふと教室の中央あたりに座っているサツキと目が合った。
手を振ろうか迷っていると筆箱からマジックを取り出し紙になにかしら文字を書いている。
なんだろう。
書き終わったのか書いたものが見えるように両手で紙を広げ、こちらに見せてきた。
「かみ・・・ふく・・・あせ・・・?」
私はハッとして自分の姿を確認した。
走ってここまで来たせいで髪や服装は乱れ、全身汗でびしょ濡れの状態だった。
こんな人間がドアに蹴りを入れて入場してきたらそれは誰しもが注目する。
現にそこら中でヒソヒソ話が聞こえてきた。
「あれ誰・・・?」
「誰かのお姉さん・・・?」
「お母さんじゃないの・・・」
「ハッスルハッスル・・・」
最後のはよくわからなかったけどとりあえずものすごく恥ずかしかった。
気を紛らわせるために教室を見渡してみた。
誰も座っていない席が2つあった。
そのうちの一つがサツキの後ろの席だったのでこちらからサツキの後ろ姿がよく見える。
ちなみにもう一つの空席はサツキの一つ前の席。
「サワノ カエデさん」
先生がそう呼ぶと窓側から二列目、一番後ろの席の生徒が立ち上がった。
この子が8番で、次の子が欠席だから・・・。
次がサツキの番だった。
今からわくわくが止まらない。
私が教室に入ってきてからそこそこ時間が経つのにまだヒソヒソ話は続いていた。
手櫛である程度髪は整えて服もきちんと直して汗もハンカチでふき取ったはずなのに・・・などと考えているうちに違和感に気づいた。
違う、このヒソヒソ話は私に向けられたものじゃない。
窓際に座っている生徒がしきりに窓の外、校門の方を気にしている。
「きゃあああああああああああああああああああ!」
生徒の一人が突然悲鳴を上げた。
「ご、ごめんなさい!すみません!」
私はそういいなが保護者を半ば強引に掻き分けて悲鳴を上げた原因を確認するべく窓の外をのぞき込んだ。
―誰か倒れている。
その傍にもう一つ人影があった。
その男性はゆっくりとこちらに向かって歩いてきている。
右手を真っ赤に染めて。
遠目からは確認しづらいけどおそらくナイフか何かを握っている。
気になったのはそれだけではなかった。
この男からは・・・。
私は教室から飛び出しながら叫んだ。
「絶対に誰も教室から出ないでください!」
「ちょ、ちょっと待ってくださ・・・!」
先生の制止を聞かずに私は廊下に出て階段から跳躍し踊り場に着地した。
また跳躍して下の階へ。
上る時はなるべく音をたてないようにしていたけど今はそんなこと気にしている場合じゃない。
象が歩くような音をたてながら1階まで降りてきた私はスリッパのまま校庭の中央あたりまで駆け出した。
「ちょっとそこの!止まりなさい!」
こちらに歩いてきていた男性は私の姿を確認するなり走り出していた。
「止まれって言ったのに・・・」
止まれと言われて止まる不審者がいれば苦労はしないのだけど丸っきり無視されると少し傷つく。
私は左半身を少し後ろにずらし足をひっかけてあげた。
勢いがありすぎたのかひっかけた瞬間スーパーマンが飛行する時のようなポーズのまま吹っ飛んでいき体が地面についたとたんごろごろと面白いように転がっていった。
たぶん20メートルくらいは吹き飛んだ。
とりあえず倒れている人の安否を確認しないと。
「だいじょうぶですか!?」
どうやら右肩を刺されたようだった。
倒れこんで肩を抑えて痛みに顔をゆがませている。
命に別状はないけど止血をしないと。
ふと不審者の方を見てみるとそのさらに向こう、私が外に出る時に通ってきた下駄箱の方に別の人影があった。
その人影は・・・今一番見たくないものだった。
「お母さん!」
「サツキ!?何で降りてきたの!!」
その瞬間不審者のターゲットが完全に私から娘の方に移ってしまった。
サツキはその場でしりもちをついてしまい動けずにいた。
その間に態勢を整えた不審者は今にもサツキへ襲い掛かろうとしている。
不審者とサツキの距離はおよそ5メートル弱。
私との距離は20メートル以上も離れていた。
もうなりふり構っていられなかった。
「私の・・・むすめに・・・」
私は姿勢を低くし、両足に力を込めた。
「触れるなああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」