04.髭剃り
大体、既に跡取りのオレが居るんだから、子供なんか要らねぇのに結婚翌年に産むし、農家で女なんて糞の役にも立たないのに雌ガキ産むし、あの後妻はホントにどうしようもない糞ビッチだ。
子供が生まれたら、それだけ財産の分け前が増えるとでも思ったんだろう。しかも、自分のガキがまだ小学生の時に育児放棄して、片道に最低三日は掛かる離島に逃げ帰りやがった。
あの女は責任って言葉の意味すら知らないクズだ。
これだから、財産目当てのビッチはダメなんだ。
長男の勉強の邪魔をした件について、一言の詫びもない。
クソ田舎の離島住民には、日之本帝国本土の常識ってもんがわからんのかも知れんが。頭の中に脳味噌の代わりに魚醤でも詰まってんじゃねぇのか。
財産目当ての糞ビッチとそのガキ共のことを思い出して、胸糞が悪くなった。
髭でも剃ったら、少しは気分が良くなるかも知れない。
洗面台に山程あったシェービングクリームや整髪料は、一本も見当たらなかった。
洗面台の引き出しを開けると、中はすかすかだった。
物は入っているが、ぎっしりではなく、隙間が空いている。
T字カミソリはすぐに見つかった。その隣に散髪用の梳き鋏が並んで入っている。
髭が長過ぎる。いきなりカミソリは無理だ。
そう判断し、まずは梳き鋏を手にとり、ゴミ箱の前にしゃがんで髭を切った。梳き鋏では一気に切れず、イライラしたが、何とか肌から数ミリの長さに切り揃えられた。
左の蛇口でぬるま湯を出し、石鹸をしっかり泡立てて顎にこすりつける。
泡は濁ってしぼみ、トレーナーに灰色の滴がぼたぼた垂れた。
この石鹸、古いんじゃねーのか?
石鹸に消費期限があるかどうかよく知らないが、流石に古過ぎるのはダメだろう。一体、いつの在庫を引っ張り出して来たんだ?
……誰が?
誰が片付けて、チリひとつない状態に磨き上げて、石鹸を出して来たんだ?
今、この家にはオレ一人なのに?
背筋に鳥肌が立ったのは、洗面所の寒さのせいばかりではない。
蛇口を閉めて耳を澄ます。
外の風の音と雨戸がきしむ音が邪魔で、家の中の音はわからなかった。
そもそもこの家は大きく、部屋数も多い為、人が隠れられる所は幾らでもある。
暫く固まっていたが、気を取り直して再びぬるま湯を出し、石鹸を泡立てる。今度は先程よりも泡立ちが良くなった。
T字カミソリでそっと顎を撫でる。泡と一緒に髭が消え、青々とした剃り跡が現れた。
数年振りの髭剃りだったが、何とか肌を傷つけることなく終え、残った泡を濯ぐついでに顔も洗った。
手で顎を撫でるとスベスベになっていた。
カミソリを石鹸の横に置き、洗面台の取っ手に掛けられたタオルで顔を拭く。
タオルはふわふわで、暖かい日溜まりの匂いがした。顔を拭きながら深呼吸する。
……こんなタオル、家にあったっけ?
そう言えば、トイレのタオルも、ふわふわになっていた。
前回のタオルは雑巾のような色合いで、ゴワゴワで穴があき、あまり水を吸わない代物だった。皮脂か何かが染み付き過ぎて、水を弾いていたんじゃないかと思われる。
本格的に体が冷えてきた。部屋に引き揚げよう。