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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス【王都篇】1 闇からの使者を打ち倒せ

作者: シベリウスP

この作品、最初の何篇かは、なんか、さまざまな作品の色がごちゃ混ぜになっています。「あっ、これは〇〇だ」と思っても気にしないことが読み進むコツです。なお、後の作品になるほどカラーが違ってきます。それまでに運営さんから削除されないといいですが、まあ、お楽しみに。

序章 古からの伝承


――それは、古い時代から、時を超えて語り継がれてきた言葉。

星には、様々な知恵が隠されている。この王国を創り上げたのも、星の言葉に従ったまで。

闇、光、木、火、土、風、水、木火、火土、土風、風水、水木と、12の月が巡る。

人々がそれぞれの月に相応し、生を受け、成長し、そして死んでいくように、王国も12の月に相応して栄枯盛衰を紡いでいく。

幾百年かが過ぎて、王国の人々が、星の言葉を忘れてしまったころ、星の言葉を理解するすべをなくしてしまったころに、突然にそれは起こるのだ。

遠き北の国にある、この世とあの世の境が破れ、人々に塗炭の苦しみをなめさせる。

始まりは干ばつ、そして天候の乱れ。春に日照りが続き、夏に雹が降り、そして秋は駆け足で過ぎていく。そのような年が7年続き、いよいよ人々を支える食物は底をつく。

悪い者たちがはびこり、心優しき者たちが次々といなくなって行く。

しかし、最後に、正しく星を読む星読師が、12人の星将と28人の神人を率いて現れる。それこそが大君主である。――

「そのような言い伝えが、王家の文書に載っていました。日照りと寒い夏が2年続いて、人民の苦しみを何とかしたいと、魔術寮のみならず国内すべての白魔術師たちに術を発動させましたが、何ら効果がありません。これは何故だろうと思っていた時に、マスター・オルフェウスが先の文書を発見し、解読したのです」

ここは、白魔術師の国である、ヘルヴェティア王国という小さな国の会議の間である。先ほどから意見を述べているのは、40代の精悍な面持ちをした、隻眼の男であった。名をゼイウスと言う。

ヘルヴェティア王国は、人口こそ少ないが、自然豊かで住民も心優しく、平和な国であった。現在の君主であるエスメラルダ2世は、先の女王であるアナスタシア3世の死去とともに40歳で女王位に就いた。

それから2年、女王は、左右の重臣である大賢人・ゼイウスと大元帥・カイザリオン、国内四つの地方の君主であり、王国の枢機卿を兼ねているロードたち、そして国内の勇者たちのリーダーである12人のマスターたちとともに、国の運営に心を砕いてきた。

だが、今回の会議の話題になっているように、2年連続で干ばつと冷夏がこの国を襲っていて、女王の顔も暗かった。昨年は火の月にひと月ぶっ続けで雨が降り、土の月から風水の月まで一滴の雨も降らなかった。しかも、水の月から火土の月にかけての気温も高くならず、国内の穀物生産は例年の3割程度にまで落ち込んでしまった。

今年も火の月に雪が降り、それも1週間続けて吹雪となり、すでに作物が枯死している畑や、農民たちが放棄してしまった畑が目立つようになってきた。今年の生産量は、昨年よりさらに落ち込むことがほぼ確実となったのである。何とかしなければならない。だが…、

「だが、大賢人が言うその文書も、言い伝えに過ぎません。わが王国が建てられて先の王までで26代・800年が過ぎています。その間、何回も災害は襲ってきているではありませんか。今回の災害とこれまでの災害と、どこが違うというのですか」

女王はそう、憂鬱そうに、ゼイウスに訊いた。ゼイウスはニコリともせずに答える。

「畏れながら、私ども相府の者たちは、国に天変地異が起こりそうな時や起こったときには、魔術寮の者たちとともに潔斎の儀式を行って、被害を未然に防ぐ、あるいは最小限にとどめるように努力してきました。しかし、今回の天変は違います。魔術が効かないのです。あるいは星がちゃんと読めれば、何らかの方策が取れるのでしょうが」

「星読師は国内にいないのですか? 魔術師では星は読めないのですか?」

女王は眉をひそめて聞く。ゼイウスは首を振って答えた。

「残念ながら、魔術と星読みの術は違います。星読みの術は12人の星将と28人の神人に精通している者でなければなりません。この国が出来上がる際、高祖オクタヴィア女王を援けた希代の星読師・ヴィクトリウス猊下のような方は、今の世にはおりません」

沈黙が会議を支配した。その重苦しさを破るように、ロード・ネストルが発言した。

「畏れながら、一人だけおります」

全員が、ネストルの老いた顔を見つめる。今年65歳、ロードの中でも最年長の彼は、“下の谷”の君主であり、かつ、首席のロードでもあった。

「私の親友に、ヴィクトリウス猊下直系の子孫がいます。名をセントリウス・ペンドラゴンといい、10年ほど前までは賢者としてこの国に仕えていました。彼は12人の星将を自由自在に扱い、どのような妖魔や勇者にも引けを取らず、天変地異すらも抑えるほどの術者です。現在は蒼の湖の畔に隠棲しています」

「長老、その者の年はいくつですか」

エスメラルダ女王は、ネストルに優しくそう訊いた。

「今年62歳になるはずですが、術は確かです」

ネストルはその精悍な顔を引き締めて、女王に向き直った。

「この災いが、大賢人殿のおっしゃる“大いなる災い”の前触れであるのならば、一刻の猶予もせず、セントリウスをお召しになることです。使者は私が務めましょう」

「今の世に星読師など存在しないと思うが。ヴィクトリウス猊下の話も、800年の時の中で潤色されたものであろう。私はいまだ、12人の星将などを見たことがない。ゼイウス殿の魔術寮に任せておけばよいと思いますが」

ゼイウスと同年で、軍事を司る大元帥のカイザリオンが言う。

ゼイウスも、その言葉に深くうなずいたが、長老たるネストルは、厳しい目を女王にあてたままである。ゼイウスはその不敬をそれとなくたしなめようとしたが、

「星読師が存在するかしないかは、どうでもいいことではないでしょうか」

“花の谷”の君主で、水の魔法のエキスパートであるロード・アルテミスがそう言ってネストルの意見に賛成した。彼女は続けて言う。

「現在の災いが魔術寮の手に負えないものであるということは、私自身、術を使ってみて感じていることです。この災いを軽くし、人々に安息を与える者がいるとしたら、その者の力を借りるべきではないでしょうか」

「私も、人々を救える者がいれば、その者の力を借りればよいというロード・アルテミスの意見に賛成です」

“ウーリの谷”の君主で、火の魔法のエキスパートであるロード・ベレロフォンが、形のいい指で亜麻色の髪をかきあげながらそう言った。

「長老の前ですが、私は、セントリウス殿がお年を召されていることに対して不安を感じます。むしろ、辺境地帯で『辺境の賢者』としてその名が聞こえてきつつあるクリムゾン・グローリィを呼び出すとよいかと思いますが」

「いや、私の見るところ、クリムゾンは虎狼のような男だと思われる。かと言ってセントリウス殿に無理をさせてもつまらないような気がするが」

大元帥カイザリオンはそう言って難色を示した。

「この国のためだ。呼べばよろしい」

突然、今まで黙っていた“上の谷”の君主であるロード・アレスがつぶやいた。そして、珍しくも言葉をつづけた。

「胡散臭いヤツであれば、この俺が叩き斬ってやるだけのこと」

臣下である大賢人、大元帥、そして四人のロードたちの議論を聞いていたエスメラルダは、形のいい唇をキッと引き結んで、ネストルを見た。ネストルは石色の瞳を遠く窓の外に向けている。

――今日もいい天気だ。いや、良すぎる天気だ。これで2か月、雨が降っていない。水の月に魔術寮総出で行った雨乞いで降った雨など、たかが知れている。実質的には土の月からもう4か月は雨が降っていないのだ。

ネストルはそう思って、眉宇を暗くした。そんなネストルを見て、エスメラルダは決断した。

「長老、セントリウス殿をここに連れて来られますか」

★ ★ ★ ★ ★

蒼い湖がある。深い深い色の蒼をたたえた湖がある。

この湖は、干ばつとは無関係のように、命の水をたたえて、鳥や野の動物たちの憩いの場所となっていた。

もちろん、全く影響がないわけではない。よく見ると湖面は通常のところから1フィート(30センチ)程度低くなっているのが分かる。しかし、それでも水がなくならないのは、この湖の底に伏流水の吹き出し口があることと、遠く“青の山地”からの川がいくつもこの湖に注ぎ込んでいるからである。

「今月も雨は降らないと見える」

湖のほとりに腰を下ろし、湖面を眺めていた老人がそうつぶやいた。

――星は確かに今の世が『大いなる災い』へと進んでいることを教えている。星将たちに命じて、北の山を調べさせているが、はかばかしい報告が得られない。

老人は、深く刻まれた眉間のしわをさらに深くして、右手で自分の顎髭を引っ張りつつ、湖を見つめている。

――エンドリウスも心配しているようだな。ハシリウスの力が目覚めれば、少しは何とかなるかもしれぬ。しかし、目覚めの時はまだまだ先のようではある。さて、どうしたものか。

そう考えて、少し口元を緩めた老人は、遠くから聞こえる蹄の音に気付き、ゆっくりと立ち上がって振り向いた。

「ふうむ、ネストル長老か。さてさて、せっかくおいで下されても、語るべきよき知らせが何もないとはつらいことだ」

老人はそうひとりごちたが、それでも近づいてくる騎馬に向かってゆっくりと歩き始めた。

「長老、久しぶりです」

セントリウスは、目を細めてこの古くからの友人を迎えた。ネストルも老顔をほころばせて馬から降りると、セントリウスの手を取って、さっそく本題に入った。

「久しぶりじゃな、セントリウス。早速だが、わしと一緒に王宮へ来てもらえないじゃろうか。この天変を抑えて民の暮らしを救いたいと、女王様はそなたに期待しておられるのじゃ」

ネストルの言葉に、セントリウスは軽く笑って答える。

「私のような老いぼれに、何を期待されますことやら。私に何かできるでしょうか」

「そなたは老いてはいようが、老いぼれてはいないはずじゃ。28神人の声を聴き、12星将を自在に操るヴィクトリウス猊下の再来と言われたそなたじゃ。今回の天変は百年に一度の『大いなる災い』の前触れではないかとゼイウス猊下も心配されておる。ぜひ、この国一等の賢者たるそなたの力が必要なのじゃ」

友の手をきつく握って頼むネストルの熱意を感じ、セントリウスはそれまでのニヤニヤとした笑いを収めて真顔になった。

「ネストル殿、旧友はありがたい仕事を持ってきてくれるものです。私が星を見るところ、この天変は確かに『大いなる災い』の前兆に違いありません。しかし、ありがたいことに小さくはあるが『大君主』の星も見え始めてきています。その星は、大君主はこの王都・シュビーツに現れることを示しています」

「なに、大君主が。それがいずれの者かは分からないか?」

勢い込んで聞くネストルに、セントリウスは首を振って答える。

「まだ星が小さいので、よくはわかりません。しかし、思い当たる人物がいないこともありません。ただ、星を見るに大君主とともにさらに大きな災いが王都を襲うようです。おそらく、目覚める前の大君主を亡き者にしようという邪悪な心を持ったモノが出現するのでしょう。それを避けるためにも、まだその人物の名を明らかにしたくはありません」

ネストルは目を閉じて聞いていた。セントリウスの意見はもっともだ。大君主となるべき者が、大君主にならずにいなくなってしまえば、この国は終わりになる。

「よくわかった。しかし、それならなおのこと、そなたに王宮に来てもらい、災いを避けるために力を貸してもらわんといかん」

セントリウスはゆっくりと辺りを見回して、ネストルに聞いた。

「ネストル殿、私がなぜここに庵を結んでいるかお分かりですか?」

セントリウスは続けて言う。

「この蒼の湖は、王都の主要な水源であり、かつ、王都の北に位置しています。王都を守るべき者は、ここにいたほうがその力を使いやすいのです」

ネストルは黙っていた。

「私が王宮に行くと、ここを守護し、王都を守るものがいなくなります。王都にはエンドリウスもいます。また、大賢人殿もいらっしゃいます。私は、必要なときには王宮へ出向きますので、ここで星を読みつつ、王都を守護したいのです。それに…」

「それに?」

「大君主とともに現れる災いの正体がつかめていません。こんなことは記録を読んでも今までになかったことです。今回の『大いなる災い』は、ひょっとしたら今までのものよりも激烈なものかもしれません。だから、私はここにいて、大君主たるべき者を守りたいと思います」

ネストルは目を閉じて考えていた。セントリウスが王宮に来ないのは残念だ。しかし、彼ほどの賢者であれば、この先に起こるであろうことも見通しているに違いない。ここにいて王都を守ってくれるのであれば、それだけでもありがたいことと考えねばなるまい。

「女王陛下は残念がられるであろうが、そなたの意見はもっともじゃ。むしろ、ここに居て王都を守ってくれるというそなたの言葉を伝えれば、女王陛下も安心されるじゃろう」

ネストルがそういうと、セントリウスはその黒曜石のような瞳を輝かせて言う。

「分かっていただけたらありがたいです。私に御用があれば、ハシリウスに申しつけてください」

「そなたの孫のハシリウスか。彼は今どこにいるのじゃ」

「王立ギムナジウムの寮にいます。わが孫ながら気が利く方ですので、何かのお役には立つでしょう」

セントリウスがそういうと、ネストルは笑って馬にまたがり、

「そなたの孫自慢は聞き飽きたよ。しかし、ハシリウスが並の修習生ではないという噂は聞いている。さすがは筆頭賢者の孫だというもっぱらの噂じゃ。いい孫をもって幸せじゃな」

そう笑うと去って行った。

「ハシリウスか。この災いが始まるのがあと3年遅ければ、ハシリウスも一人前になっているのだが。あとは女神アンナ・プルナ様のご加護を祈るのみだな」

セントリウスは、ネストルを見送りつつそうつぶやいた。

 


起の章 修習生ハシリウスと星将シリウス


王都シュビーツのある『風の谷』は、南北約80キロ、東西約50キロという、南北に長い谷であり、中央やや東側にシュビーツ河が縦貫している。

その平野部の中央にエスメラルダ女王の居城・ヘルヴェティカ城があり、シュビーツの町は城を中心として円形に広がっている。城から2時間も歩くと、どの方角に行っても町並みは途切れ、一面の畑が広がる田園地帯となる。

王立ギムナジウムは、城から東側、シュビーツ河を渡り、町並みが途切れ田園地帯が広がる閑静な場所に建っていた。

校舎は赤レンガ建てで、校門から奥に行くに従って、1階建ての管理棟、3階建ての校舎本館、2階建ての実験棟、体育館と続いていた。

そのほかに、蔵書数十万冊を誇る図書館、武道場、学生食堂があり、王国全土から集まった16歳から18歳までの約600人の俊才たちが不自由なく勉学に打ち込めるような環境をつくりあげていた。

ちなみに、ヘルヴェティア王国のギムナジウムは3年制で、州立のものもあるが、特に王立ギムナジウムは隣接する王立アカデミーの付属学校としても機能していて、国内では断トツの教育環境が備わっていた。

また、王立アカデミーは全寮制であり、寮は学校からさらに東側、『風の谷』の東の端の山の麓に位置していた。

★ ★ ★ ★ ★

ここは、男子寮の一室。日曜の朝9時なのに、ベッドにはまだぐーすかと夢見ている男子がいた。

その少年は、通った鼻筋をしているがどことなくあどけなさも残していて、やや長めの栗色の髪がはらりと額にかかっている。

枕を抱いて眠りこけている姿は…

「どー見てもまだガキだよね~、ハシリウスは」

「でも、かわいいですね❤」

そう言って、ハシリウスの寝顔を覗き込む二人の少女がいた。

一人はくるくるとしたブルネットの瞳をしていて、赤毛のショートヘア。青いジーンズのブルゾンを着て、同じくジーンズのショートパンツをはき、腰に手を当てて呆れている。

もう一人は、おっとりとして銀の瞳を持つ、金髪でロングヘア。ベージュのコーデュロイ地のブルゾンに、ブラウンのロングスカートをはいて、男子寮にいるせいか少し頬を赤らめて、もじもじしている。

