あまくてとろける、チョコレート
貰う側からあげる側に立場が変わって、早二年余り。
今年も今年とて、死んだ目をしながら、チョコを作る。
料理は苦手だ。だが、彼女のハルちゃんはくれるよね!? なんていう期待に充ち満ちた表情を見ると、今年はやらんなんて言えるわけが無く。
「うあああああ……」
「ハル兄、煩い」
「おう……」
自宅のキッチンで、妹と一緒にチョコを作る滑稽な構図。
なんとか巷でよくある妹の妹みたいな絵面にならなかったから良かった物、気がつけば妹の兄に対する尊敬の念は敬称だけになっていた。
そう、ハルことオレは二年前のある日、朝起きたら女の子になっていたのである。自分でもびっくりだわ。自分には降りかからない災害であろうと思っていたのに、朝起きたら女の子。しかも美少女。ふざけるな。いや、美少女なのはとても良い事です。
問題はというと、妹とよく似ていると言うことだけだ。身長はオレの方が高いけれど、髪質や体格と言った物は妹と同じなのである。死にたい。
というわけで、彼女が居たオレは、割とぬるっと女子の輪に溶け込み、高卒間際のこの時期にチョコを作っているわけです。大学も決まってるからいいんだけどね……。彼女と同棲も決まってるし。
「てか、なんでハル兄、毎回あたしと作るの? メグ姉と作ればいいじゃん」
「馬鹿野郎、メグと作ったら、お前、オレのなけなしのプライドがズタズタにされるだろうが!?」
「えー……どうせハル兄家事殆どできないじゃん」
「ぐっ……」
まあ、元々今の時代的には珍しく、男子厨房に入らずみたいな生活を十六年も続けて今更ながら台所の前に立つとか。
家庭科の授業ですら調理台の前に立たせて貰えなかったのに!
メグは家事万能節が流れるほど何でもできる。
実際問題、身だしなみとか毎回メグにだめ出しをされるし、それだけでオレのちっぽけなプライドはズタズタになるというのに。アイツに渡すためのチョコをアイツと一緒に作れとか、どんな拷問ですかね?
いや、ほんと普通、彼氏が女になったら別れると思うんだけど、メグはなんでずっとオレの彼女で居てくれるんですかね? よくわからんちん。
「まあ、いいんだよ! オレのことは! そもそもメグにこんな血の滲むような努力をしてる所は見せたくない!」
「ちの、にじむ、ような……?」
オレのやっていることは、妹様が湯煎で溶かしたチョコを型に流し込んでいる作業だ。
血の滲むような二年という修行の成果もあって、やっと、今年こそは綺麗にチョコレートを型に流し込むことができるようになったのだ!
「ハル兄、そのドヤ顔やめて。たかだか型に流し込めるようになっただけじゃない。二年もかかって」
「あ、はい……」
今年もどうやら鍋には触らせて貰えないようです。
オレだって、多少なりとも上達したい意思はあるというのに。
そして翌日。よく冷えたチョコレートをラッピングして。あまりの不器用ぶりに落胆しながら、登校日という拷問を敢行する。逃げたい。
なんでよりにもよって二月十四日が登校日なんだ。オレは今年卒業だぞ!
女子制服には慣れたが、足下は寒い。タイツ禁止ってバカじゃねーの? この時期に生足晒すとか、なんなの?
スカートの下にスパッツとか短パンとか穿くのも禁止とか、女子の防御力下げる行為に辟易する。絶対この校則作った奴変態だ……。
ぶつくさ文句を言いながらマフラーで口元を隠す。
はあ……これで、メグに会わなければ最高なんだがなあ……。
「あ、ハルー!」
声と共に顔を上げればそこには見慣れた顔。小柄ながらはつらつとした高校にはいって初めてできた彼女の姿。メグだ。もう付き合って二年になる。
「げぇ!? メグ……!」
アンブッシュだ! あいつ、オレのこと待ち伏せしていやがった!
って、駆け寄ってくるな、抱きついてくるな!
