40.心地よさ
隣は十畳の和室だった。
隅に段ボールが四つ積んであるだけで、他には何もなかった。
箱はどれもミネラルウォーター2L×6本のリサイクル。
それぞれマジックで「紐」「電池」「ガムテープ」「カイロ」と書いてあった。
オレは、上に載っていた「紐」の箱を除けて「電池」の箱を開けた。各サイズの電池がぎっしり詰まっている。
マー君の言葉を思い出し、取敢えず単三の十個パックひとつをパーカーのポケットに入れた。
真穂の命令に従うようで癪に障るが「ただいまの後は手洗い、うがい」という懐かしいフレーズを思い出したので、洗面所に入った。
幼稚園で習い、家に帰ってオフクロに言ったら「そうね。ゆうちゃん、えらいね」と頭を撫でて笑ってくれた。
その三年後に、オフクロは他に男を作って蒸発した。
オレはオヤジたちと一緒に、この家ごと捨てられた。
石鹸の泡を流し、冷たい水で顔も洗ってから二階に上がる。
二階の廊下も一階同様、すっきり片付けられていた。
窓を開け放したままだったせいで、部屋の空気は外と同じだった。
……寒い。
蛍光灯を点け、雨戸と硝子戸を閉めた。
風が入らないだけでも大分マシになる。
部屋の中で息が白いとか、初めて見たぞオイ。
オレは震える手でリモコンの裏蓋を開けた。マー君の推測通りの単三。パックから二個出して入れ替える。
リモコンのボタンを押したが、エアコンは反応しなかった。
あのクソ女……! エアコン壊しやがったのかよ!?
テメーがプラグを抜けっつーから抜い……抜いたんでした。
オレは学習デスクによじ登ってプラグを挿した。
すぐに稼働し、強い熱風が部屋を駆け巡る。
「35℃」の強風だ。ずっと最強設定で使っていたらしい。
洗浄されたエアコンからは、黴臭くない熱風が、かつてない強さで噴出した。
これ、別に最強でなくてもいんじゃね?
試しに、風量を「中」にしてみる。充分だった。温度も25℃に下げてみた。充分だ。
物が減って広くなった分、寒く感じるかと思ったが、そうでもなかった。
学習机から降りて、パーカーを脱いだが寒くない。キャラ椅子の背に掛けていた枕カバーを取り、代わりにパーカーを掛ける。
寝具はどれも眩しい程、清潔になっていた。
古びて布がへたっている為、新品同様とは言い難い。
それでも見違える程キレイになっていた。
今朝の蟲地獄が、悪い夢のように遠く思い出された。
白くなった枕に清潔になった枕カバーを掛け、布団をめくった。
オレの形をした黒いシミは、なくなっていた。
干していないので、所謂「おひさまの匂い」はしない。だが、饐えた汗の臭いや、鼻腔を通り越して、喉の奥にまでへばりつく、古い皮脂の臭いもしなかった。
布団も毛布もニュートラルな状態だった。
魔法スゲー。
試しに、中に潜ってみた。
ふかふかのふわふわ。
昨日までとは全くの別物……生まれ変わったような心地よさだ。
オレは闇の中で目を覚ました。目を開けているのか閉じているのかよくわからない。
ぬくぬくしている内に、本格的に眠ってしまったらしい。
じっと耳を澄ます。
家の中も外も静かだ。微かに風の音が聞こえる。
ベッドから出て、手探りで蛍光灯の紐を探り当て、点灯させた。
眩しさに目を細める。
明るさに慣れた目で室内を見回した。
体が軽い。
天井が高い。
足下に何もない。
空気がキレイだ。
変な臭いがしない。
ゴミを踏まずに歩ける。
同じ蛍光灯なのに前より明るい。
昨日までとは比べ物にならない広い部屋だ。
家具はひとつも減ってないのに、広くなってる。
……これ、オレが片付けたのか。
いや、そりゃ、双羽隊長が魔法で丸洗いしたのが大きいけど、でも、床の物を捨てたのはオレだ。
オレがやったんだ。
不思議だった。たった一日でこんなに変わるとは思わなかった。片付ける前の写真を残しとけばよかった。劇的ビフォーアフター。
ドアノブにガムテープでメモが貼ってあった。