赤毛のオンナノコは、やおらハシリウスの耳元で怒鳴った。

「おい、ハシリウス。朝だぞ、起きろ!」

「……」

「ハシリウス、せっかくの日曜だってのに、いつまでも寝てるやつがあるか!」

「う、う~ん、もう何も食べられない」

「かわいい顔して、何の夢を見ているのかしら?」

「ソフィア、のんきなこと言ってないでコイツを起こすのよ!」

「でも、気持ちよさそうに寝ているのを起こすのもかわいそうですし」

ソフィアと呼ばれた少女は、うっとりとハシリウスの寝顔を見つめながら、微笑んでいる。

「か~っ! このままじゃお昼になっちゃうじゃない! それともコイツをほっといて二人でピクニックに行こうか?」

「い、いえ。そんなことはできません」

「そうでしょ? おい! ハシリウスのうすらぼけ! お・き・や・が・れ~~~~!!」

「う~ん、ジョゼの料理はまずいからいらない」

ぶつっ……赤毛のオンナノコの堪忍袋の緒が切れる音が、部屋中に響き渡った。

「夢の中でもボクをバカにするのかぁ、そうか、よ~く分かったよハシリウス」

「ジョゼ、落ち着いて。寝言よ、寝言」

ソフィアはそう言ってジョゼと呼ばれた赤毛の少女をなだめるが、ジョゼは眼を据えてハシリウスの寝顔を睨みつけると、

「こんのネボスケ! 起きやがれ! フォイエル!」

「ふんぎゃ~!!」

呪文とともにジョゼの右手から火の玉が飛び出て、それがハシリウスを直撃した。ハシリウスは悶絶寸前の悲鳴を上げて飛び起きる。そのパジャマが煙を立ててくすぶっている。

「あ、熱う!」

ハシリウスは洗面所にすっ飛んで行くと、折よく汲み置きしてあったバケツの水を頭からかぶった。

ジュウウウウ…

「あ~熱かった…おい、ジョゼ、お前か? こんなキケンな起こし方をしたのは」

ぬれて額にまとわりつく前髪をかき上げながら、ハシリウスは碧色した瞳に抗議の念を込めてジョゼを見つめる。ジョゼは涼しい顔で言い放った。

「顔を狙わなかっただけでも、ありがたく思ってほしいな」

「まったく、これで何着パジャマをおしゃかにしたと思う? あ~まだ背中がひりひりするぞ」

ハシリウスがぬれたパジャマを脱ぎ捨てながら言うと、

「あの、大丈夫ですか? ハシリウス」

おずおずとソフィアがそう言いながら、バスタオルを差し出した。

「あ、ソフィア、ありがとう、相変わらず可愛くて優しいね。ジョゼもソフィアの爪の垢でも煎じて飲めばいいんだ。そしたら少しは…」

「少しは何だっていうのかな? ハシリウスくん? 今日、ピクニックに行く約束をしたくせに、まだ起きていなかったのはどこのどなた様なのかな?」

ジョゼは半眼になって右手をハシリウスに向けている。さっきの魔法――火の玉が飛び出す――フォイエルの構えなのは間違いない。

「…すみません。僕が悪かったです」

「そうそう、分かってくれればいいんだよ、分かってくれればね♪」

「ジョゼがキケンなのは、前からわかっていたことだよ」

ハシリウスは洗面所で着替えながらそう言った。

「にゃにい! まったく君は一言多いんだよ。今度は特大の火焔放射フレーメンヴェルファーを食らわしてやろうか?」

言い合う二人を見て、あっけにとられていたソフィアは、突然くすくすと笑いだした。

「にゃによ、ソフィア。なんか可笑しい?」

キッとなって見つめるジョゼに、ソフィアはかわいらしい笑顔で言う。

「二人とも、仲がいいのね」

「とんでもない!!」

ソフィアの言葉に、思わずハモってしまったハシリウスとジョゼだった。

「ほら、そんなところがとても気が合うのね」

さらに笑うソフィアに、毒気を抜かれたのか、ジョゼはハシリウスに言った。

「ソフィアに免じて、今回の無礼な言葉は水に流してやるから、早く着替えなさいよ。でないとお昼までに『日の出の丘』に行きつかないよ」

「へーい。すぐ着替えるから、玄関前で待っててくれよ」

ハシリウスはそう言うと、二人にニコリと笑いかけた。


「おまた~!」

ハシリウスは、玄関前で待っているジョゼとソフィアに呼び掛けた。

「あんたねぇ、いまさら『お待たせ』はないわよ。さっ、早く行かないと日が暮れるわよ。ただでさえソフィアはホーキに乗るのがお上手じゃないんだから」

すでにホーキに乗って宙に浮いているジョゼはそう言って急かす。

「はうう……すみません」

ホーキを持ったまま、ソフィアがうるうるとする。

「い、いや、別にソフィアのせいじゃないよ。ハシリウスが寝坊するからいけないんだ……って、ハシリウス、それ、何?」

ジョゼは、ハシリウスが抱えたマットのようなものに気付き、目を丸くした。

「ふふ、寝坊したお詫びに、みんなでこれに乗って行こうかなと思ってさ」

ハシリウスはそういうと、マットを地面に広げた。三人が座れるだけの広さは十分にある。

「へえ~、空飛ぶ絨毯か~。初めて見たよ。ハシリウスって意外に気が利くな~」

ジョゼがそう言ってホーキから降りて、さっそく絨毯の真ん中にでんと座った。

「おっといけない★ソフィアを真ん中にしようか。ソフィア、早くおいでよ」

「はい、私のためにこんな風にしていただいて、ありがとうございます」

「気にするなって、どうせ罪滅ぼしだから」

ジョゼはへらへらと笑って、ソフィアの手を取ると、真ん中に座らせた。

「ジョゼ、お前が言うな!」

「男が細かいことを四の五の言わないの! さ、早く行くわよ」

ジョゼがそういうと、ソフィアはハシリウスの肩にそっとつかまって言った。

「ありがとう、うれしいです❤ ハシリウス」

「う、うん。じゃ行こうか。フライ・ウント・マールシュ!」

ハシリウスが呪文を唱えると、マットは生き物のように空に浮かびあがり、東の空へと飛びだした。

「わあ、こういう風に空を飛ぶのもいいもんだねぇ~」

ジョゼが絨毯の上ではしゃぐ。

「なにより、下からパンツを見られないってのがいいな。うん」

ジョゼはそう言ってうんうんとうなずく。

「なんだよそれ、ソフィアのならともかく、お前のパンツなんて誰も興味ないよ」

ハシリウスが言うと、ジョゼはギロッと睨みつけて言う。

「ハシリウス、目的地に着いたらボコる!」

「怖え~。ソフィア、何とか言ってくれ~」

そういうハシリウスに、ソフィアが聞く。

「ちょっと聞きますが、ハシリウスはオンナノコの下着に興味がありますか?」

「え? 何でいきなりそんなことを?」

「いえ、ちょっと気になったものですから…」

ソフィアが真剣な表情で言うので、ハシリウスも思わず真剣に考えてしまった。

「そりゃ~、ああ言ったけど、興味がないって言ったらウソになるよ。ソフィアには悪いけど、男ってそんなもんじゃないのかなあ?」

「そうですか。実は、昨日、私とジョゼの下着が盗まれたんです」

「えっ、マジかよ。ソフィアはともかくとして、ジョゼのを盗っていくなんて、奇特で勇気ある野郎がいるもんだなあ」

「ハシリウス、目的地に着いたらシメる!」

「悪い悪い、ちょっとからかっただけだって。ジョゼフィンさんも、いつもとっても可愛らしくって、目がくらみそうなくらい素敵だよ❤」

あわてて言うハシリウスに、ジョゼはすねた声を出した。

「気持ちが入っていな~い。ソフィアに比べたらどうせボクなんて可愛くないさ(/_;)」

「そ、そんなことありませんよ。ジョゼは明るくて、元気で、素直でとっても可愛いと思います」

「そうだよ、すねるなよ。幼なじみの気安さから言ってるだけじゃんか」

「ならいい(^_^)」

やっとジョゼの機嫌が直り、ほっとしたハシリウスは、さらに二人に聞いた。

「で、そのコソ泥の姿を見たのか?」

「見てたら逃がしはしないよ。女の敵はボコボコにしてやるさ!」

ジョゼが息巻く。

「被害に遭ったのは私達だけじゃないんです。1年生や3年生にもけっこう被害者がいて、先生たちも罠の呪文を仕掛けてくださったのですが…」

「破られたのか!?」

「うん。ポッター校長の術を破るほどの手練れだから、一筋縄じゃいかないね」

「ふ~ん…」

急にまじめになって考え込むハシリウスに、ソフィアがニコリと笑って言った。

「ハシリウス、犯人を捕まえてくださらない?」

「え、なんで僕が? ポッター校長の術を破るほどのヤツだろ? 僕じゃ相手になんないよ」

慌てて言うハシリウスに、ソフィアは、

「いいえ、お母さまから聞きました。ハシリウスはこの国を創り上げた高祖オクタヴィア女王陛下の重臣で、希代の魔術師・ヴィクトリウス猊下の直系の子孫。それに、おじい様のセントリウス様は音に聞こえた賢者様で、さらに、お父上のエンドリウス様も魔法博士で、お城で王宮魔術師たちを束ねていらっしゃいますよね。」

そう言ってハシリウスの背中に額をくっつけた。

「そりゃそうだけど、父上やおじい様ほどの術は持ってないって。買いかぶらないでほしいなあ。きっとガッカリするぞ」

ハシリウスが言うと、さっきから話を聞いていたジョゼがまぜっかえす。

「ハシリウスは、どっちかっていうと捕まえられるほうかもね」

「バカな! アマデウスと一緒にするなよ」

ハシリウスは、同室の男子生徒で、中等部のころからの腐れ縁でつながっている親友であるアマデウスの、にやけた笑い顔を思い出して言った。

「でも、ハシリウス・ペンドラゴン様、お願いできないでしょうか?」

いやに改まってソフィアが言う。こういう時のソフィアにはハシリウスは何故だか逆らえない。

「ほらほら、次期女王様がお願いしているのよ。ハシリウス、頑張らないとねぇ~♪」

ジョゼの言葉に、さらに気持ちが落ち込むハシリウスだった。

★ ★ ★ ★ ★

「…ということだ」

その日の夜、ハシリウスは同室の相棒アマデウス・シューバートに事情を話して協力を願った。

「何だと、こともあろうに、あのきゃわいいソフィア様やジョゼフィンちゃんの、パ、パ、パンツを盗んだヤローがいるってかあ? ゆ、許せん! ハシリウス、一緒にその不埒なヤツをとっ捕まえてやろうじゃないか!」

アマデウスは憤慨し、快く協力をしてくれることとなった。

「とにかく、まずは下見だ」

アマデウスはそう言うと、ハシリウスを引っ張って女子寮の方に向かおうとした。その時、

「あら、ハシリウス君とアマデウス君。こんな時間にどこに行くの?」

という声が二人の背後からした。

「女子寮の近くをうろつくと、下着ドロボーと間違われるわよ」

声をかけてきたのは、二人の担任であるアクア・マリン教諭だった。

「あ、アクア先生、こんばんは」

ハシリウスが言うと、アマデウスがそれを引き取って説明する。

「ぼ、僕たち、ソフィア・ヘルヴェティカ王女様からの直々の依頼で、下着ドロボーを捕まえるために頑張っているんです」

「ソフィア殿下が?」

「はい、ハシリウスが頼まれたので、僕が手伝っているんです」

「ふ~ん…」

アクア教諭は、首を傾げて二人を見つめた。ハシリウスもアクア教諭をしっかりと見つめており、疾しさやウソをついている感じは見受けられなかった。

「確か、ハシリウス君と殿下は幼なじみだったわね」

「は、はい。幼なじみというか、僕が住んでいた町に、ソフィア…王女様が引っ越しされて来られて。ジョゼフィン・シャインと三人でよく遊んでいました」

「そうだったわね。でも、あなた方修習生は勉学が本分です。明日の授業に差し支えない程度にしなさい。女子寮長には私から話をしておきますが…」

アクア教諭はそこでやおらアマデウスを見て、

「あなたたち自身が変な気を起こさないようにね。特にアマデウス君」

「えっ、い、いやだなあ先生、僕は別にのぞきとかしませんよ」

アマデウスはへどもどしていた。

「だったらいいわ。じゃ、危ないことはしないでね」

アクア教諭はそういうと、笑って宿直室の方へ去って行った。

「あ~びっくりした。でも何でオレばっかり言われるんだ」

汗を拭いているアマデウスに、ハシリウスは笑って言った。

「お前は着替えの覗きとかの常習者だからな。よく退学にならないもんだと感心しているよ」

「ハシリウス、お前までこの男のロマンにかける情熱をバカにするのか?」

「男のロマンはいいが、あまりやりすぎると、本当に退学になるぞ」

ハシリウスはそう言いつつ、目の端で何かをとらえた。白銀の犬みたいなものがこちらを見ている。その犬みたいなものは、ハシリウスに何かを語りかけようとしている。

ハシリウスが神経を研ぎ澄まし、その犬みたいなものの声を聞こうとしたその時、

「嫌ああ! 下着ドロボーよ!」

夜のしじまを破って、女子生徒の声がした。

「ハシリウス、行こう!」

アマデウスが駈け出そうとした時、ハシリウスの頭の中で声がした。

『こっちだ、星読師の孫よ。こちらで闇の使いの下僕を捕まえろ!』

「!」

ハシリウスはあわてて辺りを見回した。すると、女子寮の端っこに、ぼうっと闇に光るものがいる。あの白銀の犬だ!

「アマデウス、こっちだ」

ハシリウスはそう言うなり、後も見ずに駆け出した。

「お、おい、ハシリウス!」

アマデウスは、駈け出したハシリウスの意図がつかめず、一瞬出遅れた。しかし、すぐにハシリウスの後を追って駆け出した。

『こちらだ、星読師の孫よ』

ハシリウスが後を追ってくるのを確認した犬のようなものは、そう言うとハシリウスを案内するように駈け出して行った。行き先は裏門のようだ。

「お~い、ハシリウス。待てよ~」

アマデウスの声がするが、ハシリウスはただ一散に犬のようなものを追いかけた。あいつはいったい何者だ? なぜ、僕を…。

ハシリウスの足は速く、アマデウスはとうとうハシリウスの姿を見失ってしまった。

一方、ハシリウスは、学生寮から北側の、かなり離れた丘まで犬らしきものを追いかけてきた。ソイツは丘の中腹に立ち止り、ハシリウスの姿をじっと見ている。よく見ると、それは犬ではなく、白銀に輝く毛皮を持ったオオカミだった。しかも、尻尾が二つに分かれており、額には青い星の印が浮かんでいた。

「待て、お前は何者だ! なぜ人の言葉がしゃべれる。なぜ、僕が星読師セントリウスの孫と知っている?」

ハシリウスは、白銀のオオカミに、そう呼び掛けてみた。すると白銀のオオカミは、声を出してハシリウスに言った。

「私の姿が見え、私の声が聞こえるようになったか、星読師の孫よ。私はセントリウスから頼まれて、お前のことをずっと見ていた者だ。詳しい話は後でする。今は闇の使いの下僕を捕まえることに集中しよう」

「闇の使いの下僕?」

「そうだ。『大いなる災い』を待ち望んでいる奴らだ。お前も星読師セントリウスの孫なら、闇の使徒をやっつける方法くらい知っているだろう。いや、ペンドラゴンの血がお前に教えてくれるはずだ」

「悪いが、僕はただのギムナジウムの修習生だ。そんな方法は知らない」

ハシリウスが答えると、オオカミは鼻で笑って言った。

「ふん、私はずっと、セントリウスの命令でお前のことを見守ってきた。お前にはセントリウス以上の力がある。それはセントリウス自身が言っていることだ。そうでなければ、私も元の姿に戻れない」

「元の姿?」

「そうだ、お前は私の名前を知っている。セントリウスがお前の力を封印した時、私の名も封印されてしまっているのだ。しかし、私の姿が見え、私の声が聞こえるようになったということは、女神アンナ・プルナがお前を必要とする時が近づいたということだ」

「よく分からないが、君が僕を見守っていたということは信じられそうだ」

ハシリウスは、白銀のオオカミにそう優しい目を当てて言った。

「お前はいつもそんな優しい目をする。しかし、闇の使徒と対峙するときはその目を捨てろ! でないと身の安全は保障できない」

オオカミはそういうと、急に毛を逆立ててうなった。

「闇の使徒のお出ましだ。星読師の孫よ、お手並みを拝見するぞ」

オオカミの言葉を聞くまでもなく、ハシリウスの背中にも悪寒が走った。今までに感じたことのないくらいの激しい悪寒だ。

「こ、これは…」

うずくまりそうになるハシリウスに、オオカミが言った。

「来たぞ、ハシリウス!」

暗闇の向こうから漂う妖気の中にいるソイツは、ハシリウスが今まで見たこともない異様な風体をしていた。顔中を包帯で覆っていて、包帯の中に赤く怪しく光る眼がのぞいている。体は牛のように大きく、だらりと下げた両手は地面に届くほど長く、三本の指の先には鋭いかぎ爪が見えた。

脚は短いが太く、そして身体中から妖気を吹きだしている。あの瘴気に取り込まれたら、並の人間では5分と生きてはいまい…。

ソイツは、ハシリウスとオオカミの姿を見つけると、からからと笑って、ぞっとするような低い声で叫んだ。

「おお、闇の帝王・クロイツェン王よ、あなたの贄にふさわしい魔力を持つ者を見つけましたぞ!」

そう言うと、ソイツは眼にもとまらぬ速さでハシリウスの胸を狙って鋭い爪を突き出してきた。


一方、ハシリウスの姿を見失ったアマデウスは、とりあえず女子寮へと戻ってみた。そこには悲鳴を聞いて駆けつけてきたジョゼとソフィアの姿もあった。

「あっ、アマデウス。いいところに来た。この子が下着ドロボーの姿を見たって言ってるんだ」

アマデウスの姿を見つけたジョゼが、そう言って呼び掛けてきた。駆け寄ったアマデウスに、1年生の女の子が、まだ恐怖にひきつった顔で言う。

「とにかく、とっても大きなバケモノでした。顔中を包帯で巻いたゴリラみたいで、目は赤くって大きくって、とっても怖かった」

「そんな化け物が王都に現れるなんて」

ソフィアが眉をひそめて言う。ジョゼは、ふと気が付いてアマデウスに聞いた。

「あれ、ハシリウスは?」

「ハシリウスは、そのバケモノを追って行った。あいつは足が速いから、おいてかれたんだ」

「ええっ! じゃ、ハシリウスは一人でそいつの後を追ってるっていうの?」

「友達甲斐のねーヤツだなあ。ハシリウスに何かあったら、どーすんのさ!」

ソフィアとジョゼが同時に叫ぶ。アマデウスは困ったように頭をかいた。

「とにかく行こう! ハシリウスが心配だ」

ジョゼがそう言って駆け出そうとした時、

「お待ちなさい!」

と、三人をとどめる声がした。

「あっ、アクア先生。お願いです、行かせてください。ハシリウスが危ないかもしれないんです」

ソフィアがそう言って、アクア教諭に頼んだが、アクア教諭はいつになく厳しい顔で言う。

「ソフィア殿下、あなたほどの方が、この闇の妖気に気付かないとは…」

「闇の妖気…ですか?」

アマデウスが聞く。アクア教諭はうなずいて続けた。

「ええ、近年にないほど強い妖気が、学園にまで漂ってきています。すぐにポッター校長に連絡を取り、正規軍団レギオンに出動命令を要請してもらいました。ハシリウス君は私たちが探します。あなたたちは学園から外に出てはいけません」

「でも…」

「分かりました、アクア先生。ハシリウスのやつを早く見つけてきてください」

アクア教諭になおも食い下がろうとしたジョゼを抑えて、アマデウスがそう言った。そしてそのまま寮へと歩き出す。

「おい! アマデウス! ハシリウスを見殺しにするの? 友達甲斐のねーヤツだな」

ジョゼがそう突っかかるのを無視して、アマデウスはホーキ置き場へと向かった。しかし、ホーキはすべて片づけられていた。

「くそっ、アクア先生め、ここまで手を回していたのか…」

悔しそうに舌打ちするアマデウスを見て、その考えを察したソフィアが、明るい声で言った。

「ハシリウスが空飛ぶマットを持っていたはずです」

「そうか、それで後を追えばいいんだ。アマデウス、悪口言ってすまなかった」

素直に謝るジョゼに、アマデウスはウインクして言った。

「今度、デートしてくれれば、許すよ」

「それとこれとは別問題さ。さ、早くハシリウスを見つけよう」


「くそっ! こいつをどうやったら倒せるっていうんだ!」

ハシリウスは、何十度目かの鋭い攻撃を辛くもかわしながらそうつぶやいた。くそっ、おじい様にいろいろと教わったが、肝心のこの時に、何一つとして術を思い出せないなんて!

「フォイエル・ヴィンド!」

やっと隙を見つけたハシリウスが火炎と風の複合魔法で攻撃するが、それはするりとかわされる。そして、化け物の攻撃だ。やってらんないよ!

「まだ目覚めの時は来ないか。星読師の孫よ、加勢するぞ」

オオカミはそういって、化け物に飛び掛かる。しかし、化け物はどれだけ身が軽いのか、オオカミの攻撃もやすやすとかわし、逆にオオカミは化け物の鋭い爪を脇腹に受けて、もんどりうって転がってしまった。

「くそっ、元の姿に戻れたら、これしきの化け物くらい片手で朝飯前なんだが…」

「負け惜しみ言ってる暇があったら、何とかしてくれよ!」

ハシリウスは、化け物の爪を避けながらそう必死で叫ぶ。と、後ずさりしていたハシリウスのかかとが、石につまずいた。

「うわっ!」

思わず体勢を崩したハシリウスに、隙ができた。化け物はその隙を見逃さず、この上なく素早い突きを放った。

「ぐはっ!」

化け物の爪は、ハシリウスの左わき腹を深々とえぐった。あまりの痛みに、ハシリウスは地面に転がってしまった。

「うん、これは素晴らしく上等の血だ。これならクロイツェン王もお気に召すだろう。今までのガキどもの魔力の残滓なぞ、この血に比べれば物の数ではないわ」

化け物は、自分の手についたハシリウスの血を、目を細めてうまそうに舐めあげながら言う。

「下着ドロボーなんて、趣味が悪いぜ。そんなのを集めて何をしたいんだ」

ハシリウスが痛みをこらえてそう言うと、バケモノは赤い目を細めて、楽しそうに言った。

「集めていたのではない、処女の魔力の残滓に用があったのだ。しかし、お前が一人いればもう十分だ。もうすぐ、全世界はクロイツェン王の旗の下にひれ伏すこととなるだろう」

「クロイツェン王? 聞いたことないな」

ハシリウスがつぶやくと、バケモノはおかしそうに笑って言う。

「お前たち人間どもは知らないだろうが、光と闇の間で生れられた神だ。少ししゃべりすぎた、そろそろ息の根を止めてやる。冥途の土産に私の名を教えてやろう。わが名はトドメス。では、さらばだ小僧」

トドメスが勝ち誇ってハシリウスにとびかかり、その爪がハシリウスの首筋を切り裂こうとした刹那、突然、トドメスの顔面に火の玉が炸裂した。

「ぐおっ!」

トドメスが顔を抑えて吹っ飛ぶ。そこにオオカミが飛び掛かり、鋭い牙をむいてトドメスの喉笛を狙って噛み付こうとする。

ハシリウスは、わき腹から滴る血を抑えながら、やっと立ち上がった。

「ハシリウス、大丈夫?」

空飛ぶマットから飛び降りて駆け付けたジョゼが、そうハシリウスに呼び掛ける。さっきの火の玉は、ジョゼのフォイエルだったらしい。

「大丈夫だ、と思いたい」

「大丈夫じゃないじゃない! あいつにやられたの? よ~し、かたき討ちだ!」

ハシリウスの怪我を見たジョゼは、その可愛い顔を朱に染めてトドメスを睨みつけた。ちょうどその時、トドメスはオオカミをぶん投げて立ち上がったところだった。

「覚悟しな! フレーメンヴェルファー!」

ジョゼの火焔放射が炸裂した。しかし、トドメスは涼しい顔で火焔をかき分け、からからと笑った。

「はっはっはっ、小僧だけでなく、小娘も現れたか。おや、小僧とあの金髪の小娘、二人いればわが王の魔力は完全に復活するだろう。わざわざその身を捧げに来たか」

「何寝言言ってるんだい!」

ジョゼは、自分のフレーメンヴェルファーが軽くあしらわれたことで、初めて恐怖を覚えたが、持ち前の気の強さでそう言い放った。

「悪いが小娘、お前には用はない。土の精霊の餌になるといい」

トドメスはそう言って、ドスンと地面を踏み鳴らした。すると、あちこちの地面から黒い影が湧き上がってきた。その影はゆらゆらと人の形をとり、無数の黒いしゃれこうべと化した。

ジョゼの顔が引きつった。膝が震えている。

「ハシリウス、ジョゼ、無事なの?」

やっと地面に降り立ったソフィアとアマデウスがこちらに駆け寄ってくる。

「危ない、来るな! アマデウス、ソフィアを守って逃げてくれ!」

苦しい息の下から、ハシリウスがやっとそれだけを叫んだ。その声に我に返ったジョゼは、ハシリウスをかばいながら、しゃれこうべたちに向かってフレーメンヴェルファーを連続で繰り出した。

「だめ、このままじゃきりがない。何とか逃げ道を探さなきゃ…」

ジョゼは、襲い来る疲れと戦いながらそう思ったが、ついにその魔力が切れる時が来た。

「!」

周りから一斉にしゃれこうべたちが飛び掛かってくる。ジョゼは眼を閉じて、観念した。

「ジョゼ、伏せろ!」

ハシリウスは、ジョゼを抱きしめると、ジョゼに覆いかぶさるように地面に身を伏せた。その上に折り重なるように悪鬼たちが飛び掛かっていく。

「いかん、ヴィンドケッセル!」

ハシリウスたちが悪鬼の海に呑まれ、こちらにも悪鬼たちが向かってくるのを見たアマデウスは、とっさに風魔法の結界を張って、自分とソフィアを守った。

「アマデウス、ハシリウスとジョゼがやられてしまいます。何とか助けないと…」

ソフィアの必死の叫びに、アマデウスは首を振って言った。

「俺たちじゃかなわない。とにかくソフィア姫を安全な場所に連れて行くのが先だ。大丈夫、あの二人は殺しても死なないさ」

「冗談にしては度が過ぎます。友達を見殺しにする気ですか?」

ソフィアが珍しく怒った声を出したが、アマデウスはそれにおっかぶせるように言う。

「お姫様を助けたいというのが、ハシリウスの望みだ。それを守らないと、俺は二度とハシリウスの友達なんて言えなくなっちまう。お姫様、聞き分けてくれ! 俺だって辛いんだ」

「アマデウス…」

ソフィアは、何も言えなくなってしまった。でも、このままじゃ…。

「あなたたち、早く逃げなさい!」

そこに、ギムナジウムからアクア教諭とクラウゼ教諭、イェーガー教諭がポッター校長とともに駆けつけてきた。さっそくクラウゼとイェーガーが得意の火焔魔法で攻撃を開始する。

「あなたたち、無理ばかりして。ソフィア殿下まで何です」

アクア教諭は、生徒が無事なのを見てほっとしたのか、まずそう言った。しかし、ソフィアの言葉で表情が凍りついた。

「アクア先生、まだあの中にハシリウスとジョゼが取り残されています。何とか助けてください」

アクア教諭は、向こうでニヤニヤとしながら赤い目を光らせているトドメスを見た。トドメスとここの間にはすでに厚い瘴気の壁ができている。その中にハシリウスとジョゼがいる!


