27.台所
目の前に、お盆を持ったメイドさんが立っていた。
「いや、大っゴホッ……大丈夫。いや、ちょっと、むせただけ」
「そうですか。これ、お夕飯です。お部屋で召し上がりますか?」
全身から血の気が引いた。
部屋のドアは今、全開だ。
「い、いや、いい。じゃなくって、あのっあれ、あー、あそこ! 台所! あっため直して食うから!」
「そうですか。では、お台所にお持ちしますね」
オレはメイドさんの後に続いて台所に入った。
入口にぶら下がっていたジャラジャラうるさい玉暖簾がなくなっている。
壁のスイッチを入れて驚いた。
ここも片付いている。
メイドさんは六人掛けのダイニングテーブルの一角にお盆を置いた。
このテーブルはオレが知る限り、食器棚に入りきらない食器や、レシピの切り抜き、公共料金の領収証や納付書、郵便物、レシート、古新聞、油煙でギトギトのプラ籠に入ったストローや割箸やコンビニのスプーン、調味料の瓶や小麦粉等の粉類、新品の食材も、使いかけの食材も、傷んだ食材もごちゃ混ぜで満載で、食べこぼしと煙草のヤニと油煙のコーティングで脚までベタベタになっていて、完全に使用不能だった。
テーブルの下にもサツマイモやジャガイモ、タマネギ、大根等の根菜類が入った段ボールが置いてあり、仮に椅子に座れたとしても、足を入れる余地がなかった。
勿論、それらの食材は芽が出たり、腐敗したりしてドブより酷い臭いを放っていたが、オレが知る限りずっとその場所にあった。
今、食卓の上には、ついさっきメイドさんが置いた夕食のお盆以外、何もない。
六脚の椅子もそうだ。
色々こぼして変色した座布団の上に、ババアが古いセーターをほどいて編んだ座布団カバーを敷いて、その上に更に郵便物、ビニール袋、汚れたエプロンやタオル、インスタント食品が入った段ボール箱、古新聞、古雑誌等が載っていて、人間が座る余地は全くなかった。
って言うか、何でこの家は、要所要所に終わってる食べ物やら、古新聞、古雑誌、紙ゴミ類が散りばめられてんだよ!
今は、椅子の上に何も載っていない。
汚座布団すらない。
「優一さん、温め直しますので、手を洗ってお待ちください」
「いや、えっ……あ、ああ……」
声を掛けられ、言われるままにゴム手袋を外し、洗面所に向かう。
手を洗うついでに、鼻水の付いたマスクを洗面所のゴミ箱に捨てた。
オレが知っている台所は、壁面にびっしり隙間なく並べられた食器棚の前にも食器棚が置かれ、更にその前に上に物が満載されたカラーボックスが置かれ、ブロック崩しのパズルゲームのようになっていた。
床には油や野菜屑がこびりつき、ネズミやゴキブリの糞で真っ黒になっていた。
天井も、僅かに見える壁もヤニと油煙でギトギトのベタベタで茶色かった。蜘蛛の巣に埃と油煙がからまった黒い塊が、何本も天井から垂れさがっていた。
流し台にも洗い籠にも食器が山盛り、吊り戸棚と流しの上のステンレス棚は、鍋やタッパで溢れかえり、その全てが油煙で煤けてベタついていた。
三角コーナーも排水口も、常にヘドロのような物が詰まって異臭を放ち、ゴキブリやコバエ、ナメクジ等を見ない日はなかった。
換気扇は油煙で黒く固着して、スイッチを入れてもモーター音がするだけで回らず、ガスコンロも、油煙や吹きこぼれ等でコーティングされて、表面が見えなかった。
冷蔵庫の扉は、メモやレシートが隙間なく貼られ、ボディカラーが何色なのかすら、記憶にない。
さっき見た台所は、リフォームしたようにキレイだった。
食器棚はひとつだけ。
床、壁、天井はピカピカ。
見える範囲に食器は見当たらない。
換気扇は新品のように輝いていた。
冷蔵庫の扉には一枚の紙片もない。
コンロは錆びたオンボロだが清潔。
メイドさん、マジパネェ。
チーン!
レンジの音で我に返り、台所に戻った。
清潔な食卓の上で、ラップを外された食器から、美味そうな湯気が上っていた。
焼き鮭、肉じゃが、おひたし、味噌汁、ご飯。
「食器は明朝、回収致します。お着替えは居間に仮置きしています。袋は新品と交換しましたのでご安心下さい。寝る前に戸締りをお願いします。それでは、ごゆっくり」
一気にそう言ってお辞儀すると、メイドさんは台所を出て行った。




