12.魔女
水の塊が、またこっちに向かってきた。
何とか一歩下がったが、その程度では当然、逃げられる筈もなく、捕まってしまった。
今度は、頭を執拗に這い回る。輪ゴムが切れ、腰まである髪がバラけた。さながらテレビから這い出るホラー映画の女幽霊だ。
お湯は、空中で髪をもみくちゃにして、再び離れた。またドブ色になっている。
そっと、髪に手を触れた。全く濡れていない。
乾いてサラサラだった。
ドブ水は、さっきと同じようにゴミ山の上で身震いして、清水に戻った。
「ゆうちゃん、髪長いと肩凝らない?」
「いや、えー……、あぁ、まぁ、凝るかな」
ツネちゃんの突然の質問で我に返った。
いきなり何の話だよ。
「今、政治と米治叔父さん、お酒飲んでるから、ちゃんと切るのは明日でいい?」
「いや、え? マー君、朝っぱらから呑んでんの?」
オレは、黒山羊の杖を持った奴の方を見た。別に顔は赤くない。
「それ、宗教だって言ったろ。で、今日は取敢えず、肩くらいにするだけでいい?」
「いや、えー……マー君、今、分家なんだ?」
「うん。分家。久し振りだからって、何か盛り上がってる。お昼にみんなで分家に行くから、その頭もうちょっと何とかしよう」
「いや、いやいやいや、何で分家行くんだよ。オレ、行かねーから」
「そう。でも、掃除する時とか、邪魔になるから、頭はなんとかしよう」
「中身もね」
真穂が余計な一言を付け加えたのを、オレの地獄耳は聞き逃さなかった。
「ッんだとォ!? ゴルァァッ!」
「キャー! 怒ったー!」
真穂は賢治の背後に隠れたが、オレは容赦する気はない。
二人まとめてぶん殴ってやる。
ロリ声が、国籍不明の言語で何か言っている。
あの外人共、日之本帝国に来たんなら、言葉くらい覚えろよ。
大男がオレと真穂たちの間に割り込んできた。
何だコイツ、やろうってのか?
大男の右手で長剣が輝いていた。ギョッとして身を退く。
刃が白い光を放ち、刀身の様子はよくわからない。と言うか、光そのものが刀身になっているように見える。
つーか、どっから出した!? そんなもん!?
さっきまで手ぶらだったよな?
「ゆうちゃん、髪切るからじっとしててね」
ロリ声が優しく語りかける。オレはすかさず、声のした方を振り返った。
メイドさん、金髪美女、ムネノリ君しかいない。
「動くと危ないよ」
ロリ声の主は、ムネノリ君だった。
時代劇みたいな名前した三十路のおっさんがロリ声……
「いや、ちょっ、おま……何て声出してんだよ。キモいから喋んな」
まだ何か言おうとしていたムネノリ君を黙らせる。
ロリ声のおっさんとか、キモいにも限度ってもんがあるだろ。常考。
自分でもおかしいと思えよカスが。杖もキモいし、声もキモい。
あーヤダヤダ。こんなのが身内とか、やってらんねー。
「ゆうちゃん、それはないだろ。宗教は声変わりしてなくて、これが地声なんだよ」
「いや、キモいもんはキモいだろう」
ツネちゃんは聞き慣れてるから何とも思わないだろうが、オレは鳥肌モノなんだよ。
「貴方のように口臭が酷い訳ではなく、発言の内容に問題がある訳でもありません」
金髪美女が、流暢な日之本帝国語でオレに意見する。
生意気なクソ女め。
そもそも、何でその距離で口臭とかわかるんだよ。お前は犬か。
そんな手には引っ掛かんねーよ。バカめ。
オレはホントのことしか言ってねーんだ。なんも問題なんかない。正論を言うオレは正しい。メス犬はすっこんでろ。
生意気な外人女を論破してやろうと、口を開きかけた瞬間、目の前を白っぽい何かが通り過ぎた。




