「ヤバい。助けてくれ。」
程よくひんやりとした風の吹く、満月の夜。一人の少女が城下町の商店街を息を切らして走っている。
時刻は夜8時。この時間帯の商店街は、酒屋が最も賑わう。この商店街では、退治した魔獣の新鮮で上質な肉を、毒抜きして販売してくれることで有名である。
上等な酒には手を出せずとも、うまい飯に格安でありつくことができる。『戦士』と呼ばれる魔獣駆除・退治専門業者にとって、この商店街は穴場なのだ。
どの店も通りに面したオープンテラスを設置しており、店内に入りきらなかった客は、外に準備されている簡易テーブルにて安っぽいエールでのどを潤し、肉汁がにじむ骨付き魔獣肉をほおばることで、日ごろの疲れを癒しているのだ。
少女は、そんな屈強な人々の間を縫うように走る。時折「すんません」と声を上げつつ、走るスピードを落とさないように先を急いでいる。
「あれ?サマーちゃん、どうしたんだい?そんなに急いで。」
他の店より一際にぎやかな店中から、恰幅の良い女性が、客にエールを注ぎながら少女に声をかけた。
少女は顔を女性に向けつつも、走るスピードを落とすことなく
「先輩からすぐ来いって連絡があったんすよー!なんかヤバいから助けてって!」
と答え、女性に会釈しながら、再び先を急いだ。あふれる人並みで、もう女性からは少女が見えない。
女性は姿の見えなくなった少女に一声かけようとしたが、魔獣肉の追加注文が入ったことで、その機会を失った。
「なにかあったのかねぇ。」
心配を残しつつ、女性は再び仕事に戻る。
サマーと呼ばれた少女は、半年前に『戦士見習い』デビューした新人である。
類まれな戦闘センスと、一見華奢な体からは想像できないほどのパワーとスピードを持ち合わせており、将来的には最高位の戦士になれるだろうを期待されているルーキーである。
サマー本人も、ゆくゆくは立派な戦士として独り立ちし、一人でも多くの人を魔獣から守りたいと心から考えている。
一人前の戦士になるために必要なのは、力や能力だけでなく、技術と経験だと踏んだサマーは、デビューと同時にある人物へ弟子入りをしていた。
その人物とは、最強の戦士・生ける伝説、ウォルターである。
戦士業を営んでいる者にとって、ウォルターの名を知らないものはいない。
彼こそまさに最強と呼んで差し支えのない存在なのだ。
魔獣を退治する場合、そのサイズ、種類に応じてチームを編成し、作戦を練り上げ、確実に仕留めるのが定石である。
サイズが大きく、凶暴な魔獣に対しては、大人数で遠距離から攻撃できるよう作戦を組み立てることが望ましい。魔獣の力は人間をはるかに凌ぐため、極力接触しないほうが得策なのだ。
数十メートルもある超巨大サイズが現れた日には、数百人もの歴戦の戦士が投入されなければ、まず駆除は不可能といえる。それが複数いれば、さらに倍以上の人数が必要だ。
ウォルターは、数十メートルサイズの魔獣5体を、たった一人で、一本の剣だけで、一晩で駆除してしまったことがある。
単体での強さだけでなく、チームを統率し、状況を正確に読み取り、的確な指示を出すことのできるリーダーとしての評判も高い。
サマーにとって、目標であり、もっとも信頼できる戦士なのだ。
ウォルターの住宅は、町の郊外に位置している。都市の中心である商店街からは北へ2キロ。サマーの脚力で大体7分かかる。ただし、並び立つ外壁を越え、森を抜ければ半分の時間でたどり着ける。
思いつく限りのショートカットコースをたどり、ウォルターの住居手前の一本松までたどり着いたサマーは、ふと足を止める。
誰かが一本松の下でうずくまっている。
もしやと思い、声をかけてみる。
「・・・先輩?」
一瞬ビクっと体を震わせ、うずくまった影はゆっくりと顔を上げる。
「サマー・・か。・・・よく来てくれた・・・。」
ウォルターの姿を見て、サマーは愕然とした。
松のそばで体を小さく丸め、うずくまったその顔は青ざめている。
