28.汚屋敷に一人
慌ててその背を追う。
「いや、ちょっちょっと待って! メイドさん!」
「何か御用でしょうか?」
「いや、あの、あれ、あいつら、賢治と真穂は?」
「皆様、分家にご逗留です。今夜もこの家には優一さんお一人です」
「は? いや、それは違うだろう? あいつら本家なのに、分家に泊まるって、おかしくね?」
「さぁ? 私はご事情まではお伺いしておりませんので……」
「いや、そっそう……あー、いや、よっ、夜道は危ないし、おっ、おぉ、送ってくよ、オレが!」
「大丈夫ですよ。帰りは飛んで帰るように命じられておりますので」
メイドさんは玄関を一歩出て、にっこり微笑んだ。
ポン! と、紙袋を割ったような乾いた音がした瞬間、メイドさんの姿が消えた。
周囲を見回し、背後も見たが、メイドさんの姿はどこにも見当たらない。
「ホウ」
足下から声がした。
メイドさんと同じ琥珀色の瞳をした梟が、オレを見上げている。
梟は、音もなく冬の夜空に舞いあがると、呆然とするオレを残して分家の方へ飛び去り、あっという間に見えなくなった。
あぁ、うん。彼女も魔女なんだよ。変身の魔法くらい使えるわな。
王族の侍女なんだから、護身用の術のひとつやふたつ使えるわな。
この国の痴漢くらい、余裕で倒せるわな。
台所に戻り、ぬるくなってしまった料理を掻き込んだ。
食器を流しに置いて、一瞬、洗おうかと思ったが、やめておくことにした。
皿洗いなんて、今までやったことがない。
手が滑って、落として、割るのがオチだ。
メイドさんに割れ物の後始末をさせる訳にはいかないし、メイドさんのせいにされて分家の嫁にいびられでもしたら大変だ。
大体、男子厨房に入るべからずじゃないか。
オレは茶色く変色した襖を開け、台所の隣にある居間を覗き込んだ。
ここも台所や廊下に負けず劣らずカオスな部屋だった筈だが、スッキリ片付き、壁や天井、窓までキレイになっていた。
居間にあるのは、新しい薄型テレビとこたつ、黒ゴミ袋三つと、段ボール箱五つだけだ。
こたつにはこたつ布団がなく、窓のカーテンすらなかった。
ガランとした部屋に入り、口が開いたままの袋を確認する。
……オレの服だ。
段ボールはひとつを除いて未開封。
いずれも「家庭用45Lポリ袋(黒)50枚入り20梱包」の文字とメーカー名が印刷されていて、封の透明テープは黄色く変色していた。
開封済みの箱の蓋を開けると、箱の印刷通り、45L黒ゴミ袋の50枚入りパックが入っていた。何パックか減っている。
こたつで寝ようと思っていたが、こたつ布団なしでは無理だ。
仕方がない。
今夜は徹夜で掃除しよう。
ゴミ袋を一パック取り、洗面所でゴム手袋を回収して自室に戻った。
まずは、既に中身が詰まったゴミ袋の残りを庭に出す。
次に、薄い本の段ボール。
ミカン箱サイズは二箱だけで、後はB4サイズで厚さも十センチ程だ。ミカン箱サイズのは一箱ずつ、後は二箱ずつ運んだ。
段ボール箱の周囲に、普通ゴミが詰まった黒ゴミ袋を配置し直す。
息切れしているが、あっけなかった。
普通ゴミが45Lで十一袋、薄い本八箱、それとメイドさんが捨ててくれた虫の餌服が十三袋、洗濯物三袋。それだけの物がオレの部屋から出た。
積み上がった段ボール箱とゴミ袋をぼんやり眺めている内に呼吸が落ちついてきた。
冬の澄んだ空気の中、体がしんしんと冷えてくる。
トイレに寄ってから、自室に戻った。
黴臭く生温かいエアコンの風に乗って、何とも言えない臭気が廊下に漏れ出している。
黴臭さは多分、エアコンのフィルタ。
一度も掃除した覚えがない。
こぼした牛乳を拭いた後で放置した雑巾と、夏場の公衆便所の臭いと、梅雨時に持って帰るのを忘れた体操服の臭いと、一学期間洗わず教室に忘れて帰った夏休み明けの上履きの臭いを足して、何かが腐ったような変な甘ったるい臭いを混ぜたような汚臭だった。
マスクを捨ててしまったのを軽く後悔した。
他の臭いについては、考えることを諦めた。
……オレ、こんな部屋に居たのか。




