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「粉雪」

金魚

作者: さわいつき

 駅前の噴水の周囲には、待ち合わせの男女がわらわらと群がっている。

 周囲は既に暗くなっていて、辺りを行き交う人達の姿は少し前に点灯した街頭に照らされ、水槽の中を泳ぐ魚みたいだなとぼんやり思った。

 時計を確認すると、約束の時間を少し超えている。いつもの事だと溜息を吐き、目線を足元に落とした。

 慣れない物を着ているせいかそれとも未だ冷めない陽気の名残か、じんわりと汗ばんで来る。いつもは下ろしている髪をルーズなアップにしているからまだましだとは思うものの、首筋を伝った汗が引力に従ってお世辞にも立派とは言えない胸の隙間を流れて行く奇妙な感覚が、いちいち気になってしまう。

 ぼんやりしていたら、足元に影が落ちた。

「遅い」

「悪い」

 平日の夜の約束。仕事を終えてから駆けつける彼が、時間通りに来る事なんて滅多にない。だからいつもは出来るだけ、人気の多い喫茶店などで待ち合わせる事にしている。けれど今日だけは、外で待ち合わせしたかったのだ。

 彼に促されて、腰掛けていた噴水の縁から離れる。

 花火大会の会場へは、ここからまだ五分以上歩かなければならない。もたもたしていたら始まってしまう。この舗道が一番の近道だけれど、街路樹や道沿いの建物が遮蔽物になり、花火は見えないはずだ。その証拠に、周囲には既に人影がまばらな状態で、それも皆急ぎ足になっている。

 気持ちは逸るけれど、慣れない履き物では速く歩く事などできそうもない。そうでなくとも、指の谷間に鼻緒が食い込んで、少し違和感を感じ始めているのに。

 差し出された手を恨めしく睨みつけながら、それでもやっぱり握り返すと、彼が少しだけ笑った気配がした。




 少し離れた場所から、大きな音が響いた。後に続いて、人々の歓声が沸き起こる。

「来るのが遅いから、花火、始まっちゃったじゃない」

 繋いだ手を見ながら、わたしは唇を尖らせた。

 毎年この地域の商店街が開催する、小規模な花火大会。小規模ゆえに新聞や雑誌で取り上げられる機会もほとんどないけれど、夏の終わりを告げる地元の風物詩になっている。

「最初から一緒に見ようと思ったのに」

 去年は彼の出張が入っていて、友達と見に来た。今年こそは一緒に見られると、張り切っていたのに。

「今からでも十分間に合うだろうが」

 そう言いつつ、彼の足が少しだけ速くなる。

「下駄、慣れていないから」

 そう告げると、彼の足が止まり、視線がわたしの足元に落ちた。

「痛いのか」

「少しだけ」

 今年おろしたばかりの真っさらな下駄は、母が出来るだけ鼻緒を緩めてくれている。それでも指の付け根に少し靴擦れができていた。下駄だから下駄擦れかな、とどうでもいい事を考えていると、また大きな花火が上がったらしい。一瞬だけ、空が明るくなった。

「負ぶってやってもいいんだが」

「それは、ちょっと遠慮したい」

 せっかくのお申し出だけれど、今日の格好じゃちょっとまずい。

「なんだって、そんな格好で来たんだ」

 彼の口調が固くなる。眉間に皺が入った小難しい顔は、実は困っている時の顔だ。

「だって、花火だし」

 今日のために、母と一緒に買いに行ったのだ。近所のスーパーだけれど。

「変、かな。似合っていない?」

 浴衣に限らず和服は、着慣れていない者には似合わない。昔着付け教室に通って師範の免状まで取った母が、そう言っていた。だから夏の間何度か着付けの練習をして、やっとそれなりに見られる程度にはなっていたのに。

「似合っては、いる」

 似合っていると言われ、少し沈みがちになっていたわたしの機嫌が浮上した。単純だとは思うけれど、好きな相手から褒められて嬉しくない女の子なんていないだろう。

「じゃあ、なに」

 真っ直ぐに彼の顔を見上げると、その口元が僅かに引き攣るのが分かった。

 いきなり、だった。

 繋いだ手が強く引かれて思わずよろけた先には、当然ながら彼がいて。もう片方の手が後頭部に回され、噛みつくようなキスをされた。

「目のやり場に、困る」

 耳許で囁かれ、ぞわりと全身の肌が粟立つ。

 花火を見るために急ぐ人が何人か走って行くけれど、わたし達を気に留める様子はない。もっとも、そうでなければ恥ずかしすぎて、足の痛みを忘れて逃げ出していただろうけれど。

「どうする」

「な、なに、が」

「もうすぐ終わりそうな花火を見に行くのか、それとも人が少ない内にさっさと帰るのか」

 小規模な花火大会は、開催時間も約十五分と短い。それでも商店街にとっては大きな出費になるらしいのだから、仕方がないけれど。

 彼の言葉通り、花火はあと五分もすれば終わってしまう。痛い足を引き摺りながら会場に辿り着いたとしても、フィナーレを見る事が出来るかどうか際どいところだ。花火が終われば、人の波が駅に流れる。今わたし達がいるこの舗道も、人波で溢れてしまうだろう。下駄擦れができているこの足でのんびりと歩く事がかなり危険だというのは、間違いない。

「花火、見たかったのに」

 仕事で遅れた彼と、慣れない下駄を履いて来たわたしと。どちらが悪いのかなんて、考えるだけ無駄というものだ。

「来年は休みを取る」

 来年もわたしと一緒に花火を見に来るつもりらしい。つまりは、少なくとも来年はまだ彼と一緒にいられるという事で。

「約束だからね」

 上目遣いで彼を見上げると、またちょっと困った顔になる。

「ほら、行くぞ」

 目線を逸らした彼は、迷いなくわたしの手を掴んだ。




 上着を腕にかけているけれど仕事帰りでスーツ姿の彼と、浴衣姿のわたし。下駄擦れを庇いながらゆっくり歩くわたし達は、夜の町を泳ぐ金魚のように見えるだろうか。

「ほら」

 駅前に出ている露店のりんご飴を手渡してくれる彼は、さしずめ黒出目金で。赤い帯飾りを揺らしているわたしは、琉金で。

 来年も再来年も一緒にこの景色の中を泳いでいられればいいななんて、言葉にはせずに心の中でこっそりと思った。

現在ここまでしか書いていないので、仮ですが完結になります。

お付き合いきただき、ありがとうございました。

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