顔色が悪いせいか、額から顎まで続く長い古傷がいつもより目立って見えた。
「先輩、どうしたんすか?何があったんですか!?」
ウォルターに駆け寄り、肩に手を当てると、体は小刻みに震えていた。
この人をこんなにも弱らせるなんて、一体何が起きたのか。
言い知れぬ不安に、背筋が凍る。
「奴だ・・。アイツが出た・・・。」
弱々しくウォルターは答える。
「『アイツ』?魔獣ですか?まさか、いきなりこんな人里に?」
状況は思っていたよりも切迫していることを感じたサマーは、考えるより先に剣を抜いた。
周辺住民の避難や、出現に至った経緯を考えるよりも、まだ近くにいる可能性に注視したのだ。
「魔獣なんかじゃない。もっとひどい・・・。」
弱々しくも強く否定したウォルターの言葉を聞き、サマーはさらに状況を確認する。
「なら何が出たんすか?教えてください!」
周囲を警戒しつつ、サマーは続ける。
「私じゃまだ力不足っすけど、ちょっとでも先輩の役に立ちたいんです!それに、私なら力になれるかもって、そう思って連絡してくれたんでしょ?」
ウォルターに目線を向け、サマーは言葉をかけた。
口に出すのも嫌だ、と小声で呟きつつウォルターは口を開く。
「・・状況は悪い。近くにまだいるのは確実だが、姿を見失った・・。」
立ち上がりながら、ウォルターは説明し始めた。その声には緊張が込められている。
「俺だけではどうにもならない。対策はしていたんだが・・。プッチムが出た。奴らは高温多湿を好む・・。どこから入ってきたのか検討もつかない。」
これまで聞いたことのないウォルターの声色に、剣を握るサマーの手にはより力が入る。
「すまないが、力を貸してくれ。お前だけが頼りなんだ。」
サマーを見るその目には、懇願にも似た感情が映っていた。
サマーは頭を整理する。この状況への最良の選択を、私がしなければならない。そんな気持ちがふつふつと湧き上がっているのを感じていた。
初めて先輩の役に立つことができる。目標としている人の助けになれるのだ。
サマーが最初にウォルターをみたのは、4つの頃。超巨大な魔獣を相手に、ウォルターは一人で立ち向かっていった。
勝てるわけがない。子供ながらにそう感じた。サイズが違いすぎる。その魔獣と比べると、ウォルターは作り物のミニチュア人形のように見えた。
いつか見た、国王のお城。その煌びやかな風貌よりも、その巨大さに目を奪われた。こんなに大きな物、見たことない!とはしゃいだものだ。
あのお城よりも遥かに巨大な、全身毛むくじゃらで牙をむいた二足歩行の魔獣に対し、ウォルターは剣一本で立ち向かい・・・・勝利してしまった。
信じられなかった。この人は人間ではないのではないか?そう感じるほどの圧倒的パワーで、巨大魔獣の振り下ろした大木のような腕を受け止め、弾き飛ばし、最後にはバラバラに切り刻んでしまった。
魔獣駆除を終え、帰路に着くウォルターに、サマーはお礼として一輪の花を渡した。
そして一言問いかけた。
「なんでそんなにつよいの?にぃちゃんは神さまなの?」
ウォルターは、厳しさを含んだ表情をフッと和らげ、優しく微笑みながらサマーに告げた。
「みんなを守るために、がんばって鍛えたからだよ。」
本当に強い人間は、こんな風に笑うんだ。
子供ながらに、強く憧れを抱いた瞬間だった。
そのウォルターが、自分意助けを求めている。
実力的には、サマーはウォルターの足元にも及んでいない。そんなことは本人も自覚している。
でも、対等な仲間として、ウォルターが自分を頼ってくれたのが、うれしかった。
ウォルターに向き直り、サマーはその目を見ながら高らかに声をあげた。
「はああああぁぁあああぁぁぁあああ!?」
プッチムについて知っていることを整理する。
体長は最大で2センチ。薄ピンク色の体色、手の小指の爪のような形をしていて、細い触手をニョロニョロと動かしながら移動する。命の危険を感じたときには、触手から皮膜を広げ、高速で羽ばたかせながら飛んで逃げる。