「くそっ、星読師の孫が俺の名を想い出しさえすれば」

オオカミは、やっと立ち上がると、情勢が非常に不利なことを悟った。ハシリウスの姿が見えない。やられたのか?

「このままじゃ、ハシリウスを殺してしまう。やっぱりまだあいつには無理だったのかもしれんな」

オオカミはそういうと、ひと声凄絶な遠吠えを響かせた。

その遠吠えに答えるかのように、天から無数の遠吠えが聞こえてきた。そして、何百という天狼の群れが、しゃれこうべで埋まりかけている丘に殺到してきた。


――ボク、死んじゃうのかな? でも、なんか温かいな。一度でいいから、死ぬ前にハシリウスにこうして抱きしめてほしかったな。

ジョゼは、ぼうっとした頭でそう考えていた。しかし、オオカミの遠吠えを聞いて、はっと気が付いた。冗談じゃない! このままじゃボクじゃなくてハシリウスが死んでしまう!

「ハシリウス、ハシリウス! 離して、ボクは大丈夫だから! このままじゃハシリウスが死んじゃうよ!」

ハシリウスにしっかりと抱きしめられながら、ジョゼはそう叫んでもがいた。

「だめだ、動くな!」

ハシリウスの声が耳元で聞こえる。思ったよりもまだしっかりしているみたいだ。でも、ハシリウスは絶え間なくしゃれこうべたちから殴られ、蹴られ、叩かれ、そして切り裂かれているようだ。誰か、助けて!

と、ハシリウスを攻撃していたしゃれこうべたちがいなくなった。ジョゼは、動かなくなったハシリウスの身体を何とか押しのけて起き上った。

周りでは、銀のオオカミたちがしゃれこうべたちと戦って、ハシリウスに一歩も近づけまいとしている。逃げるなら今だ!

「ハシリウス、ハシリウス、早く起きて! 逃げよう! ハシリウス!」

ジョゼは、ぐったりとなったハシリウスを懸命にゆすぶったが、ハシリウスはピクリともしない。

「ハシリウス! 死んじゃやだよ! 目を開けて! ハシリウス!」

ジョゼは、ハシリウスを膝枕しながら、泣きながらそう叫んだ。と、その時、雲が晴れて、凄絶なくらい美しい月が現れた。

その月から、一条の光が差し、ハシリウスを包み込んだ。

ジョゼはハシリウスの身体が銀色に輝きを増すのを見て、思わず息をのんだ。

その光景は、ポッター校長やアクア教諭、ソフィアやアマデウスも見た。

「アンナ・プルナ様……」

ソフィアは、いや、その場にいた全員が、天空に現れた女神の姿を見てそうつぶやいた。


――ハシリウス、あなたはこれから必要とされる人間です。目覚めなさい、ハシリウス。そして星をよく読むのです。あなたなら、できるはずです。

ハシリウスは、頭の中に響く優しい声で、ようやく気が付いた。ゆっくりと目を開ける。美しい月が見える。自分を覗き込んで、目に涙をためているジョゼが見える。

――そうだ、僕は、まだ倒れるわけにはいかないんだ。

ハシリウスは、驚きで呆然としているジョゼにニコリと笑いかけると、銀色の光をまとったまま立ち上がった。

「ハ、ハシリウス…大丈夫なの?」

震える声で聴くジョゼに、優しい目でうなずくと、ハシリウスは目に力を込めて、右手を月に向け、左手を地面に向けた。

「光の精霊リヒトよ、地に満ちた邪気を払うため、女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる。“月の波動”ウム・ラント!」

途端に、ハシリウスの身体に溜め込まれていた月の光の力が、波動となって同心円状に広がった。その波動に触れた途端、しゃれこうべたちは一体残らず消し飛んだ。それだけではなく、トドメス自身もその波動につかまり、身動きができなくなってしまった。

「ぐおっ、こ、これは……」

トドメスは、ハシリウスの呪縛から逃れようと身をよじるが、動けば動くほど、その身の自由は奪われていった。

「星読師の孫よ、やっと目覚めたか」

オオカミはそうつぶやくと、ハシリウスの命令を待つかのように目を細めた。ハシリウスは、そんなオオカミを見てうなずくと、はっきりと通る声でオオカミに言った。

「シリウス、とどめだ!」

途端にオオカミは本来の姿を顕現した。長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿…星将シリウスである。

シリウスは、優雅に片手をあげると、虚空から稲妻型の矛を取り出し、鋭い目をトドメスにあてて言った。

「ずいぶんと楽しんでくれたな。ささやかだが、これがお礼だ!」

「げっ! そ、そなたは、闘将筆頭シリウス……」

ズシュッ! トドメスは、シリウスの蛇矛の一振りで、あっさりと真っ二つになって息絶えた。


「やっとお前と一緒に戦える時が来たな、星読師の孫よ」

星将シリウスは、ハシリウスを支えながら、そう言った。

「よく分からないが、僕でいいのか?」

ハシリウスがつぶやくと、12星将随一の闘将は、笑って言った。

「もちろんだ、わが友ハシリウスよ」

「初めて、ハシリウスと言ってくれたな」

ハシリウスはそう言って、気を失ってしまった。

「娘、ハシリウスを頼む」

星将シリウスは、地面に座ったまま呆けているジョゼに目を当ててそう言うと、ハシリウスの身体をジョゼに預けて虚空に消え去った。

「星将、シリウス…」

ハシリウスを膝枕したまま、ジョゼはそうつぶやいた。そして思った。ハシリウスは、私たちの届かないところに行ってしまうんじゃないかなあと。

「でも、ハシリウスはハシリウスだもんね。ボク、いつまでも…」

そう言いかけたジョゼだが、

「ジョゼ、ハシリウス、無事でよかったわ!」

そう言いつつ駆け寄ってくるソフィアやアマデウス、アクア教諭に気が付くと、ハシリウスの寝顔をやさしく見つめてニコリと笑った。


承の章 やって来た旅人


「ねえ、いったいセンセーたち、何を話し合っているのかナ?」

ジョゼが頬杖をついて、前に座ったアマデウスに聞いた。

「だいたい想像つくだろう。俺たちだって昨日の夜のこと、たいがい聞かれたろう?」

月曜日、王立ギムナジウムは朝からずーっと自習だった。

ジョゼやアマデウスら関係者は、ポッター校長先生だけでなく、なんと大賢人ゼイウス猊下、大元帥カイザリオン卿、そして筆頭ロード・ネストル卿などの錚々たる人物が居並ぶ中で、何が起こったのかの詳細を報告させられていたのである。

話の中心は、やはりハシリウスだった。特に、ハシリウスがトドメスから聞き出した『闇の帝王・クロイツェン』のことや、星将シリウスの点に、政府高官たちの関心が集まっていた。そのため、ジョゼやアマデウスが解放された後も、ハシリウスとソフィアはまだ会議室で話を聞かれているのである。

「でも、長すぎるよ。何を一体聞くことがあるんだろう?」

ジョゼがそう言ってふくれっ面をした時、

「ねえ、ジョゼ、ハシリウスがアカデミーに引き抜かれるってホントなの?」

そう、ジョゼやハシリウスとも仲のいい少女が聞いてきた。

「え! 何それ? ボク、そんなこと一言も聞いてないよ! どーいうことさ、ライム」

ジョゼはびっくりしてライムに聞き返す。

ライムは、そのアメジストのような眼を大きく見開いて言う。

「何って…1年生の間で噂になっているのよ。1年生の女子に、ギムナジウムの理事の娘がいて、その子の話なんだけど。ハシリウスの才能をもっと伸ばすため、特例でアカデミーに引き抜いて、ゆくゆくはマスターとして近衛騎士団に配属するか、王宮魔術師としてお城勤めをさせるかっていう話になってるってよ。ソフィア姫のお婿さんにどうかっていう話も出てるって」

「その話、私も聞いたわ」

いつもは口数の少ない、ちょっと冷たい感じのする少女が話に加わってきた。

「ハシリウスくんは、昨日の夜、王宮の魔法博士クラスの魔術師ですらおいそれとは使えない魔法を使ったっていう話じゃない? 何を使ったのかは秘密になっているけど、大賢人様までいらっしゃっているのであれば、おそらく超超S級魔法の『月の波動』や『光の剣』あるいは『闇の沈黙』じゃないかしら」

「そう言えば、ハシリウスが使ったのは『月の波動』って…」

ジョゼが思わずこぼした言葉に、少女はふふんと笑って続ける。

「そう、『月の波動』を使ったの。ということは、ハシリウスくんは女神アンナ・プルナ様のお気に入りってことになるわね。すごいわね、大賢人様ですら使えない魔法を使ったってことは、ハシリウスくんはギムナジウム程度の能力ではないってことよ」

「しかし、そんな魔法の名前、よく知っているよなあ。さすがは秀才アンナ・ソールズベリー女史だよな」

話を聞いて目を白黒させていたアマデウスが、そう言って感心する。

「変なところに感心しないでいいよ! で、アンナはどこでそんな話を聞いたのサ」

「3年女子が噂しているわよ」

アンナは、ジョゼにそう言って、さらにイタズラっぽい目をして続ける。

「私はあまり男の子には興味はないけど、ハシリウスくんは今までもけっこう女子から人気があった方なのよ。今度のことで、いっぺんにハシリウスくんのファンが増えたと思うわ。ギムナジウムは勉学の府って言っても、ここの女子の半数は“玉の輿”狙いであわよくば…っていう手合いも多いから。ジョゼ、ライバルが増えて残念ね?」

ジョゼが赤くなって何かを言おうとした時、ライムが胸の前で手を組んでふざける。

「そう言えば、もう一つ噂が広がってるけど、ハシリウスはアンタをしっかりと抱きしめて悪鬼からの攻撃から身を挺して守ったって言うじゃない。うらやましいわあ、ああん❤ハシリウスさまぁん❤ 私のこともしっかりと抱きしめてぇん❤」

「❤ばっかりつけてしゃべるなー! ハシリウスは優しいから、別にボクでなくてもそうやって助けたと思う。ソフィアがそういう目に遭っていたら、ソフィアを守っていたろうと思うけど」

頬杖をついて話すジョゼに、アンナが言う。

「いずれにしても、それだけの才能を示したハシリウスくんだから、ソフィア姫のお婿さんって線はカタイわね。いいなあ、ハシリウスくんはこれで生涯安泰に暮らせるってものよ。あ~あ、私もそれだけの魔法が使えたらいいなあ」

「でもさあ…」

女子の盛り上がりをよそに、アマデウスがしんみりした口調で言った。

「それって、ハシリウスとさよならしなきゃいけないってことだよな」

「…」

そう聞いて、女子3人はとたんに黙りこくってしまった。

「ボ、ボクは別にかまわない。ハシリウスがそれで幸せなんだったらいいんじゃない?」

腕を組んで言うジョゼに、アマデウスがたたみかける。

「それって、本当に幸せかな? 俺は、ハシリウスと違う別の奴と同室になったら、すごく寂しいと思う。ハシリウスだって、ジョゼフィンちゃんやソフィア姫に気兼ねなく会える生活ってやつがいいんじゃないか?」

「そんなこと言ったって、仕方ないじゃんか。アマデウスのおバカ!」

ジョゼはそう言ってアマデウスに特大のエルボースマッシュを食らわせて、そのまま教室から出て行ってしまった。

「ホント、おバカ…」

「あーんなこと言ったら、ジョゼがかわいそうじゃない」

アンナとライムがあきれて言う中、やっと立ち上がったアマデウスは、鼻血を拭きながら笑った。

「だって、ジョゼフィンちゃんって、すごく不器用だからね、何とかしてあげたいよ。まったく、ハシリウスのバカ野郎にも困ったもんさ」


一方、ハシリウスである。ハシリウスは昨夜のことを詳細に政府高官たちに話をした。

特に、『クロイツェン大王』のことについては、

「トドメスというバケモノは、確かに言っていました。『光と闇の間で生まれた神だ』と。今朝、明け方の星を見て思ったのですが、『大いなる災い』はすぐ近くに来ているような気がします。それを防ぐためには、クロイツェンを倒さねばならないと思います」

そう、自身の所見も含めて、臆することなく言った。

「ハシリウス君、『大いなる災い』については、実は私も同意見だ。それに、君のお父上であるエンドリウス魔術師長や、おじい様である賢者セントリウス猊下もそう言っておられた。相府もそのつもりで対策を講じているから、君たち修習生は心配せず、日々の勉学に励んでほしい」

隻眼の大賢人・ゼイウスはそう言って、さらに続けた。

「ところで、君は星将シリウスを使ったとのことだが、私は今まで星将を見たことがない。正直、星将とは魔法の体系のことで、実際には存在しないのではないかと考えているところなのだ。本当に星将がいるのであれば、ここに呼び出すことはできるかね?」

「お断りします」

ハシリウスはすぐ答えた。そして、あわててたしなめようとするポッター校長の顔をちらりと見て言い足した。

「できないのではありません。仰せのご依頼が興味本位であれば、親友のシリウスを見世物にしたくないのです」

「親友? 星将が親友だというのか?」

「親友です。シリウスがそう言ってくれましたから」

ハシリウスとゼイウスのやり取りを聞きながら、ネストルはセントリウスの顔を想い出していた。この少年は、確かにあの旧友の孫に相違ない。セントリウスも自身の使役する星将たちを、親友として遇していた。血は争えない。

「ハシリウス君、この国に関わることだ。私としても星将の存在をはっきりさせておきたい。ぜひ協力してほしい」

そう言って無理強いしようとするゼイウスに大人げなさを感じながら、親友の孫が必要以上に大賢人の印象を悪くしないよう、ネストルが話に割って入ろうとした時である。

「わが友ハシリウスよ、心遣い感謝する。しかし、星将の存在を知ったうえでこの国の歴史を研究した方が、後々のためになる」

そう言って、星将シリウスがハシリウスの後ろに顕現した。

長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿…星将シリウスの姿を初めて目の当たりにした一同の間から、

「おおう…」と思わず感嘆の声が上がる。とりわけゼイウスとカイザリオンは、夢でも見ているかのような顔をしていた。

「皆はすでにわが友ハシリウスから話を聞いたと思うが、『大いなる災い』を待ち望んでいる奴らがはるか北の国で『クロイツェン』の復活を図っている。わが星将の仲間たちが、セントリウスの命により詳しく調べている最中だ。しかし、今度の『大いなる災い』は、今まで何度か襲ったものとは違うぞ」

シリウスの言葉に、やっと我に返ったゼイウスが聞き返す。

「今までの『大いなる災い』とは違う。星将シリウスよ、どういうことか教えてほしい」

シリウスは、その鋭い目でゼイウスをまっすぐに見つめて言う。

「大賢人よ、今回の災いは、天変地異から人心が荒廃し、それにより王国の危機が来るという生易しいものではない。それだけであれば、星たちの運行による女神アンナ・プルナのご意思によるもので、女神の御心にかなうやり方をとればうまく行く。しかし、今度はそれに闇の力が加わっている。もちろん、それに与する者たちの意思もだ。天災と人災が相互に響きあい、星たちの運行すら変えてしまう恐れがある。そうなると、たとえ女神アンナ・プルナでもどうしようもなくなる」

ざわざわ…。シリウスの言葉が終わると、会議室は当惑のざわめきに包まれた。政府高官やアカデミーの博士たち、そしてギムナジウムの幹部たちも、何とか止める方法はないものかと思案している。

「星将シリウスよ、つまり、われわれは何を、どうすればよいのだ?」

大元帥カイザリオンが、やや青い顔でシリウスに聞く。シリウスは無表情に答えた。

「わが友ハシリウスは、まだ完全に目覚めてはいないが、大君主の素質がある。ハシリウスに期待しつつ、成すべきことを成せばよい。私も、それ以上のことは言えない」

「ちょっ!」

ハシリウスがびっくりして振り返る。

「シリウス、そんなこと僕は聞いていないぞ! 大君主だなんてとんでもない買い被りだ」

シリウスはその瞳にやや優しさを込めて、まるで弟に言い聞かせるように言う。

「わが友ハシリウスよ、われら星将は、たとえ顕現しても人には見ることがかなわない。それが賢者であってもだ。しかし、今、ここに居る人々には私の姿が見えているはずだ。星将は大君主とともにある時は、人前に顕現できる。私のことを感知し、我らを使役するセントリウスですらできないことをお前はやっているのだ。自信を持って精進するがいい」

ハシリウスをはじめ、会議室のみんなが黙り込んだ。重苦しい空気が支配する。

「とにかく、ハシリウスに頑張ってもらうことじゃ。そして我らも努力が必要ということじゃな。星将シリウスよ、感謝する。相手が分かり、今後の筋道が見えただけでも大した収穫じゃ」

筆頭ロードのネストルがそう言うと、

「痛み入る。再び言う。ハシリウスが私を必要とするときは、私はいつでも力を貸せる」

シリウスはそう言うと、隠形に戻った。

「さて、大賢人殿、大元帥殿、われらは今後のことを話さねばなるまい」

ネストルの言葉にゼイウスはうなずいて言った。

「アカデミーの学長、副学長及び教務部長、並びにギムナジウムの校長、副校長及び教務主任はこの場に残ってほしい。そのほかの方々は退出してもらって結構だが、ここで話し合われたことや見たこと・聞いたことは厳に秘密を守ってもらいたい。ハシリウス君、ご苦労だった。姫も授業にお戻りください」


「長かったなあ。僕にばっかり質問があったから、ソフィアは退屈だったろ?」

ハシリウスは、ソフィアと並んで歩きながらそう言った。

「いいえ、私は王女ですから、この国に関係することは何でも知っていなければなりません。それに…」

「それに?」

「それに、ハシリウスのことなら、国のこと以上に何でも知っておきたいのです」

「よせよ、僕のことなんて知れば知るほど幻滅するぞ」

「そうでしょうか? 少なくとも昨日から今日にかけてのハシリウスは、とても素敵です」

「それ以外は素敵じゃないんだ」

「い、いえ。なんと言ったらいいんでしょうか? 子どものころ、ハシリウスはたまにとても不思議な感じがしていました。その意味がようやく今日、分かったような気がして…」

「僕は不思議少年だったか?」

「悪い意味ではありませんよ。ただ、周りの子どもたちとは違っていたのは確かです」

「そうかぁ? 僕から言わせれば、ジョゼの方がずっと変わっていたと思うけどなぁ…ところでソフィア」

「何ですか?」

「僕たち、なんか見られていないか?」

ハシリウスの言葉で、ソフィアは周りを見てみた。確かに教室という教室から二人を覗き見る生徒たちの視線を感じる。

「そうですね…困りました。昨日のこと、きっと噂になっているんですね」

「噂は時に尾ひれがつくからなあ、トンデモナイ話になってたりして」

「あり得ます。でも、何があったとか、何を聞かれたとかは秘密ですよ?」

「ジョゼにもか?」

「二人だけの秘密にしたいですけど…」

「分かった。今日の話では国の未来に関わることもありそうだし、ギムナジウムの一生徒である僕があれこれ推測で言うべきではないからね。ソフィアと二人だけの秘密だ」

教室の前で、ハシリウスがそう言ってドアを開けた。ドアが開く音で、ソフィアの声はかき消された。

「うれしいです、ハシリウス」


「よう! お二人さん! 話はどこまで進んだ?」

教室に入ったハシリウスとソフィアに、真っ先にアマデウスがそう聞いてきた。

「進んだって…何のことだ?」

ハシリウスがきょとんとして尋ねると、アマデウスはハシリウスの肩を抱き、そのにやけた顔をずいっとハシリウスに近づけた。

「ま~たまたぁ~★ と~ぼけちゃってぇ~♪ ソフィア姫との結婚についての話だったんだろ?」

「なっ!」「ち、違います!」

ハシリウスとソフィアは、同時に叫んだ。ソフィアの顔は一瞬で耳まで真っ赤になっている。

そこに、ライムが近寄ってきて、ソフィアに聞いた。

「ハシリウスはアカデミーに引き抜かれるの?」

「えっ?」

「だって、学校中の噂よ。ハシリウスがアカデミーに引き抜かれて、ソフィア姫とのご成婚も決定したって。今、政府のお偉いさんとアカデミーの先生方とうちの学校の先生方で、二人の新居をどこにするかもめてるって」

――じゃ、ソフィア、僕はこれからアカデミーだから、ソフィアもしっかり勉強するんだぞ。

――ええ、ハシリウスも研究、がんばってね。ハシリウス、どうして行かないの?

