07.ご主人様
「居間で召し上がりますか?」
「あー……、いや、ここ……ここでいい」
「寒くありませんか?」
「いや、大丈夫。オレ……えー……雪国育ちだし、いや、寒いの平気だし」
オレが階段のてっぺんに座ると、メイドさんはその隣に腰を下ろした。そして、急須と湯呑みを廊下に降ろした後、お盆をオレの膝の上に置く。
オレはお盆が滑り落ちないように膝を立て、箸を手にした。
靴下、履き替えといてよかった。
「あ……いや……これ、君……作ったの?」
「はい。お台所をお借りして、作りました」
メイドさんの手造りおにぎりと卵焼き。
寒い筈なのに体の芯が熱くなり、ワケわからん体内温度に混乱したのか、箸を持つ手が震えて止まない。
メイドさんは、オレの隣で屈託なく微笑んでいる。
いや、かわいいけど、マジでこの娘、どこの店の出前だ?
……いや、って言うか、出前は他人ん家の台所で朝飯作らねーし!
「あ……メ……いや、あの……あー、いや、君、誰?」
「クロエと申します」
黒江……?
親戚にそんな苗字の奴は居ない。
ハイ、身内説消滅!
まぁ、尤も、二十年近く親戚付き合いもしてないから、従弟たちの誰かが「黒江」さんってのと結婚して婿養子……
いやいやいやいや、何でだよ!
仮に従弟の嫁だったとして、何でメイド服なんだよ!
「優一さん、冷めない内にどうぞ?」
「あ、いや、その……うん」
取敢えず、卵焼きに箸をつけた。
折角のメイドさんの手料理、冷めたら勿体ない。
ババアのやたらしょっぱい塩分濃い口の焦げた厚焼き卵と違って、ふんわりやさしい味のする出汁巻き卵だった。
こう言うの「上品な味」って言うんだろうな。
三等分された卵焼きの一切れを飲みこんだ後、左手でおにぎりを掴んで口に運ぶ。
絶妙の塩加減のご飯に海苔の風味が合わさって、美味かった。口の中でご飯粒がほどける。
ババアが全力で握り締めた高密度の握り飯とは、完全に別物だ。
オレが指にくっついた最後のご飯粒を口に運ぶ頃、メイドさんは湯呑みにお茶を注いだ。
オレが湯呑みを受け取ると、メイドさんはオレの膝からお盆を取り、急須を載せた。程良く冷めたお茶は、時間が経ち過ぎていたせいか、かなり色が濃い。
一口すすった瞬間、はっきり目が覚めた。
……聞きたいのは名前じゃない。何者なのか、だ。
営業か? ヤバイ新興宗教か?
何故、ウチの台所で朝飯作ったんだ?
そもそも何故、オレの名前を知ってるんだ?
「ご主人様がお庭でお待ちです」
……ご主人様?
あぁ、まぁ、オレを「優一さん」って呼んでる時点で、薄々気付いてはいた。
オレが彼女のご主人様じゃないことは、わかってた。
わかってるわかってる。で、そのご主人様って誰だ?
ジジイやオヤジが、金払って人を雇うとは思えん。
分家の米治叔父さん? いやいやいや、でも何で?
「私は洗い物をして参りますので、優一さんは先にお庭にお出で下さい」
メイドさんはそう言って、オレの手から、空の湯呑みをそっと取った。
オレの手に、メイドさんの柔らかな指先が触れ、全神経が手に集中する。
メイドさんは、猫のようにしなやかな動作で障害物をよけながら、階段を下りて行った。きっちりとまとめられた髪の束に隠れて、うなじは見えない。
「あ……いや……その……待っ……」
「ご主人様が、優一さんにお伝えしたいことがあるそうです」
メイドさんは、立ち止まることなくそう付け加えて、一階の廊下の奥に消えていった。