嫌な人にとっては嫌だと感じる、害虫とまでは行かないものの、気味の悪い生物にカテゴライズされる虫である。
「はああああぁぁあああぁぁぁあああ!?あああぁぁ・・ゴホッ・・・うぇっ・・く、はああああぁぁぁぁぁぁ!?」
サマー自身、虫はそこまで得意なほうではない。プッチムが出たときは、できるだけ触らずに逃がすか、プチッと潰しちゃうか、どちらかの方法しかとらない。
「・・・はぁ、・・はぁ、・・・・ぅうん、うん。はぁぁぁぁあああああぁぁぁああ!?」
体長2センチの、プチッと潰せちゃうちっちゃい小虫に、この最強の男は真に恐怖し、震えている。
「だって、手紙には・・、助けてって書いてはああぁぁぁぁぁあああ!?」
次第に、サマーの頭と体がシンクロしてきた。
「あああああぁぁぁ・・・。・・・・・マジなんすね?」
「え?・・うん。マジ。・・え?なんでそんな大声出したの?」
状況を理解したサマーの体からは力が一気に抜け、その場にしゃがみ込む。
つい2時間前、荒れ狂う雄牛型の魔獣2頭を片腕で捻り潰していたこの男は、ピンク色の小さい虫にビビリまくっている。
そんな状況をやっと理解した。
自分の尊敬している大先輩は、最強の力を持つ一流の戦士は、プルンとしたフォルムのちっこい虫に顔面蒼白でガタガタ震えている・・・・。
「すまないな。仕事明けのこんな時間に呼び出してしまって。」
落ち着きを取り戻し、水を飲んでいるサマーに、ウォルターは声をかける。
「いや、まぁ・・。先輩にはお世話になってるんで・・。力になれるんなら良いっす。」
がぶがぶと豪快に水を飲み終えたサマーは、同じく若干の落ち着きを取り戻したウォルターに返答した。
「で、確認ですけど・・。家の中にプッチムが出たから助けてくれって理由で私を呼び出したんですね?」
「ああ、そうだ。」
「マジかよ・・。私の聞き間違いを期待してたのに・・。即答だもん・・。」
やはりまだ現実を受け入れられてないサマーに、これから魔獣に立ち向かう前のブリーフィングのような、真剣な口調で言葉を続ける。
「これまで俺は、奴らが家に入らないようにいくつもの対策を行ってきた。玄関先と窓には奴らに嫌いなレモンの汁を毎日ふりかけ、ありとあらゆる隙間はふさぎ、水周りには市販の駆除剤を設置。月に一度は家全体を殺菌消毒。完璧だったはずなのだ。なのに・・。」
ウォルターは頭を抱える。
「侵入経路の特定ができない・・・。どこから入ったのだ?奴らの入りそうなところは全てチェックしたはずだが・・。」
「つうか、一回家ん中入りません?状況見たいし。いつまでもこんなトコで」
「嫌だ!なんで嫌だ!」
またウォルターの顔にパニックの文字が浮かび上がる。
「あ~あ~。すいません、わかりましたよ。」
「お前だけ入って調べてくれ。それが、今俺が思いつく中でも、ベストな対応だ。」
「私だけっすか?・・入っても良いんすか?」
「いいよ別に!いいよ!じゃないとお前呼んだ意味ないじゃん!!なんでもう許可だしてんのにもっかい確認すんだよ!!」
目をひん剥き、声を荒げるウォルター。
「必死かよ・・。」
「必死だよ!必死にもなるよ!!なりふり構ってらんないんだよ!!」
「わーかりましたって~。・・もう・・。」
「お前、事の重大さがわかってないようだな。床に就こうとした瞬間に奴と遭遇してみろ!そんな悠長な態度はとれまいよ。」
ため息をつきながら、サマーは歩き出した。
「・・・発見次第、家ごとで構わん。・・殺れ。」
「大分キてますね。とりあえず落ち着いて下さいよ。」
サマーは一本松を通り過ぎ、数メートル先のウォルターの自宅にゆっくり進んでいった。
生唾を飲み込む音が聞こえる。ウォルターだ。
はぁ・・。とため息をつきつつ、サマーはウォルターの部屋に入っていった。
心から尊敬している大先輩に、これまで感じたことのない感情が湧き上がる。
家のドアを開けつつ、思わずサマーは、その感情を声に出してしまった。
「めんどくせ」