「ハル、今日も大好きよー! ちゅー」
「やめろっ!? 世間体的な問題……んぶっ」
唇を塞がれた。無理矢理唇を開かされて、メグの舌が入り込んでくる。
熱い舌がオレの口の中を蹂躙していく。
それと同時に、衣服越しとは言え幸せな柔らかさがオレを包む。
困った。男の状態だったら即アレなことになっているだろう、こんな情事。朝のテンション低いオレにとっては拷問だ。
「ぷはっ……おはよー、ハル。今日も綺麗な黒髪だね!」
「おう……おはよ」
「どうだった?」
「今日も今日とて情熱的ですね……。男だったら即押し倒してたわ……」
「キャー!! だって、ハルのことが大好きだもん!」
「そうかいそうかい、オレもお前の事が好きだよ。そのそこかしこで発情する癖が無ければな!」
未だにくっついているメグを引きはがして、ハンカチで口元を拭う。
キスもわるかあないんだが、毎回であう度にキスされてるとなんか慣れる。
待ち伏せされたら流石に、オレも無碍に出来ないし。ぶっちゃけ、こういうのを躱したことで起こる悲劇は容易に想像できる。実際に悲劇が起きたことがあった。
「もー……! 今日も化粧してない!」
「するか! オレは元々男だっての!」
「化粧しなかったら、これあげないよー?」
メグが鞄を開いて見せた。
中には大量のチョコと一つだけ意匠の違う包装が入っていた。メグはそれを指差している。くそう……チョコ質取られた……。
好きな人のチョコ。性別が変わったくらいで態度を変えてこないメグのチョコ。
正直に言えば欲しい。だが、化粧をして女という意識をすり込まれたくはない。
戻れる可能性は捨ててないわけだし。
「くそう……屈するしか無いのか」
「ハル、そんなので折れていいの?」
「おう、良く考えろよ、メグ。好きな奴から物を貰う、それに条件が出された。お前ならどうする」
「勿論、その条件を呑む! あっ……」
「そういうこった」
分かってくれたようで、何より何より。うむうむ。
しかしなあ……化粧はやだなあ……顔に何か塗るのは嫌だなあ……。
ふうむ……。
「しかし……お前のチョコは美味いから欲しい。というわけで、化粧の代わりの条件をくれ」
「えー……そうだなあ……うーん……? あー、これだっ!」
チョコしか入ってなさそうな鞄の中から、メグが取りだしたのはこれまたチョコレートである。ペンシルタイプのやつ。
もうそれで、色々察しが付いた。ついてしまったのが嫌だ。
「……おい、メグそれをどうする気かな?」
「んー、キスし足りないから甘いキスでも?」
「だろうと思ったよ!」
唇に塗りつけて、キスをして、そして舐め合うとかどんだけ高度なプレイなんだ。流石に朝っぱらから我慢できなくなるぞ。
ただまあ、慣れたとは言え嫌いでは無いんだよなあ……。
「ちょっとこっちこい」
「ひゃっ! もー、引っ張らないでよ!」
スイッチが入った、というわけではないのだが、珍しく朝からキスをせがむメグにこっちも応えてやろうという気になった。
折角のいわゆる恋人の日。オレだって甘い一日を過ごしたい気持ちもある。
というか、そういう気が無ければチョコなんぞ作らん。
下げたくない頭を毎年さげて、妹様にチョコレートを溶かして貰うとか、元兄のプライドが本当は許さないが、メグの為なので下げたくない頭も下げるのである。
「ここならいいか」
人気の無い路地。狭くも無く、広くも無く。人通りはなさそうだし、密着するにはいい位の広さ。
そんなところに連れ込んだのはちょっと気の迷いな気がするけれど、向かい合ったメグが期待に満ちた表情でオレを見ている。
「むう……ハルってやっぱり美人だよね。それにスタイルが私よりいいとか!」
「顔立ちと体つきがいいのは確かになあ。たまに鏡見てエロイ気分になるし」
「ずるーい!!」
殺意の籠もった手付きでオレの胸を揉みしだくメグ。
「いてぇ!? お前も女なら、下から胸を思いっきり持ち上げたら痛いのわかるだろ!?」