――何か忘れているだろ。

――ハンカチもお財布もカバンに入れてるけど…。

――違うよ、行ってきますのキスを忘れているだろって言ってるんだよ。

――え…。

「…もう、ハシリウスったら…」

ソフィアは顔中真っ赤にしながら、思わずハシリウスとの『新婚生活』っていうのを想像してしまった。だめ、想像が止まらない…。

「も、ものすごい噂だな…本人たちの都合ってのが吹っ飛んでるぞ! ないない、僕がアカデミーなんてない!」

ハシリウスは顔を赤らめながら、必死に否定する。

「姫との結婚については否定しないのね」

アンナが静かに鋭く突っ込む。

「ソフィアの前でなんだけど、そんな話は出ていない!」

「じゃ、話が出たらOKするのね」

アンナがさらに突っ込んでくる。

「…ソフィア、何とか言ってくれ」

ハシリウスがソフィアに助けを求めて振り返ったとき、ソフィアは想像(妄想)の中にいた。両手を頬にあて、顔を真っ赤っかにして、くすくす笑いながら、なんか…悶えてる…。

「…ソフィア姫、どうしたの?」

あまりにソフィアらしくない光景に、思わずアンナが引く。

「…なんか、妄想が大暴走してるらしい…たまにソフィア、こうなるんだ…」

ハシリウスには、子どもの時から慣れているソフィアの癖だが、ギムナジウムに入ってからこれほどの暴走は初めてだ。よっぽどすごい妄想なんだろうなあ…とハシリウスは思いつつ、

「わりぃ、アマデウス、ライム、アンナ女史、僕ちょっとソフィアを医務室に連れて行ってくるよ」

そう言いつつ、ソフィアの肩を抱いて教室から退散した。人気のない廊下までソフィアを連れてくると、

「ごめん、ソフィア」

そう言いながらハシリウスはソフィアの両頬を指でつまんで引っ張った。

「ふえっ!?」

ソフィアはそう叫ぶと、やっと想像から抜け出した。ボーっとしている。

「私、何か恥ずかしいこと言いました?」

「いや。今度はどんな想像してたんだ? 久しぶりだから慌ててしまったぞ」

「…い、言えません。そんな恥ずかしいこと…」

顔を赤くするソフィアを困ったように見つめてハシリウスは、笑いながら言う。

「話せないなら話さなくていいんだよ。でも、あんまり想像の中に入り込むなよ。ソフィアのイメージってのがあるんだから。アンナ女史なんてドン引きしてたぞ」

「すみません、心配かけてしまって…」

「いいさ別に。さ、教室に戻ろう」

教室に戻ったハシリウス達は、自分たちの席についた。ふとハシリウスが見ると、ジョゼの席が空いている。思わずハシリウスは立ちあがって、教室にジョゼの姿を探した。

「ハシリウス、何キョロキョロしてるんだ?」

アマデウスが聞いてくる。

「ジョゼの姿が見えないんだ。僕らより先に会議室を出たろう?」

「そのことか…」

アマデウスは人差し指で頬をかきながら言う。

「さっきのお前たちの噂を聞いて、ショックで教室を飛び出したんだ」

「なに? いつごろだ?」

「もう30分くらいになるかな…」

「…おれ、ちょっと探してくる」

「そうか、センセーにはなんて言う?」

「頭痛って言っててくれ」

「了解、うまくやれよ」

アマデウスはニコリと笑うと、ハシリウスの肩をポンとたたいた。


カランカラン…カランカラン…

午後の授業が始まった。アクア教諭はいつものように教室に入ると、ぐるっと生徒たちを見回した。

「センセー! ハシリウスくんは、せいりつ…ぐはあっ!」

アマデウスは皆まで言い終わらないうちに、アクア教諭の風魔法・ヴィンドファウストでぶっ飛ばされた。

「アマデウス君、あなたはホント、元気がいいけどお茶目さんなのが珠にきずよね。ジョゼフィンさんの姿も見えないけど、デートかしら?」

「センセー、ハシリウスくんはジョゼが教室から出て行ったので、探しに行ってるんです」

アンナがそう言うと、アクア教諭はふか~いため息を一つついて、生徒たちを見回した。

「ハシリウス君とソフィア殿下についての、好ましくない噂が流れているのは知っています。校長先生も、無責任な噂に興味を持ち、人の心を傷つけることがないようにと注意されていました」

アクア教諭はそう、みんなに聞かせるように言う。しかし、生徒たちは抑えに抑えてきた好奇心が留められず、次々と質問した。

「センセー、ハシリウスがアカデミーに引き抜かれるっていうのは本当ですか?」

「センセー、ハシリウスくんとソフィア姫が結婚するって本当ですか?」

わいのわいの……。教室の中はさながらハチの巣をつついたような騒ぎである。

額に“怒”マークを表してじっと耐えていたアクア教諭は、ついに怒りを爆発させた。

「え~い、静かにせんか~い!」


「やっぱりここに居たのか…心配したぞ、姿が見えなかったから」

ハシリウスは、学園と寮の途中にある小高い丘の中腹、春には桜が咲き誇り、ヘルヴェティカ城まで見渡せる場所で、膝を抱えて座っているジョゼを見つけてそう言った。

「あ、ハシリウス…もう事情聴取は終わったんだ…授業はどうしたのさ?」

「ジョゼと一緒さ、自主休講…アクア先生から怒られるなあ」

ハシリウスはジョゼの隣に腰を下ろしながら、笑って言う。

「あの、ハシリウス…」

「ん? なに?」

ジョゼは、ハシリウスの方を見ないで、わざと陽気に続けた。

「ア、アカデミーに行くんだろ? よかったね、おめでとう」

「ジョゼ、それは…」

「ソフィアとも結婚するんだって? よかったじゃないか…ハシリウス、昔からソフィアのこと好きだったもんね。オメデト★」

「だから、それは…」

「ソフィアは責任感が強いから、女王になったらハシリウスのことばかり見ていられなくなると思うよ。でも、ソフィアってけっこう傷つきやすいタイプだし、しっかり支えてあげないとだめだよ」

「違うんだ!」

取り留めなく話をするジョゼの言葉をさえぎるように、ハシリウスは強い口調で言った。

「はあ…いつまでも幼なじみのままでいられればいいのに…」

「ジョゼ、こっちを向いて!」

ハシリウスはジョゼの肩に手をかけ、こちらに振り向かせた。ジョゼは反抗するでもなくこちらを向いたが、目線はハシリウスと合わせようとしない。その目は真っ赤になっていた。

「ボク、また独りぼっちになっちゃうな…」

「いいか、ジョゼ、僕がアカデミーに行くとか、ソフィアと結婚するとか、無責任な噂が流れているが、気にするな。それはあくまで噂で、そんな話、僕自身も全然知らないんだから」

「え…?」

ハシリウスの言葉で、初めてジョゼはハシリウスの顔を見た。ハシリウスは微笑んでうなずき、優しい声で続けた。

「嘘なんかつかないぜ。本当にそうなら、慰めなんて言わないさ。好きなだけ泣かせてやるよ。でも、噂でジョゼの心が傷ついたのなら、その噂は嘘だって僕自身が伝えないといけないって思ったのさ。ソフィアもきっとそう思っているし、幼なじみのままでいつまでもいたいって思っているはずさ。僕だってそうだもの」

ジョゼは肩の力を抜いた。みるみるうちにジョゼの瞳がうるんでいく。ハシリウスはその涙をそっと指で拭った。

「…そ、そんなことだと思ってたんだ! だいたい、ソフィアに似合いのオトコノコってゴマンといるはずじゃん! 女王様もなにを好んでハシリウスなんかと結婚させるのかなってフシギに思っていたんだ」

涙を流しながら強がるジョゼに、ハシリウスもわざと陽気に言った。

「言っとくけどな、オレってジョゼにもソフィアにもお似合いだと思うぞ。だてに10年以上も幼なじみをやってないからね」

そして、何かを思い出したように、じっとジョゼを見つめた。

「な、何だよ。ボクの顔に何かついてる?」

「いや、昨日の夜のこと想い出してたんだ」

「なんだよ…」

「ジョゼっていつの間にか甘い香りがするようになったなあって」

「う…」

みるみるうちにジョゼの顔が赤くなっていく。

「それに、ジョゼの身体って、抱き心地よかったなあって」

「ハシリウスのアホ~! スケベ~!」

調子に乗ったハシリウスに、ジョゼは必殺のフォイエルを叩きこんだ。


「…今回は、ジョゼフィンさんを思いやった行為として大目に見ます。でも、何度も言いますが、あなたたち修習生の本分は勉強です。それは忘れないように。以上」

ギムナジウムの職員室で、ハシリウスとジョゼはアクア教諭から長~いお説教を食らっていた。でも、アクア教諭の目は優しく、そして今にも吹き出しそうに見えた。

それもそのはず、ハシリウスの栗色の髪は焼け縮れ、制服もあちこちが焦げていたし、ジョゼはジョゼでウサギのように真っ赤な目を腫らしていたからである。

「はい、すみませんでした。アクア先生」

二人がそう言って職員室から出て行こうとした時、アクア教諭はハシリウスを呼び止めた。

「ハシリウス君、ちょっといいかしら?」

「はい、何でしょうか先生」

ジョゼは気になって出て行こうとしない。明らかに心配の表情を浮かべている。そんなジョゼを思いやり、ハシリウスはアクア教諭に聞いた。

「先生、ジョゼが聞いてはまずい話ですか?」

ハシリウスの言葉に、アクア教諭はにっこりとしてジョゼに言った。

「ジョゼフィンさん、アカデミーとか結婚とかの話ではなくてよ。安心したら教室に行きなさい」

「はい★」ジョゼは明らかにほっとして、元気よく返事すると教室へと帰って行った。

「さて、ハシリウス君」

「はい?」

アクア教諭はニコリと笑うと言った。

「実は、あなたをアカデミーにという話があったのは事実です。また、ソフィア殿下との婚儀の話も、まんざら嘘ではありません」

「え?」ハシリウスは心からびっくりした。お偉いさんって、人の都合なんかほんっと、考えちゃいないなあ。

「しかし、あの後、セントリウス猊下が学校に見えられて、あなたのことについて意見具申されました。その意見具申を女王陛下が取り入れられたのです」

ハシリウスはうなずいた。おじい様がどんな意見具申したのかは、だいたい察しが付く。

「セントリウス猊下は『ハシリウスには、まだ友達とのふれあいの中で学ぶことがたくさんある』ということと、『結婚は、ハシリウスの能力を見極めてからでも遅くない』ということでした」

――やっぱり。

ハシリウスは心の中でそう思った。と同時に、セントリウスに感謝した。

「ですから、あなたはわが王立ギムナジウムの生徒であることに変わりはありません。ただ…」

アクアは心底嬉しそうな表情で続けた。

「あなたの能力を、大賢人様がとても高く評価され、アカデミーと王宮への出入り自由ということになりました。こんな生徒はギムナジウム始まって以来のことです。私もとても光栄に思います」

「そして、大賢人様じきじきに、君に『王宮魔術師補』の官職と『魔導士』の階級を与えられた。ハシリウス・ペンドラゴン君、君はわがギムナジウムの誇りだ。しっかり頑張ってほしい」

いつの間にか、ポッター校長がやってきて、ハシリウスにそう言いながら魔導士証明書と王宮への出入りに使うマジックカードを手渡した。

「ありがとうございます」

ハシリウスは感激してそう答えた。

 魔術師にはいくつかの階級がある。階級は下から『修士補』『修士』『上級修士』『高級修士』『修士長』『魔導士』『上級魔導士』『高級魔導士』『魔導士長』『博士・賢者』の10階級あり、ギムナジウム入学時に全員が『見習』資格を取得する。

ギムナジウム卒業時に、魔力の強さによって『修士補』または『修士』の称号が贈られ、アカデミーを卒業すれば、『上級修士』の階級が贈られる。

魔法で何らかの仕事に就きたいのならば、少なくとも『上級修士』クラスでないといけないが、その数はあまり多くない。なんせ、ギムナジウムのポッター校長ですら『高級魔導士』であり、アクア教諭は『修士長』になったばかりなのだ。

何にせよ、今のハシリウスにとっては、“王立ギムナジウムにいられる”ということが最高の知らせだった。階級や官職については、大賢人ゼイウスの深慮遠謀があったのだが、それについては後々明らかになる。


「何だったんだい? アクア先生の話は」

教室に戻って帰り支度を始めたハシリウスに、ジョゼとソフィアが聞いてきた。いや、アマデウスやライム、アンナも心配していたのだろう、みんな放課後だというのにまだ残っていた。

「ギムナジウムに残っていいってさ」

「よっしゃ! これでお前と別れなくて済むな。改めてヨロシク、ハシリウス」

アマデウスはそう言って握手しに来た。ハシリウスはにこにことして握手に応えた。

「じゃ、おれは先に帰っておくぜ。ライムちゃん、アンナちゃん、一緒に帰ろう❤」

「私たち、途中で寄るとこあるから…」

そう言って帰ろうとするアンナたちに、アマデウスは

「あんみつ食べようよ~。俺、おごるから~」

そう言って二人を追っかけて出て行った。

「あーあ、今日は心配してソンした。ハシリウス、何かボクにおごってくれないかなあ」

ハシリウスはにこっと笑って、ソフィアを振り返ると言った。

「じゃ、僕たちも甘いもんでも食べて帰ろうか」

「さんせ~い♪」

真っ先に駈け出したジョゼを見て、ソフィアが笑って言った。

「ジョゼが元気になってよかったです」

「まったくだ。あれが元気がないと、こっちまで気が滅入っちまう」

ハシリウスは腕を上げ、カバンを頭の後ろに回して背伸びしながら言う。

「ところでハシリウス、おめでとうございます」

「ん?」

「ハシリウスなら魔導士としても恥ずかしくありません。それに、アカデミーでの研究も、今後の役に立つことでしょう」

「知ってたのか?」

ソフィアはくすっと笑うと言った。

「前にも言いましたよ? 私はハシリウスのことなら、国のこと以上に知っておきたいんです」

「なんだかなあ、ソフィアに見張られているみたいだ」

「そんなことはありません。そんなことはしませんけど、とにかく、私がいるときはお城にも遊びに来てください」

「ジョゼを連れて行ってもいいかな?」

「私がいるときは構いませんよ…構うときもありますが…」

「ん?」

「何でもありません」

そんな二人に、ジョゼが向こうから声をかけてきた。

「お~い、二人とも~、おいてくよ~」

「おう、待っててくれ。すぐ行くよ」

ハシリウスはそう大声で答えると、ソフィアに言った。

「行こうか」

「ええ」

★ ★ ★ ★ ★

「ふう、風が気持ちいいなあ」

「本当ですね。秋空で天も高いですし、気持ちのいい日です」

「ボクは天がどうのよりも、お弁当がおいしかったなあ」

「そうだな。ご馳走様でした」

秋晴れの土曜日、幼なじみ三人組は、ハシリウスの魔導士昇格を祝って、『風の谷』で最も神聖な場所と呼ばれている『風の扉』という野原に来ていた。

「何から何まで、ソフィアやジョゼに世話になったね。ありがとう」

ハシリウスがそうお礼を言うと、ジョゼがくすぐったそうに笑う。

「ボク、いつも悪口は言われ慣れてるけど、ハシリウスからお礼を言われるなんて、くすぐったくてたまらないや」

「何だよ、せっかく人が素直な気持ちを表しているのに」

「だって、ハシリウスったら、いっつもボクになんて言ってる? 『女らしくない』とか『ガサツだ』とかしか聞いたことないから、鳥肌が立っちゃった」

そう言って笑うジョゼは、いつも見慣れているジョゼとは少し違って見えた。

「何、ハシリウス? ボクの顔に何かついてる?」

ジョゼがソフィアに意味ありげに目配せしてそう言う。ハシリウスは首をかしげて言った。

「いや、なーんかジョゼがいつもと違うような気がして。気のせいかな?」

「違うって、どこが違うんですか?」

ソフィアがハシリウスに聞く。心なしかその言葉は少し意地悪そうだ。

「う~ん…」

ハシリウスはじっとジョゼを見つめる。ジョゼはだんだんくすぐったくなってきた。

「ハシリウス、早く答えてよ。そんなに見つめられると、恥ずかしくなっちゃうじゃないか」

ハシリウスはふっと空を見つめた。そして、突然気づいた。そうか!

「ジョゼ、化粧をしているな? 珍しいな~、どうした風の吹き回しだ?」

その言葉を聞いて、ジョゼとソフィアは顔を見合わせて笑った。

「すごいわ、ハシリウス。ちゃんと気づいたわね」

「気づかなかったら、オシオキしてやろうと思っていたよ。こっ恥ずかしい思いしてお化粧してきたんだもん」

「そりゃ~気づかないでか! でも、マジでどうしたんだ? 好きな人でもできたか?」

「ドンカンなハシリウスには、教えてあげないよ…でも、おかしいかな?」

「おかしいというより、不気味だ」

「にゃにおう! この麗しき乙女に、言うに事欠いて『不気味』だとお!」

「いや、普段、化粧なんかしないじゃないか。だからそう思うんだ。似合うか似合わないかって聞かれたら、似合うよ。意外に」

「だから、君はいつも一言多いんだ。『似合うよ』で止めとけば、ボクももっといい気分でいられるのに」

言葉でじゃれあう二人を見ながら、ソフィアは初めてハシリウスと出会った日を思い出していた。

――あれは、私が生まれたフローラヴァルデンから、じいやの都合でウーリヴァルデンに引っ越した年だから、もう11年も前になるのね。まだ6歳だった私は、友だちもいなくて寂しい思いをしていたけれど、ハシリウスが話しかけてくれた。

『ねえ、どうしてみんなと遊ばないの?』

ハシリウスは、もじもじしながらも、砂場で一人遊んでいたソフィアにそう声をかけた。

『遊びたいけど、遊んでくれないの』

ソフィアはそう言いつつ、砂の山を崩しにかかる。

『一人じゃ、つまらないだろ? 僕たちと遊ぼうよ』

『じいやから、怒られるもん。知らない人と遊んじゃいけないって言われているから』

『ふ~ん、王女さまって、大変なんだね。友だちとも遊べないなんて』

『え、どうして私が王女だってわかったの?』

『だって、君、とっても可愛いもん。僕の友だちにも君みたいに可愛い子いないよ。父さんたちが、今度、王女さまが僕たちの谷に越してきたって言っていたし』

『可愛いなんて、そんなでもありません』

ハシリウスは、頬をぽっと桜色に染めるソフィアをみて、自分も顔を赤くした。

『じいやって、ひどいね。僕がじいやと話をしてあげようか?』

ソフィアは首を振って言った。

『じいやだって、私のためを思って言ってくださるのですから』

『ふ~ん、ソフィアって優しいんだね』

『え?』

『君の名前、ソフィアっていうんだろ? みんな知っているよ』

『それで、あなたの名前は? 教えてくださいませんか』

『僕は、ハシリウス。ハシリウス・ペンドラゴン』

『ハシリウスさんですか、いい名前です』

『ハシリウスでいいよ。だって僕たち、もう友だちだろ?』

『え? そ、そうですね。ありがとうございます、ハシリウス』

――ハシリウスのおかげで、私はたくさんの友だちができた。じいやもハシリウス・ペンドラゴンの名前を言うと、『その子とは遊ばないように』とは言わなかった。じいやは知っていたんだ。ペンドラゴン家のことを。

思い出に浸るソフィアの神経に、何かが引っ掛かった。ソフィアははっとして辺りを見回す。

「どうした? ソフィア?」

ソフィアの挙動を見て、ハシリウスがそう呼び掛ける。ジョゼも不思議そうに聞く。

「変な感じがするの?」

「ええ、ハシリウスが闇の使徒をやっつけたあの夜の感じに似ているの」

「でも、ここは『風の谷』の聖地だよ? 闇の使徒なんて入って来られないんじゃないかな」

そう言うジョゼの声を聞きながら、ハシリウスは眼を閉じて神経を張りつめた。北側の疎林から視線を感じる、これは…

「ソフィア、ジョゼ、ストーンヘンジまで逃げろ! 奴らの気配だ!」

ハシリウスはそう叫ぶと立ち上がり、自分は北側の疎林に向けて駈け出した。

「ハシリウス!」

ジョゼとソフィアがそう叫ぶのに振り返り、

「僕は大丈夫だ。ストーンヘンジの中にいれば、精霊たちが守ってくれるはずだ。僕もすぐ行く」

そう言うと、目を閉じて胸の前で軽く手を合わせた。

「悪しき者はその身を現せ、ヴィンドファウスト!」

ハシリウスの手から、風のかたまりが矢のように飛び出て、疎林へと吸い込まれた。と同時に、疎林から二人のバケモノが飛び出してきた。一人は顔が二つ、手と足が四本ずつで、もう一人は顔は一つだが手が八本、足が二本であった。

「わしらの気配をよう感じ取ったの。さすがは大君主とほめてやる」

二面のバケモノがそう言うと、もう一人は、

「しかし、小僧じゃないか。こんな小僧にトドメスはやられたのか。情けない」

そう言うと、ハシリウスにニヤリと笑いかけた。

「小僧、今日は貴様の命日だ。このロムルスとレムスが、貴様の首をクロイツェン王に捧げて差し上げよう。いくぞ、レムス!」

ロムルスはそれぞれの手に槍や刀を持ち、レムスは二本の腕で弓矢を、残り二本で剣と盾を操りながら、ハシリウスに飛びかかってきた。

ハシリウスは、一度トドメスと戦ったことで落ち着きが出ていた。

『むやみに魔力を使ってもだめだ』

そう思ったハシリウスは、飛びかかってくる二人をかわしざま、地面から石を拾い、したたかに二人の顔面に叩きつけた。

「ぐおっ」「ぐへっ」

ロムルスとレムスは、顔をおさえて倒れこむ。その隙にハシリウスはストーンヘンジへと走った。

「おのれ、小僧。味な真似を」

ロムルスは立ちあがると、ドスンと地面を踏み鳴らして言った。

「闇の使徒の下僕たちよ、ポーンよ、出でよ!」

すると、あちこちの地面からゆらゆらと黒い影が立ち上り、黒いしゃれこうべと化した。

「ポーンたちよ、狙うは大君主のみ。かかれっ!」


一方、ソフィアとジョゼは、ストーンヘンジの中から、ハシリウスがこちらに一目散に走ってくるのを見ていた。ハシリウスの足は速いから、ポーンたちにつかまることはないだろう。しかし、闇の使徒がこの結界内に入って来られないという保証はない。ハシリウスが戦いやすいように、ポーンを二度と出せなくする方法があれば、それをやってみるしかない。

