灰の離宮・リベルタ Ⅶ
テーブルの上に置かれていた本や書類の束を、次々と別の場所へと移動させる。
それがすむと、エレオノーラはテキパキと昼食の用意を始めた。
「悪いけど、紅茶もコーヒーも無しよ」
目の前に置かれたのは、白い飲み物――牛乳だ。
「豆が切れていたかな?」
「えぇ。新しい茶葉も見つからなかったわ」
バートラムは、少しだけ残念そうだ。
「それなら、今日メイドが持ってくるはずだ」
「メイド? あぁ、あの子ね」
外へ出たリツカに声をかけたメイド、彼女がそうだったのだろう。
思い返してみれば、荷物を持っていた。
「どうぞ、召し上がれ」
エレオノーラが席に着く。
昼食はサンドイッチだ。野菜たっぷりのものと、分厚い肉が挟んであるもの。
最後のひとつは、シンプルなチーズ。
それと、デザートのオレンジ。
「……美味しい」
まずは、野菜たっぷりのサンドイッチを食べてみた。瑞々しい野菜と、サッパリしたソースが良くマッチしている。
「俺のだけトマト多くないか?」
「文句言うなら、自分で作りなさい」
どうやら、ハロルドはトマトが嫌いらしい。
無理矢理口に押し込むと、牛乳で流し込んでいる。
「エレオノーラさんが、作ってるの?」
「そうよ。この離宮、本当に人が来ないのよ」
来たとしてもら頼まれた荷物を届けに来る程度。
食事を運んでもらうことも可能だが、城の調理場から離れた場所にあるため、到着する頃には冷えてしまっている。
それならば、とエレオノーラは自ら調理場に立つことにしたそうだ。
「助かっているよ、とても」
バートラムは、ゆっくり食べるタイプらしい。
それに反して、ハロルドはかなり早い。皿のサンドイッチは、残すところチーズサンドのみだ。
(異世界でも、食事はあんまり変わらないな)
それは嬉しくもあり、同時に寂しくもある。
母親が作ってくれた最後の料理は、ハンバーグカレーだった。
当分は、食べることもできない。
「口に合わないかしら?」
「え? あ、いや、美味しいよ」
懐かしんでいたら、食事の手が止まっていた。
心配するような顔のエレオノーラに、リツカは慌ててサンドイッチを口に入れる。
「……それで、どこまで話したのかしら?」
ある程度食べ終えると、エレオノーラは事の進み具合を確認する。
「殿下が行方不明だということは、話したよ」
「じゃあ、リツカを呼んだ理由も?」
バートラムは、静かに首を振る。
今はまだ、現状の説明をしただけにすぎない。
次期国王である第4王子が、行方不明。
そこで、何故身代わりが必要になったのか。
そして、何故わざわざ異世界から身代わりを召喚したのか。
話を聞けば聞くほど、疑問が次々と浮かんでくる。
「……あの、先に聞いてもいいですか?」
「構わないよ。私が答えられることならば、何でも答えよう」
バートラムはナプキンをテーブルに置くと、リツカへと視線を移す。
「どうして、わざわざ異世界から似た顔の人間を呼んだんですか?」
この世界にだって、ひとりくらい王子に似た顔の人間はいるはずだ。
召喚がポピュラーな手段であるならば、そちらの方が手っ取り早い。
けれど、エレオノーラが言っていた。
召喚は、失われた過去の魔法なのだと。
「理由は、リツカ殿。貴公のその髪色にある」
「髪?」
17年間、1度として染めたことのない黒髪。
こだわりを持っているわけではないが、サラサラとしていて、癖っ毛とは縁遠い。
「その髪色は、我々の世界ではとても希少なのです」
「え……?」
言われて、リツカは目の前に座るエレオノーラを見た。
エレオノーラの髪色も、深い闇のような黒だ。
「黒髪は、魔術の資質がある証なのです」
たとえ、両親が黒髪でなくとも、魔術の才能が欠片ほどなくとも、黒髪の子どもは生まれるらしい。
「その魔力は、普通の魔導師とは比べ物にならないほどに、高く、濃い。――殿下も、黒髪を持ってお生まれになりました」
「そんなに、珍しいんですか?」
その場にいた全員が頷く。
「ついでに言えば、黒髪赤目はもっと魔術の資質が高い」
ハロルドは、コップに残った牛乳を飲み干すと、思い出したように口を開いた。
「こっちじゃ、聞き分けのない子どもに、こう言うんだ。いい子にしてないと、赤目に連れていかれてしまうぞ、って」
「そんなの迷信よ」
皿を片付けながら、エレオノーラは否定の言葉を口にする。
つい、リツカはエレオノーラの瞳の色を確認してしまった。
綺麗な青色だ。赤じゃない。
「迷信なのは同意だ。けど、子ども向けの絵本や物語には、よく出てくる。黒髪で、赤目の魔女が」
「……お皿、洗ってくるわ」
全員分の皿を集め終えると、ワゴンに乗せて、エレオノーラは調理場へと向かった。
「話が逸れてしまいましたね。つまり、この世界で殿下と同じ顔の者を見つけられたとしても、黒髪でなければ意味がない。故に、召喚という荒療治をとったのです」
「殿下そっくりの奴も、見つからなかったしな」
ふたりの話を聞きながら、リツカは気づいた。
第4王子が行方不明になって1ヶ月。
確かに、慌ててしまうのはわかる。
それにしたって、召喚に頼るというのは腑に落ちない。
召喚は、失われた過去の魔法。
それを現代で復活させるのは、容易ではないはず。
バートラムも、荒療治だと言っていたし。
(ふたりとも、焦ってる……?)
そう、考えれば納得できる。
リツカは、至った結論をふたりに話してみることにした。
「……その通りです。我々は、焦っています」
「…………」
バートラムは立ち上がり、先程の地図を再びテーブルへと広げた。
「殿下は、あまり王位に興味がない方で、公の場を嫌っていました。1ヶ月程度ならば、いつものことと周りは思うでしょう」
けれど、もうそろそろ姿を見せねば怪しまれる。
「レーヴェは、絶えず戦争を繰り返してきました」
地図に描かれたレーヴェの周りには、小さな国はほとんどない。
きっと、とても大きな戦争が起きていたのだろう。
「この平和を仮初めで終わらせないためにも、殿下には王になっていただきたかった」
「仮初めの、平和……」
何と言えば良いのか、本当に映画や小説の中にいるみたいだ。
しかも、配役は脇役じゃなくて主役っぽい。
「リツカ殿。酷な願いとわかってはいます。ですが、あえて口にしましょう」
バートラムが、姿勢を正す。
それに合わせて、ハロルドも背筋を伸ばした。
「我々は、貴公をこの国の王位に着かせる」
これ以上、驚くことなんてないと思っていた。
異世界に召喚されて、王子の身代わりになってほしいと言われ――。
その上、一国の王になれとまで。
(なんか、クラクラしてきた……)
難しい話ばかりで、疲れてきたのだろうか。
「大丈夫か? 顔が赤いぞ」
「だ、大丈夫で……」
言い切れぬまま、リツカは椅子から崩れ落ちた。
「お、おい!」
「ひどい熱だ。エレオノーラ殿を呼んできなさい」
部屋を出ていくハロルドの背中を最後に、リツカは意識を手放した。