「私、支える程ないしー」
支える程ないなんて言うメグだが、揉むくらいはあるのだ。柔らかいのである。
大きかろうが小さかろうがおっぱいはおっぱい。そこに貴賎はない。
「ったく、人が折角望みを叶えてやろうって言うのに」
「えっ!?」
自分の鞄の中から、メグに渡すように、一番よくできたチョコレートを取り出す。不格好なラッピングから一口大のチョコを取り出して口に含む。
舌の上で転がして、唾液と混ぜて、もぐもぐと噛みくだいてとろとろに溶かしていく。甘い味が口の中いっぱいに広がる。
「んっ」
メグの肩をつかみ、顔を寄せる。
攻めるのはいいけれど、攻められるのは嫌いなメグ。
首を左右に振って、あわあわと目を泳がせるのが滑稽だ。
チョコ、欲しいんだろと目配せをする。
「い、いいの?」
オレはそれに頷いて応える。流石にこの状態で声を出すのはしんどい。
目をぎゅっと閉じてゆっくりと背伸びしてくるメグに我慢できずにオレは口付けをした。
舌でメグの唇を割り、とろとろにとろけたチョコを無理矢理飲ませていく。
絡ませた舌伝いに、動物が水を飲むように、オレの口の中のとろけたチョコをメグが舐めていく。
「んっ……んっ……」
メグの喉がとろけたチョコを飲み下していく。
オレはたまらずメグの尻に手をやるが、嫌がるように腰を振られた。
エロいことはダメらしい。睨み付ける視線が痛かった。
「ハル……もう一個ほしい……」
「えー……」
とろんと潤む瞳を前にしてオレもどうしようかと悩む。
流石に朝一からこれは色々拙い気がする。
「昼まで我慢できねー?」
「んー……我慢したら、どうなる?」
「まあ、もっと凄いのを?」
その言葉にメグの表情がぱっと明るくなる。
エロくとろけた表情もいいけれど、やっぱりメグはこっちだ。
元気いっぱいで笑顔を振りまいてくれる方がいい。その笑顔を好きになったんだから。
「じゃあ、我慢する! チョコ美味しかったよ!」
「そうかい……妹様にそう言っておこう」
「ハルもちゃんと作ったんでしょー?」
「溶けたチョコを型に入れる作業をな!」
ドヤ顔。メグにあげる分だけは綺麗に詰められたのだ! そりゃあ増長もする!
うんうんと頷きながら、すごいねーって言ってくれるのはメグだけである。
「そんじゃ、学校行こうぜ。遅刻するぞ」
「わっ、ホントだ」
腕時計を見て、急がないと間に合わない時間であることに気付いたオレ達は急いで路地から出る。
幸いキス以外何もしてないので着衣の乱れとかもない。
なるほど、あの嫌がりはこれを危惧してか……。
「あ、これ! 最初から渡すつもりだったし!」
真四角の綺麗にラッピングされたチョコ、と思わしき物。
オレの好きな色の包装紙でラッピングされて、メグの好きな色でリボン掛けがしてある。
今はあげる側ではあるけれども、もうずっと貰う側でもあったのだから、やっぱり今年も貰えるのは嬉しい物だ。
「さて……失敗作はモテない野郎共にばらまいてやるか……」
「ハルってなんだかんだで優しいよねー」
「まあな。愚民共に菓子を下賜する楽しさも味わったからなあ!」
「そういうつまらないギャグをいわなければもっといいんだけどねー」
「うるせー!」
きゃーとかいって、逃げていくメグの背中を追いかける。
これがオレとメグの付き合い方。
男だったときから変わらない付き合いをしてくれるのは家族を除けばメグだけなのだ。
そうしてくれるから、オレは今こうやって生きていける。姿は女になってしまったけれども、なんとか自己を保っていられる。
「全く、メグには感謝してもしきれんなあ……」
「何か言ったー?」
「なんもねー!」
「そっかー!」
前を歩いていたメグが、校門を目前にして振り返る。
「今日のお昼と夕方と……夜も、あまくてとろけるチョコレート、期待してるね?」
はにかんだメグが最高に眩しくて、今日はちょっと頑張らないとなあとオレは気合いを入れ直すのだった。