「でも、どうやって?」

ジョゼが訊くのに、ソフィアが答える。

「私、調べてみました。多分あのポーンは、土の精霊の怒りや悲しみという感情を集めて作られているものだと思います。とすれば、精霊マナの気持ちを安らかにすれば、二度とあのようなバケモノは現れません」

「じゃ、早くやろうよ」

「それが、一度あのバケモノたちを一掃した後でないと、マナに私の声が届かないんです」

「じゃ、ハシリウスにやってもらおうよ」

ジョゼがそう言った瞬間、ハシリウスがストーンヘンジに駆け込んできた。

「ハシリウス、あのね…」

ジョゼとソフィアは、二人で話していたことをハシリウスに説明した。ハシリウスはうなずいて、

「やってみよう。あとの二匹については、あの雑魚どもを片づけてから考えよう」

そう言うと、目を閉じ、息を整え始めた。ポーンたちはぐんぐんと迫ってくる。

ハシリウスは、右手を空に、左手を地面に向けて、

「光の精霊リヒトよ、地に満ちる悪しき者どもを除くため、女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる…」

そう言う間に、ハシリウスの身体が銀色に輝き始めた。そして、ハシリウスが

「“月の波動”ウム・ラント!」と叫んだとたん、ハシリウスの身体に溜め込まれた光の力が同心円状に広がりつつ、群れ来るポーンを一掃した。

「今だよ! ソフィア」

ジョゼの叫びとともに、ソフィアは

「土の精霊マナよ、この地は御身の聖域、御身の加護を求める人々が集う地なり。しからば御身の怒りと悲しみを、我らも共にす。心を鎮め、ともに喜びの歌を歌わんことを。アース・スリーピング!」

そう呪文とともに、握りしめた土の精霊の力を解放した。とたんに『風の扉』一帯が光り輝き、不思議な波動を呼び起こし始めた。

「くそっ! ガキどもめ、思ったよりやるな」

ロムルスとレムスはそう言うと、天に向かって叫んだ。

「わが眷属よ、出でよ!」

すると、いずこからともなく刀を持った悪鬼たちが姿を現し、ハシリウスたちの周りをぐるりと取り囲んだ。さすがに悪鬼たちは精霊の聖域に入って来ることはできなかったが、ストーンヘンジの石を刀でガリガリと削り始めた。

「いかん、このままじゃ結界がなくなるし、聖域を守るこのストーンヘンジも機能しなくなる」

ハシリウスがそう思った時、悪鬼たちが束になって吹っ飛んだ。

「シリウス!」

ハシリウスが叫ぶと、蛇矛を持ったシリウスが顕現した。長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスは、蛇矛をふるいつつ、悪鬼たちを吹っ飛ばしている。

「わが友ハシリウスよ、雑魚は引き受けた。あいつを倒せ!」

「えっ…」

戸惑うハシリウスに、シリウスは言う。

「お前の力は、“月の波動” 程度ではないはずだ! 心を女神アンナ・プルナに預けよ!」

「くそっ! させるか!」

ロムルスとレムスは、その刀をストーンヘンジの結界に差し込んだ。バチバチッと火花が飛ぶが、さすがに吹っ飛ばないところが雑魚とは違う。

「ハシリウス」

ソフィアもジョゼも、今はハシリウスだけが頼りである。二人の不安そうな瞳を見て、ハシリウスは決心した。目を閉じる。心を女神アンナ・プルナに集中する。バチバチっという結界が壊れそうになる音も、ジョゼやソフィアの不安そうな声も聞こえなくなる…。

「ハシリウス」

ジョゼもソフィアも、ハシリウスの後ろに隠れながら震えている。何とかして、ハシリウス!

ハシリウスは、忘我の境地の中、女神アンナ・プルナの優しい声を聴いていた。

――助けたい人は、誰ですか?

『ジョゼとソフィアです』

――守りたいものは、何ですか?

『風の谷の聖地と、精霊たちのふるさとです』

――あなたは、私の力を必要としていますか?

『はい、女神さま』

――あなたが今のまま正しい心を持ち続ければ、望むことは何でもできるでしょう。

『分かりました。ありがとうございます、女神さま』

「アン、ヴィントヴァルデン、ウント、フューア、」

ハシリウスは、呪文を唱えつつ右手をゆっくりと天に向けた。その指先に、光が集まってくる。呪文が進むにつれて、ハシリウスの体は金色に輝き始める。その光を受けて、ロムルスもレムスも動きが取れなくなっていた。

「リヒト、ユィーバー、アルバイテット、」

ハシリウスはゆっくりと目を開き、指先をロムルスとレムスに向ける。

「くそっ、何だこれは! アスラルめ、俺たちを瀬踏みに使ったな! 待て、大君主、待ってくれ!」

ロムルスとレムスは最後のあがきを続けている。しかし、ハシリウスは眉一つ動かさずに呪文詠唱を終えた。

「アム……“光の剣”イム・ルフト!」

その途端、金色の光がロムルスとレムスを刺し貫き、その光は疎林にあった魔界の扉をも粉砕してしまった。

まばゆい光が収まり、気を失ったハシリウスを介抱するジョゼとソフィア、そして辺りを警護している星将シリウスの姿を、遠くから見つめている男がいた。

「“光の剣”を使える男がいたとはな。そして、あいつは星将シリウスか」

緋色のマントを翻し、長剣を腰に佩いた男は、シリウスに担がれて家路につくハシリウスを見つめながらつぶやいた。


転の章 悪夢の意味


「確かに、ハシリウスは“光の剣”を使った。しかし、それが『大君主』である証拠にはならない」

ここは、セントリウスの小屋である。彼は、若い男と話をしていた。

その男は、通った鼻筋と細い顎を持ち、空色の長い髪と瞳を持っていた。そして、青く染めた皮の甲冑に青いマントをまとい、同じく青く染めた皮の手甲と脛当てをつけていた。

「アルタイル、それだけのものを見てきて、どうしてハシリウスを認めんのじゃ」

セントリウスは、そう言ってため息をついた。

「俺は、セントリウスこそ大君主であるべきだと思っている。アンタレスも、ポラリスも、ベガも、ベテルギウスも、レグルスも、プロキオンやアークトゥルス、スピカもそう思っている」

「デネブとトゥバンは違うのか?」

セントリウスの言葉に、星将アルタイルは苦々しげにつぶやいた。

「あいつらは別だ! あいつらはシリウスの仲間だからな」

「シリウスをまだ許しておらんのか?」

「当たり前だ! セントリウス、俺は、セントリウス以外の者が俺に指図するのは認めん!」

星将アルタイルは、そう吐き捨てて陰形した。

「困ったものですね」

ため息をついたセントリウスのもとに、星将ポラリスが顕現した。

ポラリスは女将であるが、12星将を束ねる主将である。ゆったりとした白い着物に、金のベルトを巻き、優雅に束ねた金髪に金の宝冠が乗せられている。

「ポラリスよ、実際のところどうなのじゃ?」

「反対しているのは、アルタイルだけです。といっても、デネブ、トゥバンとアークトゥルス以外は積極的に賛成もしていません」

「そなたはどうなのじゃ?」

「私は、ハシリウスの潜在的な力は認めます。しかし、現状ではセントリウスの方が大君主にふさわしいと思います」

「そうか、しかし、人はいつか滅びるもの。このわしも、人間が持つ運命とやらには逆らえぬ」

「ですから、ハシリウスが早く一人前になればよいのでしょう。ところで」

「ところで? 何じゃ?」

「王都に侵入した使徒の頭が分かりました。アスラルです」

ポラリスの言葉に、セントリウスは目を閉じて低く笑った。

「アスラルは確かに強いが、夜叉大将の下の36部衆の部将じゃ。ハシリウスにはちょうどいい力試しとなるだろう」

「セントリウス様は出られないのですか?」

首を傾げて聞くポラリスに、セントリウスは厳しい目を遠くに当てて言った。

「ハシリウスが12星将に認められるためには、この程度の敵は自身とシリウスで処理せねばなるまい。しかし、見守りは続けてくれ」

「かしこまりました」

そう言って消えようとするポラリスに、セントリウスはさらに言った。

「あ、それから、ハシリウスにここに来るように伝えてくれんか。それから、デネブとアンタレス、ベテルギウスをハシリウスの護衛につけておいてほしい」

「かしこまりました」

ポラリスが消えた後、セントリウスは静かに目を閉じて、日課の観想に入った。


ここは、ギムナジウムの寮である。アマデウスは、ジョゼとソフィアの部屋のドアをノックした。

「はい、どちら様ですか?」

ソフィアの声がする。

「アマデウスだ。ジョゼフィンちゃんはいるかな?」

「珍しいね。ボクに何か用かい?」

ジョゼの声を聞いたアマデウスは、

「さっき、医務室のジェンナー先生から、ハシリウスが気が付いたって連絡があったんだ。一緒に見舞いに行かないか?」

そう言うと、

「えっ、そうなの? 行くよ。ちょっと待ってて」

という声とともに、部屋の中で少しバタバタしていたが、5分ほどでドアが開き、

「お待たせ」

と、ジョゼとソフィアが出てきた。

「ハシリウスの状態はどうだって?」

ジョゼが訊くのに、アマデウスは笑って言う。

「状態も何も、ただの魔法の使い過ぎによる体力消耗だろ? 少し寝てれば治るって」

「そう、よかった」

ジョゼは心底嬉しそうに笑った。


――大君主よ、待ってくれ!

――お前の力は、“月の波動”程度ではないはずだ!

――守りたい人は、誰ですか?

「ジョゼとソフィアです」

ハシリウスは、自分の声を耳にして、ぽっかりと水面に浮かびあがるように意識が戻った。高い天井が見える。窓から夕暮れの光が差しこんできている。頭の上には点滴の容器が赤く光を反射している。

「ずいぶん長く寝ていたな」

ハシリウスが目覚めた気配を察したのか、学校医であるジェンナーがカーテンを開いてハシリウスに笑いかけた。

「ジェンナー先生、僕、そんなに長く寝ていましたか?」

ハシリウスの問いに、ジェンナー医師は少し白いものが混じった髪をかきながら言う。

「何度か目覚めては、また眠りについていた。さっきも私の問いに答えたが、すぐに寝てしまったようだね。ハシリウス君、君のことは校長から聞いている。確かに君の魔力のキャパシティは大きくなる素質がある。しかし、先週の日曜日から立て続けに、それも超超S級魔法を使えば、身体に無理が来るのも当たり前だ」

「すみません」

「君が謝ることはない。私が言いたいのは、大賢人様も、アカデミーの連中も、君に過度な精神的負担を与えすぎていることだ。君みたいな生徒は、特に気を付けてゆっくりと能力を開花させねばならないのに、急ぎすぎている」

ジェンナーは、ハシリウスのカルテを見ながら、怒ったように言う。

「とにかく、今度は君の心臓がよくもってくれたものと思う。アンナ・プルナ様のご加護だろう。脅かすわけではないが、こんなことが続いたら、君は死んでしまうよ」

「気を付けます」

ハシリウスがそう言った時、廊下にジョゼの声がした。

「お~い、ハシリウス! 元気かい?」

ドアが開いて、ジョゼやソフィア、そしてアマデウスが入ってきた。

「ずいぶんとにぎやかなお見舞いだね。ハシリウス君はさっき目覚めたばかりだ。あまり無理をかけないように願うよ」

ジェンナー医師はそう笑うと、椅子に腰かけ、ハシリウスのカルテを詳細に調べ始めた。

「おかげんは、いかがですか? まだ顔色は良くないようですけど」

ソフィアが心配そうに言うのに、ハシリウスは無理に笑って答える。

「ちょっと身体がだるいだけだよ。大丈夫。この点滴が終われば元気が出るよ」

「あまり無理するなよ。話によればずいぶんと無理しているようだからな。明日は日曜だし、せっかくだからこのまま一晩ここに置かせてもらえ」

アマデウスがそう心配して言う。それにジェンナーが答える。

「一晩たっぷり点滴をさせてもらえれば、回復は早いだろうが、ここは病院じゃないんだ。その点滴が終わったら、少し休んで寮に戻ってぐっすり寝ることだ」

「じゃ、今夜はボクが特別に、元気が出る料理を作ってあげるよ」

ジョゼが言うと、ハシリウスは茶化した。

「大丈夫かぁ~? 焦げたパンと生焼けのグラタンなんて食べさせるなよ~」

「なっ! それは中等部のころの話じゃないか! ボクだって進歩するんだからね」

「ソフィアに手伝ってもらった方がいいんじゃ?」

「うるさ~い! そんなにボクの料理を食べたくないか!」

「まあ、どうしてもって言うなら、食べてあげなくもないが…」

上から目線のハシリウスに対して、アマデウスは、

「ジョゼフィンちゃん、ボクはジョゼフィンちゃんの料理、楽しみだなあ~」

そうアマデウスが言うのに、ジョゼはそっけなく言う。

「誰がアンタに食べさせるっつった?」

「そんな~、ボクだってジョゼフィンちゃんのすんばらしいお料理を食べてみたいのに~」

「おいおい、アマデウス、あんまり心にもないこと言ってたら、いざ食べる段になって後悔するぞ」

「ハシリウス~、君はほんっとに嫌味な奴だな! いいよ、アマデウスに食べてもらうから」

そうジョゼが言うと、アマデウスはにこにこして言う。

「ジョゼフィンちゃんの作るものなら、ボクは牛のエサでも豚のエサでも食べますよ」

「何気にアンタも失礼なやっちゃなあ」

ジョゼはむすっとしたが、それでもソフィアの一言に救われた。

「ジョゼはずいぶんとお料理の腕を上げましたよ、ハシリウス」

★ ★ ★ ★ ★

「ごちそうさま。意外にうまかったなあ♪」

「ごちそうさま。ワタクシ感激であります!」

ハシリウスは、アマデウスとともにジョゼたちの部屋で夕食をごちそうになった。ジョゼとソフィアは、お皿を片づけながら笑っている。ああ言いながらも、たくさん作った料理をハシリウスが残さず食べてくれたのが嬉しかったのである。

「今夜の料理は、正真正銘ジョゼが一人で作ったものです。ジョゼ、とてもおいしかったです」

ソフィアがハシリウス達に食後の紅茶を出しながら意味ありげに言う。ハシリウスは正直に言った。

「いや、とてもおいしかったよ。ジョゼの意外な一面を見た感じだ」

「そーだろそーだろ★もっとボクをほめなさい♪」

食器を洗いながら、ジョゼが上機嫌な声で言う。

ハシリウスは紅茶をすすりながら、

「幼なじみとして、いつまでも料理がうまくならないジョゼを心配していたけど、この分じゃいつでも結婚できそうじゃん」

「そう思う? ハシリウスは、ボクをお嫁さんにしてくれるかナ?」

ぶーっ! ハシリウスは思わず紅茶を吹いてしまった。アマデウスはそのしぶきをカバンでよける。

「悪い、ひっかかったか?」

「ひっかかったか? じゃねぇよ。ひでぇなあ」

「だってジョゼがあんまり突然なことを言うから、びっくりしたんだ」

「びっくりしても、そんな反応はレディに失礼だ。静かに固まるくらいの反応じゃなきゃ!」

「…いや、それもけっこうシツレイではあると思うけどな…」

ハシリウスのことをじとーっと見つめて、ジョゼが菜切包丁を持った腕を組みながらそう言う。

「ハシリウスも何だよ。いつもみたいに茶化せばいいのに、あの反応は?」

ジョゼはハシリウスにそう言ってかみついた後、急に両手を頬にあてハシリウスにかわゆ~く聞く。

「それとも、ボクのことを愛しちゃったりしてくれてるんだ?」

「……」(ハシリウス)

「……」(ジョゼ)

「何て言うか、リアクションに困ることをするなよ」

「そうだね、少し反省した。すごい違和感があったもん。見て、鳥肌が立っちゃった」

二人がそう言って笑い合ったグッドタイミングで、ソフィアがみんなに、

「紅茶のお替りはいかがですか? ハシリウス、今度はミルクティはいかがかしら?」

そう言ってポットを取り上げた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

その夜、ソフィアは、ジョゼが寝た後、母女王から来た手紙を取り出して読み返した。

ふうっ……。

ソフィアは、手紙を読み終えると、ふか~いため息をつきながら頬杖をついた。銀色の瞳が窓越しに夜の闇を見つめている。もうすぐ新月が近いので、空の月もだんだんと細くなってきている。

女王は、ハシリウスに対して『特別な興味を持っている』と記したうえで、もし、ハシリウスが噂どおりの『大君主』候補であるならば、『結婚はあきらめるか、災いが鎮まってからにすること』をソフィアに助言してきていた。

ハシリウスが『大君主』だった場合、この国の未来をかけて先頭に立ってモンスターたちと戦うこととなるだろう。ハシリウスがその戦いの途中で死ぬことだってあり得るし、大君主として使った魔力はそのまま大君主自身の寿命を削ると言われており、ハシリウスは通常の魔術師より短命で終わる可能性も高い。

「普通の恋をして、普通の結婚をして。そんなことは私には望みようがないのね。だったら、せめて幼なじみという今の関係が、長く続けばいいな」

ソフィアは、そうつぶやくと、机に突っ伏して、そのまま寝てしまった。


ハア、ハア…ハア、ハア…。

夢の中で、ソフィアは何かから必死に逃げていた。とにかく強力で、禍々しくて、いてもたってもいられなくなるような不安の中、必死に足を進めていた。

――どこまで逃げればいいのかしら?

ソフィアはそう思って、額の汗をぬぐった。その時

――貴様たちには、大君主をおびき出す餌になってもらう。

そういう声がすると同時に、ソフィアは身体をしっかりとつかまれた感じがした。締め上げられるようで息が苦しい。思わず、

――ううっ、苦しい、助けて、ハシリウス。

ソフィアがそう言った瞬間、その身体は地下牢のような所に投げ出された。

――ソフィア、大丈夫かい?

そこにはなぜかジョゼがいた。ジョゼは手足を縛られている。

――まあ、ジョゼ。待っててください。すぐに縄をほどきますから。

ソフィアはそう言うと、ジョゼの手足を縛っていた縄を切り、ジョゼを自由にした。

――ありがとう。ソフィアこそ、ひどいことされなかったかい?

ジョゼが聞いたとき牢の鉄格子の向こう側に、何か禍々しいモノが現れた。

――お嬢さん方。今日はいいものを見せてやろう。お前たちの頼みとする『大君主』の小僧は、われらの手に落ちた。そなたたちは小僧の想い人らしいな。

――われらは、この小僧から幾度も煮え湯を飲まされ、何人もの仲間の命を奪われた。

――だから小僧の最期には、とっておきの屈辱を与えてやる。

その禍々しいモノは、暗闇から何かを引きずり出した。一人の男が、縄でぐるぐる巻きにされ、ボロボロになっている。しかし、その男はまだ失っていない闘志をその目にみなぎらせている。ハシリウスだ。ハシリウスは牢の中のソフィアたちに気が付くと、目を細めて、はっきりとした声で禍々しいモノに言った。

――戦士は、女性に対して寛大であるべきだ。そなたたちの恨みつらみはすべてこの身に引き受けるが、牢の中の女性たちは、すぐに解放してやってほしい。

――バカを言うな、大君主ハシリウスよ。貴様の無力さを思い知らせて、絶望の中で命を絶ってやる。まずは、愛する者たちが凌辱される様をじっと見つめて、無力感に打ちのめされるがいい!

その声を聴いて、ソフィアは身を固くした。嫌よ! あんな奴らの慰み者にされるくらいなら、死んでやるわ!

そう思ったソフィアが、これも胸をかき抱いて青い顔をしているジョゼを見つめた。ジョゼはソフィアの視線に気づき、にっこりとした。ジョゼも同じ気持ちなのだ。

そのとき、ハシリウスの哄笑が洞窟に響き渡った。

――何がおかしい、大君主よ! 俺が冗談で言っていると思うか?

ハシリウスは笑いを抑えて言った。

――いや、本気だろう。しかし、よく考えよ。この国の王女は女神アンナ・プルナのお気に入りだ。そして、その友人たるあの女性も、正義の神ヴィダールの想い人だ。あの二人に指一本でもふれてみろ、貴様らはヴィダール神と女神アンナ・プルナ様を敵に回すことになるぞ。

ハシリウスの言葉を聞いて、そいつは忌々しげに吐き捨てた。

――くそっ、それが大君主の“時の黙契”か! 仕方ない、貴様が苦しみぬいて死ぬのを、あの二人に見せてやる!

それからソフィアとジョゼは、ハシリウスが散々に痛めつけられるのを見ることになった。ハシリウスの皮膚は破れ、血が流れ、どうかすると骨が砕けたのではないかという音すらした。しかし、ハシリウスはうめき声一つ上げなかった。

――くそっ、我慢強い奴だ。坐れっ!

そいつは、すでに虫の息のハシリウスを坐らせると、佩剣を抜いて笑って言った。

――さらばだ、大君主よ!

