灰の離宮・リベルタ Ⅳ
外へ出たかった。
廊下を無心に走り続けたが、体力の限界は思っていたよりも早く訪れた。
上着を脱ぎ捨て、外へ出れるための扉を見つけたリツカは、迷うことなくそちらへと向かい、外へ出た。
冷たい冬の風と、足跡ひとつない降り積もった雪。無遠慮に踏み込めば、ズルッと滑った。
「…………っ」
雪のお陰か、痛みはほぼない。
それでも、起き上がることができなかった。
唇を噛み締め、涙を流すまいと意固地になる。
「…………殿下?」
ふと、静寂を破る女性の声。
顔を上げれば、メイド服を着た女の子がいた。
「やっぱり、殿下だったんですね。こんな所にいては、お風邪を召します。さぁ……」
差し出されたメイドの手を、感情に任せたまま弾いた。
「で、殿下……?」
メイドは傷ついたというより、困惑した表情をしていた。
「放っといてくれ! 話しかけるな!」
話したくない。声も聞きたくない。
この世界の人間と、これ以上関わりたくない。
普通の17年だった。
サラリーマンの父親と、専業主婦の母親。中学生の妹は生意気で、よく喧嘩していた。
そんな家族に、また明日も会える――疑いもせず、特別な事だと思っていなかった。
それなのに、どうしてこうも簡単に崩れてしまうのだろう?
目が覚めたら異世界――受け入れるなんて無理だ。
「で、殿下……」
「戻っていいわ」
声が、した。
振り返らずとも、誰かは分かる。
「で、ですが……」
「良いのよ。だから、行って」
メイドは迷いながらも、出来ることはないと判断し、その場を去ることにした。
「…………」
「忘れ物よ」
投げられたのは、廊下に脱ぎ捨てた上着。
これが落ちていたから、エレオノーラはすぐにリツカを見つけることができた。
「…………」
「…………」
ふたりとも無言のまま。
雪に倒れこんだから、服が濡れてしまっている。
このまま外にいたら、本当に風邪を引いてしまうかもしれない。
「……連れ戻しに来たのか?」
先に口を開いたのは、リツカだった。
けれど、エレオノーラの返答はない。
「…………何で、俺を呼び出したんだ?」
寒さで、体が震えてきた。雪に直接触れている手のひらは、痛いほどだ。
「興味があったからよ」
その言葉には、一切の迷いがない。
「召喚は、失われてしまった過去の魔法。それを再びこの時代に復活させる。単純な興味よ」
「興味? ただ、それだけ……?」
上着を乱暴に掴み、振り返る。掴んだ上着を、そのままエレオノーラに投げつけた。
「ふざけんな! 呼び出された人間のこと、少しは考えたか? 喜ぶとでも?!」
感情のままに投げつけた上着は、重力に逆らうことなく地面へと落ちた。
「何か言えよ!」
黙ったままのエレオノーラに、腹が立つ。
「――ようやく、年相応の貴方を見たような気がするわ」
エレオノーラは、投げられたた上着を手に取り、リツカの肩に掛けてやる。
「怒って当然よ。けど、私も彼らも貴方に謝ったりはしないわ。すべてを承知で、貴方をこの世界へ呼び出したのだから」
謝罪してしまえば、行動の否定になる。
けれど、エレオノーラは召喚したことを後悔していない。
この場にはいない、バートラムやハロルドも、同じ意見だろう。
「リツカ。私は確かに、己の好奇心と探究心のみで貴方を召喚した。でもね、責任はあると思っているわ」
エレオノーラが、リツカの手を取る。あたたかい人の温もりに、涙が出そうになった。
「貴方が元の世界に帰るその瞬間まで、私は貴方の傍に居続けるわ」
「そんなの……」
「約束するわ。貴方をひとりには、しないから」
優しい笑顔に、涙を我慢できなかった。
ボロボロと落ちる涙は、地面には落ちず、すべてエレオノーラの胸へと吸い込まれていった。