そういう声とともに、剣がハシリウスの首に振り下ろされた。ハシリウスの首は、ソフィアとジョゼの目の前で落ちて転がった。

「ハシリウス!」

ソフィアは、自分の叫び声で目覚めた。いや、目覚めたのは自分だけでなかった。隣のベッドでジョゼが、同じように青い顔をして、寝汗をかいた姿で飛び起きていた。

「どうしたのですか? ジョゼ。顔が青いですよ?」

少し息を整えて、ソフィアがそう、茫然としているジョゼに聞く。ジョゼは頭を振って答えた。

「別に、変な夢を見ただけサ。ソフィアこそどうしたんだい? 机なんかに座って」

「私も、少し気になる夢を見ただけです。すみません、起こしてしまいましたか?」

ソフィアはそういうと、ベッドに横になろうとした。しかし、ジョゼは起き上がったまま寝ようとしない。

「寝ないのですか? 明日に差支えますよ?」

ソフィアが聞くのに、ジョゼは首を振って言う。

「嫌な夢や悪い夢は、誰かに話したら本当にならないって聞いたことがあるけど……」

「そうらしいですね」

「ボクの夢を聞いてくれる? ソフィア」

「私でよければ、聞きますよ。よっぽど嫌な夢だったんですね」

「ハシリウスが、殺される夢だった。ボクとソフィアの目の前で、何かオソロシイ奴に捕まって。ハシリウス、ボロボロにされながらも、ボクらのことばかり心配していた」

ソフィアは、息をのんだ。先ほどの夢があまりにも鮮明なので、予知夢ではないかと心配していたソフィアだったが、ジョゼがまったく同じ夢を見ているとは!

「ジョゼ、私、ジョゼのベッドに行っていいですか?」

「構わないよ。何か、怖いんだ。ハシリウスがいつかあんな目に遭うんじゃないかって」

ソフィアは、ジョゼのベッドに一緒に座ると、震えているジョゼを抱きしめて言う。

「ジョゼ、実は、私も同じような夢を見ました。私たちもどうやら大君主の運命の輪に組み入れられているのかもしれません。あの夢が予知夢でないことを祈るだけですが、夢の中のハシリウスが立派だったように、私たちもハシリウスを支えて立派に生きていく必要があります。たとえ、夢のように彼が命を落とすことになったとしても」

「ボク、ハシリウスが大君主でなくてもいいんだ。普通に生きて、普通に恋をして、そして普通に結婚して子供を産んで…そんな普通の幸せでいいのに」

そう言って、ジョゼははっとする。自分をやさしく抱きしめているこの幼なじみは、そんな普通の人生すら望むことができないのだ。

「ごめん、ソフィア。君の気持ちを傷つけた」

ソフィアは、悲しそうな眼をして、それでも首を振った。

「私だって、女の子です。ジョゼと同じことを考えることが何度もあります」

コンコンコン……コンコンコン。

その時、ドアがノックされた。二人はびっくりして飛び上がりそうになる。ソフィアが時計を見ると、もうすぐ4時を指すころだった。

「どなたですか?」

ソフィアが言うと、ドアの外から聞き慣れた声がした。明け方だから押し殺したような声だが、ハシリウスのものだった。

「朝早くにごめん。実は変な夢を見たものだから、心配になったんだ」

「ハシリウス、ちょうどいい時においでです。ちょっとお待ちください」

ソフィアがそう言って急いでドアを開けた時、そこに立っていたのはハシリウスではなく、全身を緋色の服で固め、緋色のマントで身を包んだ何者かだった。

「!」

ソフィアはびっくりして飛び下がろうとしたが、後ろからやって来たジョゼにぶつかってしまった。

「お前たちは、大君主をおびき出す餌になってもらう」

ソイツは、涼しい声でそう言うと、ソフィアとジョゼを長剣の柄で気絶させた。

その男は、逃走経路を確認するように明けの明星を見つめると、低くつぶやいた。

「今度は負けぬ……」

男は緋色のマントを翻すと、ソフィアとジョゼを軽々と抱えて、夜が明け始めた街を走って行った。

★ ★ ★ ★ ★

日曜日の朝、女子寮は大混乱に陥っていた。ソフィアとジョゼが消えたことを最初に発見したのは、いつも朝が早いアンナ・ソールズベリーだった。

「?……しっかり者のジョゼが、ドアを開けっ放しにしているなんて……」

アンナは、不思議に思ってジョゼたちの部屋に行き、ドアをノックしながら中に声をかけた。

「ジョゼ、ソフィア姫、いないの?」

アンナは、返事がないので、部屋の中に入ってみた。二人のベッドはそれぞれ寝た跡はあったが、毛布ははがれていて、ベッドはもう冷たかった。

二人の身の回り品や、制服もそろっていることを確認したアンナは、すぐに日直の先生を通じて担任のアクア・マリン教諭に連絡した。午前5時30分だった。

『ジョゼとソフィア姫がいなくなりました。誘拐かもしれません』

その連絡にびっくりしたアクア教諭は、すぐさまポッター校長に連絡を取った。ポッター校長は全職員に緊急登校を命じ、寮生の全員点呼をも行わせた。

午前6時30分には、ポッター校長からレギオン司令官を通じて、ソフィア姫失踪の連絡が王宮に入った。

「王女だけでなく、一般市民の娘さんも一緒に誘拐されたと聞きました。その娘さんは王女の巻き添えになったものでしょう。状況は逐一、保護者に連絡して、安心させて差し上げるように」

エスメラルダ女王がそう言うのに、ロード・ネストルが眉を曇らせて言う。

「王女様のご学友であるジョゼフィン・シャイン嬢は、6歳の時に両親をモンスターに殺されております」

「なんと……。しかし、養い親がいよう。養親がおれば、同様に扱うよう」

「ジョゼフィン嬢の養親は、エンドリウス・ペンドラゴン魔術師長です」

ネストルはそう言うと、微笑んで続けた。「今頃は、魔導士ハシリウス・ペンドラゴンが、王女様とジョゼフィン嬢の行方を捜していることでしょう」

ハシリウスは、点呼で二人の失踪を知った。

「どうする、ハシリウス?」

びっくりして声も出ないでいたアマデウスが、考え込んでいるハシリウスに訊く。

「もちろん、探しに行くさ……」

「勝手なことをしたら、アクア先生からまた叱られるぞ」

「それは仕方ないさ……」

ハシリウスは、肩をすくめてから、パジャマを着替え始める。一週間前には、ジョゼからフォイエルで起こされたよなあ。あの日までは、こんな出来事とは全く縁がなかったのだが……。

ハシリウスは、念のために魔導士であることを示すバッジをポケットの中に入れておいた。

――魔導士の名にかけて、ジョゼとソフィアを救い出すんだ。

ハシリウスは、決意を眉にみなぎらせていた。


ハシリウスは、『蒼の湖』のほとりに、セントリウスを訪ねていた。

ハシリウスの外出許可願いに渋い顔をしたアクア教諭だったが、行き先がセントリウス宅であることと、ハシリウスは王宮魔術師補としての官職も持っていること――の2点を考慮して、校長判断で外出が許可された。

「ハシリウス君、ジェンナー医師から君の容態について具申が来ている。体調が万全でないのに、無理なことは厳に慎むんだ。それも一人前の魔術師にとって必要なことだからね」

 校長は、外出許可証を手渡す時に、特にそう言った。

「おお、ハシリウス、久しぶりじゃのう。元気にしていたか?」

セントリウスは、ハシリウスを迎えて開口一番そう言った。そして、

「王女様とジョゼ嬢ちゃんについての話は聞いている。しかし、話には順序がある。まずは今回の敵のことをよく知ることじゃ」

そう言うと、ハシリウスを自分の小屋の中に招き入れた。セントリウスは、愛用のパイプを取り出し、まずは一服する。ぱっ、ぱっと紫煙をくゆらすセントリウスは、やがてハシリウスに言った。

「闇の力というのは、悪い力のことではない」

「そうなの? なんか、イメージ的に闇は暗いから、悪って感じがするんだけど」

「ハシリウス、物事は相対的に考えねばならない。光は光源に依存して成り立つ。光は動植物の生育に大切なものであるし、明るければ皆安心し、温かさも感じるため、光を最高のものとして見がちだが、そもそも世界は闇が基本であった。宇宙の創造の時代は、基本となる闇の中に、光が依存する核ができ、そして光と闇という対立概念が出来上がった」

セントリウスは、ハシリウスに分かりやすいように言葉を選んでいるのだろう、これだけのことを時間をかけて話した。

「その対立概念の中で、今の魔法の体系が出来上がっている。“月の波動”もそうだし、“光の剣”と“闇の沈黙”というセット魔法などは、その典型だ。しかし、究極魔法である“日月の輪廻”と“メビウスとクライン”は、対立概念の中から生まれたものではない……」

「“日月の輪廻”や“メビウスとクライン”って、どんな魔法なんだい? おじい様」

ハシリウスが首を傾げて訊く。しかし、セントリウスは笑って言った。

「今、その体系図を教えても、理解はできんじゃろう。しかし、闇というのは光の反対概念ではあるが、それ以外の概念も含む。光源がなければすなわち闇じゃ。闇とは、無に通じる扉のことでもある。そこを理解できれば、“日月の輪廻”や“メビウスとクライン”は自然と手に入るじゃろう。ところで、ハシリウス」

「はい」

「今度の敵は、アスラルというモンスターじゃ。こいつは強いぞ。三面六臂に四足を持つ、戦神じゃ。シリウスは一度戦ったことがあったはずじゃから、シリウスと力を合わせて戦うがよい」

「はい!」

「分かっていることと思うが、今度は王女様やジョゼ嬢ちゃんを無傷で取り戻さねばならない。そのために、わしはそなたに“時の黙契”を教える。女神アンナ・プルナを仲立ちに、正義神ヴィダールと契約を交わすがよい。ソフィア王女とジョゼ嬢ちゃんを守ってもらうために、そなたの命を投げ出すという誓いじゃ。そなたもいずれはどちらかと結婚するじゃろうが、その前にクロイツェンを倒さねばならないことは確かじゃ。そなたの魔力と命は、そのためにこの世にあるのかもしれんのう」

しみじみと言うセントリウスに、ハシリウスはにこっと笑うと言う。

「それを言っても始まりません。とにかく、今はソフィアとジョゼを無事に取り返さねばなりません」


近くに、水が流れる音がする……水の匂いと、これは、香水?

ジョゼは、うっすらと感じる光の中で、ゆっくりと意識を取り戻した。ここは、洞窟の中らしいが、ちょうど高い天井のてっぺんに穴が開いているらしく、そこから光が差しこんできている。

ジョゼは辺りを見回した。地下にしては湿度もなく、快適である。細かい砂の上に、乾いた蓆を敷いてあり、そこにソフィアが寝かされていた。

「ソフィア!」

ジョゼはソフィアにそう声をかけた。ソフィアはゆっくりと目覚めた。

「ここは?」

「あの、赤いヤツのアジトさ。でも、夢とは少し違うね」

「ええ、あなたも手足を縛られていないし」

ソフィアが言うのに、ジョゼは鋭い目で周りを見回した。そしてソフィアに聞く。

「近くに誰かいるかな?」

「さあ? 今は誰の気配も感じませんが」

「よし、逃げよう!」

ジョゼはそう言うと、渾身の気合とパワーを込めて、鉄格子を殴りつけた。

「パンツァー・ファウスト、イム・フォイエル!」

ガッキ――――――ン!

ジョゼの一撃で、地中深く差し込まれているはずの鉄棒が吹っ飛んだ。

「こうやって、2・3本吹っ飛ばせば、出られるさ」

そう言って次の鉄棒に向かうジョゼだったが、

「お待ちいただきたい」

そう言って、緋色のマントを翻し、緋色の鎧に緋色の手甲・脛当てとフードで身を固めた戦士が進み出てきた。その戦士はフードを外すと、秀麗な眉目を二人に向け、涼やかな声で言った。

「まずは、ソフィア王女様に、このような所にお連れ申し上げたことに対してお詫び申し上げます」

そう言うと、深々と礼をする。

続いて、ジョゼに向き直り、

「貴女様にも、ご迷惑をおかけしていますことを、お詫びいたします」

そう会釈した。

「分かってんなら、早く帰してよ。ボクたち、まだ朝ご飯も食べていないんだよ」

ジョゼがそう言うと、緋色の戦士は穏やかに笑って言った。

「この世の破壊をたくらんでいる大君主ハシリウスの首を頂くまでは、ここからお出しするわけにはまいりません」

「へ?」

ジョゼは聞き間違いかと思った。思ったので、ソフィアを振り向いてみた。ソフィアも目が点になっている。そうか、ボクの聞き間違いじゃないらしい。

「あの~、名前は知らないけど、ハシリウスがなんだって?」

「申し遅れました。私はクリムゾン・グローリィといいまして、賢者セントリウス様の弟子です。今回、大君主ハシリウスはその力をほしいままに使い、この世の破壊をたくらんでいるので殺せとの命令が下りましたので、ここに出向いた次第です」

「え? 誰から? 誰からそんな命令が下ったって言うのさ!」

「わが主であるクロイツェン陛下の部将・アスラル様からです」

クリムゾンはそう言うと、焦点のない赤い目をジョゼにあてて笑った。乾いた笑いだった。いかん、こいつは何かに操られている。

「クリムゾンさん、あなたが狙うハシリウスは、セントリウス猊下のお孫さんであることは知っていますか?」

ソフィアの問いに、クリムゾンは丁寧に答える。

「ええ。大君主ハシリウスが12歳になるまで、私はセントリウス様と一緒に修行をしていましたから」

「じゃあ、あなたのことをハシリウスは知っているのね?」

「覚えていてくれれば、勿怪の幸いですよ」

クリムゾンは、初めて表情をゆがめ、醜い笑いを立てた。

――ハシリウスがクリムゾンを覚えていたら、隙が生じる。それに乗じてハシリウスを刺すつもりなんだわ。何とかしないと。

「その考えは、いただけませんね」

クリムゾンは、ソフィアの考えを読んだように、ニヤリと笑うとパチンと指を鳴らした。

「!」「!」

ジョゼもソフィアも、途端に口がきけなくなった。

「手足は縛りません。女性に対して失礼ですからね。しかし、女性は時におしゃべりが過ぎます。1時間ほど黙ってていただきましょう。それで万事は済みますゆえ……」


ハシリウスは、ホーキで『北の洞窟群』に向かっていた。星将ポラリスが探索した結果、そこにアスラルがいる可能性が最も高く、さらに、王女たちをさらった人物がそこに向かっていることまで分かっていたからである。

ハシリウスは、その情報をポッター校長に伝達するよう星将シリウスに頼み、さらにレギオンの出発を依頼してもらうようにとも付け加えた。

ハシリウスが洞窟群に到着した時、シリウスも任務を果たして合流した。

「アスラルの気配がしない……。わが友ハシリウスよ、私は少し隠形していよう。アスラルの罠かもしれぬ」

「分かった。ちゃんとついていてくれよ」

ハシリウスは、隠形となったシリウスにそう言った。シリウスがうなずくのが気配で分かった。

すると、洞窟の一つから煙が出ているのが見えた。ハシリウスは、罠かもしれないと警戒しつつ、ゆっくりとその洞窟に入る。

その洞窟は、洞窟群の中でも上の方にあり、てっぺんが開いていて比較的明るかった。中も広く、砂地でもあり湿度も低かった。ハシリウスがゆっくりと歩を進めると、向こう側に鉄格子が見え、そこにジョゼとソフィアが立っているのが見えた。

「ジョゼ! ソフィア! 二人とも無事か?」

ハシリウスがそう言ってジョゼたちに駆け出す。ジョゼたちは何事かを必死になって伝えようとしているが、いかんせん声が出ない。

『ハシリウス、罠だ! 跳べ!』

ビシュン! ビシュン!

鋭い矢音が響くのと、シリウスの声がハシリウスの頭の中に響くのが同時だった。ハシリウスは条件反射的に跳び上がったが、一本の矢をよけ損ねて、右足のふくらはぎに受けてしまった。

「つうっ!」

ハシリウスは矢を抜き取って調べてみた。毒は塗ってないらしい。

「残念だった……。矢を受けていれば、苦しまずに死ねたものを……」

洞窟を支えている柱の陰から、緋色のマントに身を包んだ戦士が現れて、そうハシリウスに言った。

「しかし、今度は死んでもらうよ。大君主ハシリウス」

「クリムゾン様! いったい何の真似です? 辺境の勇者と言われるあなたが……」

ハシリウスは心底驚いて言った。クリムゾンは自分が12歳の時まで、セントリウスの下で修業をしていた。直接話したことも何度かあるが、まじめで筋がいい若者で、おじい様から信頼されていたことを覚えている。辺境で赫々たる武名を挙げたときは、ハシリウスもわが兄のことのように喜んだものである。そのクリムゾンがなぜ、僕を……。

「この世を破壊しようとする邪悪な大君主ハシリウスよ、全能の神クロイツェン様の名において、このクリムゾン・グローリィが成敗する。死ねっ!」

ハシリウスは、ひょうと放たれた矢を何とかよけた。そして、

「クリムゾン様! 何を言ってるんですか!」

そう叫んだ。くそっ、クロイツェンめ、僕が手出しできない人間を使って僕を消しに来たか……。

「逃げ足だけは速いね。では、こうしたらどうだ?」

クリムゾンは、魔法を使って矢の軌跡を変えた。ハシリウスの左の太ももに矢が突き立つ。

「いてぇ!」

ハシリウスは今度こそぶっ倒れてしまった。

「では、さようなら、ハシリウスよ……」

そう言って引き絞ったクリムゾンの弓が、突然たたき折られた。

「そこまでだ!」

顕現した星将シリウスは、蛇矛の柄でクリムゾンをしたたかにぶっ飛ばした。

「ありがとう、シリウス」

気を失ったクリムゾンを縛り上げるシリウスに、ハシリウスは礼を言う。

「気にするな。しかし、また奴がお前を狙った時は、戦うしかないだろうな。覚悟しておけ」

シリウスはそう言って、鋭い目でクリムゾンを睨みつける。

「ありがとうございます」

「さすがハシリウスだね」

ソフィアとジョゼは、錠前を叩き壊して鉄格子のドアを開けたハシリウスに、そう礼を言った。ハシリウスは、鉄棒の一本が外れて転げているのを見て。

「これは?」

と聞く。ソフィアはにこにこして何も言わない。ジョゼも赤くなって頬をかいている。

「ジョゼだな…こんなことができるんだったら、早く逃げればよかったんだ」

ハシリウスが言うと、ジョゼは、

「そのつもりだったけど、一本目で見つかっちゃったんだ」

と言う。ハシリウスはそんなジョゼの顔が可愛くて、思わず笑ってしまった。しかし、その笑顔が突然凍りつく。

「どうしたのさ、ハシリウス?」

ジョゼが突然の豹変にびっくりして聞く。ハシリウスは

「ジョゼ…に…げろ…」

そう言うとうつぶせに倒れてしまった。その背に剣が突き立っている。突然、ハシリウスの後ろから剣が飛んできて、背中に突き刺さったのだ。

「ハシリウス!」

異変に気付いた星将シリウスが顕現する。剣が飛んできた方向を見て、シリウスは唇をかんだ。

しっかり縛っていたはずのクリムゾンが、縄をほどいて立っている。その赤い目は異様に輝き、その周囲には妖気が焔のように立ち上っている。クリムゾンはゆっくりと長剣を抜き放つと、ハシリウスに近寄ってきた。

「死ね! 大君主ハシリウスよ」

クリムゾンが目にも止まらぬ速さで繰り出してきた長剣を、シリウスが受け止める。シリウスの蛇矛とクリムゾンの長剣は、まるで魔性の生き物のように動いて、いつ果てるともしれぬ戦いに入った。

「娘、ハシリウスを早く外に連れ出せ! しばらくすればレギオンが来る」

シリウスはジョゼたちにそう言いながら、火を噴くような速さで蛇矛を操る。しかし、人間だというのにクリムゾンは長剣を上に下に繰り出し、シリウスを悩ませた。

――こいつは何だ? 人間にしては強すぎる。

「星将シリウスよ、しばらく会わない間に腕が鈍ったな」

クリムゾンの唇が動いて、そんなセリフが飛び出す。クリムゾンの目は、妖気をはらんだどす黒いものに変わっていた。そうか、こいつはアスラルだ!

――くそっ、人間に憑依しているのであれば、これ以上の手は出せない。こいつを憑依状態から抜け出させねば。

「それ、星将シリウス、隙があるぞ!」

クリムゾンはそういうと、シリウスすら防ぐことのできぬ速さで長剣を突き出した。それはシリウスの二の腕を見事に突き刺す。

「くっ!」

シリウスは少し後ろに跳び退って、その反動で剣を抜き取りつつ、さらなる攻撃をかわした。

「さて、シリウスよ。遊びは終わらせてもらおう。私も忙しい身でな」

そう皮肉に笑うとクリムゾンはいきなりその姿を消した……と思えるほど素早く動いて、いつの間にかシリウスの背後を取っていた。そのまま長剣を振り上げる。それはシリウスの背中を深く切り裂いた。

「うおっ!」

シリウスは蛇矛を振り向きざまに横殴りに払った。しかしその時はすでにクリムゾンは動き、さらにシリウスの右わき腹に長剣を突き刺した。

「ぐおっ!」

――くそっ、何とかならないのか……。

シリウスは力と命を少しずつ削られていきながら、そう焦った。


一方、ジョゼとソフィアは、何とか二人がかりでハシリウスを運び出そうと努力していた。しかし、ソフィアが足をくじいていたことと、ハシリウスが完全に気を失ってしまっていたことで、その努力に比べて成果は微々たるものであった。

「ジョゼ、星将シリウスが危ないです」

シリウスとクリムゾンの攻防は、ソフィアたちがいるところからもよく見えた。ソフィアは、クリムゾンによって少しずつ、なぶられるように力を失っていくシリウスを見て、いぶかしいものを感じた。星将は神である。神格は女神アンナ・プルナなどと比べものにはならないが、それでも人間によって倒されるようなものではない。ということは、あのクリムゾンは人間ではないのかもしれない。だったら、ハシリウスが危ない! シリウスが倒れれば、そのままあいつはハシリウスの首級を取りに来るだろう。

「シリウスがんばれ! フォイエル!」

シリウスの危機を見て、ジョゼが援護する。しかし、クリムゾンはそのような攻撃に頓着せず、シリウスを倒すことに執着している。

「だめだ、あいつ、星将シリウスに恨みでもあるのかな?」

ジョゼはそう言って歯ぎしりする。

「ハシリウス、星将シリウスが危ないんです。このままでは私たちもやられてしまいます。あなたの傷をふさぎますから、なんとかしてください」

ソフィアはそう言うと、土の精霊に祈りを込めた。

「土の精霊マナよ、汝の上に横たわるは汝の愛し子大君主なり。こは、汝の上に生きる者たちのために戦いて傷つきし者なれば、汝の慈悲の力を持ちて、愛し子の傷を癒し給わんことを……アース・ヒーリング」

ソフィアがそう言って握りしめた土の精霊の力をハシリウスの傷の上に注ぐ。すると、ハシリウスの血は止まり、ゆっくりと目を開けた。

「ここは?」

「ハシリウス、まだ戦いは終わっていないんだ。シリウスが危ない!」

ジョゼの言葉に、ハシリウスはゆっくりと立ち上がった。向こうでシリウスがクリムゾンになぶられている。シリウスはすでに血みどろで、意識がもうろうとしているようだ。たとえ星将でも不死身ではない。ハシリウスはふらつく身体をジョゼに支えられながら、ゆっくりと呼吸を整えた。

「……光の精霊リヒトよ、汝の力をもちて、地上にうごめく悪鬼・邪神・邪霊を消除すべく、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが命じる。“光の剣”ウント・ヴィンド!」

呪文の途中からハシリウスの身体は金色に輝き始め、肩を貸すジョゼはその光に包まれて身体中が熱く感じるほどであった。

ハシリウスの伸ばした腕から光の柱が天にほとばしり、それをクリムゾンに振り下ろした時、ジョゼはハシリウスの身体が急に冷たくなり、そして力を失った分重たく感じた。

しかし、ハシリウスの光の剣は見事にクリムゾンをとらえていた。クリムゾンは光の中で苦しげに悶え、やがてばたりと倒れた。しかし、そこには三面六臂で四足の邪神将・アスラルが光の輪の中にまだとらえられていた。

シリウスは、クリムゾンとアスラルが分離した瞬間を見過ごさなかった。

「アスラルよ、今までのお返しだ! くらえ!」

シリウスは蛇矛に最後の気合を込めて振り下ろした。アスラルはハシリウスの光の環から逃れようと畢生の魔力を使っていたのでシリウスの攻撃をかわしきれなかった。

「ぐはっ!」

アスラルは右腕2本を斬り飛ばされながらも、何とか光の環から逃れて、

「シリウスよ、後日再戦!」

そう吐き捨てて虚空に消えて行った。


一方、ハシリウスはアスラルを再度攻撃するため呼吸を整えていたが、その様子を見たクリムゾンは長剣をハシリウスに向けて呪文を詠唱し始めた。

「闇の精霊シュバルツよ、魔力を恣意的に使う魔術師を調伏するため、その力をわれに与えよ。“闇の沈黙”イム・ルフト!」

「ハシリウス! ジョゼ! 危ない!」

ハシリウスめがけて突っ込んでくるクリムゾンを見て、ソフィアがそう叫んだ。

ハシリウスもそれに気づいた。このままではジョゼにあの長剣が突き刺さる! ハシリウスはとっさにジョゼと身を入れ替えながら、クリムゾンに向けて魔力を解き放った。

「“月の波動”ウム・ラント!」

その瞬間、“闇の沈黙”の力を込めたクリムゾンの長剣が、ハシリウスの胸に深々と突き刺さった。

しかし、クリムゾンも、ハシリウスの“月の波動”を受け、10メートルほど吹っ飛ばされて地面に転がった。

「ハシリウスは大丈夫か?」

星将シリウスは、鮮血淋漓たる身体を蛇矛で支えつつ、ハシリウスのところにやってきた。そして、胸に長剣が突き立ったまま倒れているハシリウスを見て、固まってしまった。

「ハシリウス、ハシリウス、しっかりして!」

ピクリとも動かないハシリウスを、狂ったように揺り動かしながら、ジョゼが取り乱してしまっている。そんなジョゼを、ソフィアは痛ましそうに見つめている。

「王女よ、ハシリウスは?」

苦しげに聞く星将に、ハシリウスの脈をとっていたソフィアは黙って首を横に振った。その目には涙が光っている。

「嘘だ! 星読師の孫がこんなことで死ぬわけがない!」

シリウスは叫んだ。そして、天空に向かって炎の柱を立てた。

「嘘だ! ハシリウスはこんなことでは死なん! うおおおお!」

――星将シリウス、落ち着きなさい。

「女神アンナ・プルナ! ハシリウスをどうにかしてくれ! 俺は、ハシリウスを殺すわけにはいかないんだ!」

――ハシリウスを救いたければ、すぐに彼を私の神殿に連れてくるのです。長剣は決して抜いたりしないように。すぐに連れてくれば、まだ間に合います。

「分かった、女神アンナ・プルナよ」

星将シリウスは、すぐさまハシリウスを抱えるとジョゼやソフィアもろとも、アンナ・プルナの神殿へと虚空を駆け上って行った。


結の章 闇からの使者を打ち倒せ


「ハシリウスがクリムゾンに刺されたじゃと?」

筆頭賢者セントリウスは、星将デネブから報告を聞いて絶句した。ハシリウスは、大君主ではなかったのか? わしの星読みが間違ったか?

絶句してしまったセントリウスの心事を察して、デネブは言った。

「アスラルがクリムゾンに憑依していたため、ハシリウスもシリウスも持てる力を出しきれなかったようです。しかし、女神アンナ・プルナがシリウスに、ハシリウスをご自身の神殿に連れてくるようにと言っていました。今頃は女神の手当てを受けていることでしょう」

「そうか」

大きく息を吐いて目を閉じるセントリウスに、デネブはさらに言った。

「私は、あの戦いぶりを見て、ハシリウスは確かにセントリウスの後継者だと確信しました。何より人に優しい。大君主たるもの、強さの中に優しさがなければなりません。アルタイルは男ですから、強さだけを求めすぎています」

「シリウスにも言えることじゃな。シリウスは本当は優しい星将じゃ。その優しさを理解してもらえんのが、シリウスのつらいところじゃろう。そうではないか? デネブ」

セントリウスは意味ありげに言う。デネブはその端正な顔を少し赤らめて

「優しい男ほど、強いものですから……」

そう言うと隠形した。

「セントリウス」

デネブが隠形するのを待っていたように、星将アークトゥルスが顕現した。

「何じゃ、アークトゥルス」

セントリウスは閉じていた眼を開けて、金の巻き毛が美しい星将アークトゥルスを見つめた。

「デネブやアンタレス、ベテルギウスまで護衛につけておいて、シリウスの苦戦に手出しをさせないとはどういうことでしょうか? シリウスはいまだに、昔あなたを守りきれなかったことを悔やんでいます。ここでまたハシリウスを守りきれなかったとなれば、シリウスはさらに苦しい思いをするでしょう」

「アークトゥルス、12星将随一の智将であるそなたがそう言うとは不思議だ。シリウスは誰かの手を借りてハシリウスを守ることを望んでいるじゃろうか? あれの気質はよく分かる。自分自身でハシリウスを守りたいのじゃろう。そう思って、あえて手出しはさせなんだ」

セントリウスは優しい目でアークトゥルスを見つめた。アークトゥルスは顔を赤らめて言う。

「そうでしょうね……。ところで、アスラルの件です」

「うむ」

「今回、アスラルはクリムゾンに憑依していたため、シリウスもその力を出し切れませんでした」

「デネブもそう言っておった」

「シリウスはわが12星将きっての猛将。本来であればアスラル程度は片手でも倒せるはずです」

「わしもそう思って安心していた。しかし、アスラルも厄介な手を使いよる」

「アスラルは、クリムゾンがハシリウスを刺したところまでは見ているでしょう。当然、大君主を葬ったかどうかを知りたいはずです」

「そうであろうな。大君主がいないとなれば、おそらく天界部の眷属を引き連れてこのシュビーツを制圧にかかるじゃろう」

「そこで、セントリウスはじめこの国の賢者が全員で、あわただしく究極結界魔法“レーベンスラウム”をかけてみてはいかがかと……」

「大君主がいなくなったので、国を挙げて守りに入った……そう思わせるのじゃな」

「その通りです。そうすれば、アスラルは姿を現し、シュビーツに襲い掛かるでしょう。そこを一網打尽にすればよいと考えます」

「クリムゾンはどうする。あやつはレギオンにも捕まらず、姿をくらましておるが……」

「アスラルが現れれば、クリムゾンも出てきましょう」

「ふむ……クリムゾンは殺したくはないのう」

「そこは、ハシリウスがうまくやるでしょう……おお、伝え忘れましたが、ハシリウスは何とか命永らえたそうです。ただ、“闇の沈黙”をかけられたようで、いまだに意識は戻っていません」

アークトゥルスがそう言うと、セントリウスは少しほっとしたように笑って訊く。

「ハシリウスはまだ女神アンナ・プルナのもとにいるのか?」

「いいえ、シリウスはまだ天界にいますが、ハシリウスは王女やジョゼフィン嬢とともに、ヘルヴェティカ城にいるようです。王女の計らいだとか……」

「ふむ、城にいるのであれば、しばらくは大丈夫じゃろう。ハシリウスが“闇の沈黙”の力に勝てるかどうかは、ハシリウスの力量次第だが……」

アークトゥルスは優しい声で言う。

「セントリウス、私は、ハシリウスはその程度では参らないと信じていますよ」

「そうであってほしいものじゃ……」

セントリウスはそう言うと、遠くかすむヘルヴェティカ城を窓越しに見つめた。

★ ★ ★ ★ ★

――ハシリウス……。

ジョゼは、ヘルヴェティカ城の一室で、外を眺めながら考えこんでいた。

――クリムゾンに襲われた時も、ロムルスとレムスに襲われた時も、そしてトドメスに襲われた時も、いつもハシリウスはボクを守ってくれた。

ジョゼは振り向いて、まだ意識が戻らないハシリウスを哀しく見つめた。ハシリウスは、女神アンナ・プルナのおかげでクリムゾンから刺された傷は癒えていた。しかし、

――ハシリウスは“闇の沈黙”という魔法にかかっています。この魔法は、身体中のすべての感覚が消えてしまい、眠り続けながら最後には命が燃え尽きてしまいます。

女神アンナ・プルナは、ジョゼやソフィアに難しい顔でそう言った。

――女神アンナ・プルナ様、ハシリウスはわがヘルヴェティア王国の希望です。何とか助けられないでしょうか?

ソフィアがそう言うと、アンナ・プルナは

――ハシリウスが目覚めるかどうかは、ハシリウスの運命に任せるしかありません。

そう言うと、二人から目をそらした。

――ハシリウスは、ボクが小さいころから一緒にいた。ウーリヴァルデンで隣同士の家に生まれ、何をするにも一緒だった。

それは、ハシリウスとジョゼが6歳のころ、ヘルヴェティア王国の魔術寮監だったハシリウスの父親は、家を留守にしがちだったし、ハシリウスの母親はそのころアカデミーの通信研究生として勉強することが多かったため、ハシリウスはジョゼの家で暮らすことが多かったのである。

その日も、ジョゼは、母親とハシリウスとともに、製鉄の仕事をしているジョゼの父親のところに弁当を届け、そのままたたら場で遊んでいた。そこに、山の主と言われるモンスター、グリズリが現れたのだ。

ジョゼの父親と母親は、ジョゼをかばって、ジョゼの目の前でグリズリに八つ裂きにされた。

ジョゼは、信じられないような光景を、目をそらすこともできずに見ていたのである。

グリズリがジョゼを見て、その大きな爪で八つ裂きにしようと近づいた時、

――ジョゼ、危ない!

ハシリウスがジョゼにタックルして転がり、辛くもグリズリの爪を逃れた。

それからのことは、ジョゼは覚えていない。気が付いた時には、黒こげになったグリズリがまだくすぶっており、ハシリウスが大けがをして、それでもジョゼをかばうように気を失っていた。

急を聞いた村の大人たちが、ジョゼとハシリウスを家まで送り届け、ジョゼの父母の葬式までしてくれたのである。

――今思うと、グリズリをやっつけてくれたのはハシリウスなんだろうな。ハシリウスは、いつも私のことを守ってくれていたんだ。

父母を失ったジョゼは、ハシリウスの家に引き取られた。それから初等部、中等部といつもハシリウスと一緒だった。

ハシリウスは中等部時代は秀才の部類で、運動もそこそこできたため、女子から人気があった。ハシリウスあてのラブレターをジョゼが代わりに届けてやったことも、一度や二度ではない。

でも、ジョゼがそんなラブレターをハシリウスに渡すたびに、

――ジョゼやソフィアがいるのに、どうして僕が女の子と付き合わなきゃいけないんだい?

と、ラブレターを読みもせずに心底不思議そうに聞くハシリウスだった。

――あんたねぇ、女の子がラブレター出すってのは、とっても勇気がいることなんだよ。女の子の気持ちも考えなさいよ!

――……わかったよ。

ハシリウスはいつもそう答えて、次の日には相手の女の子に自分で丁寧に断りの返事をしていたようだ。ジョゼがラブレターを渡さなかったと勘違いされないため、そうしていたことは、後から知ったことである。

ギムナジウムに入っても、ハシリウスはハシリウスのままだった。人に優しくて、ちょっととぼけていて、女の子の気持ちにとことん疎くて、そして……ジョゼの目から見ても……かっこいいハシリウスだった。

ソフィアがハシリウスのことを好きなのはわかっていた。自分がハシリウスのことを好きだってこと、ソフィアも知っているはずである。でも、肝心のハシリウスの気持ちが分からない。

――でも、今のままがいい。三人、何の屈託もなく話せる時間が、ボクにとって最高の時間だもの。

ジョゼはそう思って、眠ったままでいるハシリウスの耳元でささやいた。

「ハシリウス、朝だよ。起きて……お願い」


天界の空は紫だ。雲一つない清浄な空気で、星々の輝きが太陽の光とともに見える。足元には、雲が流れ、飢えることも、渇くこともない。

星将シリウスは、そんな天界で、先にアスラルとの戦いで受けた傷をいやしていた。

シリウスは、長く寝そべり、目を閉じて、その銀色の髪を風になぶらせている。

――人間に憑依するとは、卑怯な奴だ……。

シリウスはそう思うと同時に、

――しかし、奴らには卑怯もくそもないな。こちらがうかつだったのだ。おかげでハシリウスをもう少しで殺してしまうところだった。

シリウスの眉が、悔恨の思いでひそめられる。

「眠りの中でも、アンタは難しい顔をしているのかい?」

シリウスの頭上で、そんな声がした。

「眠ってはいない。先の戦いの反省をしていた」

シリウスは眼を開けてそう言った。星将デネブが立っている。

「そうかい。ご苦労なことだね。でも、ここにいる間くらいは、戦いを忘れて穏やかな顔をしていればいいのに……」

シリウスを見下ろしながら、腰に手を当てて、まるで姉のようにそう言うデネブは、紫紺のチャイナ・ドレス風の服に、銀の帯を締めている。そのドレスの裾は膝の上までくらいしかないため、シリウスは思わず顔を赤くして言った。

「座ってしゃべればどうだ。裾の奥が見えている……」

途端にデネブは顔を赤くして、シリウスの横にさっと座った。

「……つ、つまらないものを見せちまったね」

「別に……こちらこそ悪かった。見るつもりはなかった」

シリウスはあくまで無表情にそう言う。デネブはワンレンの髪をかき上げて、話題を変えた。

「ハシリウスは死ななかったそうだね。よかったじゃないか」

「死なれては困る……セントリウスとの約束をまた破ることになってしまう」

シリウスは、昔の古傷に触れられたように顔をしかめる。

「シリウス……」

「俺は、セントリウスを守ることができなかった。今回も、俺が気を付けていれば、ハシリウスに生死の淵をのぞかせることもなかった……」

シリウスはそう言うと自らを嘲笑するように言う。

「俺は、星将失格だな……」

デネブは、そう言って目を閉じるシリウスの頭を、そっと撫でた。

「シリウス、アンタらしくないよ。あたしは、今みたいにヘコんでるシリウスなんて見たくないよ」

「……デネブは、自分が信じられないことはないのか?」

「そうだねぇ……あたしだって、そういうときもあるさ。でも、そういう時はここにきて、笑ったり、歌ったりするんだ」

デネブはニコリと笑って言う。

「……お前、笑顔が思ったよりかわいいな」

シリウスが言うのに、デネブは顔を赤くして

「何だい、今頃気が付いたのかい? 笑い顔はいいよ。力が湧いてくる。アンタもムスッとばかりしてないで、たまには笑ったらどうだい」

そう言ってデネブは、シリウスの脇の下をツンっと突っつく。

「よ、よせ、デネブ。くすぐったいじゃないか」

「ほ~う、アンタのそんな顔、初めて見た。なんか、惚れちまいそうな顔だねえ」

そう言ってさらに突っつこうとするデネブから身をかわして、シリウスは立ちあがった。

大きく深呼吸する。シリウスは、心の中のわだかまりが、なんとなく小さくなった気がしていた。

「デネブ、礼を言う。今度は俺らしい戦いができそうだ」

「それは良かった。来たかいがあったってもんだよ」

そこに、女神アンナ・プルナが現れて、シリウスを呼んだ。

「星将シリウス」

シリウスは、そしてデネブも、女神の前に控える。

「はい、ここにおります」

女神アンナ・プルナは、優しい顔でシリウスに言う。

「ハシリウスが目覚めました。あなたには、これをハシリウスに届けてほしいのです」

そう言うと、一振りの剣を取り出す。

「それは……」

デネブがびっくりして思わず声を出す。

「そうです。これは神剣『ガイアス』です。わが弟たる正義神ヴィダールがもつ聖剣『コスモス』と対になる、『大君主の剣』です。ハシリウスは“闇の沈黙”から抜け出た初めての戦士。この剣を持つ資格は十分にあります」

「では、ハシリウスは大君主となるわけですか……」

シリウスが喜びをかみしめている。

「その通りです。人間たちはまだ大君主ハシリウスを認めないかもしれません。しかし、シリウス、あなたがいれば、ハシリウスのよき力がますます輝くでしょう。それに、ハシリウスには、“日月の乙女たち”がついています」

「王女とあの娘ですか?」

「そうです。シリウス、守るべき人物が三人になりますが、あなたなら大君主たちとともにクロイツェンを討滅することができるでしょう。頼みましたよ」

女神アンナ・プルナは、そう言って消えて言った。

「大君主……ハシリウス……」

シリウスは、神剣『ガイアス』を握ったまま、つぶやいた。

★ ★ ★ ★ ★

――く、暗い……何も見えない。ここはどこだ! 僕は死んじゃったのか?

ハシリウスは、そうつぶやく。身体がふわふわして頼りない。真っ暗すぎて、何も見えない。そして、音も何もしない。暗黒の世界……。

――僕は、どうしてしまったんだ。

ハシリウスは、上も下も右も左も分からなくなりそうな世界の中で、自分がどうしてしまったのかを必死に思い出そうとした。僕は、ジョゼとソフィアを助けに来て、クリムゾンと戦った。そして、

――クリムゾンの剣に刺されたんだ。でも、痛くない……ということは、僕は死んでしまったのか……。もう、ジョゼやソフィアに会えないのか……。

ハシリウスは、ジョゼやソフィア、そしてアマデウスの笑顔を思い出した。どうしようもない懐かしさが心にこみ上げてくる。

――おじい様や父上、母上が悲しまれるだろうな……。大君主気取りで力もないくせに、こんなことになってしまって、親孝行もできなかった。

ハシリウスがそう思った時、セントリウスの言葉を思い出した。

――物事の始まりは、闇……。光は光源がないといけない……。

――暗闇だからって、怖がる必要はないということか……。それに何か温かい……。これって、生まれる前に感じたことがあるのかもしれない……。

ハシリウスは、だんだんと心が落ち着いてきた。見えないし、聞こえない……それは恐ろしいことだ。しかし、今まで見えて、聞こえていたからそう思うのであり、たとえ自分が死の世界に足を踏み入れているのだとしても、見えないこと、聞こえないこと――自分の感覚をもとに考えなければ、そんなに恐ろしいものではないことを悟った。むしろ、母のお腹の中にいるように、自然と心が安らぐのを覚えた。

――僕が死んで、誰かの子どもとして生まれてくるところなんだったら、僕の記憶はなくなってしまうのかな……。でも、ジョゼとソフィアのことは、忘れたくないな……。

心の安らぎの中、急に襲ってきた眠気と戦いながら、ハシリウスはぼうっとした頭でそう考えていた。

その時、心の中に声が響いた。

「ハシリウス、朝だよ。起きて……お願い」


ハシリウスの看病を続けるジョゼのもとに、ソフィアがそっと入ってきた。

「……ジョゼ、食事をとらないとだめよ。ハシリウスが起きた時、あなたが倒れていたら心配するわ。昨日の夜も、一晩中起きていたじゃない。食事も全然とっていないし……。私、あなたまで倒れてしまったら、どうしていいか分からなくなるわ……」

ソフィアは、ジョゼの肩を抱いてそういった。しかし、無理に止めようとはしなかった。完全に取り乱してしまったジョゼを見ているだけに、そして、二人が幼いころから一緒に育ってきたことを知っているだけに、ソフィアにもジョゼの気持ちが痛いほど伝わってくるのだ。

ソフィアは、すっかり痩せてしまったハシリウスを見つめていると、涙が出てきた。自分に初めて『友だち』って言ってくれたハシリウス。そのハシリウスは、三日三晩、意識も戻らないままに、命の焔がだんだんと消えていく……。“闇の沈黙”なんて魔法を作り出した奴、許せない!

「とにかく、ジョゼ。先生方も心配されているわ。明日は学校に顔を見せましょう。私もついて行くから……」

「……ボクがいないと、ハシリウス、死んじゃうんだ。だからボク、ハシリウスが目覚めるまでここに居る」

「ご飯も食べないで? あなたが元気を出さないと、それこそハシリウスは死んじゃうわよ!」

「いいんだ……ハシリウスが死んだら、ボクも死ぬから……」

「バカなこと言わないで!」

パシッ! 乾いた音を立てて、ジョゼの頬が鳴った。ソフィアは初めて、それこそ生まれて初めて、人の頬を叩いた。

「ソフィア……」

「この間も話したばかりじゃない! ハシリウスがどんなになっても、私たちは立派に生きて行きましょうって……。三人の幼なじみなのに、私だけ残されて、どうすればいいのよ!」

うつろな目でソフィアを見ていたジョゼは、急に涙を流して言う。

「ソフィアは分からないんだ。ボクにとって、ハシリウスは本当に最後の家族なんだ。そのハシリウスがいなくなっちゃったら、ボク、一人ぼっちじゃないか……」

「私がいるじゃない。ジョゼ、私じゃ家族の代わりにならないの? 私はあなたといつまでも姉妹みたいにしていたいのに……」

二人が言い合っているとき、ふいに星将シリウスが顕現した。二人の様子を見て当惑している。

「……お取込み中だったか?」

ソフィアは、シリウスの出現で救われた気がした。

「いいえ、星将シリウス。お見苦しいところをお見せしました」

「星将シリウス、ハシリウスを助けて! ボク、こんなハシリウス、もう見たくない!」

ジョゼがシリウスに抱きついて言う。シリウスは優しい目をして、しゃくりあげるジョゼの背をゆっくりと撫でながら言う。

「心配いらない。女神アンナ・プルナから、大君主ハシリウスに届け物を頼まれたのだ。日月の乙女たちよ、何も心配せず、ハシリウスを信じろ」

「本当!」「本当ですか!」

ジョゼとソフィアは同時に叫んだ。シリウスは目に鋭さを込めて、ハシリウスを見つめた。大君主よ、痩せてしまったな……しかし、お前と私の命の焔は、そんなに簡単に消えそうもないぞ。

シリウスは、ジョゼを離すと、ゆっくりとハシリウスのベッドに近づいた。そして、虚空から神剣『ガイアス』を取り出すと、ハシリウスの胸の上に置いた。

「目覚めろ! 大君主ハシリウス。そなたの光は、今ここにある!」

途端に神剣『ガイアス』は光り輝き、その光はハシリウスを包みこんだ。

――光は光源が必要だ……その光源が、神剣『ガイアス』……。

――ハシリウス、すべての人間は意味があって生まれてきました。あなたの生きる意味を探しなさい。日月の乙女たちとともに……。

――日月の、乙女たち……。

ハシリウスは、ぼうっとした頭の中で考えた。二人の乙女たち……ジョゼとソフィア……。

――僕は、ここに居る。そして、光もここにある! 闇の中に、光がある! そうか。光の精霊リヒトよ、闇の精霊シュバルツよ、汝らは別物にして、また、同じものなり。対立軸にして、遷移軸なり。されば、わが力をもとに、闇を光に、光を闇に転移せよ! “メビウスとクライン”イム・シャイン・ウント……

「……ウント・シュバルツ・ナーハ・オーレン・ツァイト!」

光の中で、ハシリウスの声がした。光が収まると、ベッドの上に置き上がり、神剣『ガイアス』を握りしめているハシリウスがいた。

「ハシリウス!」

「目覚めてくれたのね!」

ジョゼとソフィアがハシリウスに駆け寄る。ハシリウスはじっと『ガイアス』を見つめていたが、その目を不意に二人に向けると、にっこりとほほ笑んで言った。

「ごめん、心配かけた。ジョゼ、ソフィア、僕はもう大丈夫だから」

★ ★ ★ ★ ★

ハシリウスが目覚めたことは、ひそかにセントリウスやゼイウスに知らされた。

そのゼイウスのもとに、セントリウスがやって来た。

「大賢人殿」

「おお、セントリウス猊下。ハシリウスの件はおめでとうございました」

「そのことは、部外秘ですぞ。ハシリウスは、今日、亡くなったことにいたします」

「?」

「実は、王都に、闇の使徒が紛れ込んでいます。この先“大いなる災い”がやって来た場合、これらは実に厄介な問題を引き起こしましょう。そのため、未然に災いの拡大を防ぐのです」

「その使徒を討滅するというのですか?」

「その通りです。それも、『風の谷』にいるモノは一人残らず……」

「そのようなことが、できますか?」

「まず、明日にでも国内すべてに通達をお出しください。『闇の使徒から国を守るため、来月の1日を期して究極結界魔法を発動する』と……」

「なんと“レーベンスラウム”を! 私は一人では無理です。ほかに使える者はいますか?」

「わしでも一人では難しい。しかし、大賢人殿と私、そして賢者ソロン、賢者キケロ、賢者セネカ……存命の賢者が5人でかかれば、できないことはないでしょう」

「賢者そろい踏みですか……。2年前の賢者会議以来ですな……。分かりました、やりましょう」

「それから、大元帥殿にお願いして、辺境の警備が手薄にならない程度に、王都にマスターたちを招集していただきたい。それも秘かにです」

「マスターたちで相手ができますか?」

「相手がポーン程度なら、上級修士程度のマスターでも十分です」

「分かりました。手配しましょう」

ゼイウスは、大君主がハシリウスであることを女神アンナ・プルナから知らされていた。女神の仰ることだからと謹んで受けたゼイウスだが、実際の心中は穏やかではなかった。しかし、賢者筆頭のセントリウスが自分を立て、何でも自分に采配を振らせようとしていることに気が付くと、そのような小さい考えを捨てた。

――ハシリウスが大君主でもいいではないか。大君主が現れたということは、この王国も安泰だということ。私は、エスメラルダ女王陛下の執政として、そのことを喜ばねばならない。人にはそれぞれ分がある。私にできることをしっかりとやっておくべきだ。

そう思うと、気持ちにゆとりができた。そんなゼイウスの状態を読んだのだろう。セントリウスがニコリとして言った。

「大賢人殿、そのゆとりがあれば、ヘルヴェティア王国最高の執政としてあなたの名前が残ることじゃろうて。セントリウスは消えゆく身、王国の未来は、大賢人殿をはじめとする現執政たちの肩にかかっていますからのう」

ゼイウスは、その隻眼を細めて言う。

「そして、私たちの後は、ハシリウス達の世代ですな……この王国の良いところを次代に伝えたいものです」


木火の月の29日、ヘルヴェティア王国全土に、王宮からの緊急の布告が届けられた。

『土風の月の初日を期して、緊急に王国全土に究極結界魔法が張られます。それ以降は、王宮からの連絡があるまで、国土の外に出入りできません』

その通告について、『風の谷』の北の山脈にあるアジトで、アスラルとクリムゾンが目を輝かせて話し合っていた。

「究極結界魔法を使うということは、人間どもはわれらモンスターやミュータントに対抗できる術を失ったと思われる」

アスラルは、シリウスから斬り飛ばされた二本の右腕もここ何日かで再生し、元通り三面六臂四足の姿に戻っている。

「つまり、大君主は死んだということです」

長剣を失いはしたが、二刀流の技を鍛錬していたクリムゾンがニヤッと笑ってつぶやいた。

「よくやった、クリムゾンよ。やはりお前の剣術と“闇の沈黙”は大したものだ。これでわが主・クロイツェン様の治世が始まるのだ」

「すぐに、シュビーツを抑えないと、結界が張られるときにアスラル様も弾き飛ばされてしまいましょう」

「そうだな、明日、日の出前にシュビーツに総攻撃をかけよう。その時までに城門を開けておくように。いいか、クリムゾン・グローリィ」

「かしこまりました」

クリムゾンは、無表情に立ち上がると、緋色のマントを翻して闇に消え去った。

「あやつの使い道も、そろそろなくなるのう……あとは、クロイツェン様への贄とするか」

アスラルは、やっと癒えた右腕の傷を調べて、上機嫌でそう笑った。


一方で、王立ギムナジウムは重苦しい雰囲気に包まれていた。

「ハシリウス……いい奴だったよな」

「ジョゼとソフィア姫が無事だっただけでも、まだ幸いよね」

「でも、ジョゼは完全に取り乱してるって言うじゃない」

「ソフィア姫も、王宮で臥せっているって話よ」

校舎や寮では、生徒たちが寄るとさわると、その噂をしていた。

「ハシリウス君、こんなことなら、外出を許可しなければよかった……」

アクア教諭も、そういう風に自分を責めていた。そんな教諭を見て、ポッター校長は優しく言う。

「先生、今回のハシリウス君の遭難については、私が全責任を負います。あなたは悪くないですよ。外出許可を出したのは、校長のこの私ですから。ですから、先生は、クラスメイトの皆さんの動揺を抑えてください。まだ、みんな感じやすい年頃ですからね」

しかしアマデウスだけは、そんな噂に耳を貸さず、

「ハシリウスが死ぬものか。あいつは、しぶとくて、運がいい奴だ。ハシリウスは帰ってきます」

と言い張っていた。


そのころ、王宮では、幼なじみの仲良し3人組が話をしていた。

「ハシリウスもだいぶ良くなったし、ボク、そろそろ学校に行かなきゃ」

「そうね、月曜日から木曜日まで休んじゃったものね」

ジョゼの言葉に、マジメ生徒のソフィアが言う。

そんな二人の言葉に、ハシリウスは、

「二人ともマジメだなあ……。僕なんか、いつまでも休んでいいけど」

そう言うと、ソフィアが真剣な表情で言う。

「何を言うんですか。大君主といえども、勉強は必要なんですよ。“大いなる災い”が終わったら、あなたも普通の生活に戻って、普通に結婚とかするのですから。その時困らないように、知識はちゃんと身に着けておかないと」

「その時、知識豊富なソフィア姫と結婚すれば、その心配はないわけだ」

ハシリウスが言うと、ソフィアが顔を真っ赤にする。

「け、け、けっこん……ですか? でも……あの……」

しどろもどろに言うソフィアは、ふと、ハシリウスの目がいたずらっぽく笑っているのに気づく。

「あ~っ! ハシリウスってばイジワルですね。また、私をからかったんでしょう」

「そうだよ、コイツは元気になったらこんなことばっか言って!」

「いてっ! ジョゼ、ゲンコで殴るなよ! 僕、病人だぞ」

「うるさい! それが病人の態度か!」

ジョゼはハシリウスの頭をまたゲンコでどつく。すこ~し、さっきのハシリウスの言葉でジェラシってるようだ。

「そうか、ジョゼ、分かったぞ」

ハシリウスは、突然真剣な目でジョゼを見て言う。

「な、なんだよ。何が分かったっての?」

その真剣なまなざしに、思わずジョゼは顔を赤くする。

「ジョゼ、お前、実は……」

ハシリウスが真剣な目をジョゼから離さずに言う。うわ~っ、ハシリウスに「お前、僕のことが好きだろ?」とか言われたら、どうしよう……。

「実は、ソフィアを愛してるだろ?」

「……」(ジョゼ)

「……」(ソフィア)

「女同士でも僕は構わないが、ソフィアをスキャンダルに巻き込まないようにしないと……ぐはっ!」

「ハシリウスのバカっ!」

すっかり気分を害したジョゼは、ハシリウスを神剣『ガイアス』で思いっきりぶっ飛ばした。ソフィアは眼を点にして呆れている。

そこに、

「お取込み中すまないが……」

そう言って星将シリウスが顕現した。その顔は、心なしか呆れている。

「ああ、星将シリウス。すまないね、毎度毎度ハズカシイ所をお見せしちゃって」

「いや、それは構わないが、ハシリウスをぶっ飛ばすのに神剣『ガイアス』は使わないでほしい」

「あ、いや~手近にあったもんだからつい……ゴメン、女神様に失礼だったね?」

ジョゼが慌ててそう言うと、シリウスはぼそっと言った。

「バカがうつると困るのだ……」

「くすっ……」「へ?」「……」

その言葉を、三人とも聞き逃さなかった。

「いやですわ、星将でも冗談を仰るのね」

真っ先にソフィアがそう言って笑いだした。

「こら! 大君主様にそんな言葉はないだろう!」

「大君主なら大君主らしくしてほしい。私もハシリウスをどうやって12星将に認めてもらうか考えているのだから、自分で墓穴を掘るようなバカな真似は慎んでほしい」

シリウスは、抗議するハシリウスを、その名の由来する天狼星シリウスのように青くて冷たーい目で見て言う。

「星将シリウスって……意外と小言やさんかも?」

ハシリウスとシリウスの掛け合いを聞きながら、シリウスにだけは眼をつけられないようにマジメにしようと心に誓うジョゼだった。

「冗談はさておいて……ところでハシリウス」

シリウスが言う。ハシリウスは表情を引き締めた。

「お前は、昨日死んだことになっている」

「へ? シリウス、また冗談か?」

「今度は冗談ではない。アスラルの話だ」

「じゃ、ボクたちは席を外しておこうか?」

ジョゼが言うと、シリウスは首を振って言う。

「いや、日月の乙女たちにも聞いておいてほしい。実はな……」

シリウスは、三人を見つめながら、これから起こることを話し始めた。


「よし、抜かるなよ」

アスラルは、一気にヘルヴェティア王国を制圧しようと考えた。そして、全軍を率いてヘルヴェティカ城がよく見える北の台地に陣取ると、最後の作戦会議を開いた。

作戦はこうだった。

自らの率いる軍団のうち直卒する魔軍団600は城の大手門から突入し、残りの8000は、周囲の城門から脱出者が出ないように包囲する。

そして、クリムゾンは単身、城内に斬り込み、明日の究極結界魔法を使うために参集している賢者たちをなで斬りにする……という、大雑把だが、自信に満ちた作戦だった。

「ふふ、これでヘルヴェティア王国は終わり、世界はわれらモンスターのものになる」

アスラルは勝利を確信し、すでに会心の笑みを漏らしていた。


一方、ヘルヴェティカ城では、秘かに参集した5人のマスターが、それぞれ500人の勇者たちを率いて、自分たちの軍団に檄を飛ばしていた。全軍でわずか2500だったが、それでも腕に覚えのあるマスターたちは、相手の数がいかほど多くても苦にはしていなかった。

東の大手門を守るのは、ウルバヌス。

南門は、オルフェウス。

西門は、唯一の女性マスター、エレクトラ。

北門は、イカロス。

そして、筆頭マスターのアキレウスが、全軍の指揮を執りつつ遊撃隊として控えていた。

「今回は、雑魚だけを相手にしていればよい。敵の総帥であるモンスターや、そのモンスターに操られている戦士は相手にするな。ヘルヴェティカ城を守り抜き、モンスターの死骸を山と積んで見せよう!」

おう! 2500人の勇者たちは、そう叫んで武器を振り上げた。


木火の月の30日の世が白々と明けるころ、魔軍団はヘルヴェティカ城の包囲を終わって、攻撃にかかるだけになっていた。しかし、そこにマスター・アキレウス率いる500の精鋭が突如、斬り込んだ。

「私はヘルヴェティア王国筆頭マスター、アキレウス・オストラコン。ヘルヴェティア王国を侵す魔軍団のやからよ、ここから生きて帰れると思うな! 勇者たちよ、突撃!」

わあっ! 500人の勇者たちは、手に手に武器を取って斬り込む。アスラルの魔軍団は、数が多いと言ってもほとんどは魔力も持たないモンスターである。案に相違して、8600の軍勢はわずか500に押しまくられ始めた。

その様子を見て、他のマスターたちも作戦を変えた。前夜、アキレウスから

「私の隊が最初に突撃する。相手が手ごわければ、折を見て引き上げるが、万一敵が崩れるようであれば、全軍で敵を包囲せよ」

と言われていたからである。

「よし、アキレウスだけに手柄を立てさせなくてよいぞ! 突撃!」

魔軍団は、今や崩れに崩れていた。


「くそっ! マスターたちが来ていたか」

アスラルは、やっとのことで包囲を突破した。これから逃げようと考えていたが、案に相違して城は丸裸である。アスラルはニヤリとして言った。

「わが軍団が壊滅しても、女王と王女がいなくなれば、こちらの勝ちだ。勝負はキングを詰むまで分からない」

そして、ひと跳びで城壁へと降り立ち、そこを守っていた衛兵たちをなで斬りにすると、そのまま城内へと突進を開始した。


「おかしい……城内を守る衛兵の数が少なすぎる」

こちらは、城壁から秘かに侵入したクリムゾンである。さすが歴戦の士クリムゾンは、城内があまりに手薄なのをいぶかしく思った。

「とにかく、私は賢者たちを倒せばいいのだ」

クリムゾンがそう言って剣を取り直した時、

「そうはいかないですよ、クリムゾン様」

そう言って、クリムゾンの前に立ちはだかった影がある。

「!」

クリムゾンは、暁の中に立つその相手を見つめてびっくりした。

「大君主ハシリウス! 生きていたのか……」

「クリムゾン様。僕が知っているあなたは、高潔で、優しくて、そして正しかった。元のあなたに戻ってください」

「……あれで死ななかったとはさすが大君主だ。しかし、今度こそ息の根を止めてやる。もう少しでわが主・クロイツェン大王の輝かしい治世が始まるというのに、余計な邪魔をするな!」

クリムゾンは、両刀に構えた剣を揮いながら、ハシリウスに向かって突進してきた。ハシリウスはそんなクリムゾンを見つめたまま、微動だにしない。

「ハシリウス、死ねっ!」

「リヒト・バインド!」

クリムゾンは、勝利を確信して剣を振り下ろした。しかし、ハシリウスは、腰に佩いた剣を抜きもせずに、両手でクリムゾンの剣を受け止めた。

「!」

クリムゾンは焦った。ハシリウスの手に剣が吸い付けられたようにして動かない。

「く、くそっ!」

焦るクリムゾンは、剣を手放して間合いを開けた。短剣を構えて逃げようとするクリムゾンに、ハシリウスは神剣ガイアスを抜き放った。ガイアスは闇の力をまとい、刀身が黒く沈んでいる。ハシリウスはそれをクリムゾンに向け、闇の力を解き放った。

「ファイナル・スマッシュ!」

神剣ガイアスから、闇の力が衝撃波となってクリムゾンを襲った。一時撤退しようとしていたクリムゾンは、衝撃波をまともに受けて、そのまま失神した。

「シリウス、こちらは終わったぞ」


こちらはアスラルである。城の中枢部まで突き進んだアスラルだったが、こちらも一人として迎え撃つ者がいないことに、さすがにいぶかしさを感じていた。

「くそっ、女王と王女はどこだ?」

閣議の間を過ぎ、大賢人たちが詰める『賢者の間』まで来たとき、アスラルははっきりと、罠に落ちたことを悟った。そこには、星将シリウスが待ち構えていたのである。

「アスラルよ、待ちかねたぞ。先の戦いの決着をつけよう」

「ひっ! 星将シリウス……くそっ、罠か!」

アスラルは、突然のことに態勢を整える暇もなく、いきなり刀を回してシリウスに飛びかかって行った。シリウスは、蛇矛でやすやすと刀をはじくと、

「人に憑依せねば、私とは勝負ができないようだな」

と皮肉を言う。

「なにをっ!」

アスラルは畢生の力を振り絞って、六本の手に持つ刀を次々とシリウスに繰り出すが、シリウスの蛇矛は全く相手にならないほど速かった。シリウスは余裕綽々と蛇矛を揮いながら言う。

「アスラルよ、貴様は大君主ハシリウスに生死の淵をさまよわせた。それ故にこのシリウス、貴様に最高の葬送をして進ぜる」

そう言うと、シリウスの身体が真白く輝き始めた。星将シリウスはその力を解き放ったのである。

「おおっ! ぐはっ!」

目がくらんだアスラルは、一瞬のすきを突かれ、シリウスの蛇矛に胸元を深々と刺し貫かれた。

「あばよ、アスラル。完全に消滅しな。“煉獄の業火”!」

「うぎゃああ!!」

アスラルは、星将シリウスの灼熱の焔により、魂まで焼き尽くされ、消滅してしまった。

「大君主ハシリウスか……これからの戦いが楽しみだ」

星将シリウスは、会心の笑みを漏らしながら隠形した。

★ ★ ★ ★ ★

セントリウスは、『蒼の湖』の居宅で、パイプをくゆらせながらゆったりとしていた。

「セントリウス」

「おお、珍しいのう、シリウスか」

セントリウスは、顕現したシリウスを優しい瞳で迎えた。

「セントリウス、今回は私としたことが、ハシリウスに危ない橋を渡らせてしまった。このとおり、深くお詫びする」

頭を下げるシリウスにセントリウスは優しい瞳を当てたまま続ける。

「何を謝る。ハシリウスにはちょうどいい試練じゃった。女神アンナ・プルナも、ハシリウスの力を認めてくださったし、デネブやポラリスがいろいろ骨折ったおかげで、あのアルタイルもあまり文句を言わなくなった。いいことじゃ、こういうのを雨降って地固まるという」

「しかし……」

あくまで表情が固いシリウスに、セントリウスは言った。

「これからじゃ、これからが大事じゃ。そなたがもし自分を許せんというのなら、これから今以上にハシリウスや日月の乙女たちの力になってくれ」

「分かった……。セントリウス、感謝する」

星将シリウスは、そう言って隠形した。

「さてさて、ハシリウスにどんな運命が待っているか……こればかりは、わしにも星が読めんな」

セントリウスはそう言うと、再びパイプをくゆらせ始めた。

【第1巻 終わり】

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